血ゲロのひとつも吐かされたことのない野郎がヒーローを名乗ろうなんておこがましいにもほどがある 餐 

 七月二十一日

  午後一時三十八分二十秒(ちょっとさかのぼるよ!)

   ディルギスダーク・システムが構築した仮想空間にて

    「 」のターン


 気が付いた時、攻牙はどこか巨大な空間に寝そべっていた。視界が一面真っ白で、それ以外は何も見えない。真っ白い部屋というわけでもなく、遥か彼方の空が白く染まっているという感じである。

 奇妙な感覚が、肉体を襲っていた。

 攻牙は今、仰向けに寝ている。にもかかわらず、「横向きに寝ている」という感触も、同時にあるのだ。

 背中には、熱くも冷たくもない平面の感触がある。

 一方、体の右側には冷たいフローリングの感触が押し付けられていた。

 ――ははぁ……なるほどな。

 攻牙は幽体離脱のような現象に見舞われ、この謎空間に取り込まれた。

 そして、「精神」と「肉体」が別々の姿勢で寝ているがために、こういう感覚のズレが起こっているのだ。

 呻きながら、起き上がろうとする。

「あ、気が付いた」

 そんな声がした。

 寝っ転がったまま、横に眼をやる。

 一人の少女が、攻牙の顔を覗き込んでいた。やや跳ね癖のあるショートカットに、ランニングシャツとキュロットスカートの活動的な格好だ。

 その顔には見覚えがあった。

「げぇっ! 霧華!」

「人の顔見て失礼な奴!」

 諏訪原霧華に違いなかった。

 篤の家には何度も行っているため、攻牙は彼女と普通に面識がある。「兄貴をヘンなことに巻き込む奴ら」として、会うなりすごい勢いでブーイングしてくるので、攻牙はこいつを非常に苦手としていた。隣の謦司郎はまったく堪えてなさそう、いやむしろ嬉しそうに悶えていたが。

「ここどこ!? なんでお前ここにお前なんで!? ここどこ!?」

「落ち着こう。クールになろう。なんで回文みたいな驚き方なのよ……」

 霧華はため息をつく。

「とりあえず、ここがどこかっていうのはよくわかんない。気が付いたらここにいたって感じ」

 じろりと攻牙を見やる。

「わたしとしては、いきなり小学生のおこちゃまが湧いてきたことのほうが驚きなんだけど」

「なんでボクの周りの女は揃いも揃ってボクを年下扱いするんだろ……」

「それはあのー、自分の頭に手を当てて壁際に立って考えてみたらどうかなぁ……」

「てめえそりゃ一体なにが言いてえんだー!」

 その時、いきなり二人のポケットでスマホが鳴り出した。まったく同時だった。

「うおっ!」

「……ウソ、今まで通じなかったのに……」

 いぶかしげな顔で、霧華は携帯を取り出す。少し前のヒットソングの着メロだった。

 攻牙もそれにならう。大ヒットジャンプアニメのテーマ曲だった。

「「はいはいもしもしー?」」

 二人の声がハモる。微妙な気分になる攻牙だった。

 そして、電話の相手は挨拶もなしに、いきなり切り出した。

『――内力操作とは』

「っ!?」

『――物質の内部に宿るベクトルを操作する技術体系である』

 いきなり聞き覚えのある単語が出てきた。全身が総毛立つ。

 内力操作だと……!?

 低く、深く、重い声だった。聞き覚えのある声、さっきまで聞いていた声だ。

 ――あの変態緊縛野郎か!

