第3話 最初の旅
「それではさっそく、旅に出よう!」
「えっ!?」
サーペンティナイトが早速そう言いだして、バサルトは戸惑った。
「昨日のアノーソサイト卿の講義のことを覚えているかな?」
「あ、はい……」
占術史の授業に乱入され、明らかに不機嫌だったアノーソサイト卿が、サーペンティナイト卿が何かを囁くと、すぐに納得していた。
「何の用事だったんですか?」
聞いてから、聞いても良かったのだろうかと一種、心配が胸をよぎる。
「嫌なニュースさ。私がリムストーン教会での雑事の傍ら、スカウト業をしているのは知っているかな?」
「え、いえ、知りません」
本当に初耳で、バサルトは首を横に振った。
「占術の才能を利用して、私はリムストーン教会に優秀な生徒を集めているんだ」
「なる、ほど……?」
リムストーン教会は門戸が広い。とはいえ積極的に生徒を集めることまでしているとは思っていなかった。
「しかしここ数ヶ月、横取りが続いている」
「横取り……?」
それはあまり人間に使うような言葉ではない気がする。
「魔術の才能がある子供がいるという噂を聞いて、スカウトに行くと、すでに他の魔術師にスカウトされている……という事案が立て続けに起こっている。今年に入ってもう5例ほど」
「はあ……」
魔術師は基本的に閉鎖的で孤独な生き物だ。
わざわざスカウトに行くような人間が、サーペンティナイト以外にも何人もいるとは思えない。恐らく一人によるものなのだろう。
「しかも、それはどうも組織によるものではなくひとりの魔術師によるもの、らしい」
「それが……『悪い』ニュースですか?」
「いや、『嫌な』ニュースだ」
サーペンティナイトは顔をしかめながら、訂正した。
そういえばそんな言葉選びをしていたか。
悪いと嫌。
意味は近いが、後者の方がだいぶサーペンティナイトの感情が乗っている。
「何しろそのスカウトされたという子供たちの家族が、一人残らず殺されているのだから」
「…………!」
バサルトは絶句した。
サーペンティナイト卿は5例だと言っていた。
全員に両親がいると仮定して最低でも10人、きょうだいまで含めれば一体何人が犠牲になっているか知れたものではない。
いや、こうなってくると、スカウトされたというのも怪しい。
本当はそのスカウトされたという子供すら殺されているのではないか?
そう思ってしまうような、ひどい事態だ。
「そ、そんなことが……?」
「うん、まあ、だから、星のお告げを聞いた時はまあ、納得したんだ」
「……降霊術」
死んだ人間の霊体を呼び出せるバサルトの魔術。
死者が10人を越えるというのなら、なるほどひとりくらいは呼び出せるかも知れない。
無差別に呼べればいいというのならともかく、特定の霊を呼び出すための降霊術には色々と面倒な制限がある。それらを満たせなければ、いかに優秀な降霊術師と言っても、特定の霊を呼び出すことはできない。
「もちろんリムストーン教会にだって降霊術師はいるさ。たくさんいる。ただ、私に無条件で協力してくれるような魔術師はそう多くはないし、更に『信用出来る』魔術師となればもっと少ない」
「……俺なら信頼できると?」
「言っただろう? 私には観相の才能もあるって。うん、君は信用できる側の人間だ。私の目に狂いはないさ」
「…………」
「すまないね」
サーペンティナイトは眉を下げた。
「降霊術なんて捨て去るつもりでここに来ただろうに、私は魔術師の弟子として君に降霊術の行使を頼みたいと思っているんだ」
「……大丈夫です。謝らないでください」
バサルトはゆっくり頭を横に振って、サーペンティナイトをまっすぐ見つめた。
「そんな話を聞いて、なかったことになんてできません。俺にできることがあるなら、協力、させてください」
「ありがとう」
サーペンティナイトは静かに笑った。
その輝きには陰りが見られた。
陰りと憂い。
「では、旅の行先を決めようか」
サーペンティナイトはソファから立ち上がると、応接セットの奥にある大きな机に向かった。
机の上には紋章が描かれた黒い布が広げられていた。
バサルトもソファから中腰に立ち上がって、布を覗き込む。
サーペンティナイトは布の上に両手を広げた。
「
魔術の詠唱。星に問いかける占星術系の詠唱。
「死する光よ、行く道を照らし、来た道を築け」
紋章が光り輝いた。
まるで夜の星々のような小さくカラフルな光が紋章の上で点滅する。
サーペンティナイト卿が緑の目でそれをじっと眺めた。
バサルトには読み解けない星の光が発するメッセージを、サーペンティナイトは読み解いた。
「うん、南南西かな……いや、まあ、リムストーンから北に行くってことはそうそうないんだけど……」
ブツブツとサーペンティナイトがつぶやく。ここに来てから初めての独り言だったが、その独り言すら明朗な調子で、聞き逃されることはなさそうだった。
リムストーン教会は王都から見て北の外れの山岳地帯にある。
山の麓から頂まで幅広い区域がリムストーン教会の領地である。
なにぶん険しい山なのでそれを越えて更に北へ行くことはなかなかない。
「じゃあ、一時間後に旅の支度を整えて、門に集合だ。必要なものは旅先で買えるからそう大荷物でなくともいいよ」
「は、はい……あ、でも、えっと、講義は」
今日はないが、明日からはまた講義だ。ことがことだけに日帰りで済むとも思えない。
「代返を誰かに頼みたまえ」
「…………」
ずいぶんと難しいことを言う。
バサルト少年にはまだ友達と呼べる人間がいない。
同期の顔と名前は一致しないし、同じ授業を誰が受けているかもよく分かっていない。
「それか、まあ、すぐに帰ってこれればいいのさ」
サーペンティナイト卿は爽やかに笑って見せた。
バサルトは一旦、下宿先に戻った。
バサルト少年はリムストーン教会の市街地部分にある集合住宅を仮の住処としている。
生徒達は師匠を定めてからリムストーン教会の門戸を叩く者もいて、師匠である魔術師の家に居候したりもする。
しかしバサルトは師を決めずに、着の身着のままリムストーン教会に転がり込んだ。
リムストーン教会の領地の中には普通の生活スペースもあるので、そこら辺で適当に労働をして生活費を稼ぐつもりであった。
サーペンティナイトは弟子の居候を許してくれるだろうか?
サーペンティナイトの実家、アルティマ家と言えば、リムストーン教会の外にまで名の聞こえた名門だ。子供一人住まわせる余裕くらいはあるはずである。
それともこの師弟関係は、魔術師の家族が殺害された件さえ片付けば、終了だろうか。
殺害。
改めてバサルトの背筋を冷たいものが走った。
降霊術の修行の中で、非業の死を遂げたものを降霊したことは少なくない。
そういう人間の方が情報が揃っている分、端的に言って降ろしやすいのだ。
しかし、だからといって、それに慣れるかと言えば話は別である。
殺されている。見知らぬ誰かの家族が殺されている。
その事実を、バサルトは心苦しく噛み締めた。
バサルトの荷物は少なかった。
サーペンティナイトの荷物は大きな革のトランク一個だった。
「よし、それじゃあ、行こうか。いざ南南西へ」
「はい」
バサルトはうなずいた。
サーペンティナイトが用意させていた大きな馬車に乗り込んで、二人の旅は始まった。
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