第4話 1992年って・・・

 ほんの少しだけ落ち着いた彼女は、「話を聞いてあげるから、終わったらすぐに帰ってよ」と言いつつも、僕をテーブルの椅子に座るように指示をした。


「お茶しかないけど。いいかな…」

「うん。ありがとう」


 そして、彼女はやかんでお湯を沸かすと急須にゆっくりとお湯を注いでいった。なんか、昔、おばあちゃんの家にあった様な薄い茶色の急須に僕は気を引かれる。


「えっと、じゃあ。まずは自己紹介を…。さっきも言ったけど、僕の名前は檜原和也ひのはらかずや。年齢は二十三歳。目白駅前にある京神大学の四年生。住所は、ここ美園ハイツの203号室…」


 その時、彼女が「違うでしょ」と言いかけたのを手で制し、僕は話を続ける。


「趣味は美味しいコーヒーを飲むこと。だから、カフェ巡りが日課で、そして、最近は小さなカセットコンロを持って山や海のキャンプエリアに行って、コーヒーを淹れて飲むのに嵌ってる。あっ、彼女はいるよ。とっても可愛くて良い子なんだ。だから、僕は変質者じゃないからね」

「あっ、そう。へぇー。彼女が可愛いって自慢なの?まっ、私には関係無いけど」


 興味なんてないわという気持ちと聞いてあげなきゃという気持ちが混在しているような返事をする彼女は、「あっ、もういいかな」というと、急須の蓋に左手を添え、マグカップにお茶を注ぐ。

 ん?この仕草というか雰囲気…、どこかで見たことがある気がするが…。うーん。どこだっけ!?思い出せない。


「はい。どうぞ」


 どうやら、彼女は僕のことを変質者ではないと認識してくれた様だが、まだ不安な点があるのだろうか!?時折、少しだけ開けているドアの方を見つめている。


「あの、次は君のことを教えてくれる」

「えー、あなたに私の事を話さないと駄目なの?」

「まあ、ここを自分の部屋とお互いが言ってるのだから、一応知っておきたいけど。まあ、嫌ならいいけどさ」

「はいはい。なら、言いますよ。私は、佐伯玲子さえきれいこ。看護学校の四年生。年齢は、あなたより一つ下。だから、今年二十二歳。そして、私にも彼氏みたいな人はいて…。仲は…、いい、の…かな?」


 何となく含みを感じる言い回し…。

 なぜだろう?彼女は今、きっと幸せではないのだろうと思ってしまった。


「で、ここにはいつから住んでる?」


 大事なことだ。僕がおかしいのか?彼女がおかしいのか?聞けばはっきりするはず!


「えっ!檜原ひのはら君、わかるでしょう?だって、ここ先月から入居開始になったばかりじゃない?何言ってんの?」


「はぁー!?」

「はぁ〜って…。ふふふ。おかしな人」


 いやいや、美園ハイツは築三十年で、すごく年季が入ってて、階段は錆びだらけ、それにドアの立て付けは酷い…。

 頭で整理していくとはっきりとわかってしまった。確かに、それは全て違っているのだ。彼女が言うように本当に新築とでもいうのか?

 

 んっ!もしかして、僕は…。

 まさか…。まさか!?タイムトラベルをしたとでもいうのか?

 

 だとすれば、話は通じる。

 雨に濡れたのに乾いている服、築三十年の美園ハイツが新築、携帯電話は初期の初期で、折りたたみガラケーなどよりももっと古いもの…。勿論、スマホはまだ存在していない。僕が知らないザ昭和のアイドルのポスターが貼られた壁…。


「ごめん。佐伯さん。今年は何年だっけ?」

「何言ってるの?1992年でしょ?ここの階段の下にも竣工日が掘ってあるプレートが飾ってあるでしょ?見た事ないの?」


 あー、やっぱりそうなのか…。


 やっぱり…、そうなんだ。僕は、裏山で雨宿りをした際、時空の歪みに落ちたらしい…。あの時、あの瞬間に、洞穴に立ったことで、何かのスイッチが入ってしまい、僕はこうして三十年前に飛ばされたということか…。


 だが、僕は不思議と冷静だった…。


 本来ならば、どうすれば元の世界に戻れるのかとジタバタしてしまうのだろう。だが、僕には分かった。今、僕が何をしてもこの状況は変わらないんだと…。何故かわからないが、それがはっきりと分かるんだ。



檜原ひのはらさん?檜原さん?」

 

 冷静だった筈なのに、どうやら僕は真っ青になって、身体全体が震えていたようだ。


「大丈夫?ですか?」


 漸く身体の震えが治まってきたかと思ったら、次は今まで体験したことのないような頭痛に見舞われた僕は、両手で頭を抱えると「ぐっ」と声を漏らし、その場に倒れ込んでしまう。


檜原ひのはらさんっ!檜原さんっー!!」


 彼女が僕の名を叫んだような気がした。

 だが、僕の意識は、そのまま深い闇に落ちて行くように霞んでいく…。


「和也!和也ー!」


 あー、懐かしい声だ。会いたい…。奏子かなでこ…。




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