 攻牙の驚愕には一切頓着せず、相手は言葉を続ける。

『――主に自らの身体能力を爆発的に向上させる用途で使用され、あらゆるバス停使いを超人たらしめる。だが、ディルギスダークはそのような野蛮なふるまいを好まなかった。相手を物理的に攻撃するなど原始人でも出来ること。そう考え、より洗練された形での内力操作法を編み出したのである』

「ディルギスダーク……!? てめえがか……ッ!」

『――CPU基盤への干渉。ディルギスダークが行き着いた地平はそれである。プログラムを改竄し、本来存在しなかったキャラクターを追加する』

「マジで!? そんな簡単にできんの!?」

 というか、その結果があの永久ループキャラか。

 何日も徹夜してバランス調整したであろう開発メーカーの人々に謝れと言いたい。

『――とはいえ改竄、というのはいささか誇張的な表現ではある。「新たな記述を追加する」ことはできても、「すでにある記述を消す」ことはできない。非常に限定された干渉能力であった』

 つまり。

 いかに反則なコンボを持つチートキャラを作ろうと、ゲームそのもののルールには絶対的に縛られているということか。しっかりとコンボ補正を受けていたのが何よりの証拠だ。

『――嶄廷寺攻牙はまんまと引っ掛かった』

「んだとぉ?」

 電話越しに、禍々しい笑みの気配が伝わってくる。

『――ディルギスダークは敵を攻撃しない。ただ無力化するだけである。その白い空間は、ディルギスダークの内力操作によって、筐体の記憶領域に構築された仮想空間である。自力での脱出は不可能だ。お前たち二人は、諏訪原篤への人質として利用されることになるだろう』

「なんだとお!?」

「な……え……?」

 隣で霧華が眉尻を下げて困惑していた。恐らく、攻牙とまったく同じ話を聞いているのだろう。困惑するのが当たり前だ。

『――とはいえ』

 かすかな失笑の気配。

『――ディルギスダークは効率を重んずる。人質など最小限いれば用は足りるのだ。二人のうち、どちらかは解放しても良いと考える』

 妙なことを言い出した。

 本来であれば、魅力的な提案。

 だが、攻牙はそこにきな臭いものを感じ取る。

「ちょっと待てやてめえ」

『――ディルギスダークは質問を受け付ける』

「じゃあ聞いてやる。人質は一人で良い? そりゃ確かにそうだけどな。別に二人三人いてもいいだろ。いやむしろ不測の事態に備えて何人かキープしておくってのが確実だぜ。せっかく捕らえた人質をわざわざ解放するってのは何か明確な理由があるんじゃねえのか? あ?」

