第2話 陽光の中で
あのサーペンティナイト卿が、自分なんかに一体何の用だというのだろう――。
そうビクビクしながら、バサルトはサーペンティナイト卿の執務室の戸を叩いた。
今日は休日、授業はすべて休みの日だったが、念のために魔術師の正装である魔装ローブを着込んでおいた。
魔装ローブには魔術紋様が刺繍で描かれていて、簡単な防御魔法などが自動で発動するようになっている。
今バサルトが着ている薄鼠色の魔装ローブは、実家からリムストーン教会に赴くにあたって持ってきた、数少ないバサルトの私物だった。
魔術師の家系に産まれたバサルトは、実家で毎年のように魔装ローブを新調してもらっていた。これをあつらえてもらった去年の今頃、家族はバサルトが家を出ることなど考えもしていなかっただろう。
それを思い出すと、心になんとも言えないしこりが落ちる。
自分の決断を、間違っていたなどと思う気はないが、しかし正しかったと胸を張れるほどでもない――。バサルトはこのローブに袖を通すたび、それを思い出す。
そんな悩めるバサルト少年を待ち受けていたのは、テーブルいっぱいに広がるサンドイッチといい香り漂うお茶だった。
「嫌いなものは避けて食べてくれて構わないからね。ハーブティーはお好きかな? 苦手だったら、他の飲み物を用意させるよ。レモン水ならすぐに出せる」
自身もお茶を口に運びながら、サーペンティナイト卿は笑った。
「は、はあ……あ、ハーブティーいただきます……」
まさかランチに誘われただけというわけでもあるまい。
そう思いながら、バサルトはサーペンティナイト卿の正面に腰掛けた。
なんとも据わりの悪い心地がした。
いや、サーペンティナイト卿の執務室の居心地は決して悪いわけではない。
ソファは体が沈み込むほど柔らかだし、大きな窓からは暖かい太陽の光が差し込んでいる。
暗闇の下でさえ輝いていたサーペンティナイト卿は、日差しの中にあって、さらにその輝きを増しているかのように見えた。
執務室の装飾は白を基調としていて明るく、きらびやかなシャンデリアが吊り下げられている。室温も湿度も適度。さらにはハーブティーの香りにくわえ、かすかに花の香りもする。状況が状況でなかったら、誰でもくつろげるような空間だろう。
部屋の環境のせいではない。ただただ、縁遠いと思っていた人に呼び出されたことが、バサルトには居心地が悪かった。
「バサルトくん、君を誘ったのは他でもない。私には観相の才能もあるのだよ」
観相――人の顔立ちなどを見て占いをすることだ。占術のエキスパート、サーペンティナイト卿であれば、持っていても不思議はない技量だ。
「というのは冗談で」
「…………」
今のどこが笑い所だったのだろうか。バサルトにはわからなかった。わからないので、沈黙し続けた。
「と言っても私に観相の才能があるのはもちろん本当なんだが……」
「あの、自分に何のお話なのでしょうか」
回りくどいサーペンティナイト卿の言葉に耐えきれず、バサルトは口を挟んでいた。
今日は休日、リムストーン教会に来たばかりのバサルトには、特に他の用事や約束があるわけでもない。
それでもこの用事はさっさと済ませてしまいたかったし、そもそも本題が、サーペンティナイト卿の本意が知りたい。
「うんうん、本題に入ろうね。ええと、思い違いをしていたらあれだから最初に確認しておくが、君、マフィック家の子だよね?」
「……はい」
苦々しい思いでバサルトはうなずいた。
「あの
嬉しそうにサーペンティナイト卿は笑った。何がそんなに嬉しいのだろうか、バサルトは困惑した。
「いやいや、私の家……アルティマ家のように最初からリムストーン教会の一部に取り込まれている魔術師の家柄ならともかく、そうでない家からリムストーン教会を訪ねてくれる魔術師は少ないんだよ。もちろん君だって知っているだろうけれど」
「ええ……」
マフィック家からリムストーン教会に赴いたのは、バサルトで五〇年ぶりだと言われたし、親をはじめ、親戚一同から猛反対をされた。
バサルトはマフィック家当主の孫息子だ。父は次期当主、兄も父の後継者扱いで、すでに降霊術師として働いている。そしてバサルトもまた、その末席に座るのだと、誰もがそう思っていた。
「ましてや降霊術の才能がないならともかく、
「……ええ」
五〇年前、リムストーン教会に所属することとなったマフィック家の魔術師は降霊術の才能がなかった。故に、マフィック家も簡単にその魔術師を放逐した。
かの魔術師はかわりにリムストーン教会では錬金術を修めたと聞いている。
しかしその名は残っていない。そう取るに足らない、何人でもいるような、そんな魔術師の一人としてバサルトの大先輩はリムストーン教会に骨を埋めた。
「そう、君は降霊術の才能に満ちあふれている。にもかかわらず、リムストーン教会では降霊術系の単元をひとつも取っていない!」
サーペンティナイト卿はいっそはしゃいでいるようにも見えた。
――自分の何がこの輝ける男の琴線に触れたというのだろう。
バサルト・マフィックは困惑しながらようやくお茶に手を伸ばした。
香りはよかったが、この状況を落ち着かせてくれる効果は残念ながらなかった。
「となると、こうね、私の野次馬根性は膨れ上がってしまうわけだ! しかし、まあ、別に、それらについて何か聞きたくて呼んだわけじゃないんだ」
「そう、なのですか……?」
