第二章出逢い 一節


気象予報の仕事は毎日が勝負であり、膨大な資料との格闘が日夜続くのである。時には、土曜や日曜も出勤する。就業規則では休日だが、現実はそうもいかない。結局、一週間の総括や翌週の段取りがあるからだ。

テレビを通じての報道は、多大な時間を要する。たった三分のニュースでも、事前打ち合わせ、資料収集、下調べ、シナリオ作成等と時間がかかる。そして最終打ち合わせ後、リハーサルを行い本番へと臨む。報道時間が長ければ、その内容の点検打ち合わせと、さらに多くの時間を要する。

正木の担当する業務とて同じだ。他の報道は事実に基づくものだが、気象情報はそうではない。事実は結果であって、おおよそ過去のものとなる。ここに他報道と違いがあり、気象予報の一番の関心事はこれからどうなるかで皆がそれを期待する。

どうであったかの事実より、今後どうなるかの報道であり当たれば納得する。従って、気象予報課としての業務は、これからの気象変化の予測であり当日の推移及び一週間の推測となる。さらに見聞く者によって、エリアごとに異なる。

また、事実報道はエリアを選ばないが、気象情報で当事者が必要とするのは、職種や自身の行動エリアでの情報であって、他人が望む情報ではない。それに特徴としては、自然現象の変化を予測することである。事実報道の事件や事故、渋滞等の時事報道と異なるところである。ここに気象報道の難しさがあるし、予報が当たれば納得するが外れた時の反動が大きい。それ故、より正確に予測しなければならず、費やす時間が膨大になる。

何事にも予測には当たり外れがあるのは、気象予報だけではない。例えは悪いが、賭け事の競馬、競輪などのギャンブルから娯楽嗜好のパチンコ類、さらに株式投資なども予測であり、これらも過去の統計や現況など、様々な角度から分析しことにあたる。これが当たれば歓ぶが、外れた時の反動は不満度が倍化する。予測するものは違うが、気象予測とて状況は同じであり、基本的には喜怒哀楽が付き纏う。

正木は、時に自問自答する。

どうして、こんな職業に就いたんだろうか。しかし、気象予測が当たれば歓ばれるが、当然視されることがほとんどだ。しかし、外れた時のクレームはじつに多い。

だからといって、「自然現象であり、あくまで予測だから百パーセント信用することなく、外れる時もあるので心得ておいて欲しい」などと、事前承諾は貰えない。

そう言えば、この前の季節外れの台風二発はクレームの嵐だった。被害地にしてみれば現実問題に直面する。深刻な災害となれば当然である。ただ予測する側にも言い分がある。台風の発生から日を追ってどう動くか。進路、降雨風速予測と、受けるであろう被害予測まで詳しく報道し注意を喚起しているが、現実は受ける人様々だ。結果的に多くの被害爪跡を残し、日本列島を縦断していった。自然現象の猛威をまざまざと示したことになる。

それにしても、気象予報を報道し外れれば文句を言われ、台風のように当たるとこれまた大騒ぎになる。これこそ、踏んだり蹴ったりだ。でも、こんな嘆きを吐いたところで始まらない。

結局、ストレスを溜め精神的なダメージを蓄積し、それでもめげずに日々、早朝から深夜まで気象の予測に追われていた。

そんな中、正木は唯一の気分転換として心に潤いをもたらすのが、たまに会う夏美とのデートである。彼女といる時は、仕事のことを忘れた。というより、頭から消そうと努めた。夏美とて、正木といる時は極力話題を他に向ける。毎日会えるわけではないデートで、正木が元気そうに振る舞うが顔の端はしに疲れが見え隠れしていたからである。

一方、正木にしてみれば、意識的に楽しそうに振舞った。もちろん、実際に一緒にいると、この上なく楽しいし元気になれた。彼女のすべてを愛していることから言えば当然である。

正木の毎日の仕事には切がなく、終わりというものがない。時間に追われるが、逆に管理することも出来る。ただ、机上だけの話であるが、そう思わなければとてもやっていられない。ともかく毎日が忙しいが、気の張り詰めた状態を四六時中続けられるわけではないが、今日ばかりは会おうと決めて仕事に向かった。

それには訳がある。どうしても夏美に会いたかったからだ。それで昼頃には、課のやるべき仕事を決め、それから逆算して夜の八時頃に会えるよう彼女のスマートホンにメールを入れておいた。

