第10話 二人の彼女




ガッシャン……!



グラスの割れるような強い音がした部屋へ俺は急いで向かった。



ドアのすりガラスからでは中の様子は全く分からない。軽くノックをして、恐る恐るドアを開けた。床には小さなガラスの破片がキラキラと散らばっている。


トモキは彼女に馬乗りになって首を絞めていた。




「何してるんだよ……!」




俺はとっさにトモキと彼女の身体を引きはがした。彼女はグラスに入っていた水を被ったのか髪と顔が濡れている。そして今にも泣きだしそうな表情だ。怪我はしていない様に見える。




「大丈夫ですか?!」

「……」



彼女は何も答えない。目も合わせようとしない。



「あれー?アツシくんどうしたの?」



トモキは気持ち悪いほどにニコニコしながら俺に話しかけて来た。その笑顔にどこか恐怖を覚え背筋がゾッとする。


これがトモキの「裏の顔」なのか。確かに先程までのナルシストだけど明るかった雰囲気とはまるで違う。別人のようだった。




「トモキさんと解散した後、ショウとカラオケに来たんですけど、グラスの割れるような音がしたので心配になって見に来ました。まさかトモキさんが居たなんて……ははっ……」



「ふーん。そうなんだー」



トモキは張りついた笑顔のまま表情を変えない。



「まさかつけてきたわけじゃないよね?」


 



……バレていた?意外と感が鋭い。



「何言ってるんですか?そんな訳ないじゃないですか。そちらの彼女さん大丈夫ですか?」



悟られてはいせないとこちらも表情を変えずに答える。



「うん。この子ね、馬鹿だから手滑らせて自分で水被ってんだよ。おまけにグラスまで割っちゃうしさー困っちゃうよ。ほら、自己紹介して」



「トモキの彼女のサホです……」


「じゃ、俺らデート中だからさ」


「ちょっと、待ってください!!」





ここで引いてはいけない。




明らかにトモキのサホに対しての態度はおかしい。どう見ても普通じゃない。サホが自分で水を被った構図は考えがたいし、絶対にトモキの仕業だ。



マリアも今のサホのように苦しんでいたのかもしれない。トモキの事だからマリアを今も監禁している可能性だってある。サホの首を絞めていたのだってマリアの動画に映っていた黒服と同じような手口だ。怪しい。



「アツシくん!」


ショウが息を切らしながらこちらに走って来た。


「ほら、ショウくんも来たし、君らも自分の部屋で楽しみなって。じゃ」


「待ってください!」


「何なの?」


「話があります」


「だから俺は忙しいって」


「サホさんにです」




トモキは目を見開いて驚いた表情をしていた。そしてサホを睨んで、その後微笑みながら言った。



「お前、俺の知らない所で男と仲良くなってたの?」


「知らない……この人たちとは初対面で……」



サホは脅えているように見える。日頃からトモキに恐怖心を与えられているのだろうか。



「怒ってないよ?正直に言いなよ」


「本当に知らない。あの、私に話があるみたいだけど、私はあなた達に話はないから……」


「俺達サホさんとは初対面です。回りくどいのはもう面倒なので単刀直入に言います。俺達はマリアの事についてトモキさんに聞きたかったのです。俺達はマリアの現状について調べています。しかしサホさんも苦しんでいるように見えるので……」


「マリアと俺はもう関わりないって!何も知らないから!もういいだろ!しつこいんだよ!!」

 


俺の話をさえぎるようにトモキは強い口調で言った。さっきよりもトモキの感情が乱れているように見える。やはりマリアの件で何か隠したい事があるのだろうか。



「嘘よ。マリアはあなたが殺したようなものじゃない……」


サホがぽつりとつぶやいた。


「お前何言ってんだよ。また水被りたいのか?」



さっきはサホが自分で水を被ったと言っていたのに、やはりトモキは嘘をついていた。そして自白している事にも気づいていないとは何とも哀れだ。



「知っていること話していただけませんか?」


「だから、俺は知らないって。サホも知らないよな?」



「……私は……本当は話したい……もう嫌なの……」



サホの目からは涙が溢れて来た。日頃、恐怖心を与えられているとすれば、この一声を上げるだけでどれだけ勇気が必要だっただろう。手が震えているようにも見える。サホの涙を見て俺も胸がギュッとなった。



「……分かった。俺は隣で聞いてるからお前が話したい事を話せばいい」



トモキは目の奥が笑っていないような怖い笑顔をまた作って言った。






トモキとサホ、俺とショウで二人ずつ向かい合う形でソファーに腰掛けると、サホは静かに話し始めた。変わらず床にはガラスの破片が散らばっていて、ミラーボールが反射する光が美しく見えてしまう。


ショウは常備しているタオルを「使ってください」とサホに差し出していた。




「……トモキと私が付き合う前にトモキはマリアと付き合っていたの。……なんて言うのが正しいのかな……。実際の所はトモキとマリアがまだ付き合っていた時に私はそれを知らなくて、トモキと付き合った。知らないうちに、二股を掛けられていたって事」



「二股?!」




「そう。私とトモキは同じ高校で、当時三年生だった。その時、マリアは二年生かな。トモキは同じクラスで、隣の席で、最初は全然接点なんてなかった。なのに、気づいたらよく話す仲になってた。トモキは明るくて、面白くて何も壁を感じない、そんな人だと思った。


席替えがあって、隣の席じゃなくなってから二人で話す機会も次第になくなって行ったの。


そんな時、トモキに呼び出されて告白されたの。「サホと席が離れてから、サホが夢に出て来るんだ。俺はサホが好きだ」ってそこから私達は付き合うようになった。


明るくて、面白くて、クラスの中心にいるような人だった、トモキと付き合えたら楽しいんだろうなって思ってた。そんな人が好きになってくれるなんて嬉しいなって。でも違ったの。トモキは……」




