大司教

 教会。魔術組合。傭兵団。どの集落も必ず一つはいずれかの施設があるが、カロッカは国境沿いという立地もあって人々の行き来が絶えず、布教や研究員の勧誘や依頼人の確保などに適すため、呪術師連合を含めた四つの組織が勢揃いしている。


 尤も他国への道が閉ざされた今は例年と比べて活気がなく、フェイン東部で最大の街と言われても今一ピンとこない感じだ。


「ご苦労様でした。これでカロッカの平和は約束されます」


 純白の法衣を纏った初老の神父がリンの正面で恭しく一礼した。


 教会に納めた白い願意石は集落の平穏に一役買い、あの質では保っても三日だが、石の効力が切れるまで危険な魔物は寄り付かなくなる。なので神父の賞賛も一概に大袈裟とは言えない。


 が、柔らかい声色に反して神父の表情は実に硬かった。


 願意石の色の件もあって教会は純白を神聖視し、漆黒を邪悪と定めているというのに、前大司教の忘れ形見は空気の読めないことに全身が真っ黒である。

 

 髪や瞳の色は仕方ないとしても多少くらいは自分の立場を気に掛けて欲しいところだ。そう思うリンも好んで白い服を着ている訳ではないが。


 神父は傍若無人な少年に叱咤の一つもせず、ただひたすらに憎悪すら混じったような鋭い視線を送っている。既に依頼は果たした。雷が落ちる前にここを立ち去るのが無難だろう。


 その注目の的はリンの配慮を余所に側壁に掛かった角灯を見つめている。魔術組合が販売している照明器具だ。中身の灯火石ライトストーンは約一年も発光し続ける上に、一食分にも満たないほど安価な商品なので庶民にも親しまれている。


 宿泊予定の宿屋にも何百個とあるはずだ。いくら教会内が殺風景だからってそんなつまんない物を観察しなくてもいいでしょうに。


 リンは早急にお暇するべくノアに近付き、声を掛ける寸前で教会の扉が鈍い音を鳴らした。


 現れたのは一組の男女だった。見慣れた白い法衣が両者を教会の関係者だと語っている。


 先を歩く男性は若々しい風貌にそぐわない権威者特有の厳かな雰囲気を纏い、深紅の双眼を挑戦的とすら思える強い笑みと共にノアへと向けていた。


 やや細めの身体はリンと比べて頭一個分以上も高く、相も変わらず腰まである銀髪を背後で一房に結っている。懐かしい。実に6年ぶりだ。リンが彼の顔を見るのは故郷での一件以来だった。


 一方の女性も連れ合いと同様に結った銀色の髪を腰まで垂らしている。目が不自由なようで左右の瞼を固く閉ざしているが、失明から長い年月を経たと一目で分かるほどに足取りはしっかりとしていた。


 だがそれ以上に感嘆すべきは胸部の膨らみで、片方につきリンの拳六つ分以上はあるかに見える。多く見積もっても一つ分しかないリンにとっては直視したくない人物と言えた。どうしたらそこまで成長するのかを事細かく教えて欲しい。明らかに年下なのに。


 顔の幼さがノアを勝っているので彼女の年齢は16を下回ると思われる。男性の方は今年で22を数え、確認を取るまでもなく上司と部下の関係だと分かってはいるものの、髪色や髪型が同じこともあって兄妹と言われた方がしっくりくるペアだ。