「今夜八時に仕事が終わる。どうしても会いたから、都合つけてくれないか。返事が欲しい」

直ぐに返事が戻る。メールではなく、直接電話をしてきた。着信ボタンを押し耳にあてると、夏美の弾んだ声が飛び込んでくる。

「裕太さん、私です。どこで待ち合わせるの」

「そうだな、何時ものハチ公前でいいかい?」

「そうね、あそこなら直ぐにわかるから。早く会いたいな」

「俺だって」

「…」

「どうしたんだい。黙ってさ」

「ううん、なんでもない。嬉しくて…」

微かな嗚咽が耳に響いてきた。

「なんで、泣いたりするんだ」

「だって、嬉しいんだもの。今日会えるなんて嬉しくて、だから涙が出て…」

「馬鹿だな、泣く奴があるか。君の嗚咽を聞いていると、俺まで涙が出るじゃないか」

胸が詰まっていた。互いにスマートホンを耳にあて、喜びの吐息を感じ合っていた。正木が優しく尋ねる。

「夏美、俺のこと好きか?」

「…」

「どうして黙っているんだ。嫌いなのか?」

「いいえ、そんなことないわ。あなたのことが好きよ。だから…」

涙声になっていた。正木の胸が、ジンとしてきゅんとなった。

「夏美…」

「それじゃ、裕太さんは私のことどう思っているの。好きなの、嫌いなの?」

「俺か、俺は君のこと。そうだな、嫌いだな」

「ええっ、私のこと嫌いなの。そんなの嫌よ、嫌いだなんて」

急に泣き出した。正木が驚く。ほんの冗談のつもりが慌てた。

「冗談だよ。嫌いだなんて、それは嘘だ。そんなわけないだろ」

「なによ、私を嫌いなんでしょ。ああ、あなたに嫌われるなんて。もう、生きていけない」

「なんてこと言うんだ。嫌いだなんて嘘だから。本当は大好きだ。だから、そんなこと言うなよ」

「嘘よ、私のこと嫌いなんでしょ。もう駄目ね。電話も続けられないし、今日も会えないわね」

波打つ嗚咽が、正木の耳を突いていた。

「悪かった。許してくれ。嫌いだなんて、俺が悪かった。だから今夜会えないなんて言わないでくれ」

「…」

「な、な、頼む。会ってくれ」

必死に懇願した。すると、夏美が頃合いを見て、けろっとした声で返す。

「裕太さん、本当に私のこと愛している?」

「ああ、本当だ。神に誓ってもいい」

「それじゃ、どれだけか愛しているか教えてよ」

「ええっ、どれだけと言われても…」

「言えないの?」

「いいや、そんなことない」

「それじゃ言ってよ」

「そうだな、すごく愛している」

「あら、それだけじゃわからないわ」

「ううん、一杯愛している」

「まあ、一杯って、どれくらいなのか言って」

甘え声になっていた。

「ねえ、裕太。どれくらいか教えて…」

「ああ、すごくいっぱい愛しているよ」

「駄目、そんなんじゃ嫌よ。どれくらいか教えて欲しいの」

「そうだな、君を抱き締めて息が止まるくらいかな。それで、君の唇が腫れるくらいキスするんだ」

「まあ、そんなこと言って。裕太さんの馬鹿…」

「なにを言う。それくらい君を愛している。だから、直ぐにでも抱きたい」

「まあ、裕太さんったら…」

「夏美、だから今夜会ってくれるね。嫌だなんて言わないだろ」

「うん、それじゃハチ公前で待っている。裕太、愛してるわ」

「俺だって、君が好きだ」

「あら、私だって。裕太のことが好きよ。あなたになんか負けないわ」

「言ったな。それなら勝負だ!」

「あら、勝負ってなによ。ああ、いけないんだ。裕太ったら、エッチなこと考えているでしょ」

「あれ、なにか勘違いしてないか。そんなこと考えていないぜ」

「なによ、勝負だって言ったでしょ」

「ああ言ったが。食事の後にボーリングでもしようかと思っただけだ」

「ええ、ボーリング。そうだったの」

「あれ、夏美。あっちの方を望んでいたわけか?」

「あら、嫌だ。あなただって同じだと思ったから。裕太の意地悪…」

正木の耳に上気する息遣いが伝わってきた。スマートホンを握り締める。

「夏美、愛しているよ」

「私だって愛しているわ」

二人の言葉が、合意の証だった。

「それじゃ、八時に会おう」

「ええ」

