立つ年跡を濁さず
言京
第1話
人間三十にして立つ。
人間三十にもなれば自立して生きる的な意味であったと思う。
しかし私にとってこの言葉は、三十にして死ぬことであった。
私が三十で死にたいと思ったのは、非常にくだらないことがきっかけだ。
十四か十五のときにパソコンで余命診断というものがあった。
何の根拠もないサイトで、試しにやってみたところ、私は三十で死ぬとのことだった。
それを私は受け入れ、そして三十で死にたいと思うようになった。
そもそも、人間は三十年も生きれば十分ではないか。
生まれて最初の十年は親の庇護下で生き、次の十年は親と自分の考えの間で生き、最後の十年は自分のために生きる。
こんなことを言うと、親不孝者と言われるかもだが、別に最後の十年で親孝行すればいい。
逆に子供が可哀想という意見もあるだろう。
なら最後の十年で子供に自分の考えを伝えればいい。
そうすれば、子供は次の十年を親の言うことと自分の思いで生きるだろう。
それらも人によっては、自分が死ぬために必要なことなのだろう。
結局人間というのは如何に生きるかではなく、如何に死ぬかだと私は思う。
桜は散るから、花火は消えるから美しいように、人間も死ぬから美しいのだ。
人間は美しく死ぬために生きるのだ。
そしてそれは三十年もあれば十分だ。
むしろ三十年を超えてくると、無駄に生きている感じがするのではないだろうか。
三十年で人生を綺麗に終わらせる。
それはまさに、立つ鳥跡を濁さずだ。
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