 ククク、と忍び笑い。

『――応える必要はない、とだけ回答する』

「ごまかす気ゼロかよ。つまり言いたくない邪な理由があるってことだなこの野郎」

『――解釈は自由であった。それに、ディルギスダークはあくまで「最小限」としか言っていない。人質は他にもいる』

「ンだとォ?」

 瞬間、攻牙と霧華の前に、いきなり四つの人影が現れた。

 まるで、『今まで処理落ちで表示されていませんでした』とでも言うように、何の演出もなくいきなり現れたのだ。

「あ、あれ? 場所が変わった……?」

「奇怪ッッ!! 二人の子供との遭遇ッッ!!」

「ことあるごとにうるさい男だなお主は……」

「ほう、片方には見覚えがありますね」

 攻牙と霧華は呆然と四人の様子を見ていた。

 男が三人、女が一人。

 実を言うと、攻牙にとってこのうち二人は顔見知りだった。しかしちょっと信じられず、声をかけるタイミングを失う。

「あっ、僕は両方に見覚えがありますよ」

 四人の中の一人がそう言って歩み寄ってきた。

「勤兄ぃ!」

 霧華が声を上げ、駆け寄った。

 それは、篤に普段から兄貴分として慕われている『亀山前』のポートガーディアン、布藤勤の変わり果てた姿だった。

 (笑)。

「おっと、霧華ちゃん。キミも捕まったのかい?」

「うん、もうなにがなんだが……勤兄ぃは何か知ってる?」

「いやあ、確かに霧華ちゃんよりは知ってるんだけど、ちょっと信じてもらうのに時間がかかりそうだね」

 青年は困ったように頭をかく。

 そして、攻牙のほうを振り向いた。

「あんたは……」

「やあ。キミは確か……バンテージ攻牙くんだったよね?」

「包帯かよ!」

「あーごめんごめん、心停止攻牙くん」

「語呂良く人の名前を不吉な感じにすんな!! 嶄廷寺攻牙だ!!」

「やー奇遇だね。キミも、その、カレーを食わされたのかい?」

「ん? 何のことだ?」

「……い、いや、わからないならいいんだ……」

 勤は何を思い出しているのか、口元を抑えながらゲンナリした顔になる。

 なぜか沈痛な雰囲気の四人。どよ~ん、とテンションが落ちている。

 一体何があったんだ。

「……そんなことより発禁先生! なんでアンタがここにいるんだ!」

 重い空気を振り払うように、攻牙はもう一人の見覚えのある男に声を掛けた。

 三十代半ばの男だ。丸眼鏡をかけ、暗い眼をしており、顔色も大変に悪い。しかも背中まで伸びるロン毛が柳のように垂れ下がっているので、真夜中に遭遇したら確実に怨霊と間違われそうだ。

 その男は肩をすくめ、口を開いた。

「やれやれ、誰かと思えば腐れミカン十五号ではないですか。その呼び方を改めるつもりはやっぱりないようですね。相変わらず最低限の礼儀もわきまえていないようで何よりです。ブッ殺しますよ?」

「礼儀についてアンタからどうこう言われたくねえんだけど!!」

 まことに信じがたい(というか信じたくない)ことに、攻牙のクラスの担任である。紳相高校に君臨する七人の変人の一人にして、世界史担当教師。名を、西海鳳さいかいおう玄彩げんさいと言う。

 自らの生徒を決して名前で呼ばず、出席番号順に『腐れミカン○号』と命名する。軽く頭が不自由な男であった。

 生徒たちは皆、尊敬のあまり彼を『発禁先生』と呼ぶ。

「なぜここにいるか、ですと? ディルギスダークの攻撃を受けた。それだけのことです。ここにいる人間は全員そのたぐいなのですよ。まったくこんなことも推察できないなんて、腐れミカン十五号は本当にゆとりですね」

 早くクビにならねえかなコイツ。

「で……なんで発禁先生が《ブレーズ・パスカルの使徒》に狙われるんだよ?」

「おやおや、その名を知っているということは、バス停のなんたるかについて講釈は不要のようですね」

 眼鏡を中指でクイッとやる。

「……接続アクセス! 第八級バス停『谷川橋』、使用権限登録者プロヴィデンスユーザー西海凰玄彩が命ず! 界面下召喚!」

 緑の炎が周囲にまき散らされ、床に複雑な紋様と円環を描いてゆく。その中央から、あふれる神気を振りまきつつ、一柱のバス停が姿を現した。

 発禁先生はそれを無造作に掴みとると、くるりと持ち替えてから自分の傍らに立てた。

「『谷川橋』のポートガーディアンというのは世をしのぶ仮の姿……。その正体は、正義の世界史担当教師・西海鳳玄彩なのです!」

 逆じゃね?

「いやあの……マジで!? ポートガーディアン!? あんたが!?」

「フ……そのミニマム脳みそにもようやく理解できたようですね、この私の偉大さが!」

 バス停を界面下に戻す発禁先生。

 というか、わざわざそんなことにためにいちいち召喚しなくていいと思う。

 と、そこへいきなり横合いから大柄な体が突っ込んできて「へぶぅ!」発禁先生をはね飛ばした。

 直後、大音声があたりを揺るがした。

「そして俺が『針尾山』のポートガーディアンッ! 馬柴ましば拓治たくじだアアアァァァァァーッッッッ!!!!」

 聞いてねえ。

 聞いてねえが、叫ばれると叫び返したくなる。若さとはそういうものである。

「ボクは嶄廷寺攻牙だアアアアアアァァァァァァァーッッッッ!!!!」

「キサマーッッ! 元ッ気がいいなァァァァッッ! 大人相手だからといってッ! 無闇に敬語を使わないふてぶてしさもッ! 気にッ入ったぞォォォォォッッ!!」

「そいつはッ! どうもォォォォォッッ!」

 均整のとれた体格の男である。年齢は二十代後半といったところ。黙って爽やかな笑みを浮かべていればわりかしモテそうなツラ構えなのだが、身にまとう雰囲気や言動が無闇やたらと無駄なまでに暑苦しかった。あと見事な勇者王ボイス。

