第13話 未来へ向かって走れ

 妙見寺の夏祭が終わった翌日、僕と玲子さんは裏山の洞穴に向かって歩いていた。

 昨日、銀色の長い髪の女性から買ったピンクのネックレスを見た僕の表情をみて、彼女は何かを思ったようだ。だから、今、彼女はずっと黙って僕の横を歩いている。


「ねえ。急に裏山に行こうって、もしかして、今日だったら未来に戻れるとかなの?」

「いや、全くわからない。だけど、なんだか今日かなみたいな…。ははっ」


 僕は力無く苦笑いする。正直、全く分からない。今日も結局はあの洞穴にたどり着かないかも知れない。そうなると僕はまた気絶するわけで、玲子さんに迷惑をかけてしまうかもしれない。そんなことを思いながら、僕は、あの日、裏山でコーヒーを入れようとした散策ルートを辿っていくことにしたのだ。


「はぁ、きつー。ここにはこんな道があったのね。知らなかったわ」

「僕がいた世界では、散策ルートが五つあるんだよね。土日なんか結構みんな散歩しているよ」

「でも、これってまるで獣道だもんね。ちゃんと方向とか分かってなかったら裏山なのに遭難しちゃいそうだよ」

「確かに!ははは」


 なんだろう本当に。この雰囲気…、とても懐かしいんだよな。

 やっぱり、玲子さんは、きっと…。


 二人で色々と話をしながら歩く山道はとても楽しくて、僕は時間を忘れてしまう。


「玲子さん、今何時?」

「えっと、今十時半かな」


 良かった。予定通りだ。あの日、僕は、午前十時に部屋を出てこの裏山に入った。その時間通りに散策ルートを歩いていればきっと何かが起きるはず。


「見てみて、和也君!あそこに小さな渓流があるよ。わー、知らなかった〜!」

「そうそう。ここには、沢ガニとかもいてね。だから、水も綺麗なんだと思うな」


 僕は、大きな石をひっくり返してみる。すると、小さな沢ガニが慌てて、隣の石の下に潜ろうとしている。あの日は沢ガニを見つけることが出来なかったよな。前回とシチュエーションが違ってきている。

 

 僕は本当に未来に帰れるのだろうか?


 玲子さんは、大きな石に座ると水の中にゆっくりと足を入れた。「冷たい〜!」そう声を上げたと思ったら、パシャンと足を蹴り出して大きな水しぶきを上げている。

 太陽の光を浴び、水面がキラキラと光っている。なんて綺麗な情景なんだろう…。僕は、いつまでも見ていたいとそう思っていた。


「じゃあ、ちょっと休憩しようよ。僕の炒れるコーヒーを飲んで欲しいんだ」


 僕は、水遊びをしている玲子さんに呼びかける。


「うん。楽しみ!」


 玲子さんは満面の笑みで僕を見つめた。




「へぇ、三十年後にはこんな便利なものが出来てるんだね」


僕は、ケースからカセットコンロのタフマルジュニアを取り出すと、ケトルに持って来た水を入れ火をかける。その間に、コーヒーミルに豆を入れるとゆっくりと丁寧に豆を挽く。

 僕は、あの日、買ったばかりの豆を袋毎持って来ていた。だから、今もこうして二人で飲むことが出来るという訳だ。


 ペーパーに挽いたコーヒー豆を入れると僕の周りにコーヒーの香りが漂う。


「凄い〜。良い香りね」

「でしょ?外で飲むコーヒーは格別だよ」

「楽しみ〜」


 ポットのお湯を少しずつペーパーに注いで行く。すると、こんもりと挽かれたコーヒー豆が膨らんでいった。そして、一分ほど蒸したら、同じように少しずつお湯を注いでいく…。

 二人分のコーヒーが入ったところで、僕のリュックから取り出したマグカップに入れると、「はいっ」と玲奈さんに渡した。


 玲奈さんは、紅茶よりもコーヒーが好きで、しかも砂糖とミルクは入れない派だった。だからこそ、この美味しさを感じてもらえるのではと思っていた。


 大事そうに一口飲む…。そのピンクの唇、そして、その耳の形に僕はドキドキせざるを得ない。


「美味しい…。凄く…。私、こんなに美味しいコーヒーを飲んだの初めてかもしれない。ありがとう。和也君」

「そう言ってもらえると嬉しいな。こっちこそ、本当にありがとう。お蔭で三十年前の世界でも素敵な時間を過ごすことが出来たと本当に思ってる。玲子さんのお蔭だよ。ありがとう」

「もう、いいってば…」


 そういうと彼女は僕に背を向けて人差し指で目元を拭う。そして、僕に背を向けたまま言葉を紡ぐ…。


「本当に、色々とあったわよね。私、和也君と初めて会った時のこと、今でも鮮明に覚えてるよ。だって、見ず知らずの男性が私の部屋のドアを開けてるんだもの。凄く驚いたんだよ」

「だ、だよね。正直、僕も御園ハイツがこんなに綺麗になってるのって何故?って思っていたんだけど、自分は夢を見ているんだみたいに言い聞かせているところもあってさ。でも、あの時、玲子さんが僕の話を最後まで聞いてくれたから…。だから今があるんだよ。だからさ…、本当にありがとう」


 彼女は、ふっと振り向くと、「ううん。私は凄く楽しかった。絶対に忘れないよ。和也君のこと…。だって、私、本当は…」


 その時だった、さっきまで快晴だった空が一気に灰色の雲に覆われ、ポツポツと小雨が降ってきたのだ。


「あっ、雨だ。急ごう!」


 僕達は、木製のテーブルの上に並べていたものを急いで片付ける。そして、あの洞穴の方へ向かって歩き出した。

 だが、雨脚は小さくなるどころか激しさを増していき、大粒の雨が僕らを打ち付ける。


「玲子さん、大丈夫?急ごう!」


 僕らは、無意識に手を取り合って走り出す。

 くっ。まるであの時と同じだ…。ということは、やっぱり、今日なのか!?


 走っている僕たちの前に、あの洞穴が見えてきた。

 いつもはあれだけ僕を行く手を邪魔してきた竹藪や草がしなったように倒れている。まるで、道はここだと示しているかのように…。


 もう少しで洞穴というところで、急に玲子さんのスピードが落ちた。


「頭が、頭が、、、痛い…」

「玲子さん!!大丈夫!?」

「いや、駄目みたい。私、目が、、霞んできて…、、、」

「玲子さんっ!!」

「和也君、行って!早く…、、私は大丈夫だから」

「行けるわけないだろう!!!」


 僕が玲子さんの両脇に手を入れて抱き起こそうとした時、彼女は、最後の力を振り絞り、叫んだ。


「駄目よっ!早く行って!!!和也君!!!!」


 僕は、ふらふらと洞穴に向かって歩く。そして、ゆっくりとその中に入った。

 すると、僕の身体を眩しい光が纏った。そして、小さな無数の針が身体全体を刺す感覚に陥っていく。僕は、帰る…。僕のいた世界へ…。


「玲子さん。ありがとう。絶対に忘れない。僕のリュックを宜しく…」


 僕の最後の言葉は玲子さんには届かなかったかもしれない。

 だが、大丈夫だ。意識が戻った玲子さんは、きっと僕のリュックを見つけるはずだ。

 倒れた玲子さんを抱き起こそうとした時、僕は、彼女の脇にリュックを置いてきたのだ。その中には、彼女に伝えたい事や僕が好きなコーヒー豆、ミルなどを入れている。


 どうか彼女が無事に御園ハイツまで戻れますように…。

 玲子さん、ありがとう。本当に…。





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