ふたりごと

「遅かったですね。待ちくたびれるのを通り越して待ちくたばるところでしたよ」


 出迎えの言葉を放ったのは今日も今日とて両目を固く閉ざしたアリスだった。隣にジェノもいるが、深い森の中にも拘わらず馬の姿は見当たらない。やはり二人も飛べるのだろうか。


「そうだったんだぁ。惜しいことをしたわねん。くたばっちゃえばよかったのに」


 売り言葉に買い言葉とはこのことだ。早速とばかりにメルがアリスに噛み付く。


「大司教。証拠は決して残さないのであの小娘を屠ってもよろしいでしょうか?」


 アリスが恐いことをさらっと言ってくれる。メルが黒曜短剣オブシダンダガーを抜いて応じるが、無意味な一戦が開幕する前に年長者が平静な声でこの場を制した。


「よろしくない。第一に発言の順序が違っているしな」


 ジェノの一瞥を受けたノアは肩を竦めて、


「メルのことなら大丈夫だよ。呼び出しから戻った時点で認識してた」


 ほう、とジェノが興味深げにリンを見つめた。その観察対象は飛行の後遺症で地面に蹲ってしまっている。吐きそうだ。かつてないスピードに各器官が異常を起こしたのだと思う。


「ところでイグノの件はどういった経緯で知ったのだ?」


「街道でインテグラ・リヴァーモアに会ってね」


 ジェノとアリスが同時に眉を顰めた。


「ふむ。教徒の服装をした童女が村人の避難を手伝ったとは聞いていたが」


「本人なのでしょうか。あのガキが入国したという話は聞いていませんよ」


「んっと。金髪でツインテールでチビでロリで露出狂で紐パン愛好家で悪知恵を働かせることだけが能の宰相みたいな口調を使う女っすね。ご本人ですかなぁ?」


 さすがはメルだ。酷すぎる説明にモノマネまで付けるとは。


「どうやら間違いないようですなぁ。あっしは本人だと思いますぞぉ?」


 同じくモノマネで応じるアリスにジェノが溜息を一つ。


「インテグラはロデリック・ウィロビー枢機卿直属の部下だからな。国境の門もフリーパス。大司教の私に一報を寄越す義務もない訳だ」


「ロデリック・ウィロビーって確かあんたを大司教に任命した教会の幹部っすよね。フェインを中心に近隣十カ国で最も権力を持った偉い人だったような?」


 今はそうでもない、とジェノはメルの確認を否定して、


「悪いが枢機卿の件は次の機会だな。現在の状況をどれほど把握している?」


「村人は避難済み。不死者の発生源は地下墓地。後ろ盾の傭兵団は全員が尻尾を巻いて逃走。中央の広場で村人避難の功労者たる傭兵兼呪術師が奮闘中。その傭兵は大鷹の姿をしてるらしいから高位呪体化か魂魄暴走を展開してると推測してる」


「補足すべきことが二点あるな。一つは不死者の発生が今も続いていることだ」


「道理で多いと思った。目算で報告の倍はいたからね。もう一つは?」


「無謀な正義漢に関する情報だ。宿屋の主人が受付の祭に赤水晶の付いた鋼製短剣スチールダガーを確認していてな。名はライル・オーデン。熟達した傭兵で知られる24の男だ」