電話を切った。話し終えると、悦びが湧いてきた。この約束が正木にとって、張り詰める気持ちを和ませた。

「今晩、会えるんだ」

高ぶる気持ちが仕事に張り合いをもたらす。このような時ほど効率が良く、予測も夕方五時近くにはほぼ出来上がっていた。あとはいつものように事前打ち合わせを行い、部長の裁定が下りれば仕事も終わる。時間の経過とともに、彼女への想いが募るのだった。

そんな気持ちの動きは動作に現われる。アシスタントの横山えりかにからかわれる。

「課長、今日はなにかいいことでもあるんですか。もしかしてデートですか。いつもの課長と違いますよ」

「いいや、なんでもない。何時もと変わらんよ。デートだなんて、彼女なんかいるものか。いるんだったら、毎日遅くまで仕事やるかよ」

「あら、そうですか。なんだか日頃仏頂面した課長と違うんですよね」

「そうか、それならえりか君。今晩デートしてくれないか。たまには若い女の子を抱きたいよ」

顔を崩し冗談を言った。すると、えりかが驚き反論する。

「あら、何を言っているんですか。そんなこと他の人に聞かれたら、恥ずかしいじゃないですか。まったく、課長ったらエッチなんだから」

恥らい横を向いた。すると、吉田が口を挟む。

「そうですよね、横山君の言う通りだ。いつもの正木課長とは、明らかに違いますね。どうも、彼女をしっぽりさせる約束でもしているような、そんな秘め事を待ちわびる顔ですな」

そう言いつつ話を振った。

「森下さん、そう思わないか?」

「そうね、言われてみれば違うわね」

吉田の振りが刺激となり、前夜の情事を思い出すのか顔を赤らめ見られまいと俯いた。その仕草に正木が茶化す。

「森下君、顔を赤らめてどうしたんだい。なにかいいことでもあったのかな?」

「いいえ、そんなことありません!」

言い当てられ慌てた。

「怪しいな、その慌て振り。察するところ恋の終着駅かい」

「なにもありません。課長ったら、茶化すのは止めて下さい!」

さらに顔を赤らめた。

「そうだったんですか、羨ましいわ。私なんかいつまで経っても、一人ぼっちですもの。誰か私のことぎゅうっと抱き締めてくれる人いないかな」

横山が胸を両手で交差し押さえると、「ひょっとして、えりか君。彼氏いないの、それは寂しいね。それなら今晩、付き合ってやろうか?」と吉田がにたつき誘う。

「ええっ、本当ですか。デートなんて嬉しいな。あっ、でも本当にいいんですか?」

躊躇ってか森下を伺うと、「あら、それはどうかしら?」森下が吉田を睨みつける。すると、彼が慌て撤回した。

「嘘っ、嘘だよ。今のはほんの冗談だから。俺、今日は忙しいし深夜まで仕事やらなきゃならない。君と付き合っている暇はないな」

「あら、そうなんですか。私の方は遅くても構いませんが。だって、どうしてもデートしたいんだもの」

それでも望むと、森下が口を挟む。

「あら駄目よね、吉田君。私たち今日は仕事が立て込んでいるし、横山さんをかまってやる暇はないわよね」

「そうだ、俺たち忙しいんだ。横山君みたいなひよっこ相手にしている場合じゃないんだ。ああ忙しい」

森下の当てつけに乗り、はぐらかした。すると、正木が匂いを嗅ぐ振りをする。

「どうも、二人は尋常な関係ではなさそうな匂いがするぞ」

すると、慌てて吉田が否定する。

「課長、冗談は止めて下さい。俺たち関係ないんですから!」

「そうですよ、吉田君となんか垢の他人です!」

森下が顔を赤らめた。

「そうだったんですか。でも、羨ましい」

えりかが表情を曇らせ、ぼそっと漏らす。

「それじゃ仕方ないから、今夜課長とデートしようかな」

「おいおい、横山君。いくらなんでも、それはないだろ。それじゃ、単なる鞘当てじゃないか」

「ええ、そういうことになりますね」

えりかが舌を出した。

「まったく、俺も落ちぶれたもんだ。若い娘にからかわれるんだものな。くそっ、年はとりたくねえ。昔はもてたもんだがな。ああ、なんだかがっくりした。やはり疲れが溜まっているみたいだ。今日のところは早々に切り上げ、帰って酒でも飲んで寝るか」

