勇者
リンは呪体化を解除せず、短剣を腰元の鞘に納めると周囲を見回した。真っ暗闇でも猫の夜目のお陰で目的の品はすぐに見つかる。
何の変哲もない小石が三つ。白に灰に黒。
いずれも
願意石は願いを叶える力を持つと言われ、ただし白味の強い石を加工して
願意石の厄介な点は原石の状態でもそこそこ以上の力を持っていることだ。
人でも獣でも魂でも。死者の復活などの困難な願いは不完全な形でしか叶わないものの、一定の条件さえクリアすれば冗談のような願いでも成立することがある。
その結果が踊る影だ。影のみの復活では中途半端も甚だしいが、この小石が誰かの願いを成就させたことに変わりはない。死者の魂に冥界の門を潜らせるほどの力を持つ証拠だ。
リンは願意石を拾うと隠れていた茂みに戻る。地面に転がる
任務完了だ。リンは汎用袋に小箱を戻し、
「……ん?」
反射的に振り返った。音がしたのだ。呪体化を解いていれば聞き逃したに違いないほどの小さな。いや、これは声だ。複数の男性による話し声が聞こえる。
逡巡はしなかった。リンは汎用袋を背負うなり全速力で駆けていく。
夜盗が出没するという話を聞いた憶えはないが、もしもの場合もある。確認するに越したことはない。
呪体化の恩恵もあって30秒も経てば現場の光景が猫の瞳に映し出される。
案の定と言うべきか、世辞にも人相が良いと言えない中年の男性を八人ほど発見した。各々が剣だの斧だのを手にぶら下げ、円状になって一人の少年を囲んでいる。
急いで助けよう。そう思ったのも束の間だった。
連中との距離を随分と残した場所でリンは急激にスピードを落とした。なぜここにいるのだろうか。少年は有名な人物だった。
強い眼光を宿した瞳は16の若さに似合わず、それと対照的に目鼻立ちの整った顔はどこか幼さを感じさせる。伸びがちの頭髪や双眼は闇色を帯び、以前に見た時はリンと同じく真っ白な衣服を着ていたのに、全身を隠すように纏ったマントや一部のみ見られるパンツも含め、今宵の服装は不吉さを漂わせるほどに真っ黒だった。
ノア・ハミルトン。
三年前に魔王を滅ぼした世界的な英雄だ。噂によれば音の速さで剣を振るい、魔術の上位とされる魔法さえも一文字の詠唱もなく発動するらしい。
だが現実をよく知るリンはどちらの噂もデマだと理解している。人が音速で動けるはずもないし、魔法の存在も眉唾物だからだ。
魔術や呪術は天界の民が扱う魔法を人間用に劣化させたものと言われるが、肝心の魔法書は未だ発見されておらず、
ともあれリンは安心した。非現実的な噂の数々はノアの強さを比喩したものに違いない。何と言っても魔王を倒した勇者様だ。そこらの大国が束になっても勝ち目がないほどに強いと思われる。
この程度の状況なら手を貸すまでもない。案ずるとしたら襲撃者の命の方だ。
しかしリンは引き返しもしなければ仲裁にも入らない。目にも止まらぬ早さの剣術や伝承でしか知らない魔法を拝めるかも、と思うと好奇心が疼いて仕方ない。
正義の代名詞と言える人物でもあるし、命までは取らないと思う。リンは魔力と気配を抑えながら忍び足で近寄っていく。
既に会話は終わったのか、誰も口を開かない。
と思いきやノアが口を開いた。大きな溜息を一つ。
そして。リンの口もポカンと開いた。
何が起こったのか。八人の男性は揃いも揃って後方に吹っ飛んだ。
大木に激突して崩れ落ちた者もいれば茂みの中で仰向けになっている者もいる。立っているのはノアのみだ。
理解しかねる。間違いなくノアは腰にぶら下げた剣を触らなかったし、詠唱を否定するように唇を僅かも動かさなかった。
魔術の秘伝書に
よって音速の剣術は勿論、魔法を行使した線もないと断言できる。
とはいえ結果のみを見れば噂通りだ。解せない。これは何か秘密が――、
「そこで何をしてるのさ」
心臓が飛び跳ねた。確認せずとも分かる。ノアの問い掛けはリンに対するものだ。気配も魔力も完全に殺しているのに、ノアの強い視線を感じる。
