〈認知症の喜怒哀楽〉
私自身のことだ。
「話が回りくどい」とか……。
「会話量に比べて情報量が少ない」など、既に思い当たる項目もある。
だからといって、話す前に考え過ぎて言葉が出なくなるというのも心配だ。
こんなことを考えているうちに、コーヒーは冷めてしまった。
うれしきは毎朝いるる珈琲に「おいしいね」と言ひて妻が笑むとき
七十五歳になる爺医としては、少し先の自分の姿を思い描くのも悪くなかろう。
「感情は認知症が進んでも残る」と言われるが、むしろ強調されるように思う。
もっと気になるのは、己の行く末である。
「不機嫌なボケ老人」と嫌われぬように〈怒〉を避けて生きたいもの。願わくは日々の「たのしみ」を詠いながら……。
たのしみは温きふとんにくるまりて朝餉のかをりに目覚めたるとき
たのしみは朝おきいでて東奥日報に我がエッセイの載るを見るとき
たのしみは慌しくも朝食後にチョコレートつまみ珈琲飲むとき
たのしみは散歩がてらに本を買ひワンタン麵で昼にするとき
たのしみは「おかえりなさい」と迎へられ甘きものにてお茶を飲むとき
たのしみは黄金色なる金柑の甘く煮たるをかみしむるとき
江戸時代末期に、橘曙覧(たちばなのあけみ)という歌人がいた。千二百首あまりの和歌を詠んだが、そのなかの〈独楽吟〉と題された五十二首の連作すべてが「たのしみは……」で始まり「……するとき」と詠まれている。
1994年、当時の天皇皇后両陛下の訪米歓迎式典で、クリントン大統領はスピーチに「It is pleasure/ When, rising in the morning/ I go outside and/ Find that a flower has bloomed/ That was no there yesterday」と〈独楽吟〉から一首引用した。
「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」の英訳である。
こんなスピーチ原稿を書いた人のセンスには脱帽だ。
更に言わせてもらえれば、こんな素晴らしいスピーチライターを雇えたクリントン大統領は幸せ者だったと思う。
武漢(ウーハン)の火の粉は世界を飛び交ひて人類(ひと)の愚かさ嘲笑(あざわら)ふがに
習近平が「病毒」と呼ぶウイルスで中国を責めるトランプ政権
こんな短歌を詠んでから、既に3年あまり。
コロナ禍で〈塞ぎの虫〉がうずきだすが……。
「不機嫌なボケ老人」と嫌われぬように〈怒〉を避けて……。
愚痴言はず感謝の日々を経しのちは「ありがとう」と告げむ縦(たとへ)惚けても
感謝のむた心穏やかな老いの日の早く来たれと凡夫の吾は
「ありがとう」と笑顔でくりかへす妻に対(む)き小声でかへす「ありがとう」と
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