あの夢

福基紺

第1話

 何でも一つ、願いを叶えてあげよう。ただし、叶えるのは、最も多くの命の願いである。


 それは、ある日の夢の中、全人類が聞いた言葉だった。



 真っ白な世界で、偉そうな声で荒唐無稽な話をされる夢を見た。願いを叶えるとか、なんとか。宗教も占いも信じない俺としては、夢の中であっても受け入れ難いほど馬鹿馬鹿しい話だ。

 リアリストな俺がなぜあんな夢を見たんだ、と不思議に思いながら、寝ぼけた頭のまま日課のSNSチェックを始めた。テレビは持っていないから、ニュースの確認はSNSでやるしかない。

 トレンドワードを表示すると、一位は”あの夢”だった。今朝の夢が少し気になっていたこともあって、その言葉に興味を惹かれた俺は「あの夢」で検索した。すると、「あの夢」という言葉を含んだ投稿が1時間以内に数千件にも及んでいると表示された。ずいぶん大きな話題になんだな、と驚いて投稿を新しいものから見てみると、その内容は

『あの夢って神様が見せてる感じ?』

『さっきニュースでもやってた!”あの夢”で通じちゃうのすごいw』

『夢を操作する技術ってあんの?あの夢、ほんと何』

『海外の人もあの夢は見たみたい。時差あるから、日本の方が話題になるのは早かったっぽいけど』

 といった具合で、皆一様に同じ夢の話をしているように思える。しかし、どんな夢の話なのかはよくわからなかった。占いか何かだろうか。

 SNSアプリを閉じ、ブラウザアプリで「あの夢」と検索すると、ネットニュースがいくつかヒットした。一番上に出てきた記事には、こうあった。

 〈「何でも一つ、願いを叶えてあげよう。ただし、叶えるのは、最も多くの命の願いである。」という言葉を聞く夢を見た、という人が世界中にいることが話題になっています。かく言う私もその一人で、友人や家族も同じ夢を見たようです。SNS上でもこの夢を見ていない人を探す方が難しいくらいで、全人類が見たのではないか、という推測が飛び交っています。日本では"あの夢"、英語では"god's dream"と呼ばれるようです〉

 ちょっと、というかとても、信じがたい話だった。なぜって、俺もその夢を見たのだ。本当に、記事に書いてある通りの言葉を聞いた。あれを世界中の人間が見ていたなんて、そんなことがあるだろうか。

 しかし、現実として、SNSでは有名芸能人や国会議員もが”あの夢”について発言している。”god’s dream”で検索してもほとんど同じような投稿ばかりだった。ハリウッドスター、大統領、王族、大学教授、小説家、ミュージシャン、モデル…彼らは母国語で”あの夢”の言葉を聞いたようだが、その内容は同じだった。

 もしこれがエイプリルフール的なムーブメントだったとしても、世界中を巻き込むなんて可能だろうか?芸能人はともかく国会議員がそんな冗談に付き合うとは考えにくいし、国籍を問わず大勢に声をかけられるような人間がこの世にいるとはとても思えない。それに、冗談なら、ネットニュースを書くような人間は知っていてもいいんじゃないか。あのライターは本気で驚いているような感じがした。

 怪しげな宗教家は神の言葉だなんだと言っているが、それは無い。そもそも神は、人間が生み出した精神的な拠り所に過ぎないのだし…。

 すっきりとする答えが出せないことに気が晴れないが、話題の熱なんてすぐに引くだろうと考えて、俺はスマホを充電台に戻した。所詮、夢の話なのだから。


 少なくとも、俺はそう思っていた。しかし、世の中の連中__それも、要人どもが、どうも"あの夢"を信じているらしいのだ。

 夜中に再び見たSNSでは未だ"あの夢"がトレンド一位で、それに次ぐトレンドが"神様"、"政府の見解"だった。場違いなように思える「政府の見解」で検索すると、「日本政府が"あの夢"を真に受けて、何を願うか考えている」という投稿が大量に出てきた。なぜ政府が真面目に夢のことなんか考えているんだと困惑したのだが、俺を更に困惑させたのは『日本以外の政府とか王室も真面目に考えてるっぽいな。洗脳されてる?』という一般人の投稿だった。投稿者は各国の政府表明のニュースの写真を投稿に添付していて、どれもフェイク画像のようには思えなかった。