兎にも角にも敵意の有無を示した方が良い。リンは両手を挙げながら姿を見せる。
「うわっ!」
真っ黒な少年は目を満月のように丸くして半歩ほど後退った。
「……ひょっとして私への発言ではなかったのですかね?」
そうは言っても周囲に人の気配は感じられない。魔力も同じだ。
ノアは答えない。しばし困ったように目を泳がせて、
「ん? ひょっとしてリネット・マーシュさん?」
逆に面食らった。リンは挙げていた手を胸元で組み、
「大正解よ。でもどうしてあのノア・ハミルトン様が私なんかを知ってるの?」
一つ下の少年はリンの自虐的な言い回しに苦笑いを浮かべ、黒目の動きでヒントを与えてくれる。眼差しの行き先はリンの腰元。銀製短剣の柄だ。
「フェイン王国の
簡単に言ってくれる。リンも国内の青呪術師の名前を記憶してはいるが、
「さすがね。一人旅を始めて5年になるけれども、私が出会った青呪術師はあなたでまだ二人目なの。消去法からの予想なんて思い浮かばなかったわ」
呆れるしかない。魔王と戦った際は他に三名の青呪術師が付き添ったと聞くが、まさか16歳でリン以外の全員と会っているとは思わなかった。
一応は家名のことを考慮すれば納得もできる。青呪術師にして前大司教。魔王に敗れこそしたものの、ノアの父親も世界的な有名人だ。ハミルトンの人脈は王族以上とも考えられる。
「リネットさんはここで何を?」
「リンで結構よ。カロッカで森の調査を依頼されてね。あっ。ごめん。敬語を使うべき?」
「敬語も敬称も勘弁して欲しいね。こっちも初対面なのに使うのを忘れてたしさ。それで、影は?」
「ついさっき片付けたわ。収穫は三つ。内訳は白1黒2よ」
「一晩に三つは多すぎるね」
「六日前にも別の呪術師に依頼したそうでね。その時は四つも見つかったらしいわ。黒が半年に十個も見つかれば呪われた土地と見なして教会の幹部が浄化をしに来るって言うのにね」
教会に言わせれば願意石は天からの授かり物らしい。神々は悩める民を救うべく奇跡の結晶をしばしば下界に投じ、不運にも邪気の強い土地に落下すると石が黒く染まってしまうとのことだ。清い使い道がないので教会は黒い願意石を堕天使のように忌み嫌うとも聞く。
踊る影も黒い願意石のない場所に出現することはなく、すべての石が元々は純白だとも魔術組合の研究で判明している。なので教会の言い分にも一理くらいはあるのだが、神の贈り物という説をリンは全く信じていない。
なぜなら教会は流れ星を願意石の塊だと言うからだ。
人々は教会の戯れ言を信じ込み、流れ星が大願成就の力を持つとの逸話はそこから来ているらしいが、腰に猫の尻尾を生やしているくせに現実主義者のリンは色々と思う所がある。
「土地の浄化か。譲渡の方法を手渡しにしてくれたら無駄な手間もなくなるのに」
意外にもノアはリンと同じ意見を持っているようだ。リンはこくこくと頷き、
「人助けが目的のはずなのに一般人がゲットするのは至難の業だし」
「確かに。楽して願いは叶わないと言っても、祈請玉の獲得を神々の与えし試練とするのは無理がある。全体の99%以上を呪術師が拾ってるみたいだしさ」
「ごもっとも。教会が正しければ私は百回以上も試練を受けてることになるもの」
「僕もだ。神は余程のサディストなんだね。同じ試練を繰り返し与えるなんてさ」
両者の表情はすっかり苦いもので覆われている。どうやら前大司教の息子でも内心では宗教に不信感を抱いているようだ。リンは是非ともからかってやろうと考え、
「その銀製短剣は飾りかな? 教会所属の呪術師が神の冒涜をしたらダメだよ」
逆にからかわれてしまった。先を越されたことにリンは悔しく思いながらも、
「お互い様でしょうに。第一に田舎育ちの私は教会の推薦しか得られなかったのよ」
教会。魔術組合。指定傭兵団。以上いずれかの組織から推薦状を得ないと呪術師試験を受けられないのに、リンの故郷近辺に教会以外の施設がなかったのである。フェイン王国は教会の力が強い国でもあるし、所属先が原因で不利益を被ったこともないので特に問題はないが。
