縞々模様
後になって思った。湯浴みに一時間は長すぎる。
この宿屋に大浴場のような入浴施設はないし、各部屋にある浴室も
湯に浸かるのならまだしも、たかだか身体の汚れや汗を落とすくらいのことに一時間も掛かるものだろうか。女性のリンでも長めに浴びて15分。余程の綺麗好きでもせいぜい30分くらいだと思う。
だからどうした? と問われたら、別にどうもしない、としか答えられない。
ただリンは暇なのだ。水玉模様の入った桃色の寝間着姿になって早20分。大の字でベッドに寝転がって天井を眺め続けるのにもいい加減に飽きてきた。
「どうしよっかなぁ。洗濯を始めると集合時間に遅れそうだし」
そう呟いたのを契機にリンは先程の会話を思い出す。つい勢いで怒鳴ってしまったが、リンもノアと同じく洗濯物を自分で片付けるタイプだ。男性の従業員が洗っている光景を想像すると気が滅入るし、最悪なことに下着を紛失された経験もある。
ノアにもそんな苦い思い出があるのかもしれない。と察したところでリンの脳裏に一つの疑問が浮かび上がる。
ノアの汎用袋は全く以て厚みがなかった。果たして着替えの衣類はどこにしまっているのか。黒竜の瞳を直に入れていたのであの棺桶袋ではないと思うが。
「そっか。バツ印がない方の棺桶袋なんだ」
これで謎が解けた。ジェノの助言は、洗濯を手伝ってやれ、という意味だったのである。
幸いにもリンは『よく知らない人』に当てはまらない。つまりノアは遠回しに要求していたのだ。恩返しの一環として溜まった洗濯物を片付けて欲しい、と。
そうと分かれば行動に移るのみ。善は急げだ。
リンは手にした汎用袋に貴重品を詰め込み、揚々と部屋から出る。仮に勘違いだったとしても暇潰しだと思えば悪くない。
ノアの部屋までは廊下に出て50歩ほどの距離だ。リンは足早に向かい、到着してすぐにコンコンコンと木製のドアを叩く。十を数えても返事はこない。
まだ浴室にいるのかな? と思いながらドアノブを握ってみると不用心なことに鍵が掛かっていなかった。
入るか。引き返すか。迷いに迷って、
「泥棒に秘薬を盗まれたら困るのよね。荷物を見張るためにもここは一つ……」
思い切って入ってみることにした。リンはドアを開き、失礼します、と呟いてから人気のない空間に素早く身体を滑らせる。パッと見た感じではバツ印の棺桶袋がどこにもない。
逆に無印の棺桶袋はすぐに見つかった。窓際のベッドにぽつんと置かれている。
そして予想が的中した。だらしなくも袋の口から上着の袖がはみ出ている。きっと秘薬などの扱いの難しい品をバツ印の方に、衣類や非常食などの旅人グッズを無印の方に入れているのだ。
兎にも角にもまずは洗濯物の量を把握する必要がある。リンはベッドの縁に腰を掛け、汎用袋を足元に置くと無印の棺桶袋に手を突っ込んだ。
「……………………なぜですか」
引っ張り出した物を凝視しながらリンは呆然と呟いてしまった。
縞々だ。青と白のストライプが目の前にある。
紛れもなく。女性用のショーツだった。どう見ても。ぱんつだった。
思考が上手く働かない。とにかく再びノアの棺桶袋に手を突っ込み、しかし男物の衣類に混じって女物の衣類も出てきた。ショーツ。ブラジャー。ワンピースなど。
しかも困ったことにワンセットではない。十日くらいなら同じものを使わずに済むほどの数がある。というか女物の方が多いように思えた。比率は三対二くらいだろうか。
リンは手に持った縞々模様を眺めながら漠然と思う。
ど、どうしよう。見てはならないものを見てしまった気がする。世界最高クラスのスキャンダルを知ってしまったのでは。
まもなく左後方から木の軋む音が聞こえた。リンの宿泊室で言えば浴室があった方向だ。恐い。振り向くのが恐すぎる。
声は掛からない。重苦しい空気が漂う中、リンは深呼吸を一つ。二つ。三つと繰り返してからゆっくりと振り向いた。そこにいるのは当然ながら部屋の主である。
「こ、こんばんは……」
返事はない。
ただ、水色の寝間着に身を包んだ少年は今にも泣きかねない顔をしていた。
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