「そうです、課長。早いとこ予測を片づけちゃいましょうよ。俺もこれから長丁場の仕事が待っているんですから」

森下を窺いつつ終息を急いだ。むろん、彼女とて異論はない。

「そうしましょ。吉田君の言う通りです。今夜は体力勝負になりそうですので、段取りよく打ち合わせの方も進めて行きたいと思います。課長、宜しいですね」

「ああ、そうだね」

正木も辻褄を合わせた。森下にしてみれば話の流れから、今夜吉田との情事を約束したようなもので、すでにその気になっていた。

正木とて同様だ。すでに夏美と会う約束をしており、否応なしに気持ちが高ぶり、脳裏に怪しく動く彼女の裸体が浮かび、自身何時の間にか幻夢へと誘われていた。そんな時、横山の声が飛んできた。

「あら嫌だ。課長ったら、口をぽかんと開けているんだから。やっぱり今日の課長って変だわ。だいたい目つきが違う。にやけている感じだもの」

そう言われ、正木は現実に戻される。

「おっと、いけねえ。ほんの一瞬、なにやらいやらしい夢を見ていたな」

我に返ったように、口元から垂れそうな涎を手で拭いた。

すると、横山が反応する。

「あら、嫌だ。課長ったらエッチなんだから」

顔を赤らめ俯いた。

正木は背筋を伸ばしパソコンに向うが、どうも周りの視線が気になりついと顔を上げると、吉田や横山の視線がちらちらと覗っていた。そこで「こほん」と一つ咳をする。

「早いとこ片づけちゃいましょうか」と吉田が応じた。

「そうだな、今がちょうど午後三時だから、四時までに最終原稿ができるかい。そうしてくれれば、事前打ち合わせも四時から一時間取って終わらせようじゃないか」

正木が、終業時間までの段取りを大まかに説明した。

「ええ、そうですね。私の方も、あと三十分もあれば出来ますのでチェックし、四時から臨めますが、課長の方はどうですか?」

「おお、俺の方は大丈夫だ。それじゃ、森下さん。その線で進めよう」

「了解しました。さあ張り切ってやりますか。横山さんも、時間通りに終わらせなさいね」

「はい、そのつもりでいます。でも、私にはその後の予定がないんで、誰か付き合ってくれる人いませんかね。あの、吉田さん。やはり空いていませんか?」

「ええ、俺か?俺は駄目だ。残業があるし、そのあとちょっと友達と逢うんでね。また今度誘ってやるからさ」

「やっぱり駄目か。仕方ない。それじゃ経理部の三谷君でも誘うかな」

「それがいい」

森下を覗いつつ、吉田が調子よく勧めた。

「さあさあ早く片づけちゃおう。課長だって、いろいろ予定があるんだから、終礼までに終わらせようよ。ねえ、そのつもりで頼むわよ、横山さん。それでなくても遅れるから。今日ばかりは間違いなく時間内に終わらせてね。そうしないと、皆に迷惑をかけるからさ。それに個人的なデートのことなど、仕事中に考えちゃ駄目よ」

「は、はい。分かりました。申し訳ございません」

森下は、もっともらしく自分のことを棚に上げ注意した。結局は都合よく己のことしか頭になく、期待に胸を膨らませパソコンの画面に見入っていた。正木が皆の様子を覗う。

さっきは危ないところだった。しかし、よく見ているな。「課長、どうもおかしい」なんて疑うんだものよ。そりゃそうだ。久しぶりのデートだ。心が弾むに決まってら。やはり自然と顔にでるのかな。精々気をつけにゃならん。さて、部長にも定時で帰れるよう段取らなきゃ。

そうだ、田口部長は今晩局長に呼ばれているんだ。それなら、当然定時前に終わらせにゃならん。まさか部長も局長を待たせるわけにいかんだろうから。会議が長引けば、頃合いを見て俺に任せて席を立つに違いない。まあ、どちらにしても五時までには終わらせよう。