 あの人に姉や妹はいないはず。リンは彼の家族構成を思い浮かべ、ふと気になってノアの顔色を窺った。予想に違わず驚いている。ノアも彼と会うのは久々のようだ。


 しかし男女の唐突な登場に最も驚愕したのはこの人に違いない。


「な、なぜ大司教が?」


 年配の神父は大慌てだ。何せ神聖な教会内に真っ黒な存在を許し、その現場を王族並みの権力を持つ大司教に目撃されてしまった。大失態としか言えない状況にある。


「少々お待ちを! あの者は直ちに追い出しますので!」


「追い出す? 私の弟をか?」


 男性はさも楽しげに問うた。問われた方は今にも死にかねない表情だ。


 ジェノ・ハミルトン。勇者の義兄にして共に魔王を討った青呪術師の一人。


 ノアが聖戦の終了直後に姿を眩ましたせいで教会や各国からの賞賛を一身に受け、英雄の代表格として各地から引っ張りだこになっている忙しい人である。


「構わん。勇者の顔を知る者は多くないのでな。そもそも元を正せば作法を知りつつも黒服で訪れたノアが悪い。勇者殿も今の無礼は不問とするに決まっているさ」


 実際にノアは気にした素振りを見せていない。ただ盲目の少女に視線を投じるばかりだ。


 だが待てど暮らせどノアが許しの言葉を発さないせいで神父はさらに慌てる。やがてジェノが見かねたように、


「30分ほど外してくれるか? 表では話せん用があってな」


 反論の余地などなかった。神父はジェノの助け船に乗ってそそくさと教会から出ていく。


 ジェノは神父の情けない後ろ姿に一瞥すら投じない。両目を義理の弟に定めて、


「久しいな。顔を合わせるのは半年ぶりか? 息災なのは何よりだが、おかしな女を連れ歩いているのは相変わらずか。尤もこいつと比べたら遙かにマシだと思うがな」


「大司教。お言葉ですがわたくしの方が百倍はいい女です」


 連れの少女がすかさず豊満な胸を張って上司の評価を否定した。おかしな女と言われてカチンと来ていたリンだったが、彼女の自信満々な態度に圧倒されたお陰で少し冷静になる。ここで怒気を露わにしては彼女の発言を肯定するようなものだし、自分がいい女かどうかはどうでもいいとして、神の家とも呼ばれる場所で口喧嘩をするのは大変よろしくない。


「なんで兄さんがここに? アリスさんと会えたのは僕にとって好都合だけどさ」


 聞き捨てならない。ノアの発言に一番早く反応したのはリンだ。


「この女の子がアリス・ラブクラフトなの?」


「そうだよ。噂をすれば何とやらってやつかな?」


 苦笑するノアの手を取ってリンは飛び跳ねてしまう。


 出会えた原因など何でもいい。ただの偶然でも、神様の粋な計らいでも、とにかくリンは己の幸運に感激した。


 何という日だろうか。探し求めていた秘薬の九割が集まり、会いたかった青呪術師達とも対面できるだなんて。


「話の流れが読めんが、まずはノアの問いに答えよう。何やらこの街は踊る影の発生率が高いそうでな。アリスと調査をしに来たのだ。ついでに言えば我々の仕事はあくまでも土地の調査であって浄化云々はやらん。よって夜明けまでに用事を済まし、翌朝にはここを出る予定だ。アリスに話があるのなら今夜中に済ますがいい」


 ジェノは業務連絡のような味気ない口調で説明を終えるとリンに目を向けて、


「ところでノア。そちらの美人はどこのどなただ?」


 思わぬ高評価にリンは小首を傾げる。容姿を褒められるのは嬉しいが、ジェノにはつい先程におかしな女と罵られたばかりだ。おかしな美人と言われても喜んでいいのか悩んでしまう。


「わたくしの記憶が正しければ三ヶ月ほど前に大司教が犯したソレイユの娘かと」


 目が点になった。が、面食らったのはリンのみだ。ハミルトン兄弟はアリスの情報を鵜呑みにする気は毛ほどもないようで、二人揃って大きな溜息を吐く。


「平然とでたらめを言うな。お前の記憶は千%正しくない」


 この手の冗談に慣れているらしく、ジェノは面倒臭そうにしながらもリンの心境を代弁してくれた。さすがは変な噂だらけのアリス・ラブクラフトである。見事なまでの変人ぶりだ。