野次馬根性で散々はしゃいでからの言葉に、バサルトは脱力した。本題はどこに行ったのだと文句の一つも垂れたくなる。
「私は基本的に星の導きに従っているだけなんだ、うん」
サーペンティナイト卿は、ニコニコ笑いながら続けた。
星の導き――占星術師はしばし、自分たちの魔術をそう称する。
「つまりだね、降霊術の才能のある子を弟子に取れ、と星が言ったから、君を弟子に取りたいと思っているんだけど、どう?」
「…………え?」
思いもかけない言葉にバサルトはサーペンティナイト卿の顔を見つめた。
サーペンティナイト卿は相変わらず整った顔にニコニコと笑顔を浮かべて、バサルトの返事を待っていた。
「いえ、あの、俺が、弟子ですか? あなたの? あなたほどの人の?」
「うん」
バサルトの困惑をよそに、サーペンティナイト卿はあっさりうなずいた。
「で、でも、占術は……才能の世界ですよね? 俺なんかを、その、弟子に取っても、その、さして俺にはその方面の才能があるとは言えないと思うのですが……」
魔術の才能は大きく分けてふたつの項目ではかられる。
生まれ持った魔力の量と、扱える魔術の種類だ。
サーペンティナイト卿なら占術に、バサルトなら降霊術に適性があり、生まれながらにしてそれらの魔術を発動させるための『何か』が魔術師には備わっている。
その『何か』の正体は有史以来、多くの魔術師が研究しているが、いまいち判然とはしていない。
それでも『何か』には便宜上名前がついている。
いにしえの魔術師たちはそれを、魔術能と呼び、
人間という体を通じて魔力は、魔術へと出力される。
魔術能は後天的に獲得することも可能ではあるが、多くの魔術師が先天的に生まれ持った魔術能を用いる。それ以外の魔術を使いたいときは、他人を頼るか、道具を用いる。
そうするのはそちらの方が断然、楽だからだ。
後天的に魔術能を獲得するのは険しい道のりだ。血反吐を吐くほどの努力をしても身につかないことなど、よくあることだった。
それを承知で、バサルトは占術をはじめとする、降霊術以外の魔術の授業を受け、後天的に魔術能を獲得しようとしている。
「別に、弟子の出来不出来なんて師匠に何の影響も及ぼさないよ。教師としての資質が疑問視されるだけだ。そしてそこを疑われたところで補ってあまりある才能が私にはあるからね」
驚くべきほどの自信だが、決して的外れでも尊大でもない。
純然たる事実をサーペンティナイト卿は口にしていた。
「そもそも私は別に君を占星術の弟子にしたいわけじゃない。『魔術師』の弟子にしたいだけだ」
「魔術師の弟子……?」
そのふたつは何が違うのだろう。バサルトにはわからなかった。
「バサルトくん、君は、リムストーン教会学術院に来たばかりだ。まだ師匠を定めていないだろう?」
「ええ、まあ……」
リムストーン教会学術院において、生徒は最初、講義を選んで受ける。そして講義を通じて師匠を最低でも一人定める。
師匠を決めるのには双方の合意が必要で、どれだけどちらかが望んでも片方が拒絶すれば師弟関係は成立しない。
そして師匠が『本』の金バッジを外すことを認めれば、学術院の生徒という立場から、リムストーン教会の魔術師になることができる。
最初からぜひこの人を師匠にしたいと思ってリムストーン教会学術院に入る人間もいるが、バサルトはまだそれを決めかねていた。
もっとも、リムストーン教会に来てまだ半月ほどである。バサルトに限らず決めていない生徒の方が多いはずだ。
「別に師匠はひとりと決まっているわけではないのだし、私をお試しで師匠にしてみたらどうだろうか? まあ、気難しい魔術師の中には複数人を師匠とする弟子は拒絶するものもいるけど、そういう人を師匠にしたいときはこう言えば良いのさ『サーペンティナイト卿に強引に弟子にされました!』ってね! 私の傍若無人っぷりは知れ渡っているから、その魔術師もそれなら仕方ないと同情してくれるさ」
サーペンティナイト卿はそう言って屈託なく笑った。
「…………」
バサルトは、困った。
魔術は才能の世界だ。
バサルトの先天的な魔術能の中に、占術系の魔術はなかった。
だからといって彼は豊富に魔術能を持っている降霊術系の魔術を極めたいとも思っていないのだ。
思っていないからこそ、実家の反対を振り切ってリムストーン教会学術院に飛び込んだのだ。
だとしたら、これは機会だ。
相手の動機は相変わらず掴みきれず、本題に入ったとは思えなかったが、それでもバサルトは知っている。
これを逃せば、バサルトのようなやっかいな生徒を弟子にしてくれる魔術師はそうそういないだろうということを。
「……よろしくお願いします、サーペンティナイト卿」
サーペンティナイト卿が、いや、星々が自分の何を見出してサーペンティナイト卿の弟子にしろと言いだしたのか、バサルトにはわからなかった。
それでもバサルトはサーペンティナイト卿に頭を下げていた。
せっかくリムストーン教会という新天地に飛び込んだのだ。
この機を逃す選択肢はバサルトになかった。
「うん、よろしくね、バサルト。ああ、私のことはサーと呼んでくれたまえ。親しい者はたいていそう呼ぶ」
サーペンティナイトはそう言いながら手を差し出してきた。
バサルト少年は、輝ける男の手を取った。
見た目の美麗さとは裏腹に、サーペンティナイトの手は意外と大きく広く分厚かった。
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