「濃いわ……なんかもう、濃いわ……」

 こめかみを手で押さえながら、霧華がつぶやく。

「すまんのう、やかましい連中で。まぁ公害級にうっとおしいことを除けば無害な奴らじゃから、勘弁してたもれ」

 古風な口調で、最後の一人が言った。

 現れた四人の中では紅一点である。紅白鮮やかな巫女服を典雅に着こなす長身の美女だ。伏せがちの目や、軽く波打った黒髪が、霧華とも射美とも藍浬とも異なる大人の色香を演出している。

「わらわは『萩町神社前』のポートガーディアン、櫻守さくらのかみ有守ありすじゃ。よろしゅうな、二人とも」

 やわらかでありながら凛とした微笑みを浮かべる櫻守有守。そのたたずまいに、攻牙と霧華は喜色を浮かべる。

「よかった! 常識人だ!」

「趣味は和琴じゃ」

「雅だ! さすがだ!」

「陸戦用重火力型七弦琴の使い手としてはそこそこ名が通っておるぞ」

「……帰りたい……」

 そろって頭を抱える攻牙と霧華。

 しかし年齢不詳の美人、と言えば聞こえはいいが、化粧とか髪型とか立ち振る舞いにおいて徹底的に子供っぽい要素を排除しているので、なんだか意図的に年齢を上に見せているような気配がある。案外、自分とそう変わらない年齢なんじゃないのかと、攻牙は邪推してみる。

「それで、一体お主らはどうやってこのようなところまでやってきたのじゃ?」

「ん? ゲームに負けたんだよ。それで悔しがってるといつのまにかここにいたってわけだ」

「ほほう、やはりこの西海凰玄彩の推察は正しかったようですね」

 発禁先生が割れた眼鏡をクイッってやりながら言った。

「あん? どゆことだ?」

「恐らくディルギスダークは、敗北感や挫折感、もしくは多大なストレスによる憔悴など、あらゆる意味での『動揺』に乗じて他人の精神を乗っ取る力を持っているようです」

「バス停パワーでそんなことができるのかよ」

「少々信じがたいことですが、〈BUS〉とは理論上あらゆる事象に変換可能なエネルギーです。その利用方法は今だ解明されない部分も多く、ディルギスダークのみが精神に干渉する特殊な内力操作技法をマスターしていたとしても、まあ不可解というほどではないでしょうね。極めて珍しいことには違いありませんが」

「うおおおおぉぉぉぉぉーーッッ! ゆるさねええええぇぇぇぇーーッッ!! ディルギスッ! ダークはッ! 俺を……俺の……その……」

 いきなり吠え出した馬柴拓治だが、一体何を思い出しているのか、その声は尻すぼみになっていった。

 つられて、ポートガーディアンどもが全員沈痛な面持ちで俯き、口元を押さえ始めた。お通夜みたいな空気が流れる。

 布藤勤が、陰鬱な声でひとりごちた。

「まさか……カレーをあんな風に使うなんて……」

「男児ならば、まだ救いはある。わらわなんぞ自殺を考えたわ……」

 何をされたんだアンタら。

『――と言ったところで黒幕であるところのディルギスダークは存在を主張する』

「「うわっ!」」

 攻牙と霧華の持っていた携帯が、いきなりスピーカーみたいな大音声を発した。

『――回答を聞こう。諏訪原霧華と嶄廷寺攻牙、一体どちらが解放を希望するのか』

 そうだ、その問題があった。

「あぁそれは……」

『――最初に言っておくが、ポートガーディアンの中から最も強い一人を解放しろなどという要求は受け入れられない。その四人はいずれも警戒に値するバス停使いである。無力化した敵手をわざわざ手放すなど、まともな思考能力を持つ者ならば絶対にしないであろう』

