第17話 柑橘系の香水



「ただいま」




はぁはぁと息を切らしながら玄関の重たい扉を開ける。久しぶりに走ったせいか、呼吸は苦しいけれど流れる汗が気持ち良く感じた。


これが緊急事態でなければもっと良いのだが。




「アッくんどうしたの?お友達?」


母さんが目を丸くしていた。


俺が友達を家に連れてくるのは小学生ぶりだろうか。久しぶりに友達が来たと言うのに、その肝心な友達は怪我をしていて、割れたメガネをしてボロボロの花束を持っている。


母さんから見たら不審でしょうがないだろう。驚くのも無理はない。



「初めまして。ショウと申します。急に申し訳ございません。一晩泊めていただけないでしょうか?」


俺が紹介する隙もなくショウは自己紹介をし、礼儀正しく深々と頭を下げていた。



「全然いいのよ。アッくんのお友達大歓迎よ!今日はパパも出張で居ないし、いっぱい騒いでもいいわよー!……それよりお顔から血が出てるけど、大丈夫?」


「大丈夫です」


「手当しましょ」


母さんはショウの事を凄く心配しているようだった。お風呂の準備や、夜食の準備をパタパタとしていた。そして高校生になってからは初めて俺の友達が家に遊びに来たという事がよほど嬉しかったのか、浮かれて鼻歌なんか歌っていた。


「アッくんのお友達が泊まりに来た記念日って事でSNSに載せちゃおうかしらー!」


「それはやめてくれよ……」


「あら、そう?」



ショウがあのような身なりで、うちに来た事が不審で仕方ないだろうに、母さんは無理に聞いてくる事もなくニコニコとショウを迎えてくれた。俺は母さんの気遣いと優しさを感じた。


一つ一つの出来事に申し訳ないとショウは頭をペコペコ下げていた。







ショウは俺の部屋で寝る事になった。俺はベッドでショウは布団だ。俺は自分の家に友達が遊びに来た事はあったが、泊まりに来る事自体は初めてだった為、何だか嬉しかった。


「緊急事態でこうなりましたけど、なんだかお泊まり会みたいで楽しいですね。僕が言うのもなんですけど」


ショウも同じ事を思っていたようだ。


「図々しいやつ……」


俺はそう言いながらも表情は笑っていた。


「お母様もとってもステキな方ですね!!何から何まで本当にありがとうございます。僕、友達の家に泊まるの初めてなんですよ!!!アツシくんは?」


「俺も初めて」


「仲間ですね!!」


「一緒にするなよ」


「そんな事言ってー。アツシくんは楽しくないのですか?」


「……楽しいけど」


そんな他愛もない会話も楽しかった。


お風呂上りでも相変わらず重たい前髪をショウは下げていて、割れた眼鏡をしている。


「前髪、ピンでとめる?貸すよ?」


「大丈夫です。お気になさらず。……ここがアツシくんの部屋ですか」


「見られてまずいものはないけど、見るなって」


「すみません。でも気になるじゃないですかー」



前髪が明らかに邪魔に見えるのに頑なに、上げないのはなぜだろう。人には言えないコンプレックスを抱えているのだろうか。あまり触れてほしくはないのかなと俺は話題を変えた。




「単刀直入に聞くけど、さっき外で何があった?言いたくない事もあるだろうから、言える範囲で教えてほしい」


ショウは一瞬暗い顔をしてうつむいた。そして、顔を上げ苦笑しながらこう言った。



「僕、ストーカー被害に遭ってるんですよ」



……ストーカー?