「っと。世間話をしてる場合じゃなかったわね」
そこら中に人相の悪い男性が転がっていることを今さらになって思い出した。
「お話の続きはカロッカでしない?」
「構わないよ。僕も今晩はそこで一泊する予定だからね」
ノアが好感の持てる柔和な笑みを浮かべ、リンも純粋に微笑み返したが、勇者と言えども所詮は年頃の男の子でしかないようだ。若き英雄は頬を朱に染めて目を逸らしてしまう。
こうも照れられてはからかうのも憚られる。リンはささっと呪体化を解き、
「この連中はどうする? カロッカの自警団にでも引き渡す?」
「放っておくべきかな。罪人でもないし、大怪我もしてないからね」
予想外の返答だ。リンは地べたの悪人面に視線を落とす。
「夜盗の類じゃないの?」
「無名に近い傭兵団の連中さ。僕を倒して名を挙げたかったらしい」
ノアはこれ見よがしに肩を竦め、真っ黒なマントを翻した。リンも遅れまいと早足で横に付く。こうして肩を並べてみると勇者の背丈が自分と大差ないと分かった。
「街に着くまでに色々と尋ねてもいい?」
「いいよ。断っても十秒後に同じことを言い出しそうな顔をしてるからね」
リンは笑って誤魔化す。優秀な呪術師との情報交換は数年分の旅に値するとも聞くし、ましてや相手は勇者様だ。傀儡の呪術を施してでも必要な情報を聞き出したい。
「まずは疑問を解決しようかな。さっきの連中をどうやって倒したの?」
「ふむ。先にリンの見解を聞かせて貰ってもいい?」
「ぶっちゃけ何もしなかったように見えました」
「正解だよ。僕は何もしていない。連中が勝手に吹っ飛んだのさ」
リンは思わずノアの顔をじっと見つめた。5秒、10秒と経つに連れて動揺の色が目立ってくるが、徐々に染まる頬の色が嘘を吐いたせいではないと語っている。
「僕も言いたいのは山々だけどね。この件に関しては
「むー。仕方ないわね。真相を聞いたからって殺されはしないと思うけれども、好奇心のせいで痛い目に遭ったら保有してる猫の魂に笑われそうだもの」
少なからず勇者特有の力なら教会の名も挙がるはずだし、効果の強さに反して外見の変化がないので呪体化が原因でもないはずだ。ひょっとすると本当に魔法を使ったのかもしれない。
ともあれ本題はここからだ。リンは目を前方に戻して最も知りたいことを問う。
「じゃあ次ね。フェイン南東部の山岳地帯に棲息してた黒竜を倒したって本当?」
「ガント山脈の竜の話なら事実だよ」
ノアはさらっと凄いことを言った。何せ竜の戦闘力は極めて高い。どの国も竜が望めば年端もいかない少女をしばしば生贄に捧げているほどだ。
ノアが魔王以上に強いことを鑑みれば当然の結果ではあるが、ウィンク一つで取り乱すような少年がそこまで勇猛とも思えない。
なのでリンは証拠を問うことにした。心証を悪くしないために遠回しな言い方で、自分にとって一番重要な質問をする。
「瞳は採取したの?」
黒竜の瞳はリンが探し続けている秘薬の一つだ。
五年間の旅を経ても拝むことすら叶っていない。質によっては大きな街を丸ごと買えてしまうほどの高価な代物である。
不意に隣人の足が止まった。リンも足を休めるとノアは人差し指で頬を掻いて、
「見る?」
「見る!」
間髪を容れないリンの返答にノアはマントを払うことで応じてくれた。
鞘に納まった聖剣を始め、ベルトにぶら下がった品々がリンの目を引き付ける。腰の左に聖剣が、右に青水晶の付いた銀製短剣や手のひらサイズの白い革袋が二つ見当たった。肩から脇を通した紐が見えるので厚みのない汎用袋を背負っていることも分かる。
リンは小首を傾げた。銀製短剣の隣にある革袋はリンも持っている。
だがなぜ二つも持っているのだろうか。棺桶袋は市販されておらず、原則として譲渡や転売は禁じられている。特に一方の袋に描かれた曰くありげな赤いバツマークが相当に気になった。
ノアが手を入れたのはそっちの危険な印象を持った袋だ。どう見ても手首までしか入りそうにないのに、小さな袋はノアの肘の辺りまでを易々と納めている。