「そも私はこの少女と初めて顔を合わせるのだぞ?」


「いえ、初対面ではないです」


 リンは紛れもない事実を口にしてみる。


「ほら見なさい! やれやれ。見損ないましたよ、この嘘つき野郎!」


 火に油だった。


「……本当か? 私は嘘を吐いていない。偽りなく記憶にないぞ」


「そうでしょうね。当時の軽薄野郎は随分とお酒を召し上がっていましたし」


 丁寧な言葉遣いに反してアリスがジェノの代名詞を徐々に酷くしていくが、当の本人は全く関心がないようだ。寛大な上司は猜疑に満ちた眼差しを部下に送って、


「嘘つきは貴様の方だ。私は下戸だぞ。酒など飲まん」


「というかソレイユって北西部の街ですよね? 私はまだ行ったことがないです」


 リンの補足に、やはりな、とジェノは呟き、


「次は何だ? 二人で口裏を合わせているとでも宣うか?」


「いいえ。これ以上はリネット・マーシュの恨みを買いかねないので」


「……リネット?」


 途端にジェノが食い入るようにリンを見つめてくる。むぅ、と唸って眉を顰めているので今のも嘘だと思っていそうだ。


 せっかく正しいことを言っても全く信じて貰えない狼少女は鈍い上司を鼻で笑い、


「大司教の目は節穴ですか? 一目瞭然でしょう。あの青水晶をご覧なさい」


「ふむ。国内にいる教会所属の青呪術師を思い浮かべれば予想が可能だった訳か」


 ようやくジェノが分かってくれた。反対にリンは今の会話に一つの疑問を感じる。


「一目瞭然? でもあなたの目は」


「見えますが何か?」


 パチリと瞼が開かれる。そこに隠れていたのは宝石のような鮮緑の瞳だ。


「……どうして瞼をずっと閉じてたのよ」


 呆れすぎて敬語を忘れた。どうやら変わり者との噂はとことん正しかったらしい。


「この世は醜悪なもので溢れています。我ら神の僕が浄化しきれないほどに」


 一瞬にしてアリスの表情が真剣そのものになった。先程までのふざけた雰囲気はどこに行ったのか。彼女の発言を機に教会内の空気が丸ごと入れ替わった気さえする。


「疑いの余地はありません。世界は呪われているのでしょう。わたくしはその得体の知れない呪いに瞳を穢されまいと努めているのです。大切なものを愛でるためにも」


 ふわりと微笑み、アリスは再びまつげを伏せる。


 別格だ。神々しさを纏っただけの教徒なら幾度と見たことがあるが、リンは今ほど人間という生き物に神聖さを感じたことはない。さながら聖母のようだ。


 息を呑むのも憚られる。ハミルトン兄弟も感心するかのようにアリスを見つめていた。


「知らなかったな。お前もあの仮説を信じている口だったのか。世界が平和にならないのも、人々が争いを止められないのも、すべては強大な呪いのせいである。だな」


 ジェノが述べたのは最古の呪術師が遺した有名な言葉だ。残念ながら千年以上の時を経ても確証が見つかっていないため、永久に仮説の域を出ないとも言われている。


「私はてっきり無意義な会議や退屈な賛美歌の発表会中に堂々と居眠りするための布石だと捉えていたのだがな。見直したぞ」


「おおぅ。一番の理由を見抜かれていたとは」


「……悪いが早くも失望した。お前はしばし黙っているがいい」


 えー、とアリスが不満たらたらの声を漏らす。ノアもジェノの意見に賛同を示すような疲れきった顔を見せているし、素直に言えばリンも彼女を聖母のように思ったことを後悔し始めているが、これはアリスの好感を得るチャンスでもある。


「まあいいじゃないですか。アリスは素直に白状したんですから」


「失礼な。目上の者へは敬称を付けなさい」


 想定外すぎる。味方をしてあげたのに、リンの援護射撃はアリス本人に一蹴されてしまった。


「わたくしは21です。呼び捨ては控えていただきたいですね、このガキが」


「……冗談でしょ? 百歩譲ってもノアと同い年くらいにしか見えないわ」


「遺憾にも事実だ。これがな」


 ジェノは肩よりも低いアリスの頭頂部に手を置いて、


「こいつは15の時に雪女の魂を捕獲してな。幸か不幸かその魂は不老の呪いを被っていたのだ。そして滅多にない事例ではあるが、魂を蝕む呪いは保有者に影響を及ぼすこともある。アリスの成長が止まっているのはそのせいという訳だ」