衝撃的だった。


笑いながら言う事ではない。恥ずかしさか何かを隠す為なのかも知れないが、大問題だ。警察に相談しても良いレベルの話ではないか。



「え?いつから?相手は?どんな女?!心当りは?」


俺は衝撃的すぎて、次々と質問をしてしまった。ショウの口からは意外な言葉が返ってきた。



「犯人は誰だかわかりません。顔は見ていません。ただ体格的に男の人かと……」


「えっ?男?」




「……はい。数日前から付られている気はしていたのです。最初は気のせいかなって思っていたんですけど……本当に、ドラマの中の出来事みたいに、僕がゆっくり歩けば、男もゆっくり歩いて、僕が走れば走って、みたいな状況が続いて。


逃げきれたと思って安心してたら、何故か今日は背後から襲われました。襲われたのは初めてです。後ろから抱き着かれて幸い顔を引っ掻かれたただけで済みました。けれど、せっかく買った花束はボロボロです。


すっかり油断してました。


いざという時戦えるようにもっともっと武術やら技を磨かないとだめですね。いつ何があってもいいように……。


抱き着かれた感じ小柄の男性で、筋肉ムキムキよりはぽっちゃり気味だったかと……手の感じは血管が浮き出ていてそんなに若くはないようでした。あ、あと柑橘系の香水を付けていたんでしょうか?レモンのような酸っぱい香りでした。やたら香りがきつかったです」



「技ってなんだよ。馬鹿だよ、ショウは」


「ですよね……ははっ……」


「何ですぐに相談しなかったんだよ!ストーカーの事!そしたらこんな事にならなかったかもしれないのに!」



ショウは驚いたように目を見開いた。


「アツシくんにそんな風に怒られるなんて思ってなくて……」



ショウの表情がわからない。


怒っている?いや、笑っていた。口角がキュッと上がっているのが見えた。前髪とひびの入った眼鏡の隙間から少しだけ見えるショウの瞳はとても綺麗に見える。頑なに前髪を降ろしているのにはいるのには何か理由があるのだろうか。いつかそんな話も聞けたらいいなと思った。



「き、気をつけろよ」


俺は顔を伏せてしまった。こんなに真っ直ぐに感情を表に出されると恥ずかしい。


ストーカーの犯人がどんな人であれ、怖かっただろうに。しかも犯人は男と言う事も驚きだ。




「そのストーカーは何が目的なんだろう?ただショウの事が好きなのか?」


「……わかりません。おじさんと直接関わるような事なんて最近なかったですし……どこかの店員さんにおじさん居ましたかね?そう言えば、僕SNSまだチェックしてないんですけどマリア何かありました?アツシくんマリアが何とかって言ってましたよね?」


「そうそう!写真が投稿されたんだよ!」



ストーカー男の目的はわからないままだ。男に心当たりもないと言うものだから、特定するのに時間がかかりそうだ。


ショウはすぐにスマホを取り出してマリアの投稿を確認していた。



「僕とした事が、情報確認が遅くてすみません。情けない。えーっと、この花は……」


「スカビオサって言うんだ。花言葉は、『不幸な愛』、『私は全てを失った』。花言葉の由来も怖くてさ。だから、ショウが花持って立ってるし、怪我してるからから、俺この写真と何か関係あるのかと思って本当にびっくりしたんだからな!!すごくタイミングが良かったし!」


「ぶふっ!!そうだったんですね」


「笑うなって」


「実は、今日、お母さんと亡くなったお父さんの結婚記念日でして。サプライズでお母さんに渡すつもりだったんです。こんな事になるなんて、思わなかったですけど。でも、いやー、あの時のアツシくん、本当に表情が強ばってたなって。そう言う事だったんですね」


ショウはニヤニヤしながらそう言った。


「そうだったのか……って言うか笑うなよ!あっ!あとさ、フライから返信きた。返信の内容、良く意味が分からないけど会ってくれるって」


「……そうですか。良かったですね」


ショウは何だか浮かない顔をしていた。ショウは大抵の話は乗ってくるのにフライの事になるといつもそうだ。


「ショウはフライの事、どう思ってる?やっぱりマリアのライバルだって言われてたし苦手なの?」



「いや、そう言う訳では……。あ、そう言えば、僕もトシカズと連絡が取れましたよ。明日の午後会えないかって話だったのですが、アツシくんはどうですか?」


「いいよ。会おう」


ショウはフライについて、ただ単に興味が無いだけなのだろうか。無理矢理話題を変えて来たように見えてしまった。




「じゃあ、今日は、おやすみなさい」


「おやすみ」





何も解決の糸口が見つからない、不安がおさまらない中、俺達は深く闇に飲まれるように眠りについた。





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