第2話

さて、何故私が余命三十年を受け入れたかだが、まずは私の人生を語ろうと思う。


私の人生は特別喜劇的なものでも悲劇的なものでもない。

至って平凡である。

それでも語らずしてというのは無理な話である。


小学校時代、私はいじめられていた。

当時は辛かったような気もするが、今になってみると大したものではなかった。

イジメというよりは誂われている程度だ。

しかし、それが私をこういう考えに至らしめた要因の一つではあるだろう。


いじめの原因は、私が女子と遊んでいたからだ。

ある日突然、「お前昨日女子と遊んでいただろう」と言われ、結果男友達がいなくなった。

どこにでもよくある話だが、私はバイ菌扱いされるようになった。

さらには噂が誇張され、やれエロ本を読んでる、やれビデオ屋の十八禁コーナーにいるなど、馬鹿みたいな話が流布した。


このときの私の気持ちが分かるだろうか。

私は人間という生き物に絶望した。

根拠のない大衆の意見が流布し、当然のようにそれが悪と決めつけ叩いてくる。

インターネットがあろうとなかろうと人間のすることは変わらないのだ。


状況を変えたのは力だった。

いじめる側というのは、やり返されるという考えがないらしい。

柔道をやっていた知り合いに大外刈を教わり、それを一発食らわしたらいじめは終わった。

今だから思うが教室で素人が大外刈をやるのは危険極まりないから止めたほうがいいだろう。


そんなこと普通はできない、そもそも精神的に辛いという意見もあるだろう。

力で解決したのだって流れでしかなかった。

私が解決できたのは、次の事が大きな要因であると思う。

力で解決する前に、私は感情を抑えるようになった。

何をされても感情を表すことが無駄だと思い流していた。

その結果私は感情表現が下手になった。

今でも無表情、感情が死んでるなど言われる。

そしてこれが余命三十年を受け入れる一つの要因だ。

物事に対して自分の感情などなく、ああそうかと思って生きてきた。

だから、私は余命三十年を受け入れた。


これは余談だが、中学に進んだ後、私をいじめていた主犯がいじめの対象になったらしい。

ある日街で別のいじめていたやつに、そいつの家に花火打ちに行こうと誘われた。

どうにもその元主犯は引きこもりになったようだ。

私は心底くだらないと思った。

元主犯についてはそんな弱いならいじめなんてするなと、誘ってきたいじめっ子については私をいじめてた記憶はないのかと。

どちらにせよくだらない。

私にとってはその後どうなろうが、そいつらには期待も何もなく、関わる気もなかったからだ。

私は丁重にお断りした。

元主犯がその後どうなったのかは知らない。

なんせ興味がないのだから。

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