「……ちっ」

 要するに攻牙のことは戦力と見なしていないらしい。

 ――ムカつく野郎だぜ。

「じゃあ霧華! てめーが出ろ」

「……わたし?」

 霧華がきょとんとした眼で自分を指差した。

「おめーはバス停云々の戦いなんぞ今まで知りもしなかったクチだろ? 巻き込まれただけのパンピーはとっとと避難しろってこった」

「なによそれ。アンタは違うっていうの?」

 じろりとにらむ霧華。

 攻牙は思わず、かゆくもない頬をかいた。

「お前っ……お前それはあの…アレだボクはホラ今まで何度もバス停使いと戦ってるし倒しまくりだし? もうすごいから百戦錬磨だからこんなとこ自力で出られるから楽勝だから超マジ超!」

「わかりやすくキョドるなっ! 要するにわたしと大差ないんじゃん!」

 あのさ、と前置きして、霧華はまっすぐ攻牙の眼を見据えた。

「こういう時、兄貴の力になれるのがどっちなのかを考えたほうがいいんじゃない?」

「ぬぬ」

「くやしいけど、それはアンタだと思う」

 静かな眼だ。こうして見ると、篤にそっくりである。

「お前……」

 霧華は携帯を持ち直した。

「えっと、ディルギスダークだっけ? 解放するのはこっちのちっこい方にしてよ!」

「ちっこいって言うな!」

「……中学生のわたしより成長の余地がありそうな方」

「余計ムカつく!」

『――希望は受理された。ディルギスダークはその年齢詐称児童を解放する』

「いじめだー! フィジカルハラスメントだー!」

 ひとしきり憤慨すると、息をつき、四人のポートガーディアンと霧華を見やる。

 不敵に笑う。

「……心配すんな。すぐにディルギスダークをブッ倒して出してやるよ」

 霧華が肩をすくめた。

「まあ、期待しないで待ってるわ」

「可愛くねえ奴だなもう!」

 櫻守有守が、困ったような笑みを浮かべる。

「大人が何もしてやれんとはのう……少年よ、気をつけるのじゃぞ?」

「わーってるよ! 心配すんな楽勝だ!」

 布藤勤が霧華の両肩を掴んで言った。

「霧華ちゃんのことは心配しなくていいよ、ヴィンテージ攻牙くん。僕たちが守るから」

「てめーワザと間違えてるだろ!」

 馬柴拓治は、思いっきり力を込めて親指をブッ立てた。

「健闘をッッッ!! 祈ォォォォォォォるッッッッ!!!!」

「了ッッ! 解ッッ! だぜぇぇぇぇッッッ!!!!」

 発禁先生は相変わらず眼鏡クイッ。

「よもや腐れミカン十五号ごときに我が身の進退を託すことになろうとは……一生の不覚ですね」

「よっぽど助かりたくないようだな発禁てめえこの野郎……」

 挨拶(?)を済ませ、攻牙は携帯電話に噛み付いた。

「いいぜ出せよディルギスダーク! てめーの誘いに乗ってやらあ!」

『――承知』

 そして、

 視界が、

 暗転する。


 どこか遠くで、ラインの着信音が聞こえた気がした。


 ●


 七月二十一日

  午後一時五十二分三秒

   ゲームセンター『無敵対空』から徒歩三分の地点にて

    「 」のターン


 仮想空間から開放され、自分の肉体に戻った攻牙は、ゲームセンター『無敵対空』から走り去りつつ電話をかけていた。