 聞いたことのある名前だった。行く先々で無償の人助けをする、リンと同じく傭兵に向かないタイプの人物だ。傭兵の面汚しだとよく貶されている有名人でもある。


「良い噂しか聞かない人だね。助け甲斐があるというか。ちなみに兄さんはどう動く予定?」


 ジェノはノアの問いに腕組みをしてから応じる。近くの大木に視線を向け、


「独り言を呟きたい気分だ」


「じゃあ僕も独り言に耽るかな」


「あらあらなんとも根暗な兄弟ですね」


 アリスが子供を案ずる母親のように手を頬に当てて言った。ジェノは完全に無視。


「インテグラに詳細を知られている以上、私が交戦する場合はライルを確実に殺す必要が出てくる。魂魄暴走を起こしていないのなら話は別だがな」


「だったらアリスさんもダメだね。アリスさんと兄さんはいつも一緒にいるって有名だしさ」


「あらあら。ノア様ったら。わたくしどもを夫婦のように思っておいでなのですか」


 ジェノはあくまでもアリスをシカト。ノアもスルー。


「要するに私とアリスはライルと遭遇しない方が望ましい訳だ。ついでに言えば架空の人物をでっち上げてライルの代わりに殺したことにする作戦も不可能だな」


「不特定多数の人物にライルを見られてるからだね」


「明らかに会話してんね」


 ジェノはメルの指摘にも一切の反応を見せない。


「だがノアが活躍するのもまずい。ライルの救出後に村人が情に厚い勇者を称え、黒い衣服を好んで着るようにでもなれば上の者どもが何をしでかすか分からんしな」


 なるほどね、とノアは頷き、ようやく立ち上がったリンを見つめた。


「ここは聖女様の出番ってことか」


「そういうことになる」


「……はい?」


 話が飲み込めない。小首を傾げるリンの隣でメルがポンと手を叩いた。


「これが上手くいけばノアとリンが一緒にいる噂を一気に広められるんね」


「しかも教会がリネットの善行にケチを付ける道理はありません。妙案ですね」


 アリスも納得の様子だ。しかし戦闘力に自信のないリンは怖じ気付いてしまう。


「愚問と承知した上での質問なのだけれど。実質的にライルを救出するのはノアやジェノであって、私はただ手柄を表面上で受け取るだけという筋書きでいいのよね?」


「まさに愚問だな」


 ジェノの即答を聞いてリンは全身の力が抜けた。心中にて安堵の息を盛大に吐く。


「リンが戦うに決まっている」


 心の深呼吸が強制的に終了した。ジェノはこの期に及んで目を合わせようとせず、


「すべての村人が避難したのは事実らしいが、旅人や行商などの村外の人間が逃げ遅れている可能性は大いにある。それらに我々の交戦を目撃されては洒落にもならん」


「その際は死人に口なし計画が不可欠ですね。人の口に戸は立てられないので」


 アリスの声色はどこまでも冷淡としていた。乱暴が過ぎる補足に誰もいい顔をしなかったものの、これといった異論も出ない。アリスの真剣さが十二分に伝わったからだ。


 それにしても、とリンは今さら思った。教会への造反とも取れる作戦会議に堂々と参加しているが、アリスもジェノやリンと同じく勇者暗殺の反対派なのだろうか。


「わたくしは教会の犬ではありません」


 ふとアリスがリンの心を見透かしたように呟いた。失礼だったと思ってリンは一礼する。


「そう。わたくしは大司教のペット――」


 パチン! とアリスの額が景気のよい音を鳴らす。ジェノの手は矢よりも早かった。


「少しは緊張感を持て」


「……痛いですよ暴力野郎。ペットでもないですが、と続ける予定でしたのに」


 嘘くさい。全員がそう思ったようで、赤い額をさするアリスに慰めの言葉は飛ばない。


「心配せずともライルは二時間以上も戦闘を続けている。疲労困憊の今なら難なく倒せるはずだ。魂魄暴走で大鷹本来の力が再現されていたとしても限界はあるからな」


「でも倒すのにどれだけ掛かるか分からないわよ? 魂魄暴走を起こしてなかったら問題ないけれど。殺さない程度に痛めつけて我に返させるなんて私の力量だと難題すぎるもの」