「おい。何言ってんだよ!二股じゃないだろ!」


「トモキさん!落ち着いてください!」 

 


ショウがトモキをなだめる。トモキはだいぶ焦っているように見える。



「トモキは、付き合ったら性格が180度変わるタイプだった。束縛は激しいし、暴力は振るうし、暴言も……」 


「それはお前が悪いから……俺はこんなに愛しているのに!」


「だから!落ちついてください!!」





「高校生だったし、係の仕事とか、委員会とかで他の男子としゃべらないといけない機会ってどうしても出て来るじゃない?しょうがないじゃない?なのにその度に、「浮気」だの「淫乱」だの言われて凄く傷ついたし、ムカついたし、悲しかった。いつもトモキに監視されている感じがして怖かった。


「他の男と関わろうとするお前が悪い」って暴力も振るわれるようになった。私に自由なんてない。そのうち女友達と遊ぶだけでも束縛されるようになって、友達もどんどん減っていった。


でもやっぱりトモキは私の前以外では明るくて、面白い人気者だったから、他の人に相談しても「トモキがそんな事する訳ない」って全然信じてもらえなかった。トモキは、私のコンプレックスとか気にしている事も他人にベラベラ話すし、恥ずかしい所じゃなかった。


その癖、自分はクラスの他の女の子とベタベタと触れ合ったりするのよ!信じられる?!」




サホは感情が高ぶって来たのかハキハキ話すようになった。今まで相当辛かったのだろう。誰かに聞いて欲しかったのだろう。





「私は耐えられなくなって、トモキの携帯をこっそり見たの。そしたらマリアとのツーショットとか着信履歴が山ほど出てきてびっくりした。私の事は散々束縛しておいて、自分はあの有名人のマリアと浮気していたのよ。


……違う。私が浮気相手だったのよね。


ショックだった。怖くて怖くてたまらなかった。


どんなに嫌な事をされても、私はまだトモキが好きだったんだ、好きだから別れたいと思わなかったんだって再確認できた。


見なかった事にすればトモキとまだ一緒にいられるとも思った。だけど、どうしても見ないふりは出来なくて、私はマリアの連絡先を自分の携帯に移して、マリアに直接連絡した。


トモキとの関係をはっきりさせたくて。私の中にも独占欲があったのかも知れない」





サホは少しだけ淋しそうな表情をする。





「マリアも私もお互いに二股の事はその時初めて知った。マリアも全く私と同じ状況だった。束縛、暴力、暴言に悩んでいた。私よりもっとひどい暴力を受けていて、脚とか腕とかアザだらけだった。


SNS活動をする中でアザを隠すのも大変だって言ってた。それにトモキにお金も取られるって嘆いていた。それでもトモキの事が好きだから放っておけないからって。トモキのそばにいたい、力になりたい。でも苦しいって」




「そんなの嘘だ。あいつだって男と遊んでたんだぞ」



「あなたはこの場に及んでも、まだ自分は悪くないって言うの?」


「だってあいつが……」



「だから、落ち着いて下さいっ!!」



確かにマリアが長袖の姿の写真しか載せない時期が昔あった。当時はあまり気に留めなかったが、こういう理由があったからだったのか。



また俺は何も気づけていなかった。





「私とマリアは二人でトモキを問い詰める事にした。トモキは意外とあっさり認めて、私達二人と別れる事を選んだの。


でもその後「やっぱりサホが好きだからより戻したい。サホだけを愛してる」って言われて……。私は何だかんだまだトモキの事が忘れられなかった。


そしてオッケーしてしまった。


トモキは以前よりずっと優しくなって別人みたいで、今度こそ信じられるって思ってた。幸せだった。高校を卒業して、あわよくば結婚出来たらいいなって思ってた。


でも私はまた、トモキのスマホを見てしまったの。見なきゃ良かったのかな……でも今は見てよかったなって思ってる……」





サホはトモキを軽く睨んだ。



「トモキはマリアにまた連絡していたの。最初の方の連絡は当然無視されていたけど、「返信くれないならマリアの秘密ネットにバラすから」とか「裸の写真ネットに載せるから」とか「金よこせ」とか送って脅していたみたい。


そして、その手を使って何度か会ってもいたみたい。マリアには私とより戻した事は内緒にしてたのよ。


本当、馬鹿にしてるわよね!?その事をトモキに問い詰めたらまた私に対して暴力、暴言がひどくなったの」


 



「お前が勝手にスマホを見るからいけないんだろ?さっきだってノコノコ連絡して来たくせに、アツシくん達に「お前の事を紹介したいから今すぐ来い」って言ったら、言う事聞けないし、お前が遅いからこうなったんだろ?」



トモキは全く自分は悪くないと言わんばかりに言い訳をし、カンカンに怒っている。




「私だって用事あるし、急に連絡が来てすぐになんて行ける訳ないじゃない。あなたにとって私は道具でしかないのよ。私だけじゃない。マリアもファンの人達も自分の気持ちや欲を満たすための道具なんでしょ?だから私たちの気持ちなんてどうでもいいんでしょ?それに前から思ってたけど、写真と実物の顔が違い過ぎるのよっ!!!」

 


「お前何言って……女にこんなにムカついたの初めてだわ」



トモキはサホの胸倉を掴んだ。



「トモキさん!!やめてください!!」




俺はトモキの身体を抑えた。


「離せよ!!」



サホはトモキから離れるとスッと立ち上がって言った。







「……マリアの殺害動画だってあなたがやったんでしょ?私知ってるんだから……」



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