第3話

小学生時代と言えば、もう一つ私の人格形成の要因となった出来事がある。


私は地元の少年サッカーチームに所属していた。

下手くそなりに楽しくやっていた。

しかし往々にして子供とは残酷なものである。

当然のように上手い人間が下手な人間を馬鹿にし始めるのだ。

まあ、その程度であればいい。

しかし、彼等は私に休みの日に練習することを要求してきた。

理解に苦しい。

何故たかが少年サッカーチームが一緒の人間に休みの日にまで口を出すのか。

もちろんサッカーに一生懸命な人間はそうすればいい。

しかし、私は特別思い入れがあるわけではない。

やりたい奴だけやっていろと思った。


それでも日本人の同調圧力とはすごいもので、しぶしぶ休みの日の練習に参加した。

するとどうなったであろうか。

彼等は私がいると練習にならないと罵倒し、除け者にしたのだ。

こんな理不尽があるだろうか。

練習しろと言っておいて、参加すれば練習の邪魔と言われるのだ。

私は次の日サッカーチームを辞めた。


何事においても出来ない人間というのはいる。

しかし出来ないということには必ず理由がある。

やっても出来ないのか、やらないから出来ないのか、出来ないことに本人がどう思っているかで周りの対応というのは変わるべきだと思う。


さてこれがどう余命三十年を受け入れたことに繋がるのか。

この経験から私はやっても出来ないこと、やりたくないことは諦めるようになった。

しかし、世間はそれを許してくれない。

それで迷惑がかかるならまだしも、私の問題であれば関わらないでほしい。

私はもう生きるのがやりたくないことになってしまったのだ。

だから、余命三十年を受け入れた。

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