第二章

音速剣

 話が違う。想定外ではないものの、的中しても嬉しくない予想もある。


 街を出て一時間足らず。ジェノの見解に反して早くも傭兵に囲まれてしまった。


 ざっと見ても20人はいそうだ。昨今の暗殺者は人気の多い街道でも堂々と襲うらしい。


 幸いにも街道を行き交う人々の殆どが行商人だ。物々しい空気の中に首を突っ込もうとする輩はおらず、誰もが百害あって一利無しと言わんばかりに見て見ぬふりを貫き通している。


 悪くない判断だ。半端な援軍など邪魔でしかない。足手まといが何十人いようと勇者を擁する自軍が負けるはずもないが、どうせならいない方が良いに決まっている。


「今日は女連れのようだな」


 味気ない台詞を吐いたのは長剣をぶら下げたリーダー格の男だった。


「いつも女連れだっての」


「だが手加減は無しだ。恨むなよ?」


 メルの指摘は当然ながら無視された。慣れっこのノアは涼しい顔を見せているが、マントのようにメルを背中に張り付けているリンは気が気でない。背筋に強い怒気を感じるのだ。思わず謝罪の言葉を叫びたくなるほど凄まじく。


「あー、イライラする。ていうかなんでこいつらはこうも学習能力がないわけ? どれも一回は見た顔だしさ。いい加減に勝てないことを理解してくんないかな」


 メルが愚痴を零しながらリンから離れ、ふわふわと浮いたままリーダー格の男の方に向かっていく。もしやビンタでもするのだろうか。


 一応は朝食の席でメルに関する最低限の知識を貰っている。視覚や聴覚と違ってメルを触覚で認識するのは誰でも可能らしく、触れても彼女の姿を見えるようにはならないが、混乱を招かないためにも組合ギルド連合ユニオンから一般人との接触を固く禁じられていると聞いた。


 よってメルは人とぶつからないように移動中は常に西風の加護ゼファーズブレッシングを展開し、街中ではリンの頭上にいることも多かった。なのに今は進むに連れて高度を下げ、ついに足が地面に着く。


 悪い予感はしない。しかし良い予感も全くしない。青水晶ブルーシンボル銀製短剣シルバーダガーを見せれば偽者と疑われる心配もないはずだし、ここはリンが名乗ることで和睦を図るのが最良かと思える。


「どうした? 掛かってこないのか?」


 状況も知らずにリーダーが笑みすら浮かべて挑発した。一方のメルは既に相手の眼前で腰元の棺桶袋コフィンバッグを弄っている。話によるとバツ印の入った棺桶袋がノアの物で、衣類満載の方は連合が特別に用意した共用の物らしい。


 そして前者はノアの腰に、後者は女物が多いのでリンの腰に引っ掛けてある。要するにメルが触れているのは正真正銘で彼女の棺桶袋だ。


 中身については聞いていない。魔術組合マジックギルドの所属だから魔術に関する品々が眠ってるのかな、とリンは予想し、十秒後、読みが正しかったのだと分かった。


 登場したのは樫の杖である。メルの背丈ほどの長さで、先端のこぶは赤子の頭ほどに膨れていた。教会所属用の棺桶袋は横長で底が浅いためどう収納したのか気になるところだ。


 だがさらに気になったのは杖の用途だった。魔力の増幅を目的とした武具だとは分かっているが、魔術なのか、魔法なのか、メルの行動を想像するだけで心拍数が上がっていく。


「……チッ。仕方ねーな。前回の失敗を考慮して待ちに転じてみたのによ」


 もはやリーダーの発言など気にもならない。和睦の話も頭の中から消えていた。


 やがてリンは絶句することになる。理解したのだ。音速の剣術の正体を。


「おいおい、嬢ちゃん。今さら愕然としても遅いぜ? 手を引く気はねーからな」


 きっとメルもリーダーと同意見だ。いや、間違いない。杖の先端をリーダーの腹に近付け、幾度とスイングの練習をしている彼女に手を引く気はないはずだ。


 傭兵は体力の浪費を防ぐために甲冑ではなく胸当てを装備する傾向がある。対峙している全員がそれに該当し、胸当ては文字通り胸部の防具だ。


 熟練の傭兵はそう簡単に腹を斬られはしない。連中の装備にとやかく言う者は滅多にいないと思う。が、そんな無防備すぎる腹部に狙いを定めた小悪魔がここにいるのであった。


「よし! 行くぜ野郎ども! 作戦は――」


 リーダーの指示が途切れた。原因は明白。翼を持たないくせに宙を舞ったせいだ。


 彼は白目を剥いて成人一人分も後方に吹っ飛び、早くも傭兵達の半分が戦意を喪失したと顔色で示す。残る半分は唾を飲むのも忘れた様子で地面に転がるリーダーを見つめていた。


 驚いているのはリンも同じだ。ここまで完璧な不意打ちは見たことがない。意識的な防御は無論のこと、反射的な防御も行えなかったはずだ。華奢なメルがこうも威力のある一撃を見せたのだから確実と言える。


「これが噂に聞く音速剣か……」


 敵の一人が呆然と呟いたが、明らかに突風ほどの風速すら出ていない。


 感動の余地はなかった。ずるいというか、せこいというか。とにかく酷すぎる技だった。勇者の奥義その1は。


 リンは嘆息し、気付けば勇者の奥義その2が展開されようとしている。メルが舌を噛まないのが不思議なほどの速度で呪文を紡ぎ、その足元に見慣れない魔法陣が浮かび上がっていた。


 複雑な幾何学模様は弱い黄緑色の光を放ち、幾本もの光の帯を天に放っている。同時に強風も発生しているようで、メルのワンピースの裾が激しくばたつき、真っ白な太股やピンクとホワイトのストライプが見え隠れしていた。


 兎にも角にも一目で分かる。魔術ではない。これほど魔力の流れが激しい魔術は存在しない。この異変に周囲がなぜ気付かないのかと疑問を覚えるほどに力強い。


「――暗然と悩みし南風の神々その儚き憂いを今ここに。風神の溜息ノトスプレッシャー!」


 こつんとメルが杖の先端で地面を叩いた瞬間、足元の魔法陣が急速に膨張した。いや、弾けたのかもしれない。目で追いきれないほど変化は迅速だった。


 周辺を見回せばすべての傭兵が寝転がっている。昨晩と同じ状況だ。魔法陣に触れた相手を吹き飛ばす効果があると考えるのが妥当か。


 発動した際に横を通り過ぎた荷馬車の操者が目を丸くしつつも無事だったので、便利なことに攻撃の対象に融通が利くらしい。


 勇者の奥義その2は奥義その1と違って非常に頼もしいと分かった反面、噂の音速剣も魔法もノアの実力に何の関係もないと判明してしまった。

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