🧴 ハイボール
眞木正博先生(秋田大学名誉教授)の訃報が旧友から入った。
「数日前の講演会でお会いしたばかりなのに……」と。
九十二歳(くじふに)の恩師が訃音に驟雨あり四十余年や一気にめぐる(医師脳)
眞木先生の弘前大学(助教授)時代――。
「産科DICの眞木」とも称された先生は、新米産科医にとって憧れの研究者だった。
我々が夜遅く病棟の仕事を終えて医局に戻ると、実験を終えて一杯機嫌の先生は気さくに語りかけてくださった。穏やかな(山形の)御国訛りを40年以上たった今でも思い出す。
先生のお気に入りは、レモンをたっぷり絞ったハイボールだ。
「こうすると二日酔いしない」というのが口癖。
そこで弟子たちは、先生がトイレに立つすきを狙って、サントリーオールドを継ぎ足す。
「濃いなぁ」
戻ってきた先生は、笑いながら話をつづけた。
結局、レモンの二日酔い防止効能は確認できずじまい。
恩師作の〈レモンたっぷり〉ハイボール弟子らはジュースと揶揄したるかな
ところで「ハイボール」の命名には諸説ある。
ボール信号説を紹介しよう。
開拓時代のアメリカ――。
鉄道には〈ボール信号〉が使用されていた。
ボールが上がっていれば進行(go)、上がっていなければ停止(don't go)を意味する。
駅員がウィスキーをなめながら、望遠鏡で隣の駅の信号を眺めていたところ……ボールが上がった。
「ハイボール!」と叫び、ソーダ水を入れて一気に飲み干した……とさ。
安全側故障:ハイボールに進行信号を対応させているため、故障により許可信号が出なくて発車できないことはあっても、大事故に繋がることはない。
つまり「許可信号の表示には、エネルギーの高い物理的状態を対応させる」というのが〈安全の原理〉だ。リスクマネジメントの立場からも理にかなっている。
恩師の思い出話は、ハイボールのあたりで脱線してしまった。
そこで改めて……恩師に献杯!
合掌
(盛岡タイムス『モリオカNОW』20190617)
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〈ウイスキーがお好きでしょ〉
ハイボールのテレビコマーシャルで流れる歌声。
「ウイスキーがお好きでしょ」
ハイボールを作る歴代の女優さんが皆、画面を見ている自分にも誘ってくるようで、ついついハイボールを飲んでみたくなる。
それも飛びっきり美味いヤツを!
ということでググったら、こんなものが見つかった。
「プロ直伝!
美味しいハイボールの作り方
――家飲みとの違いを!」
ちなみに、冒頭の「ウイスキーがお好きでしょ」は、石川さゆりの楽曲である。
(とは、知らなかった!)
作詞:田口俊、作曲:杉真理、編曲:斎藤毅。
1990年にSAYURI名義でCMソングとして発表されて話題となり、翌年にシングル盤が発売された。売り上げ的にはヒットせず隠れた名曲扱いであったが、2000年代後半に再びCMに起用されたことで様々なカバーバージョンが制作された。
――出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(ひとつ賢くなった!)
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〈旅立ちにも拘りし恩師〉
品川信良先生(弘大名誉教授)の訃報「1月死去」を受けた。
2020年7月20日の東奥日報――。
「葬儀は、品川さんの意向で親族のみで執り行われ、訃報は伏せられた」
いかにも品川先生らしい。
何事にも〈こだわり〉を持った恩師の御霊前に、不肖の弟子は一首ささげる。
品川教授九十六歳(くじふろく)にて旅立たる吾(わ)も古希すぎしと告げざるままに
昭和48年に、弘前大学産科婦人科学教室へ入局した頃、品川先生は既に大教授であられた。
雑誌からの原稿依頼もたくさんあり、私は「産科出血」領域の下請け原稿をまかされた。
品川流を意識して書くうち、何より印刷された時の体裁にも〈こだわり〉を持つようになった。当時の文章には、随分と息の長い品川流が目立つ。
同期入局が7人いたうちで「生命倫理」関連の論文を下請け担当したのが、亡き野村雪光君であった。
彼と二人(先輩の目を意識して)わざとらしく医局の食堂に並んで(ビールを飲みながら)文部省科学研究費の応募書類を書いた頃が懐かしい。
「よんはち(48年卒)は生意気だ」と先輩からは思われていたそうだ。(あとで聞いた話だが……)
コロナ禍で、甲子園の高校野球はない。
……が、今頃は品川先生と野村君のことだから(夜空の天の川ビアガーデンかどっかで)ビール片手によろしくやっていることだろう。
合掌
(東奥日報『明鏡』2020・08・03)
