第19話


 右賢王は南門の前に陣を構えている。城門の前には雑兵がたかり、重厚な門を破るべく、攻城用の大木の槌が次々打ちつけられている。城内の旒旌が風に翻るさまは頼りなく、壁上より放たれるは疎らだ。甘州城の命運は尽きようとしている。

 自陣の中央まで戻ると右賢王は、拉してきた顧恵雲を顧みた。

「おまえか、ネヒルテルを殺すと云うのは」

 右賢王アルトゥ・ウルは、話すとき相手の目の奥を覗く。心の奥底まで見透かそうとするかのように。

 顧恵雲も睨み返した。会うなり自分を拉致した猛将を。

「情けない奴だ。おれならもう二度殺した」

 右賢王アルトゥ・ウルの眸は燃えるようだ。

「だがよい。あの男を殺すのは己だ」

 好き勝手を云う男だと顧恵雲は思った。何の制約もなければ殺す機はあった。だが、大可汗のほかだれも殺してはならぬと、大可汗自身から約束させられている。行く途を阻む者どもを蹴散らす際、殺すつもりでかからねば大可汗まで辿りつけるものではない。その事情をこの男は知らぬ。

 約と云っても口約束で、知る者は限られているのだ。破った処で汚名をることはないだろう。にもかかわらずこの奇妙な約が心に引っかかるのは、顧恵雲のなかにまだ、士大夫として身に染みついたふるい倫理感が棲みつづけているからだ。

 右賢王にその想いは想像できない。人の心を慮ることのない者なればこそ傲然となれる。

「己が一臂いっぴ貸してやろう。二手から刃が迫れば、隙も増える。おまえだけでは心許ないが、己が合力すれば殺せる」

「断る」

「なんだと?」

「その誘いに乗るわけにはいかぬ」

 右賢王は理解できない。大望を成就させるに願ってもない祐けを、断る理由が解らない。

「己が瞞しているとでも思うのか?」

「ちがう」

「ならば何故。おまえだけで殺すのは無理だ。剣の腕の問題ではない。覚悟が足りぬ、しかも迷いは余り有る。おまえには、己の助力が必要だ」

 右賢王の論理は明快だ。真っ直ぐ目的へと向かって歪みない。だが顧恵雲は頑なだった。

「断る」

 言葉を知らぬ童子の如く、短く、おなじ言葉を繰り返した。彼に比べれば、よほど蛮夷の皇子の方が漢語を縦横に駆使できるかと思えるほどだ。

 右賢王は説得を諦めた。これ以上言をかさねても無駄と悟ったからだ。呆れたのもある。むろん苛立ちもある。

 このばか者にいくら理を説いたところで通じまい。ならば勝手に引きずりこむまで。

 右賢王は気を晴らすように鋭く口笛を吹いて、馬を呼んだ。すぐ駆けてきた愛馬に颯爽と跳び乗ると、右賢王は未練を見せずに立ち去った。

 草原の涯にもう陽が沒もうとしている。黄塵が夕陽を朧にさせる。風に芒の葉が揺れ、互いに擦れる音が胸さわがせるなか、顧恵雲は徒歩で自分の幕舎へ戻らねばならない。長い途を歩きながら、明日だ、明日決するのだと自らに言いきかせた。


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