そしてまもなく念願の秘薬がリンの目に入った。悍ましいほどに赤黒く染まった、濁った血液を凝縮させたような球体だった。余りにも強い存在感が有無を言わせずにリンの喉を渇かせる。
「黒竜の眼球は意外と小さいのね」
辛うじて口にしたのは平凡な感想だった。リンの拳と同じくらいだ。
「黒竜の瞳は名称に反して眼球じゃないのさ。黒竜の翼や爪牙を血液に溶いて結晶化したものでね。眼球はまた別の秘薬だよ」
「勉強不足だったわ。自分の安易さを呪いたくなるわね」
笑えない。仮に黒竜の眼球が競売に出ていたら全財産を投入していたと思う。果たしてその額は大金貨百枚か二百枚か。最悪、盗みを働いた可能性も否めない。
「街に着いたら手持ちの秘薬を一通り見せようか? 他にも関心があればの話だけどさ」
ある。大いにある。カロッカに向かって駆けだしたいくらいにある。
「多いわよ? 巨人の爪。鳳凰の羽根に海の結晶。天使の輪と亡者の嘆きもだし」
「
ノアが思わぬ発言を繰り出した。気付けばリンは少年の両肩を掴み、今にも押し倒しかねないほどの力を込めている。
「見たことがあるの? あれの解呪本を!」
先程とは別人のようだ。ノアは口付けも難しくない距離で僅かな動揺すら見せていない。
「ないよ。とにかく説明の前に黒竜の瞳を袋に戻させて欲しいかな」
淡々とした主張のお陰で若干の冷静さがリンの元に帰ってくる。リンはあたふたと少年の肩を解放し、ノアが貴重品を袋に戻すのを見計らって頭を下げようとしたが、
「移動を再開しようか」
リンが謝罪の言葉を発する前にノアは足を動かした。リンも慌てて追いかける。
「知人の呪術師が言ってたのさ。
中々に食えない少年だ。謝罪のタイミングを完全に奪われた。
「私の知ってる呪術師かしら」
リンは戸惑いつつも話を拾い、ノアも心情を酌み取ったように平然と、
「知ってると思うよ。教会所属の青呪術師だしね。アリス・ラブクラフトさんは」
「あぁ、有名な祓魔師ね。噂をよく聞くわ」
アリスはノアに勝るとも劣らない変な噂の持ち主だ。何やら火の玉を使ってお手玉を始めたり、シャボン玉に乗って空を飛んだりするらしい。
「僕はリンの噂の方がよく聞くけどね」
「どうしてよ。私はノア達と違って大それた行動を一度も取ってないのに」
頭の痛くなる話だった。数々の噂から、青呪術師は変な奴が多い、と思っていたのに、よもや自分自身も該当していたとは。故郷の母親が知らないことを切実に祈る。
「聞く前に言っておくわ。十中八九というか十中十で私の噂はデマよ」
「そうなの? 半年くらい前だったかな。南方の村が魔物の群れに襲われた時、自警団や組合の連中ですら逃げだしたのに一人で撃退したとか聞いたけど」
「……困ったことにデマとは言い切れないわね。でもあの村に自警団なんてなかったし、組合は年配者しかいなかったから私の指示で避難して貰ったの。それに魔物の群れと言っても
この程度の戦果なら中堅の傭兵でも上げられる。いちいち騒ぐ意味が分からない。
「報酬額が原因だね。立地や自軍と敵軍の数を考慮すると撃退の相場はフリーの傭兵で銀貨20枚くらいだ。有名な傭兵ならもっと高いし、呪術師を兼業してる人ならさらに倍。赤呪術師なら五倍も有り得るし、青なら十倍でも安いくらいさ。なのにリンはいくら要求した?」
「むー? 貰ったっけ? 依頼を受ける前に私が勝手に動いたような?」
「合ってるよ。正しくはマイナス金貨5枚だけどね。傭兵の雇用や自警団の設置に役立てて欲しいと言って逆に大金を払ったんだよ。村人達からのお礼をすべて断った上でさ」
さも感心したようにノアが言う。前方では街の明りが目立ってきた。
「魔物の撃退はともかくリンは十数の集落に同じような寄付を繰り返してると聞くし、噂が広がるのも当たり前じゃないかな」
そっか、とリンは噂の内容にほっとしつつも深い溜息を止められない。