 政府ともあろうものが、こんな馬鹿馬鹿しい夢の話を信じるなんて考えられない。大金を納税しているわけでもない俺が言うのはおかしいが、「お前たちの給料は誰が支払ってると思ってるんだ」と言いたくなる。"あの夢"の話なんかする暇があるなら最低賃金の引き上げでもしてほしい。それに、政府が願い事を決めたとて、大多数が自分自身の勝手な願いをするに違いない。もしや、本当に政府中枢は洗脳されているのか?それとも、"あの夢"は洗脳された人間が見るもので、俺や人々は知らぬうちに洗脳されていたのか?SNSなら、広告なんかを使えば洗脳くらい訳ないのかもしれない。実際、俺に確認できるのはSNSを使っている人間だけの状況だ。インフラも整備されていないような世界の果ての人々が"あの夢"を見ていない可能性は否定できない。政治家には別の方法を使って洗脳を行なっていたのかもしれないが…


 ハッとした。俺は、なんて非現実的なことを考えたのだろう。政府の要人(それも世界中の)が洗脳されるだって?そんなことは実行できるはずがない。ロシア帝国でもあるまいし…。日本では文化的に宗教の力は借りられないし、民主主義国家と社会主義国家に同じことを言わせるような洗脳なんてありえない。そんなものが存在するなら、とっくに誰かがやってる。

 俺は今度こそ、"あの夢"について考えるのをやめた。



 俺が"あの夢"を記憶の隅に追いやっても、世界は夢中だった。どんな願いをするのか、世界中が注目していた。歴史的な国際協調のムードが広がって、紛争が鎮まり、国交が樹立もしくは復活された国も出た。国連が動き、1ヶ月という極めて短い時間で団結した世界は願い事を決めた。

 街中のモニター画面に願い事が表示され、すっかり"あの夢"のことを考えなくなっていた俺もそれを知ることになった。

〈この世界の結託が永遠に続きますように〉

 なるほど、神頼みにはちょうどいい願いだと思った。



 夢の中、それはやはり白い空間だった。己の姿もわからない。


 __今日、すべての生命からの願いを聞いた


 1ヶ月前の"あの夢"で聞いたのと同じ、偉そうな声だった。誰もがこの声を神だと言うのは、この偉そうな感じが原因だろう。


 __最も多くの生命が願ったものを、今ここで叶えよう


 一体、世界中のどれだけの人が同じ願い事をしたのだろうか。少なくとも俺は大した願望が無かったから、政府の言う通りにした。

 低い声に、耳を澄ませた。


 __生命の願いは、人間の滅亡であった


 え、今、なんて言った?まさか、「人間の滅亡」なんて言ったのか?

 世界中には自殺志願者がそんなにいたのか?世界中の政府が発表した願い事を裏切ることができるほどの人数がいたというのか?

 いや、もしかして…


 __もちろん、中には人間の滅亡を望まぬ種もあるが、数多の種がそれを願った


 そういうことか、と俺はひとり納得した。

 最初から、"あの夢"の言葉は人間以外の全ての生物にも向けられたものだったのだ。見聞きしたのは人間だけだと思い込んで、舞い上がって、勝手に団結したつもりになって、何もわかっていなかったのだ。

 こんなのだから、他の生物から滅亡を望まれるのかもしれない。


 __よって、人類は今から未来永劫、目覚めることはない


 声は消えて、ここには、ただ白い空間があるだけだった。

 これほどまでに恨まれて、消えてしまえと願われるような存在が、どうして地球に生まれてしまったのだろうか。考えてみれば、どうも人間は異質だ。他の生物と共生をする気などまるで無く、理性に基づいて地球破滅の道を進行し、本能を無視して子供を産まなくなって、幸福に生きる方法を真面目に考えている。本能に従うだけの生き物だったなら、こんな風に恨まれることもなかったのではないだろうか。

 人間は、何のために生まれたのだろう。


 白い空間は、だんだんと暗くなった。まるで目を閉じるように、少しずつ視界は狭くなって、やがて真っ暗になった。滅びるのは嫌だが、もしかすると最も安穏な滅び方かもしれない。核戦争で滅ぶとしたら、もっと嫌な光景や苦しみを目の前にしながら死んだはずだから。

 まるで安楽死だ。でも、これはきっと滅びる人類への配慮なのだろう。有無を言わさず殺される代わりに、眠るように、楽に死んでいく。


 これ以上の思考はもはや無駄だ。世界は終焉を迎える人間を置いて、新しい朝を迎えるのだろう。

 まるでSF映画のエンディングだな…。



 朝日が、東から昇る。



 それが、人類の最期だった。

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