第8話 あの洞穴へ行こう

 久しぶりの外出だ。

 僕は念のために彼女に買って来てもらった帽子を奥深く被る。因みに、タイムトラベラーとなった僕が持っていた所持金は『0円』。

 まあ、あの時は、近場の散策のつもりだったし、もしもコンビニで何かを買うとしてもSuicaで買えばいいので、スマホ一台のみを持っていれば大丈夫と思っていた。だから、この世界に持ってきたのはスマホとコーヒーを淹れる際の道具だけという感じだ。

 なので、現在の生活費は彼女が全て支払ってくれている。本当に申し訳ないと思っている。だからこそ、早くなんとかしないと…という気持ちが強くなっていた。


 横断歩道で信号待ちをしていると、走っている車が僕の住む時代のデザインとは全く違うことに驚く。だが、これって、有りなのではと思う。ちょっと古く思えるデザインは、三十年後なら逆に目立つのかもしれない…。

 それに、信号がちょっと薄暗い緑色をしていると感じる。そうか、僕の時代ではLEDの信号になっているから、明るくて見やすい緑なんだよな…。

 やっぱり、全然違うな…。あっ、ここ、僕が行きつけのコンビニがある場所なのに、この時代では新聞配達所なんだ…。昔は、どの家も新聞をとっていたのだろうな。だが、僕らの時代は電子版に移行しているから、リアルに新聞をとっている家庭も少なくなって、ここもコンビニに変わったのかもしれない。


 交差点を左手に降って行くと、妙見寺の山門が見えてきた。


「あー、ここは何も変わらないんだな…」


 境内に入りたいが、今はむやみに動かない方がいいだろう。

 僕はぐっと我慢して、山門の左手から上へと続く階段を登り始めた。両脇にはピンクや白のコスモスが穏やかな風を受けゆらゆらと揺れている。


 どうやら季節は夏から秋へと変わっていっている。僕がいた時代とここの季節は偶然にも同じみたいだ。

 これから僕はどうなっていくのだろうか!?そんなことを考えていたら、あっという間に最後の階段を登り終えた。

 そして、心に押し寄せる不安を掻き消すように『ふぅー』と息を吐いた。

 

 さあ、あの洞穴がある場所に急ごう。力強く歩き出した僕だが、進む度に道は険しくなり、竹藪や背丈まである雑草で先が全く見えなくなった。

 何かが僕の行く手を邪魔しているのかもしれない…。


 両手でそれらを払いのけながら僕は突き進んで行く。


 「もう少しだったよな…」


 そう思った瞬間、僕は例の激しい頭痛に襲われた。


「ぐっー、あっ、あ————」


 あまりの痛さにこれ以上歩けなくなった僕は、その場に倒れ込んだ。

 意識が遠くなる中、僕は奏子かなでこのことを思いだす。


 会いたい…奏子かなでこ…。



◇◇◇



 漸く気が付いた僕は、ゆっくりと起き上がった。

 まだ頭がズキズキと痛む。しかも、今度は体中に小さな痛みを感じる。あの洞穴が見えてるのに、これ以上一歩も先には動けそうにない。まだ、時空の歪みは開いていないのかもしれない。もしも開いていれば、本来はここにいることが許されない僕は、引きつけられるように洞穴に行けるはずだ。

 僕は、踵を返すと元来た道を戻っていく。そして、美園ハイツ203号室に入ると死んだように眠った。


「ねえ、檜原ひのはら君?、檜原君ってば…」

「あっ、佐伯さん…」

「何かあったの?」

「う、うん。ごめん。実は、今日、タイプトラベラーをした現場へ行こうと裏山に行ったんだ。だけど、途中でまた例の頭痛が襲って来て、結局行くことが出来なかったんだ」

「あのねー、なんでそんなに無茶するの?駄目じゃない!」

「う、うん。ご、ごめん」

「じゃあ、約束して。出かける時は私も一緒よ。分かった!?」

「は、はい」


 かなり強めに言われた僕はしゅんとしてしまう。だが、そんな僕を見て、佐伯さんは極上の笑顔でこう言いうのだ。


「もう、一人じゃないでしょう?私もいるんだから…」


 この日は、佐伯さんがマーボー豆腐と担々麺を作ってくれた。正直、どちらも絶品だった。彼女、本当に料理が上手だ。そして、その料理は、何故か温かくて懐かし味だった。

 そう言えば、奏子かなでこは、もっと料理が上手くなりたいとか言ってたよな…。今どうしているんだろう?僕は笑顔の奏子を思い出し哀しい気分になっていく…。


 会いたい…。もう一度奏子に会いたい…。


 本当に戻れるのだろうか?それとも、この世界でずっと暮らすことも想定しておかねばならないのだろうか…。


檜原ひのはら君?あのね、檜原くんの苗字ってちょっと呼びにくいから、下の名前で呼んでもいいかな?」

「えっ、いいけど」

「じゃあ、私のことも下の名前でいいからね」


 何故かちょっと頬が火照る。


「和也君」

「玲子さん」


「「くっ—」」


 視線が重なった僕たちは、少しだけドギマギしている。

 でも、何故か温かい気分になったのは何故だろう?なんだかいいよなこういうのって…。異性の友達ってのはこんな感じなんだろうか?


「お代わりあるけどいる?」という玲子さんに、「勿論!大盛りで!」とこの世界に来てから一番の笑顔で、僕は茶碗を差し出した。




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