第六章別れ 一節


田口と正木が局長に呼ばれ、二人の自殺した仔細を問われていた。

「田口君、どういうことかね。君の直属ではないが部下だぞ。自殺するなんて、何故、そうなる前に止められなかったんだ。これは君の部だけの問題ではない。全社員しいては他局からも、原因の究明を固唾を呑んで窺っている」

「は、はい。私としても、常日ごろ指導していたのですが、最近の気象予測が度々彼らの単純ミスにより外れることが多くなり、特に注意を促しておりましたが、そこまで切羽詰っているとは思いませんで…」

歯切れの悪い釈明をし、さらに、「もっと早く、このことに気がつきさえすれば、こんなことにならずにすんだものを、尽く残念でなりません。それに、直属の上司である課長が、その辺を見抜けなかったことに、私の指導が不足していたものと恥じておりまして…」と正木に転嫁した。

すると、局長が正木を睨む。

「どうなんだ、正木君。君の統率力が不足していたからではないのか。最近、君はどうもおかしい。部長に反発ばかりしていると聞く。そんな身勝手なことをしているから、部下が迷いこんなことになるんだ!」

怒鳴り散らすほど強い口調で叱責した。それを横で、田口が尤もらしい顔で頷き告げる。

「局長、申し訳ございません。私の指導力が足りず、誠に恥じ入るばかりでございます」

己のミスの如く謝った。

「いいや、部長。そこまで自分を責めんで宜しい。正木君も管理者の端くれだ。己の責任というものがあろう。なあ、課長!」

野尻が正木を叱咤する横で巧妙に正木のせいにすることで、思惑通り局長の疑念を己から逸らせたことに腹の中でほくそえんでいた。

正木は、言われるままに悔い視線を落とした。

確かに、局長の言われる通りだ。己のことにかまけ、部下を放っておいた。いや、目一杯でどうにもならなかった。これでは管理者として失格だ。言い訳などできない。でも、田口に愛する夏美が操を奪われ、彼女がどれだけ苦しんでいるか。部長のせいだとわかっていても確証が掴めず、いまだ仇を取れないでにいるんだ。それに二人が自殺した原因すら、局長はわかっていない。いっそのこと、二人からの手紙を見せようか…。

胸の内で叫び、反論したかったが堪えた。さらに夏美のこと、それはあくまで私的なことであり、今戒められているのは部下に対する責任である。

「申し訳ございません。私の不行届きで会社に多大なる迷惑をおかけすることになり、さらに局長に対しましても、ご迷惑をおかけしましたこと深く反省しております」

只々、正木は詫びるしかなかった。ところがである。沈痛な面持ちでいる時に、突然田口が怒鳴る。

「馬鹿者、なんだその謝り方は。お前の無責任でだぞ。そんな言い訳で、可愛いい部下を殺したのか。なにが不行届きだ、もっと反省しろ。格なる上は責任を取れ!」

「は、はい。申し訳ございません!」

さらに頭を下げた。すると、野尻が制止する。

「田口君、そこまで言うこともあるまい。確かに注意が足りず死に至らしめたことは事実だが、果たして気象予測のミスだけではないような気もするが…」

告げられた途端、田口は「ぎくっ」とし背筋に冷たいものが走るが、次の野尻の言葉で安堵する。

「まあ、最近の若い者は、そんな仕事のことだけで落ち込む奴は少ないぞ。ただ、精神的に脆いのも多いからな。そう思わんか、田口君」

「は、はい。局長のおっしゃる通りでございます…」

背中の冷たいものが消えた。田口は二人を追い詰めた原因が、己の性欲と謀略であることを悟られず、胸を撫ぜ下ろしていた。それもそうである。

正木に責任をお被せ、仕事上のミスのせいにしことを収めようとしているところを、局長から疑問を投げられてはまずい。それこそ詳しく調べられたら、悪行がばれるかも知れん。そんなことになれば、今まで仕掛けた策略が台無しになり、わしに責任が及ぶではないか…。

すると、直ぐさま悪知恵を働かせ嘯く。

「局、局長。彼らは仕事のことで随分悩んでおりました。先ほど、局長がお仰られました通り、最近正木君が責任を放棄することが多く、スムーズに予測が運ばなくなっていましたからな。結局、毎回最終チェック会議でなんとか私が取り纏めていたのが実情でして。それが彼らには、居た堪れなかったのではないかと思われるのですが」

「そうか、そんなことがあったのか。二人が自殺したのも、やはり仕事が原因だったのかも知れんな」

局長のその言葉に、田口はさらに安堵の色を隠せなかった。そして、駄目押しする。

正木に告げたのだ。

「いいか、正木。お前を無期限の自宅謹慎とする。この件がほとぼりの冷めるまで出社には及ばぬ。いいな、今からだ!」

この慇懃な言葉を、遠くで聞いていた。

なんという仕打ちだ。この期に及んで、すべて俺に擦り付けるとは…。

辛かった。耐え難かった。

こんな状況に至ったのも、すべて田口が仕組んでいるのはわかっているが、確たる証拠を掴めず反撃できぬまま悔しさが全身を激しく駆け巡ぐり、まんじりともせず俯いたままでいた。

野尻は、田口の独善を止めることなく頷き、ひと言告げる。

「田口君、後のことは頼むぞ」

「は、はい。かしこまりました」

田口がほくそ笑み頭を下げた。そして局長室から出たあと、正木に命じる。

「正木、思い知ったか。さっさと帰れ。自宅謹慎は局長が認める業務命令だ!いいか、わしの言うことは絶対だから、よもや逆らおうなんて考えるな。おいわかったな。わははは…!」

大声で笑い飛ばし、頭を下げる正木を残し自室へ戻っていった。

正木は悔し涙が頬を伝わるが拭うこともせず、俯き拳を震わせていた。屈辱のなにものでもない。田口のなすがままに、抵抗出来ずにいる己が情けなかった。

俺がなにをしたというんだ。吉田や森下君は田口の毒牙にかかり、無念のうちにこの世を去った。彼らにしてみれば、それが最大の抵抗だったに違いない。だが、己をみればどんな抵抗を試みたと言う。なにもしていないじゃないか。最愛なる夏美が陥れられているというのに、ただ呆然と奴の軍門に下っているだけで、なんと意気地のないことか…。

己を責めた。悔しさが無念さに変わる大粒の涙が溢れ出た。会議室を出て歩き始めるが、悔しさのあまり握り締める拳が緩むのと同時に、小刻みに震える足が止まりがっくりと肩を落とした。



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