第6話

中学生時代、道徳の授業というものがあった。

今になって思うと、これ程教員の身勝手に振り回される授業はないだろう。

宿題を提出しているかであったり、試験は何点であるかだったりと定量評価をする教育制度において、教員の考え一つで変わる道徳なんてものは授業にしてはいけないと思う。

そういう意味では国語の「この時の作者の気持ちを答えろ」なんて問題もどうかと思う。

結局は教員の望む答えを書かされるだけで、人生において何の役にも立たない。


さて、そんなある日の道徳の授業での出来事である。

その時の題材はクラスメイトの良いところを書こうというものであった。

そもそもこのお題も如何なものか。

クラスに三十人近くもいれば、嫌いなやつもいる。

そんなやつの何がいいところだ。

まあ、それは置いておいて。

クラスメイト一人一人に匿名で書いた紙を渡す方式であった。

書き終わり、自分に書かれた紙を渡された。

私は自分の紙を見て、やはり人間は好きになれないと思った。

書いてあったのはほぼ全て、私のいいところは頭がいいことだった。

これなら書かれない方がましである。

頭がいいなんてのは、たかがその中学校の中の話であり、所詮は私が勉強したという結果に過ぎない。

私が捻くれているのかもしれない。

だが当時の私はその意見を見て、これは私の良いところなのかと疑問に思った。

これは私を見ているのではなく、私が出した結果の話にしか思えなかった。

私の試験の結果が悪くなったり、他に頭がいい人がいたら、私のいいところはなにもないのかと落胆した。


こうして私は自分すらも嫌いになった。

いいところもなく、誰かに取って代わられる存在であるならば、いなくてもいいだろうと。

自分も他人も嫌いなのだ、生きることが嫌になるのは当然であろう。

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