 成長が止まってあのサイズなんですか! とリンは胸中で叫びつつも、


「不老や不死の呪いは伝説級のレアものですよね。解呪は可能なんですか?」


「老衰や老化の呪術を応用することで可能だとは聞いている。秘薬の類も調ってはいるが、一応はアリスも女の端くれだ。好んで老いたいとは思わんらしい」


 アリスがジェノの手を乱暴に振り払った。言い回しが気に入らなかったようで、閉ざした両目を憤然と上司に向けている。対象は見向きもしない。


「勉強になります。特に魂の獲得が原因で呪われてしまう例は初めて聞きました」


 リンが事実を述べるとジェノはなぜか眉根を寄せた。やがてノアを一瞥し、相手は意味深にも首を左右に振る。


「リネットは旅の連れではないのか」


 ジェノは確認を取るように呟いた。ノアが律儀にも小さく首肯する。


「連れだとしても同じことか。優秀だからな。お前は」


 ジェノはどこまでも穏やかな顔で言い、かと思えば一転して声色を鋭くする。


「ノアとアリスは席を外せ。私はリネットに話がある」


「了解しました。では参りましょうか。神父様の寝室で休憩に耽るのが吉です」


 アリスが胸を押し付けるようにして勇者の腕に絡み付いた。意外にもノアの色合いに変化はない。強いて言えば溜息を吐きかねない感じだ。いつものことなのかもしれない。


「心配は無用だ。あれでもアリスは節操のある女でな。取って食ったりはせん」


 二人が奥の空間に消えるのを待ってから、ジェノは肩を竦めて嘯いた。


「でもお二人に悪いですね。久々に兄弟が顔を合わせたのに」


「構わんさ。ノアが苦手意識の強いアリスと出会したにも拘わらず好都合と言ったしな。あいつに何かしらの用件があるのは明白だ。私は話の場を提供したに過ぎん」


 ノアが素直に従ったのもジェノの意向を見越してのことだろう。リンにとっては有り難い話だ。世辞にもアリスとの相性は良いと言えない。ここはノアに任せた方が良いと思う。


「それにしても驚いた。あのリネットがこうも美しくなるとはな」


 改めて言われると照れてしまう。はにかみつつもリンはジェノと見つめ合い、


「そんなに変わりました?」


「偽名を使われたらリネットと気付かずに口説きかねないほどだ」


 顔が暑い。体温が明らかに上昇した。リップサービスだと理解しているのに。


「背も伸びたが、身体の凹凸が成長を一番に感じさせるな。大きくなったものだ」


「……アリスさんと比べれば発展途上と言わざるを得ませんが」


「戯け。胸の話ではない。全体的なことを言っている。ここ数年で最も近くにいた女性がアリスなのでな。その手の変化に感動を覚えても無理のない話だと思わんか?」


 リンはアリスの若々しい容姿の方が感動に値すると思うが、賛同はできるので頷いておく。


「さて、残念だが談笑に興ずる時間はない。早々に本題を語るとしようか」


 出し抜けにジェノの表情が硬くなる。反射的にリンの背筋が伸びた。


「件の宝石塗れエンシェントグールは一向に見つかる気配がない。奴を滅ぼしての解呪は絶望的だな」


「……他の宝石塗れの情報は?」


「あれば亡者の嘆きを送り付けている。いかに危険度S級と言えどもアレを滅するのは容易いのでな」


「容易い、ですか。兄弟揃って本当に凄いですね」


 宝石塗れの戦闘力は小型の竜に匹敵する。リン程度の実力では幸運の女神が微笑んだとしても勝利を得るのは不可能だ。全力で仕掛けても腕の一本すら奪えない。


 その強敵をジェノは6年前に撃退したことがある。恐れ戦くリンに代わって故郷を救ってくれたのだ。


 なので簡単に倒せると言ったのは決して慢心が原因ではない。ただの事実だ。


「秘薬の収集は捗っているのか?」


 ジェノの続く問いでリンの意識が過去から戻ってくる。回答に困る質問だ。


「手持ちは一昨年に入手した熾天石とジェノ様にいただいた二種類のみですが」


「煩わしいな。敬語や敬称は不要だ。私もリンと呼ぶことにする。構わんか?」


「私は構いませんが。アリスさんに年上を呼び捨てにするなと叱られましたし」


「あれの発言を鵜呑みにするな。十に九は冗談なのだ。故に先程のも一種の自己紹介と解釈すればよい。リンに年齢や不老の呪いについて知らせたかった訳だ」


 そもそもアリスは年功序列を嫌っている口だしな、と言い足すジェノはどこか楽しげだ。いつも眉間にシワを寄せていたあの頃とは別人のように思える。6年という歳月が彼を変化させたのか、或いは側近のアリスに感化されたのか。どちらにしても喜ばしいことだ。