 殺すのと瀕死にさせるのでは難易度が全く違う。正直、リンは手加減して勝つ自信がない。


「ノア。インテグラはどうしている?」


「兄さんを探してたからカロッカに向かわせたよ。念のための嘘が良い結果に繋がったね」


「でかした。という訳でリン。時間のことは気にするな。勝ち戦だと思って臨め」


 太鼓判を捺されてもリンの不安は払拭されない。ジェノが呆れたように、


「勘違いをしているようだな。私は何も一人で戦えとは言っていないが?」


「でも私以外がライルと戦ってる場面を誰かに見られるのはまずいとか……」


「戦っても目撃されない奴がそこにいる」


 ジェノが指差したのは言わずと知れたメルである。


「中位呪体化したメルヴィナの戦闘力は竜のそれを上回る。敗北は有り得ん」


 ジェノの高評価に応じてメルが誇らしげに胸を張る。心強い。ならばリンも一安心だ。


「勢い余ってライルを絶命させたり村を村跡に変えたりする可能性は否めないがな」


 早くも安心感が雲散した。なぜ十秒が経っても本人すら否定しないのでしょうか。


 メルが苦笑しながらリンの背に張り付いてくる。どうやら前例があるらしい。


「私は地下墓地に向かうとするか。不死者発生の原因究明はライルの抹殺より優先してもおかしくない案件だしな。希有な秘薬を得られる大物がいることを期待しよう」


「僕も行くよ。大司教が獲得した秘薬は教会に奪われる。宝石塗れエンシェントグールがいたら困るからね」


「確かに宝石塗れは墓地での目撃例が多いな。では偶然にも墓地で再会するか」


 助かる。リンは礼を述べようとしたが、先にジェノが再び開口した。


「ノアは先に行け。地下墓地は村の北西にある。途中の雑魚はすべて蹴散らせ」


 首肯一つ。ノアが聖剣を抜いて駆けだした。ジェノは弟の勇ましい姿に一瞥もくれず、


「アリスの役目は雑魚の掃討だ。くれぐれも建造物などを壊さんようにな」


「大司教。残念ながらわたくしは月の物の最中なので激しい戦闘が不可能でして」


「嘘を吐くな。十日前に同じ理由で灰色熊グリズリーの群れを私に押し付けたのはどこのどいつだ」


「実は十日前の方が嘘なのです」


 もはやジェノは聞く耳を持たないようだ。無言で戦場を指差す。


「やーだー。めんどいんだもん」


 アリスが可愛い子ぶっても指の向きは変わらない。


「わたくしには無理ですよー。ここは魔法使いのぷちちちに任せるべきですってー」


「ぷちちち言うな! どうせならストレートに貧乳って言え!」


「ここは貧乳に任せるべき――」


「ぶっ殺す! 本当に言い直すな! リンだって傷付くっての!」


 余計なお世話だ。溜息を吐くリン。激昂するメル。ふざけ通すアリス。それでもジェノは態度を変えない。やがて長い沈黙が功を奏したらしく大司教の方に軍配が上がった。


「……人使いの荒い御方ですね。まったく。球電の精ウィルオウィスプを使っても?」


「構わん。愚かな火イグニスファティウスの追尾機能はこの状況に適しているのでな。頼もしい限りだ」


「では煽て野郎の期待に応えて召喚サモンを行うとしましょうか」


 リンは目を見張る。召喚はlevel.2の魂魄具現化カースドアビリティで、極めて高等な魂でしか効果を発揮しない特殊な呪術だ。行使に多大な魔力を必要とするのでリンは習得すらできていない。


 その実、見るのも初めてだった。球電の精と言えば鬼火の代名詞。期待と好奇心で胸が高鳴る。


 リンが熱い視線を送る中、アリスは面倒臭そうに小さな掌を前方に突き出した。


「悪魔をも騙し嘲る生粋の罪悪よ。我と共に第三の道を往かん。召喚――球電の精」


 凄まじい。ノア達に負けないほどの強い気配が掌の先の空間に収束していく。


「……何それ」


 リンが無感情に呟いたのも無理はない。


 アリスが生み出したのは鬼火というよりシャボン玉だ。直径は主人の座高ほどで、ピカピカと頻繁に青白く光ってはいるものの、明らかに発火していない。また放電した様子もなく、目や口などもないのでただの球体に見える。


「ペットのウィリアムですが?」


 アリスは平然と答えると球電の精に飛び乗った。一瞬だけ上部が凹み、しかし女の子一人分の体重で割れたりはしない。


 実に疑わしかった。アリスが跨ってすぐに球電の精はシャボン玉っぽい外見に違わず浮き始めたが、どこの世界に乗っかっても燃えない鬼火があると言うのか。


「では戦場に参ります。ご機嫌よう」


 アリスが手を振った直後に球電の精の動きは一転して疾風のように素早くなる。シャボン玉の後ろ姿はあっという間に彼方へと消えてしまった。


「では私も行かせて貰う」


 言いつつジェノは法衣の袖に左手を入れた。


 肘の辺りに棺桶袋を隠しているのか、程なくして姿を見せた手は平凡な外見ながらも神々しさに包まれた戦棍を握っている。数々の強力な魔物を滅したとされる伝説の武器だ。終の願いクレイブベイン。一説では西風の神をも屠ったと言う。


「多勢に無勢の状況では一瞬の油断が命取りになる。リン、行動は慎重にな」


「努力するわ。でも慎重を通り越してトロい性分だから雑魚相手でも負けるかもね」


「……ノアが口を滑らせたか。だが皮肉を言える余裕があるのなら問題ない」


 珍しくもジェノが参ったと言った感じで眉を下げた。数秒で元の表情に戻って、


「メルヴィナ。リンを任せたぞ。危ういと感じた時は迷わずライルの息の根を止めるがいい。優先すべき命の順序を見誤るなよ?」


 うい、とメルが即答するとジェノの身体が浮き上がった。これでリンが知る中で飛べない青呪術師は自分のみとなる。実力差を見せ付けられているようで悔しい。


 そしてジェノも森の奥へと消えていった。メルがリンの背中を離れて横に並ぶ。


「あたしらも行く? 待てば待つほど雑魚がライルの体力を削ってくれるけど」


「今すぐ村の入口までは行くわよ。でも状況次第では突撃を見送るかも?」


「うい。ベストじゃないけどベターの範囲ではあるし、てきぱきと行動しよっか」


「そうね。早く動かないと陰でまたトロいとか言われちゃうと思うし」


「結構リンは根に持つタイプなんすね」


 リンは微風のように優しい微笑みをメルに送る。以後は気を付けます、とメルが余所余所しく空中で頭を垂れたが、それは大きな勘違いでしかない。


 理解している。ジェノがノアにそう言ったのはリンを気に掛けてのことであると。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る