生ハム

「咎めないのかい?」


 テーブルの向かいに座った若き勇者は死霊レイスよりも生気のない声を出した。


 一方のリンは既に平静だ。咀嚼していた若鶏の唐揚げを飲み込み、


「咎められるとしたら私の方でしょ。勝手に荷物を漁ってたんだし」


「いや、リンの立場で考えれば分からなくもないからね。恩返しを一回でも多くしようと思って、僕の洗濯物を片付けようとしたんじゃないの?」


 まあね、とリンは答えておく。なんとなくジェノの助言だとは言わない方がいい気がした。


「何であれノアに女装癖があるのだとしても、夜な夜な女性用下着をかぶって高笑いを上げているのだとしても、私にとやかく言う権利はないわ。それとも私が他人の趣味にケチを付けるような了見の狭い人に見える?」


 見えないけどね、と返した途端にノアが深い溜息を吐いた。食堂の賑わいに反してダークなオーラを纏ってはいるものの、卓上の料理を着々と減らしている。


「そもそもノアに女装の趣味はないと思ってるから」


 その点は間違いない。サイズが合っていないのだ。


 ショーツもワンピースもノアが使うには小さく、雑な保管方法を考慮するとコレクションの可能性も弱く思える。同じ理由で預かり物や届け物の線もないだろうし、と考えながらリンはサラダを小皿に取り分けて、


「実は何かの解呪に必要な道具なのかしら。ロリコン貴族の亡霊を浄化させるのに便利だとか、どっかの神殿に女性用の衣類をお供えすると恩恵を授かれるとか」


「……リンは噂以上に寛容だね。一方的に非難されると思ってたのに」


「当然よ。非難されるべきは理由も知らずに主観の過ぎた暴言を吐く人でしょ」


 ノアは口をもごもごと動かしながら真剣味の強い態度でリンの持論を聞いている。


「口は禍の門とも元とも言うからね。放った言葉は門の内側に戻せないし、それが禍になるかどうかも当人次第でしょ? 私は不用意に呪詛を吐きたくないのよ」


「世界がさらに穢れてしまうから、とアリスさんなら続けそうだね」


「ちなみにそのアリスさんはなんと?」


「腐敗化の件なら残念な結果だよ。必要な秘薬に関する確証は得られたけどね。儀式の方法は不明だ。関心の薄い解呪本だったから最後まで読まなかったらしい」


 ノアが悔しげに言ってフォークを生ハムに突き刺した。


 勇者様の言動にリンは二重の意味で大きなショックを受けた。いつの間にやら生ハムが絶滅している。大好物なのに。


 悔やまれる。好きな物を最後まで残しておく性格が徒となってしまった。


「……好きなの? 生ハム」


 大人げなくも問うてみる。浮かべた作り笑いが引き攣っている自覚はあった。


「あれ。食べ過ぎちゃった……かな? ごめん、追加の注文する?」


 食べ過ぎたも何もリンは一切れすら味わっていない。質の悪い冗談は勘弁――、


 脳裏に閃光が走った。そして、呆れてしまう。


 郊外の森。教会。ノアの宿泊室。よく考えればヒントは多くあった。なぜ今の今まで気付けなかったのかとリンは自分を情けなく思いつつも、


「アリスの呪いはとても希有なものよね? 私も人魚の肉を用いた不老の呪術を知ってるけれども、実際に不老となった例は見たことも聞いたこともないし」


 話題の転換が唐突すぎたらしい。ノアの表情が徐々に硬くなっていく。


「希有というか。僕はアリスさん以外にいないと思ってるよ。解く方法は大凡で判明してるけど呪う方法は不明だし、名称も未定だからね」


 コップの水を喉に流し、心なしか低くなった声で言った。

 

「で? それがどうかした?」


「いや別に。空想上でしか存在しないと思ってた呪いが不明瞭な形とはいえ実在してることに感動しただけよ。もっと言えば他にも希有な呪いを宿した魂があるのかなぁって思ってね」


 態とらしいくらいで丁度いい。リンは追及するような視線でノアを串刺しにする。


「ないとは言い切れないね。僕らが思ってる以上に世界はずっと広いしさ」


 ノアも対抗するようにリンを見つめる。お陰で確信した。


 ジェノの評価は正しい。ノアは実に優秀だ。兄と違って口は軽くないらしい。


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