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〈カティサーク〉
品川教授と野村君の話から、昔の悪ふざけを思い出してしまった。
教授の出張をこれ幸いと、同期の(野村君ではなかったかも知れないが)誰かと、医局で一杯やっているうちに酒が切れた。
「確かこの辺に教授のウィスキーがあったはず……」と、その誰かが緑色のボトルを持ってきた。
「カティサークとは豪勢だねぇ」
「手を付けたばかりだから、少しくらい減っても分からないよな」
「うん、少しなら……」
結局は飲んでしまい(酔いに任せて)空のボトルには別の液体を注入した。
酔眼には、カティサークという帆船のラベルが貼られた緑色のボトルは正しくスコッチだ。
薄めた醤油を入れたことなど、酔っ払いたちの記憶からも消え去った。
その後、教授から誰かが叱られたという話は聞いていない。
……が、そのうち時期が来て(あの世でお目にかかることができれば)是非お詫びしたいとは思っている。
⛵
カティサークという船名の由来をググったら、これがまたなんと面白い。
カティサークとは、古いスコットランドの言葉で「短いシュミーズ」を意味し、ロバート・バーンズ (Robert Burns) 作の詩「タモシャンター」Tam o' Shanter からとられたものである。
農夫のタムが馬にのって家路を急いでいると、悪魔や魔法使いが集会をしているところに出くわした。そこでタムは、カティサークを身にまとった妖精ナニーに魅了され、思わず手を出そうとした。そのとたん、にわかに空が暗くなり、魔女たちがタムを捕まえようとした。タムは馬にまたがり、命からがら逃げ出した。ナニーは馬の尾をつかまえたものの、尾が抜けてしまったため、タムは逃げのびることができた。
「カティサーク」の船首像はナニーを模したもので、その手には馬の尾に見立てられたロープ・ヤーンの束が握りしめられている。
――出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(もひとつ賢くなった!)
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〈お家騒動〉
昭和の終わり頃、品川信良教授の後任選びに身内が乱立したあげく〈漁夫の利〉に終わる。
数か月後の医局会――。
秋田大学の眞木教授から推薦を受け、弘前大学に来たばかりの新任教授に発破をかけられた。
「旭川医大の教授選公募が届いたけど、誰か出てみないか!」
秋田大学助教授から弘前大学教授へ栄転したばかりで、自信満々を絵にかいたような口ぶりにカチンときた。
誰も手を上げない。
いわゆる「出来レース」で、しかもその「当て馬」募集だから当然だろう。
しかし誰も出馬しなければ弘前大学の名折れだ、と挑発に乗り応募書類を準備した。
推薦書を書いてくださったのは、第一内科の吉田豊教授(当時の医学部長)である。
三十年ほど前の黄ばんだコピーは、こう結ばれている。
「大学のグラウンドで現役部員と一緒にクロスカントリースキーの練習をしている姿を見るにつけ、ぜひ旭川行きが適えられればと願っております」――。
当時の旭川医大は、東日本医学生体育大会のスキー競技でダントツの〈一強〉だったのである。
応募書類一式を入れた宅急便には、著書も何冊か同封した。
『産科婦人科領域の輸血―その理論と実際―』など。
しばらくして想定通り、落選の通知が届いた。
そのなかには、図書返却の問い合わせもあったが、丁重にお断りした。
「お邪魔でなければ、そちらの図書館に残しておいていただけないでしょうか」
廃棄されていなければ、旭川に私の身代わりとして滞在している。……かも知れない。
昨今の医療界のニュースによると、旭川医大ではまだ学長をめぐる権力闘争の名残りが続いているようだ。そんな御家騒動を見るにつけ、何やら胸のあたりがうずく。
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〈酒無用!〉
三年以上も前になるが、岩手県の滝沢市で老健施設長を任されていたころ、夜間の看取りに備えて晩酌をやめた。
「飲んだら診るな! 診るなら飲むな!」である。
あれほど好きだった酒も、こんなきっかけでやめてしまった。
外食も面倒になった。
タバコ・フリーの店を探すのが面倒だから……。
そして今やコロナ禍である
「手料理が一番!」と妻への一首。
酒無用! 供物もいらぬ遺影には。汝(なれ)と食はんや生くる間にこそ
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