第9話


 座には左右に将軍と重臣たち、彼方に吏官どもがずらりとならぶ。彼らに包囲されるように、可汗の正面に座る三人が使者たちの司であろう。

 大可汗が腰を下ろすと、隣に控えた近習が声を発し、促されて使者一同は面を上げた。再び近習が声を発し、中央に座るのが正使、右隣が副使、左隣が武官なのだと順に紹介した。

 近習の紹介を承けると正使は傲然と坐り直し、朗々とべた。

「輝きは冬の天狼星にも比すべき契泰キタイの可汗、猛きは夏の神鳳にも較ぶべき可汗よ。此度は遠路を我が朝への挨拶、大儀であった。その労、称揚せらるべし。褒美をとらせるゆえ、なんなりと申すがよい。汝の求めるものは、富か、名か、美姫か美食か。大いに土産の品を積んで、く北方へと帰られよ」

 左隣の武官とは顧恵雲のことである。彼は正使の正気を疑った。草原の決戦に敗れ、風前の灯火たる甘州城を救う目途は立たず、周辺は掠奪されるがまま止めることもできない商であるのに、戦の勝者を前にしてまるで卑臣に対するが如き物言いである。中原を制する者は即ち九州の王であるとの名分に立てば、慥かにその姿勢もあながち間違いとは云い切れまい。だが名分は実ならず、敢えて云うならば虚構であって、辺境諸族がその虚構を欣然と呑みこんで初めて成立し得るのだ。

 とは云え顧恵雲に憤りも焦りもない。交渉が破れるなら破れるでよい。己の仕事はその先にある。顧恵雲の顔には皮肉な笑みのようなものが浮かんだ。それは微かな、感情を感じさせない笑みだ。

 ところが正使の言葉に血を逆流させていた右賢王は、武官の頬に泛んだ笑みを看過しなかった。

「斬れ。この驕慢な使者どもを斬れ。かほどに武の優劣を眼前にしても尚我らを蕃族と侮り、自ら驕って他の優れたるからは目を逸らす、商の腐臭放つこの使者を斬れ。斬って刻んで豚にくらわせよ」

 ほとんど叫ぶように言ったあと、傍らの大剣へ手を伸ばしさえするのを、左右の者が必死に制した。大可汗に動じる気配はない。

「なんなりと、か」大可汗は冷然と言った。「望みのものは、なんなりと差し出すと云うのだな」

「左様」

 応えながら、正使の顔はこころもち蒼くなっている。

「ならば望みを云おう。余が望みは、先ずはあれなる甘州城。次にこの地一帯のすべての稔り。そして冬営の便宜と、春が明ければ西方に転じる積りであるから、馬と糧食を提供されたい。如何か?」

 今度こそ、正使も副使も揃って顔色を蒼白にさせた。



※ 「中原ちゅうげん」とは黄河周辺に広がる平原で、中華文明の発祥地。転じて、「中原を制する」とは漢土の覇権を握ることを意味する。

※ 「九州」とは中国全域、いては全世界をも指す。


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