 ほどなく、通話が開始される。決して大きくはないがよく通る声が、電話口から聞こえてきた。

『諏訪原篤である。灼熱のみぎり、海や山から夏の便りが相次いでいる今日この頃であるが、霧華か?』

 何言ってんだこいつ。

「篤! 無事かこの野郎!」

『うむ、諏訪原篤である。無事である』

 まぎれもない篤の声だ。

「そーか……やれやれ」

 どうやらディルギスダークの襲撃をうまくかわしたようだ。

『そして本日の目標は『親指で切腹』である』

「聞いてねえ! っていうかせめて刃物でやれよ!」

『いや……霧華に……ドスを没収されたのだ……』

「自業自得過ぎてザマーミロとしか言いようがないがそんなことはどうでもいい! マジどうでもいい!」

『このツッコミ……まさか攻牙か!?』

「気付いてなかったのかよ!」

『やれやれ、相変わらずお前は小さいな』

「電話越しでなにがわかる!」

 気を取り直して。

「ディルギスダークにゃもう襲われたか?」

『あぁ。どうにか鋼原のおかげで助かったが……被害はあまりにも甚大だった……』

 後ろで慰めるような声が聞こえる。射美がそばにいるらしい。車の走行音もかすかに耳に入ってきた。どうやら射美の特殊操作系能力で移動している最中らしい。

「霧華の奴の精神が奪われたんだろ?」

『むむ? なぜお前が知っている?』

 攻牙は、自らの奇妙な体験を語った。

『なんと、ディルギスダークは人間の洗脳のみならず、電動計算機への干渉すら可能なのか……』

「それから……ここからが重要なんだがよ」

 攻牙は、仮想世界から解放された直後のことを思い出す。


 意識が戻った瞬間、攻牙はポートガーディアン四人に囲まれていた。

 その眼に意志の光はなく、底抜けに虚ろな表情だった。

 そして、彼らを従える車椅子緊縛野郎ディルギスダークが、妙な勝負を持ちかけてきたのだ。


「なんていうか……今から言うことはウソじゃねえからな? 心して聞けよ?」

『うむ』

「格闘ゲームで決着をつけよう……なんてことを抜かしやがったんだよあの野郎」

 ディルギスダークの信じがたい提案。

 どうも奴はガチバトルは本意ではないらしく、流血もなしに勝利をおさめるつもりらしい。

 具体的な要綱はこうだ。

 ディルギスダークが保有する人質は五人。

 諏訪原霧華。布藤勤。西海凰玄彩。馬柴拓治。櫻守有守。

 そして、ディルギスダークに抵抗するであろう人数も五人。

 諏訪原篤。嶄廷寺攻牙。闇灯謦司郎。鋼原射美。霧沙希藍浬。

 言い換えれば、お互いの陣営が五つのチップを持っている状況だ。

「五つのチップを賭けて『装光兵飢フェイタルウィザード』っつーゲームで勝負をしようってことらしい」

『つまり……勝てば霧華やポートガーディアンの面々が戻ってくるということか』

「あぁ。ただし負ければボクたちも筐体に取り込まれるんだけどな」

 まったく酔狂なことを考える敵だ。

 だが……攻牙としては中々に燃える状況であった。

 ――ようやくボクのターン到来! だぜ!

 敵は恐らくあの黒い結晶のチートキャラクターを使ってくるのだろう。だが使ってる奴は格闘ゲームのことを何もわかってない素人だ。付け入る隙はある。ありまくる。

「っつーわけで篤! 格ゲーの特訓をするぞ!」

『あいわかった。とりあえず、お前は今どこにいる? 迎えに行こう』

「あー……おう」


 それから五分もしないうちに、常識ではあり得ないスピードでバスがカッ飛んできた。

 物凄い風圧を撒き散らして急停止すると、天板に乗っていた少女が天高くジャンプした。

「攻ちゃ~ん! 会いたかったでごわすよこんにゃろめ~♪」

 空中で泳ぐような動きをしつつ、攻牙に飛び掛ってくる。

「ちょ……やめっ! ぐぎゃああ!」

 押し倒される攻牙。

「うふふ~♪ 心配かけさせちゃダメでごわすよ~♪ このぷにぷにめ♪ ぷにぷにめ♪」

 馬乗りになった射美は、人差し指でほっぺを掻き混ぜる。

「うっぜぇぇぇぇッ! 恐ろしくうっぜぇぇぇぇッ!」

「このカーブ! この弾力! この指ざわり! けしからんぷに! まったくもってけしからんぷに~!」

「語尾変えんな! てめえのこだわりはその程度かよ!」

 そこへ足音が近づいてくる。篤だ。

「ふむ、無事のようだな」

「たった今無事じゃなくなったけどな。……ええいどけい! 炎天下のアスファルトが熱いんだよ!」

「うにゅにゅう……」

 名残惜しそうに身を離す射美。

 身を起こした攻牙は、篤に目を向ける。

「謦司郎の野郎にゃ連絡入れたか?」

 篤は重々しくうなずいた。

「うむ、そのうち来……」

「やあみんな! 地域密着型性犯罪者、闇灯謦司郎だよ!」

「……るのではないのかと思っていたらすでに来ていた」

「超スピードとか催眠術なんてチャチなものじゃない、もっとおそろしーもののヘンリンを味わったでごわす……」

 居て欲しい時も居て欲しくない時も関係なく出没する男、闇灯謦司郎。

 漆黒の意味不明な風とともに今降臨。

「ラインは読んだよ~。また襲撃だね?」

 謦司郎は微笑みながら聞いてきた。

「うむ。しかも今までとはだいぶ毛色の異なる敵だ」

「オヤオヤ、一体どこの毛の色が違うのやら……」

「無理にシモに結び付けなくていいから!」

 そこで射美が手を挙げる。

「と、とにかく、一旦藍浬さん家で作戦会議でごわすよーっ」

「ん? 篤ん家じゃねーのか?」

「いや、俺の家はさきほど真っ二つになった」

「何があったんだーっ!?」

「それで、どうして霧沙希さん家なんだい?」

「藍浬さん家は唯一の安全地帯なんででごわすよっ♪」

「あん? どーゆーこった?」

 首をかしげる攻牙と篤と謦司郎。

「いいからいいから~」

 射美に押されるように全員バスに乗り込んだ。


 ●


 七月二十一日

  午後一時四十一分二十五秒

   霧沙希家の前にて

    「俺」のターン


 霧沙希家は、西洋造りの古風な屋敷であった。

 我が諏訪原家の五倍はありそうな豪邸である。

 淡い朱色の煉瓦壁に、白い屋根。広大な庭。

 俺は感嘆の息をつく。

「おぉ、この雄大さ、まるで姫路城天守群だな」

「お前の例えはいっっっつもよくわからねえ」

 後ろの席から、攻牙が顔を出して言った。

「……まるで竪穴式住居だな」

「いきなりランク落ちたな!」

「わかりやすくなってもいないしな」

「自覚あったのか!」

 と、車内放送で鋼原の声が聞こえてきた。

『……あ、止まるでごわすよ~。シートベルトの確認おねがいでごわす!』

「しかし本当に大丈夫なのか? 円盤はそれなりに引き離したが、まだついてきているぞ?」

 攻牙を迎えに街中まで入ってきた時には見当たらなかったが、郊外に出た途端あのホーミング八つ裂き光輪(仮)が再び現れ、耳の痛くなる劈きを撒き散らしながら追いかけてきたのだ。

 そして今も、後ろから猛進してきている。

『ダイジョーブダイジョーブ。でも降りたらゼッタイに家から離れないでほしいでごわす~』

「ふむ」

 バスは門から突入し、急旋回。巨大な玄関の前に横付けされた。

『あー、あー、霧沙希家~、霧沙希家でごわす~。お降りのさいはお忘れ物などないようおねがいでごわす~っと♪』

 自動ドアが開くと同時に、鋼原がキャミソールの裾を翻して地面に降り立った。

「早く早く~♪」

 こっちを見て手招きしている。危機感はまるでない。

 円盤のほうを見ると…………何故か庭先で静止している。襲ってくる様子はない。見えない壁でもあるのだろうか。

「ううむ、不思議なこともあるものだ」

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