第18話
左賢王は顧恵雲から目を離さず、すこしずつ大可汗一行に近づいていった。
その視線の先に在る顧恵雲は大可汗とその取り巻きたちの騎行に混じっているが、会話には加わらず、胸に抱えた短刀の重さを量ってばかりいる。
国境を接し、長年その領域を互いに侵しあっていても、契泰と漢人の両つの民が使う言葉はまったく異なり、混じることがない。にもかかわらず、大可汗をはじめ契泰の上層に漢語を解する者が見られるのは、殆ど年中行事となった侵掠に伴う交渉を繰り返すうち身に着いたのだろう。わけても大可汗の話す漢語は完璧に近い。
「意外か?」
近習の困惑顔に構わず顧恵雲を側に召した大可汗は言った。前を向いたまま此方へは目をくれず、だがその表情はおだやかに見える。
「幼時、余は洛陽にいた。もう十五年も前だ。
幼きネヒルテル・ビルが漢都に在ったのは八歳からの三年間。人質としてだ。
当時も今とおなじく軍事的には契泰は商を圧していたが、財も食も豊かなのは圧倒的に商だ。爛熟した文化も、契泰の王族たちからは豊かさの証と見えた。
一族をより栄えさせるために彼らは商との交流を求めた。侵掠さえも彼らのなかでは交流の積りなのだ。よって時の可汗は
一方で商の側には、契泰の言葉を解する者は極めてすくない。その必要をまったく認めていないからだ。彼らを狄戎と見下し、その野蛮の言葉に学ぶ価値は一片もないと考えている。
尤も、契泰のみが見下されているわけではない。世界の中心は中原に在るのであって凡ゆる文化の源流は漢族に発し、ゆえに辺境のすべての狄戎蛮夷は大いなる漢人国家の薫陶を受けるべきなのだ。
左賢王イェディ・ベルゲが顧恵雲に馬五頭ほど距てた位置まで近づいたときである。背後から颯爽と現れた騎馬が数頭の人馬を
誰もが呆気にとられて、突然のことに反応もならないまま一行の後ろ姿を見送るしかなかった。冷然と見送った大可汗の胸中は窺い知れない。
※ 契泰の言語はテュルク系(という設定)。文法はモンゴル語や日本語に近しい一方、漢語との親和性は低い。掠奪・交戦や交易など交流の機会が多いとは云え、互いの言語を習得する壁は高い。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます