第9話 エストラーダ公爵家
鉾先鈴を鳴らしてみると、シャラシャラと高くて爽やかな音がする。
下から流れる絹のヒモは、緑、黄色、赤、白、紫。
使ったことがないわ、どのタイミングで鳴らしたら良いのかな。
「お嬢様、次は荷物を入れるリュックと、冒険に必要なものを購入しましょう。……何が必要か、私には分かりませんが」
うん、私も分からない。やっぱりタオルと着替え? 侍女のパロマと、首を捻る。
「薬類はあちらで用意してくれるんですよね? 食料もかな? 俺なら身を守れますし、一緒にダンジョンに入って、ランタンやシート、着替え類を運びますよ」
ここぞとばかりに、私の護衛騎士のアベルが申し出てくれる。ゲームと違ってお付きの人も同行するのね。そうだったわ、生活能力の無い貴族だけでダンジョンに入ったって、
確か数日はかかるはず。
「きっと暗いわよね、ランタンも必要ね。重い荷物を持ってもらえると、助かるわ」
「頼んだわよ、アベル。私はさすがについて行かれないから……」
「任せてください、パロマさん!」
笑顔で頷き合っている。あれ、なんか二人はちょっと良い雰囲気? そういうことなら応援しちゃうよ!
「私も同行するよう、司教様から仰せつかっております。荷物持ちも致します」
ピノも負けじと主張する。
「頼もしいですわ、ピノ様。メンバーの皆様は殿下のお命を一番にお守りするはずです、私のことはお二人にお任せしましたよ」
「「もちろんです!」」
ピノとアベルの声が揃った。身分の違う二人だけど、ピノは身分で人を判断したりしないし、仲良くやってくれている。
「では次は、リュックサックやシートを買いましょう」
馬車を降りる時などピノがエスコートしてくれるし、買いものの交渉なんかもしてくれる。頼りになるなあ。
私の視線に気付いて、ピノが振り向いた。白に近い金の髪と、私の目よりも濃い紅の瞳。優しそうな笑顔が、爽やか。
乾物屋も覗いて、どんなものが売っているのか確認しておく。食料は余分にあっても良いよね。
「準備するものが色々あるんですね」
「荷物が多くなりそうでしたら、騎士を荷物持ちに付けますよ」
「ありがとうございます、助かります」
もしかして殿下は、親衛隊とかを引き連れてくるのかな。立場的にあり得る。
けっこうな人数のダンジョン攻略になりそう。騎士達だけで良いような気もしてしまうが、選ばれたのは火山の女神の祭壇で祈りを捧げるメンバーなので、絶対行かねばならないのだ。
「お疲れじゃないですか、お嬢様」
気になったお店をあちこち覗いているうちに、時間が経っていた。夢中で気付かなかった、立ち止まったら足が痛いわ。
「飲みものが欲しいわね。どこか座れる場所があるかしら」
「この先に喫茶店がありますよ」
アベルが見つけてくれたのは、焦げ茶色のシックな外装に丸い看板が揺れる、オシャレで小さなお店だった。ガラス越しに覗く店内には、数人の客がいる。
「良い雰囲気ね、入りましょう」
おお~テンション上がる。今世ではこんな可愛いお店に入った記憶がない。
むしろ母親が亡くなってから、ほとんど外出させてもらえていない。出掛けても、目的地以外は馬車で通り過ぎただけ。
家を出てから自由に行動できるのが、楽しくて仕方ない。逃亡して大成功だわ。回復魔法の経典の全訳は、再版が発売されてまた即完売。この一冊だけで生活できそう。
「何食べようかな~」
私の向かい側には、ピノが座っている。パロマとアベルは隣のテーブルで、他の騎士は外で待つ。窓の向こうに、喫茶店を背に立つマントの後ろ姿が並んでいる。
「お好きなものをお選びください」
「ピノ様、騎士の方々は休憩されないんですか?」
「この店は外から内部が丸見えで、狙いやすいですから。買いものをしていらっしゃった時など、危険の少ない場面で交代で休んでいます」
珍しいオラクルナイツを、通行人がまじまじと眺めながら通り過ぎていく。
この状況では休みにくいわね。
「お嬢様は、あまり甘いものを食べさせて頂いていませんでしたよね。せっかくなので、周りは気にせずお召し上がりください」
「ありがとう、パロマ。パンケーキを頼もうかしら」
「お飲みものは紅茶でいいですか?」
「ええ、温かいので」
ふわふわあったかパンケーキ。考えただけでも美味しそう。
ピノが店員を呼んで全員分を注文してくれた。楽しみにしていると、立派な馬車が道で止まり、誰かが慌てて降りてくる。
「王都の神殿の、オラクルナイツの方々では? もしや、司教様がおいででは?」
「いえ、大事なお客様の警護です。司教様にご用事ですか?」
「エストラーダ公爵様の使いで、神殿へ向かう途中です。若様の高熱が続いているんです。薬を飲んでも効果がなく、神殿の方に至急、祈祷して頂きたく……」
騎士と従者の会話が聞こえてくる。かなり切迫している様子だ。
すぐにでも行ってあげたいが、効果があるとも限らないのに自分から売り出すのも怖い。治らなくても怒らないかなぁ。
それに大事なパンケーキが、まだ届いていないのだ。
パンケーキ、治療、パンケーキ、治療、パンケーキ……。
「イライア様、ご心配なようですね。大丈夫です、私が話を付けてきます」
「ピノ様」
ピノはそう言い残し、私の返事を待たずに出て行った。入れ替わりでパンケーキと紅茶が到着する。
食べねば。溶けかけたバターをパンケーキに塗り、メイプルシロップをかける。力を入れなくともナイフが通る。
ああ至福。この一時よ、永遠に。
四分の三ほど食べ終えたところで、ピノが戻ってきた。
「このまま神殿へ行って頂き、我々は先に公爵邸へ向かい、イライア様の魔法を
「あと少しです、一瞬で食べます!」
タイムリミットだ。私はパンケーキを口に放り込んだ。
「お食事なさる時間くらいはありますよ、ごゆっくり」
笑われてしまった。でも美味しい。
私はお皿とカップを空にして、気合い十分で馬車に乗り込んだ。公爵家の使用人が一人同乗しているので、馬車の中で事情の説明を受ける。
「八歳のご長男に、二日前から発熱がありました。専属の薬師に薬を処方させ、祈祷もして頂きましたが、昨日にはさらに熱が上がっています。体の節々も痛むようで、回復魔法を唱えても辛いと訴えられます」
急な発熱に、節々の痛み。前世でいうところの、インフルエンザかな。
「咳や喉の痛みはありますか?」
「はい。咳は酷くないのですが喉が痛いと苦しそうで、食事もあまりとられません」
数日で収まりそうな気もする。そうだ、高熱が続いたら脳に悪いんだっけ。回復魔法で熱って下がるのかな。
病を治す特別な魔法があるか、女神様に今度確認しよう。
公爵の屋敷はこの町の真ん中にあったので、話を聞いている間に到着。
敷地がどこまでだか分からないくらい広いよ。馬車を走らせても、正門までの壁が続く続く。門をくぐってからも馬車で移動し、奥にある大きな邸宅の前に馬車を止めた。
噴水、使用人の家、お抱え職人の工房や住居など、そんなものまで敷地の中に立っていた。庭は公園のようで、細い小川まで流れている。さすが国の南側で絶大な影響力を誇る、エストラーダ公爵家。
北の公爵家と合わせて、二大公爵家と呼ばれているわ。
「随分早かったな。それに馬車が違うようだが」
「当家の馬車は、神殿に向かっている最中です。途中で回復魔法の使い手の方にお会いして、来て頂きました」
「回復魔法?」
報告を受けた執事は、
「ご覧ください、神殿のオラクルナイツの方々が警護されるお方です」
「首都のオラクルナイツが、このエストラーダ公爵領まで? それは立派な方に違いない!」
私をエスコートするピノの姿を目にして、執事は失礼しましたと丁寧に挨拶をした。オラクルナイツの知名度と信頼感、すごいわ。
「まだ公表していませんが、こちらは回復魔法の経典の全訳をされたお方です。経典の後半は病に効果があると、判明しております。ただ、どの病に効果があるかはまだ検証中でして。神官の到着までは時間がかかるでしょう、回復魔法を試すのも無駄にはならないでしょう」
「すぐに公爵閣下にお伝えします!」
自身は公爵の元へ急ぎ、近くにいたメイドに命じて、私達を長男の部屋に案内させた。
私とパロマとアベル、それからピノの四人で二階にある患者の部屋へ移動する。
患者はベッドで
「回復魔法の使い手が来てくださった。椅子をご用意して、君達は少し離れていなさい」
「はい、しかし回復魔法で病は治らないのでは……?」
疑問を浮かべつつも、言われた通りに椅子を用意し、水の入った器を下げている。
「全文の翻訳をされた方だ。神殿騎士様のご推薦だ」
あんまり大風呂敷を広げないでくださいね、そんなに自信があるわけじゃないんです……!!!
メイドや執事に見守られつつ、回復魔法を唱える。経典と、買ったばかりの鉾先鈴を手に持ち。
「むーうーくーふ〜、おんりーいっさいてんどうむーそう。くうぎょうねはん、さんぜーしょうぶつ」
途中で鈴を鳴らしながら続ける。鈴の音が合っている気がしてくるから、不思議だわ。
唱え終わる頃には、男の子の顔の赤みが薄くなった気がする。
「体が楽になったよ……、おなかすいた……」
マトモに食事が取れなかった病人に般若心経を唱えると、みんなお腹が空いたって言うわね。病気を治すというより、治癒力を高める的な効果なのかな。
熱はあまり下がらなかったけど、寝ているのは飽きたとごねるくらいには、すぐに元気になった。
公爵夫妻は大喜び、後から到着した神殿の司教様からも大絶賛。
ふくく……、国の南側は私の支持基盤になりつつあるわ。期せずして公爵家に恩を売れたから、ここにいる限り実家の手は及ばないわよ!
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