「さておき未だ三種か。私も国外の黒竜などを数回ほど討伐したのだが、如何せん大司教の立場が秘薬の獲得を邪魔してな。国や教会が寄付を強いるのだ」


「お気になさらず。実はノアが秘薬を譲ってくれるらしくて」


 ジェノの眉が小さく跳ねた。


「ガントの黒竜の瞳はノアが採取したのか。ではこれで半数近くが集まった訳だな」


「んー、それが亡者の嘆き以外の秘薬もすべてくれるとか言ってるの」


 またもジェノは眉を動かした。表情を純度の高い怪訝で染め上げて、


「信じ難い話だ。私は念のためにノアの所有する秘薬をしばしば確認していてな。半年前までは腐敗化に関する秘薬を一種類も持っていなかったぞ?」


 今度はリンが驚いた。リンが5年という歳月を費やしても一種しか得られなかった希有な秘薬を、ノアは僅か半年で六種も集めたことになる。いや、確認済みが六種であってリンの所有する三種や他の高価な秘薬を所持している可能性も充分にある。


「ふむ。鳳凰や天使の目撃情報は入っておらんし。これは黒竜が巣に財宝を貯め込んでいたと考えるべきか。私が国外で倒した黒竜も巨人の爪を隠し持っていたしな」


「そっか。竜は生贄と一緒に金銀財宝を求めるって言うものね。秘薬も例外じゃないんだ」


「詳しい話は後でノアに問うが、何であれ僥倖ではある。呪いの元を絶つにせよ、呪いそのものを解くにせよ。これで我々の目的は宝石塗れに絞られた訳だ」


「そうね。もうハミルトン様々って感じよ。ジェノにもノアにも頭が上がらないわ」


「悪いがそう恩を感じられても困る。思い付いたことを提案できんからな」


 なんだろう。リンは手を差し出すことで話の続きを促す。


「ノアの旅に付き添ってはどうだ?」


「……へ?」


 思いもしない言葉にリンはだらしのない声を出してしまった。


「酷な言い方をするが、私の知るリネット・マーシュという少女は名ばかりの青呪術師だ。実力で言えば並みの赤呪術師と大差ない。宝石塗れに勝てるとは思えん」


 リンは厳しすぎる評価にぐうの音も出ない。反面、ジェノの見解は実に正しいとも思う。


 武具を用いた戦闘試験では賞賛の言葉を貰ったものの、魔術に関する試験の三割は落第ギリギリの結果だった。


 歴代二位の若さで合格基準をクリアしたこと。


 平均で二つと言われる魂の保有限界が四つもあること。


 青水晶を与えられたのは以上の二点があってこそなのだ。


「6年間でリンがどれほど成長したかは知らんが、何であれ一度は敗れた相手だ。保険はあった方がいい。それにノアと共にいれば亡者の嘆きを得る確率が高まるかもしれんぞ? 入手の経路はともかくノアが短期間で希有な秘薬をいくつも獲得したのは事実だからな」


 リンもそう思う。運良く宝石塗れを発見しても倒せなかったら意味がない上に、一人で奮闘した末に自分まで呪われてしまったら笑い話にもならない。


「でもノアがOKを出さないと思う。私を連れ歩いてもメリットがないでしょ?」


 逆にデメリットはある。ノアにとってリンは足手まといにしかならない存在だ。


「美人との旅を楽しめるというのはメリットだと思うがな。さておきその点においては気にせずともよい。本人の自覚以上にリネット・マーシュの名は偉大なのだ」


 理解に苦しむリンを余所にジェノは弟のいる方向に視線を飛ばした。


「私はノアほど優秀ではない。箝口令の敷かれた情報を独り言で漏らすことがある」


 今がそうだと言った感じでジェノはリンと目を合わせようとしない。先程のノアへの賞賛はそういう意味か、とリンが呆れていると、


「教会がノアの暗殺を企てている」


 淡々としたジェノの言葉が寒気となってリンの背筋を走り抜けた。


 バカげている。が、ジェノの表情は至って真面目だ。


 よく考えると思い当たる節もある。


「そういえば郊外の森で傭兵に襲われてたわ」


 ジェノは頷くのみで話を拾わない。


「誰もが知っていることだが、先の聖戦で魔王に挑戦したのは四名の青呪術師だ。私とノアは教会の、他は魔術組合と指定傭兵団の所属であったため、割合で言えば教会が最も世界平和に貢献したことになる。実際に魔王の命を奪ったのはノアだしな」


 お陰で入信を希望する者は増加の一途を辿る。と思ったら大間違いである。


「浮かれた教会はノアに最高の栄誉である勇者の称号を与えるべきだと各国に訴えた訳だが」


「なぜかノアは称号の授与式を無視して一人旅に出てしまったのよね」


「しかも教会を敵視するかのように黒衣を纏ってな。っと独り言だったか、これは」


 態とらしい。リンは苦笑して、


「ノアが去ったせいで教会の功績は他の組織と同等に……違うわね。勇者に逃げられた事実が教会への不信感を煽るのは必至だわ。何かあったのでは? って」


 だからといってノアを消すというのは早計だ。リンは不思議でならない。


「でもノアを暗殺すると余計に民衆の反感を買いそうじゃない?」


「損失を覆すほどの利点があるとも考えられる」


 ジェノはリンの甘い考えを容赦なく一蹴した。


「所詮は絵空事だがな。魔王を倒せなかった教会がさらに強い勇者を倒せるはずもない。現にノアを負傷させた者は一人もいないと聞く」


 呆気なく吹っ飛ばされた傭兵達の姿が脳裏を過ぎった。リンは頷かざるを得ない。


「だがノアを勝る者は少なからずいる。対策を講ずるに越したことはない訳だ」


「それが私との旅なの?」


「知っているか? リネット・マーシュは巷で聖女と呼ばれるほどの人気ぶりだと」


 ピンと来た。聖女という二つ名は勘弁して欲しいところだが、


「私が一緒にいれば教会が下手な行動を取れないのね?」


「ご名答。勇者の離反で痛手を負いはしたものの、フェイン国内においては聖女の活躍もあって教会の面目が保たれている。さすがにリンまでもが去りかねん出来事は起こさんはずだ」


 ならば話は早い。リンは力強く頷く。これは命と故郷の恩人に報いるチャンスだ。


「分かったわ。ノアとの旅は私も望むところだもの」


「助かる。近い内に連中を黙らせる策が見つかれば良いのだがな」


「……ノアに謝罪させるとか。ハミルトン兄弟で教会を潰すとか?」


 無論、冗談のつもりだ。しかしジェノは薄く笑い、


「面白い案だが前者は手遅れだ。そして後者は最終手段だと言っておこう。私としても父上が与えてくださった居場所を滅ぼしたくはないのでな」


 養子のジェノにとって教会は第二の家のようなものだ。なのに大司教の立場を蹴ってでも義弟のことを優先するらしい。なぜだろう。なぜかリンは嬉しくなった。そこでふと思う。


「どうしてジェノが暗殺の話を知ってるの?」


「当然ながら私に話は回ってこなかったが、フェインで一二を争う指定傭兵団の長と旧知の仲でな。自分の立場を顧みずに手紙を寄越してくれたのだ。教会が秘密裏に勇者を殺害するための兵を募っている。当団の赤呪術師が数名ほど余所の団から誘いを受けたらしい、と」


「それは幸運だったわね。教会にしたら笑い話にもならない大失態だけれど」


「ノアを襲う傭兵が今もいるのは依頼者が手痛いミスに未だ気付いていないせいかもしれんな」


 気付いた時は血の気が引くに違いない。青呪術師の中でも群を抜く二人がいつ報復に来るのか分からないのだから。


「ノアは教会の企みを知ってるのかしら。私から教える手もあるわよね?」


「いや、実はつい本人の前で吐露してしまってな。いやはや出来の悪い兄だ、私は」


 白々しいにも程がある。リンは噴き出しそうになりながらも、


「ならノアの考えが気になるわね。基本的には私もノアに沿うつもりだけれど」


「私と同じく教会への攻撃は気が引けるようでな。これと言った対応策は口にせず、ただ私に任せると言ってくれた。故にこうしてリンを口説いているのだよ」


 なるほどね、とリンは微笑と共に返し、


「頑張って弟くんに気に入られるとしますか。私のためにも、ジェノのためにも、当然、ノアのためにもね。何か上手く仲間になれるようなアドバイスはない?」


 問うて後悔した。ジェノが魔王を彷彿させる邪悪な笑みを浮かべたのだ。


「さて、再び独り言に耽るとするか。私はノアほど優秀ではないのでな」


 リンは耳を塞ぐべきかと悩み、結論を出す前にジェノが顔を寄せてくる。


「ノアの棺桶袋の中を見てみるといい。バツ印が付いていない方をな」



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