第2話 ハイツ美園

 散策ルートの出口に向かって早足で歩く。靄は一向に無くならない。

 いや、さっきよりもっと靄が深くなってきているような気がする。

 最悪だ…、ついに雨が降り出した。しかも、雨粒が大きい。今日の天気予報では、降水確率0%で、一日洗濯日和だとお天気キャスターのお姉さんが言っていたのに…。


 走り出した僕に容赦なく雨粒が打ち付ける。こんな事なら折りたたみ傘をリュックに忍ばせておくべきだったと後悔する。だが、そんな思いを嘲笑うかのように、雨粒はさらに強くなっていった。


 しばらく走っていると右手前方に、土手をくりぬいたような形の洞穴が目に入った。

 僕は、溜まらずその穴に入り雨宿りをすることにした。ここは百七十センチの僕が立ったまま過ごせる位の比較的大きな穴のようだ。一体、誰が掘ったのだろう?もしくは、自然にできたものなのだろうか!?

 

 凄くきつい…。

 両手を膝にあてると「はぁはぁ」と息を吐いた。

 なんだか、身体の調子がおかしい…。そう思った瞬間、体中がピリピリと小さな針が刺さっているような感覚がうごめき始める。

 本当は、大声を出してしまうくらい痛いのに声が出ない。そして、何故か急に強い眠気が押し寄せて来た。

 波状攻撃のように襲ってくるその眠気は、僕の膝を濡れた地面に落とす。

 

 雨音がまるで子守歌のようだ…。

 そんなことを思いながら、僕は意識を無くしていった。


◇◇◇


 目が覚めると天気は快晴で青空だった。太陽がとても眩しい。

 あり得ない…、あの雨はなんだったんだ?あの靄は?

 僕は、なんとも不思議な気持ちで雨に濡れた服を触ってみた。


「えっ?濡れてない!?」


 素っ頓狂な声をだしてしまった。

 それくらい、驚いたのだ。あれだけの雨に打たれたのに、服が全く濡れていないなんてあり得ない。なんなんだこれは…。


 腕時計に目をやると十六時を指している。散策ルートに入ったのが十一時だからもう五時間も経っている。僕は急いで散策ルートの出口に向かって歩き出した。


奏子かなでことの待ち合わせに遅れそうだ。急がないと…」


 しかし、竹藪や草が行く手を邪魔する。整備が行き届いている道のはずなのに、一体なんだこれは!?

 僕は、両手で障害物を払いながら、もはや道とはいえないような散策ルートを必死で降りて行く。この時、僕が道を迷わなかったのは、目をつぶっても歩けるくらいここに通っていたからだろう。


 四苦八苦しながら少しずつ前に進んで行く。すると漸く、散策ルートの出口となる妙見寺が見えてきた。

 流石にここまで来ると、道はきちんと道として存在している。

 さっきまで、僕を包んでいた緊張感が一気に消えて行く…。


 妙見寺の長い階段を降り、右手に曲がるとなだらかな登り道が続く。あの電柱を左に曲がれば、美園ハイツだ。

 ちょっとだけ小走りになって急ぐ。なんでだが分からないが、凄く不安な気持ちで一杯になっていた。


 電柱を左に曲がった僕は、真正面に見える美園ハイツを見て足を止めた。

 何故だ!?えっ!?なに!?どうしたんだ、これは?


 そこには……


 新築の装いでキラキラと輝く美園ハイツがあった…。



 僕は完全に言葉をなくし立ち尽くす。

 改装したのか!?それとも外装の塗り替え予定ってあったっけ!?など、たった数時間では到底できない事を本気で考えてしまう。


 だが、確かにあれは美園ハイツだ。

 あの特徴的な階段の作り、そして郵便受けが雨ざらしなんて令和の時代ではあり得ない構造…。

 やっぱりここは僕が住む美園ハイツに違いない。でも、なんで!?なんでこんなに綺麗なのだろう……。


 とにかく部屋へ急ごうと階段に足をかけた瞬間、余りの違いに思考が停止してしまった。

 僕が知っている御園ハイツの階段は、雨が降り込む作りが故に全体が錆つき、至る所で塗装が剥げていたはずのに、今僕が登ろうとしている階段は、綺麗な緑色を纏い、傷なんて一つもなかった。


 恐る恐る僕は階段を上って行く…。

 美園ハイツは二階建てで、各階に四部屋というこじんまりしたハイツだ。僕の部屋は、二階の奥から二つ目にある。


 僕は、リュックから鍵を取り出すと鍵穴に差し込み右へ回す。


『カッチャ』


 いつもは『ガッチャン』みたいな大きな音がするのに今日はとてもスムーズだ。僕はゆっくりとドアノブを右に回すとドアを開けた。

 

「ん?音が鳴らない!?」

 

 最近、ドアを開ける度に『ギィー』と大きな音がするので、先日、大家さんになんとかして欲しいと依頼したばかりなのだが…。


 

 その時、僕の後ろで「ひっ」という声が聞こえた。

 振り返るとそこには、両手で口を押さえ、恐怖で一杯になった瞳で僕を見つめるとても綺麗な女性が佇んでいた。




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