何から何まで最高です

(あなたが風邪をひいてから、しばらく経った)

(風邪は治ったものの、気まずさから、彼女の家には行っていない。彼女からも連絡はない)


* * *


(夜、うすい壁を通して、料理しているらしき音が聞こえると、唾が湧いてくる)

(あなたは苦い気持ちとともに、それを飲み下す)

(時折、携帯の着信らしき振動も伝わってくる)

(海で知り合ったという男は、まだ連絡をよこしているのだろうか?)

(でも、あなたには関係ないことだ……)


* * *


 ──ガチャン、バタン、

 ──と、隣室のドアの開け閉め音。


(いつになく乱暴な物音に、レポート課題をしていたあなたは顔を上げる)


 ──大柄な人間が移動する足音。

 ──男性のものらしき声。何を言っているかまではわからない。


(例の男がやってきたらしい。あなたはレポートに戻る)

(しかしまったく集中できず、意識は隣室の物音に引っぱられる)


 ──台所の戸棚を開け閉めする音。

 ──男と、彼女の声。


(きっと彼女の手料理をふるまうのだろう。男性の声は野太く、横柄に感じるが、それはきっとあなたが抱えるもやつきのせいだ)


 ──ふいに、会話の調子が変わる。

 ──いつになくはげしい彼女の声。


(あなたは再び顔を上げる)


 ──男の声も大きくなる。言い争いをしている様子。

 ──ガチャン、と何かの割れる音。

 ──怒鳴り声。


(あなたはついに居ても立ってもいられなくなり、部屋の外に飛び出す)

(同時に、隣室から男が出てくる)

(男は、あなたに気づきもせずに乱暴な足音を立てて去っていく)


「あ……」


(そして、様子をうかがうように顔を出した彼女と、目が合う)


「あ、えと……ひさしぶり」


「ごめんね、うるさくして。でも、あの人も、もう来ないと思うから」


 ──沈黙。


(何があったのか。気になるが、あなたは会話を継げずにいる)

(そんなあなたに、彼女はおずおずと切り出す)


「あの、さ。よかったら、あがっていって。少し、話したいことがあるから」


* * *


(久しぶりの、彼女の部屋)

(ちゃぶ台には夕食がセッティングされている。メニューは、いつかも食べた肉じゃがだ)

(その肉じゃがの器のひとつが、畳に落ちて割れている)

(彼女は、それを片づけながら話しはじめる。あなたも手伝いながら聞く)


「あの人には、何か乱暴なことされたとかじゃないよ。これは、自分で投げちゃったんだ」


「歯に衣着せない人だったというか……もう会うこともないんだから、正直に言っちゃっていっか? あのね、すんごい嫌な感じの人だったの」


「ほんとに、数限りなくイラっとすること、言われたんだけど。覚えてるだけでも『二十五歳にしてはかわいいじゃんw』とか、『事務職w 地味w』とか。しかも最後に絶対草が生えてるんだよ」


(あなたも聞いているだけでイライラしてくる)


「そのくせ家に来たいってあんまりしつこいから、つい一回呼べばもう来なくなるかなって思っちゃって。でもメニュー見た途端に『肉じゃがw 田舎のおかあさんじゃんw』て言われて、つい我慢ができなくなっちゃったんだ」


「わは、そうね、災難だったね。でも、自分のせいかも、とも思うんだよね」


「ほら。この間、君に指摘されたけど、あたし、自分のことすごくけなしてたから。二十五歳なんておばさんとか、事務職なんてたいしたことない仕事だとか……あたしが自分でそういうふうに言ってたから、あの人も、こういうイジり方して大丈夫だと思っちゃったんじゃないかな」


「イラっとはしたけど、あたしにも原因があるのかもしれない、って」


「だから、ね。これからは、自虐もほどほどにしよう、って、そう思ったんだ」


(あなたは、頷いてみせる)

(彼女が自分のことを卑下しなくなるのであれば、こんなうれしいことはない)

(喜ばしいと感じる一方で、あなたは静かに無力感を覚えてもいる)

(よかれと思って彼女のことを褒めちぎってきたけれど、結局それは届かなかった)

(あなたのふるまいとは関係なく、彼女は自分で変わろうとしているのだった)


「あの、ありがと、ね」


(あなたは意味をはかりかね、顔を上げる)


「肉じゃがに草生やされたときに、君のこと思い出したんだ。細かいとこまで覚えていなくて申し訳ないんだけど──」


 ──ふふっ、と笑い声。


「肉じゃがをさ、すんごいいっぱい言い方を変えながら、褒めてくれたよね。それ思い出したら、大げさかもだけど、こんな侮辱を受け入れたらいけないなって思えてきて……でも今考えると、投げたのはやりすぎだったかな。もったいないし」


「役に立たなかった? ううん。むしろ、ね。君が今までたっくさん言葉をくれたから、あたしは、このままじゃだめだなって思えたんだよ」


「だから、ありがと」


(あなたはこみあげる感情をこらえようと、唇をかみしめる)

(それからまず、おばさんなんてとんでもない、とてつもなくかわいらしい人なのだと、これまで使った語彙を総動員して語り尽す)


「そんなこと……あ、じゃなかった……うん、そっか、あ、ありがと」


(彼女は他にも何か言いかけたが、こらえてきゅっと口を結ぶ)

(あなたは次に、料理がおいしいこと、ただおいしいだけではなく一緒に囲む食卓があたたかくて楽しいことを、こぶしをふるって力説する)


「そっか。えと、うん、これからもごはん食べにきて?」


(彼女はまたきゅっと口を結ぶ。頬が赤くなり、ぷるぷると震えている)

(最後にあなたは、彼女の気立てのよさや心遣いについて、風邪のとき看病してもらったことへの感謝を込めながら、切々と語る)


「うわーっ!?」


(彼女は突然ばったりと倒れ伏す)

(その上、畳の上でごろごろともだえはじめる)


「誉め言葉をちゃんと受け止めるってすっごい恥ずかしいよ!?」


(あなたはうれしさで、つい笑ってしまう)

(ひとしきりごろごろした彼女は、むくり、と起き上がって、乱れた髪をなでつける)


「あのね。君に伝えたかったのって、お礼だけじゃなくて、もういっこ大事なことがあるんだけど、聞いてくれる?」


(彼女が正座をして改まるので、あなたもつられて姿勢を正す)


「こんなあたし……じゃなくて。ええと、あたしなんか……あー、でもなく。うう、完全に癖になってる……」


「ええと、ね。あたしはずっと、自分に自信がなくて。だから、こういうことを言う資格もないんじゃないかって、ずっと黙ってたんだけど……」


「君がね、そばでいろいろ、褒めてくれて……それで今回のことがあって……自分に言い訳しないで、勇気を出さなきゃって思ったんだ」


(彼女はすーはーと息を整える)

(それから、意を決した、といわんばかりに、)


「あの、あたしと、おつきあいしてもらえませんかっ?」

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隣に住んでるめっちゃかわいいおねーさんがネガすぎるので褒め殺そうとするのに相手にしてもらえません 乱数 カナ(らんすう・かな) @kanalance

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