第五話 喰らうもの、使うもの

 睨み合い、対峙する二人の怪物。先に痺れを切らしたのは、やつの方だった。


「うぐっ……!?」


 まばたきする間もないほどに素早いフックが、反射で構えた左腕に思いっきり直撃する。まるで金槌で殴られたかのような衝撃、重み。あと一歩遅ければ、俺の頭は潰れていたかもしれない。


『……かなり成長しているな。まともにやれば勝機はない』


 おいおい、マジかよ。心の中で悪態をきつつも、俺はただ防ぐだけで精一杯。全身鎧の、自らの姿に困惑するような暇もない。今もジリジリと、確実に広場の隅に追いやられていた。


『隙を見て避けろ、さもないと我が喰われてしまう』

「……そんなこと、言われなくてもわかってる!」


 先ほどと打って変わって、目の前のハミィが一段と大きく、その右手を振り上げた。上からはたき落とすための予備動作。このチャンスを、見逃すわけにはいかない!

 咄嗟に、片足を軸にして俺は半身をひるがえす。


『なニッ!?』


 ハミィが狼狽うろたえたその一瞬、俺の足はやつの足元を、俺の伸ばした両手は敵の右腕をしっかりと捉えていた。


「おらぁっ!」


 力任せにその腕を振り抜き、やつの体ごとアスファルトの地面へと叩きつける。見たか、これが自己流、ジャパニーズ背負い投げだ。

 起きあがろうともがく敵の腕を締め上げつつ、俺はその胴体に追撃と言わんばかりの蹴りを繰り返し打ち込んでいく。その爪先が深く刺さるたびに、敵の体を覆っていた外骨格は一つ、二つと剥がれ落ち、辺りに黒い破片が飛び散った。


「クソッ……クソ、クソ! もう何もかもうんざりなんだよ、さっさとくたばれ、この化け物が!」

『その調子だ。お前の憎悪、嫌な記憶が着々と、我を通してこのハミィの体へと流れ込んでいる。今や強さはほぼ互角だ』

「だったら! 早く喰って……」

『まずい! 時雨、離れろ!』


 ロハムの警告に、思わず体が反応し手が止まる。考える前に、俺は即座に腕を離しハミィの体を誰もいない方向へと蹴り飛ばした。

 宙を舞う敵の尖った尻が、一気に膨張を始める。後ろに飛び退いた、まさにその瞬間だった。

 大量の水の弾丸が、一斉に俺をめがけて襲いかかる。かわしきれなかったいくつかの粒が全身を包む装甲を掠め、その鎧の一部がドロリとただれた。


「ぐっ……水じゃ、ないのか!」

『なるほど、厄介だな。喰える記憶はそのまま養分に、一部の喰えない記憶は酸の形で、武器として蓄えるというわけか』

「呑気に解説してる場合かよ……! このままじゃ、一撃喰らわせる前に装備がパーだぞ」

『この程度で、我は死なぬ。それに、酸の蓄えもいずれは尽きる。せいぜいあと一度が限界だろう』

「……やっぱりこの鎧って、お前なんだな。わかった、少々楽観的な部分には目をつぶる。どのみち、俺にはお前を信じる道しか残されていないんだ」


 ハミィはふらつきながらも起き上がり、再び酸のつぶてを飛ばそうと試みる。しかしそれよりも早く、俺の足は灰色の地面をしたたかに蹴っていた。


『しネェ……っ!』


 一度目よりも狙いすまされた、大粒の一撃。それが、今にも俺を亡き者にしようと眼前に迫る。極限まで高まる緊張感に、俺は思わず口の端を限界まで吊り上げた。


 バシャン! 酸が、黒く固い装甲に無慈悲にもぶち当たる。漂う悪臭。それはみるみるうちにしたたり、溶ける。溶けていく。だがそこに、もう俺はいない。

 敵の最後っ屁を防いだのは、皮肉にもその敵を守るはずだった外骨格。さっきの蹴りで手に入れた、俺が持つ唯一の戦利品だった。


「終わりだ!」


 立ち尽くすハミィの顔面に、勢いよく左の拳をめり込ませる。パキリと何かが折れるような感触が、俺の中に潜む記憶かすかに震わせた。


 ハミィは両腕をダラリと下げ、そのまま後ろへと倒れて気を失った。俺が足蹴にしても、もうピクリとも動こうとしない。

 足を下ろそうとしたその時、俺の全身に纏わりついていたロハムが、まるでスライムのように形を変え、目の前に転がる大きな蟻を一瞬で包み込んだ。


「うえぇ……気持ち悪……」

「そう言うな。中々、美味であったぞ」


 黒いスライムは段々と人の形を取り、いつの間にか、ロハムの人間態である見慣れた男の姿へと戻っていた。


「……なぁ、これってさ、大丈夫なのか?」

「何が言いたい?」

「いや、だって地面はひび割れだらけだし、柱もちょいちょい壊れてるし……あと、倒したハミィの姿、めちゃくちゃ人に見られてるし」


 痛む全身を引きずりながら、俺達はその場を立ち去る。無論、満身まんしん創痍そういなのは俺だけで、食事を終えたロハムには傷一つないわけだが。


「心配せずとも、消滅したハミィに関する記録や記憶は人々の間から消える。損壊なども、天災のたぐいだと思われて、それでしまいだ」

「……本当かよ? 俺はまだ覚えてるけど」

「それは我がいるからだ。お前にハミィのことを教えたのは我、ゆえに、お前はそのハミィの存在も、それと戦った事実も覚えている。しかしその姿を思い出せるか? いや、恐らく出来ないはずだ。何故なら……」

「あー、もういい。そうだな、その通りだ。もう、どんなやつだったかすっかり忘れちまったよ」


 俺達は、ただふらふらと足を進め続ける。病院を離れようとここまで歩いてきたのに、結局、怪我でまた病院にとんぼ返りする羽目になってしまった。でも、ちょうどいい。幼馴染の記憶が本当に、こんなことで戻っているのか……それを、自分の目で確かめたかったから。


 湿布や絆創膏 まみれの俺を見て、彼女は最初になんと言うのだろう。「黒木さん」か、それとも「どうしたの、大丈夫?」か……いや、これは流石に夢を見すぎか。でも、もし心配してくれたらそれだけできっと、俺はこの痛みをすぐに忘れてしまうのだろう。


「……失礼しまーす」


 扉を静かに、ゆっくりと開く。再会したあの時と同じように、金木犀の香りと共に彼女の髪が舞い上がる。


「し、ぐれ……?」


 彼女は、空音は今、確かに俺の名前を呼んだ。

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