「他人事じゃないのよ。私の村も6年前に強力な魔物が現れてね。でも対抗できる人材がいなかったの。私は呪術師の資格を得てたのに……」
所詮は子供だった。あの時ほど己の無力を呪ったことはなく、また強者の有り難みを感じたこともない。ただリンは弱い立場の人々に自分と同じ思いをして欲しくないだけだ。
「私の財布で集落の平和を維持できるのなら安いものでしょ?」
「なるほどね。だから多くの村に資金を提供してるのか」
ノアの声色は夜の帳に負けないほど暗かった。唐突な変化にリンが戸惑う間もなく、
「6年前に現れた魔物が村人を呪った。被ったのは不治と名高い腐敗化で、リンは解呪に必要な秘薬と解呪本を求めて一人旅をしてるんだね」
ご名答。中々に察しの良い少年だ。敢えて補足するとしたら、
「村人というか。お母さんが不幸に遭ったのよ。未熟な私のせいでね」
過去を思い返すと胸が軋む。リンは無意識に左胸を押えていた。
「でも未熟なのは今も変わらないわ。解呪に必要な秘薬が九種あると知って旅に出たのに、五年が経っても手に入れたのは僅か三種だもの。しかもその内の二種は命の恩人が授けてくださってね。私は
泣きたくなる。解呪の期限までもう二年もないのに。どこまで不出来なんだ。私は。
「さっき挙げた秘薬と黒竜の瞳が残りの六種類?」
ノアはこっちを見ていないのに、リンは首肯で応じた。声を出すと嗚咽を漏らしかねない。
「亡者の嘆き以外は持ってるから街に着いたら提供するよ」
常識では考えられない提案をされたせいで思考が止まってしまった。
十歩、二十歩と動き続ける足と違い、停止した頭の動きは中々回復しない。まるで咀嚼の仕方を忘れたようだった。こいつは何を言ってるんだ、と思うことすらすぐにはできない。
「一番の問題は解呪本かな。まずはアリスさんと連絡を取らないとね」
「……言ってることがよく分からないわね」
リンは溜まった涙を手で拭い、
「私は希有な秘薬と物々交換できるような逸品を持ってない。お金も足りない」
「構わないよ。どれも必要としてないし、お金にも困ってないからね」
「困るとか困らないとかの話じゃないでしょうが。相場を知らないの? 一つ一つが競売の結果次第でお城を建てられるほどの宝物なのよ? 悪い冗談は止めて欲しいわね」
リンは不愉快を露わにして苦言を呈したが、
「リンに非難される謂れはないよ。そっちだって巨万の富よりも母親の命が大事だと言ってる訳だからね。そもそも僕はそんなにおかしなことを言ってるかな? リンが僕の立場ならどうする? 無駄に城を建てる? 僕は困ってる人に提供する方が有意義だと思うけど?」
否定はしない。賛同もできる。だが。返答に躊躇してしまう。
「……本当にいいの?」
「構わないと言ったよ。僕も棺桶袋の中を整理したいと思ってたし」
拒めば捨てるぞと言わんばかりの態度をノアに見せられ、リンもいよいよ素直になる。
「ありがと。とても助かるわ。でもさすがに無償では受け取れないかも」
「んー。そうだね。貸しだの借りだのと言い合うのも好ましくないし、カロッカに着いたら秘薬の譲渡と一緒にそこら辺もどうにかしようか。お互いの気分が良いようにね」
実に話の早い少年だ。本当に年下なのか疑わしくなってくる。
が、十秒も見つめ続けると顔が夕日のように赤く染まった。やはり思春期の少年に変わりはないらしい。
「でもやっぱり世界を救いし勇者様は別格なのね。希有な秘薬を山ほど持ってるもの」
お陰で目標の達成まで一種類となった。リンは浮かれに浮かれ、頬を緩めてしまう。
「……救った? 世界を? 僕が?」
しかし十秒もしない内にリンは表情を引き締めることになった。ノアの雰囲気が目に見えて暗くなったのだ。
そして否応なく気付かされる。先程の賞賛は失言だったと。
「僕は世界を救ってなんかない。僕はただ。魔王の命を奪っただけさ」
勇者は悔やむように呟く。その闇色の瞳は深い悲しみで彩られていた。
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