そんな思惑で部長席へと向った。

「部長、本日の予測の最終打ち合わせですが、…赫々云々、このようにさせて頂きたいと思いますが、いかがでしょうか?」

「ちょうどよかった。君に連絡しようと思っていたところだ。今日は大切な用事があり、遅くとも午後五時には社を出たいんだ。悪いが協力して貰えんか」

「と、申しますと。私に会議を任せると言うことですか?」

「そう言うことになる。ただ、この前の失敗もあったことだし、すべて任せるわけではない。極力意見を言わせて貰うが、最後まで付き合うことが出来ん。五時まではいられるが、終わらなければ途中で退席する。従って、その後を君が仕切って貰いたい」

「分かりました。それでは、そのようにさせて頂きます」

「くれぐれも予測間違いが起こらぬよう、細心の注意を払ってくれ」

「はい」

応じつつ、内心ほっとする。

ちょうどよかった。まあ、部長も野尻局長と交際費を使って高級小料理屋にでも行き、芸者を上げて楽しむんだろう。噂じゃ副局長候補に挙がっているらしいから、胡麻擂り接待ということだな。俺の方も八時に落ち合わなきゃならないしちょうどよかった。

胸内で喜んだ。

「それでは部長、事前打ち合わせを午後四時からとさせて頂きます」

「四時からか、ううん、分かった。まあ、小一時間は出られるな。正木君、巧く予測を纏めておいてくれ。そうすればスムースに運べるから。それで微調整して、夕方の予報としてくれんか」

「承知致しました。それでは早速、段取りを取らせて頂きますので失礼します」

軽く会釈をし退席した。

上手くいった。これでいい。さあ、一時間程度の会議資料に纏めるか。

してやったりと表情が緩み、今日は気持ちよく臨めそうだ。と思ったが、直ぐに不安になる。

もしかして、俺に任せると言ったが、五時までに終わらせず無理難題を押し付ける気か。予報発表までの時間を考えれば、再修正は出来ない。夕方、発表してしまえばそれで終わる。あとは予測が当たるよう祈るだけだ。これで外れれば、必ず仕打ちが待っている。「だから言っただろう。わしは忠告したはずだ。過去のデータを重視して、予報内容を修正しろとな。それを科学的根拠などと屁理屈を捏ね、指示に従わないからこんなことになった。どう責任を取る」さらに、「これまで幾多の失敗を、すべてわしが被ってやった。これ以上尻拭いは出来ん」と後の反省会議で責任転嫁するだろう。

部長も副局長の内示を受けている以上、成果を出さなければならない。予報が外れれば、難癖はいくらでもつけられる。うむ…、なんとしても予測通りになって欲しい。

脳裏に今までの悪夢が蘇り、胃がきゅうっと痛くなってきた。

くそっ、どんなものか。でも、今夜のことを思えば、多少なりとも気が楽になるか。とにかくデータを分析し、的確な予測を導き出さなければ。あとはどう転ぼうと、結果次第だ。

そんな神頼み的気持ちで取りかかった。

それから一時間は直ぐに過ぎ、部長を交えての最終打ち合わせとなる。端から一時間のつもりで出席する田口には、予測の説明などどうでもよかった。それより、これから野尻局長との、いわば社内接待の方がはるかに重要である。

打ち合わせが始まり、正木が資料に基づき根拠など詳細に説明していくが、馬耳東風である。聞き及ぶ顔は、まったく別の方向に向いていた。そんな様子を目ざとく窺がい、半ば焼け気味になる。

なんだ部長の態度。自分の都合で気持ちが入っていないじゃないか。そう思いながら続けた。

結局、最終打ち合わせは、難儀な宿題も課せられず、「科学的データに頼り過ぎるな」と言うことと、「過去の統計資料を再確認し、予測に反映させよ」との平凡な指示で終った。

課員たちも正木と同様に安堵し、午後五時前には会議を終えた。それ故、夫々が終礼後の約束事など、自分のことに思案が及ぶ有様だった。結局、無修正のまま夕方の天気情報として予測を纏めた。これにより、各自終礼チャイムが鳴るのを機に部屋を出ていった。正木は予測の微調整を行い、午後七時にはそそくさと部屋を後にした。弾む気持ちが心地よく、歩む足取りが軽かった。




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