二節

あの時もそうだ。台風騒動後のことだ。またしても、こっぴどくやられた。月曜日の週間予報で、梅雨前線の停滞状況を報道した時である。

梅雨が六月のなかばを過ぎても全国的に広がらず、前線が九州南端に停滞し集中豪雨となった。太平洋高気圧の張り出しが弱いのか、偏西風の蛇行が大きいのか、結果的に九州南部を中心に大量の雨をもたらしたのだ。

正木は推測していた。当初の予測は、この時期になれば太平洋高気圧、所為小笠原気団の勢力が増し、梅雨前線が北上して関東付近で鬩ぎ合い、北海道を除き全国的に梅空となるはずだ。そこで、そうなると予測し報道したが外れた。それで、咎められた。

部長が噛みついたんだ。それも尋常ではなかった。執拗に俺を責めた。それだけではない。報道番組は放送前に打ち合わせがあり、予報内容が検討される。今回に関しては、出席者が部長とディレクター、それに予測責任者の俺と部下。それと時々局長が参加するが、今回は不参加だった。

台風騒動で理不尽な咎めを受けたことで、とにかく俺たちは打ち合わせまでに資料を充分に用意した。気象衛星からのデータ。過去の同時季の予報とその結果の資料。これは約五年分。その比較も当然、統計数字として分析資料を加えた。さらに、今までの気象情報の資料だ。これも近似値として実勢を表わしたものである。 

これらに基づき、今日の気象予測と一週間の予測を提出した。だが、各資料とて参考でしかないし、それらに基づいた予測でもそのようになる保証はない。それは誰も解っている。そこで、俺たちは数パターンの予測を作り、打ち合わせの前に話し合った。もちろん、それぞれの予測に設定根拠をも添えた。

たとえば、一例を示すとこうだ。一週間の予測といっても、今回は六月の第三週目なので、太平洋高気圧の勢いが勝ると設定した。当然その根拠も添える。気象衛星インテルサットの、特に日本近海から赤道付近までの詳しい気象状況。それに台風情報と前週の動き。さらに、三週目の過去五年間の資料を揃え検討した結果、梅雨前線が北上し日本列島のまんなかに停滞するとした。

次に設定パターンを変える。 今度は大陸の高気圧、所為オホーツク海気団の動きに注視すると如何なるか? とまあ、こんな具合に設定を変え複数の気象予測を用意した。

そして事前打ち合わせで順次発表し、二時間かけ消去法で一本に絞った。「異常台風の到来はあったが、今回は例年通りの動きになるだろう」と最終的に部長が決めた。最終予測の決定は、部長の専権事項である。

ところが、予報が外れた。自然現象を予測するのは難しい。とことん論議したが外したのだ。これに関しては自然界の勝ちであり、読み切れなかった我らの負けである。

直ぐに反省会へと移った。いくら厳しい自然現象といえど、外してそのままとはいかない。なぜ外れたかの原因を探り、誰もが納得いく結論を出さなければならない。そして、次の予測に反映させるのだ。

どの番組、あるいは報道であっても視聴率という物差しがあり、当然視聴率が低迷すれば、反省すべく原因を究明する。それ故、番組を統括するディレクターは真剣であり、また高視聴率の時でも維持すべく気が抜けない。気象報道では視聴率もさることながら、さらに公共性という要素が加わる。ところで気象予報の視聴率は、時に勝敗率に置き換えられることが多い。予報が当たれば勝ち、外れれば負けとされ、これを統計的に集計し評価されるのだ。

当然、正木の率いる気象予報課も同じだ。自然現象が相手では、経験を積んでも外れる時は外れる。下調べを入念にし出された予測とて、自然現象にかなわぬことが往々にして起こる。だから気が休まらない。

そんな中、正木は梅雨前線が北上しなかった検証結果をもって、報道後の反省会に臨んだ。そこで受けた田口部長からの追及が、谷底に突き落とされるような屈辱的なものとなった。

野尻局長を交えた反省会で田口が責任者として、予測外れを謙虚に反省し詫びるところを、部下に転嫁したのだ。

「私の経験に基づく予測では、太平洋上の高気圧の張り出しが例年に比べ弱く、近頃南米ペルー沖で発生したエルニーニョ現象の影響が意外に大きく、梅雨前線が九州南端付近に停滞すると考えまして…。うっへん! 

意味なく、咳払いを一つし続ける。

失礼、ええとまあ週間予報での梅雨前線の動きも、この影響からここ一週間は変わりないと事前打ち合わせで諭したのですが、ここにいる正木君が台風事件の前例もありながら、私の予測根拠をろくすっぽ聞きもせず、『例年通り大陸の高気圧の張り出しが弱まり、前線が北上する』などと強引に押し通したため、はからずも報道した予報が狂いまして…。これにより、皆様に迷惑をかけることとなり、私としても課長の暴走を止めればよかったのですが、力及ばずこのようになったことを悔いております」

さらにここで、反省会議の主旨とは無関係なことに言及した。

「ただ、これからのことを考えますれば、この際過去の予報統計から勝敗率の低い正木君を、担当責任者として不適格なものと考えておりまして…」

更に野尻報道局長に狡賢い視線を送り、しゃあしゃあと言ってのける。

「その辺、局長。ご考慮のほどお願い致します。彼にこれ以上責務を全うさせるには荷が重く、我が局にとって害になり益を生むことなどないと思われます」

言うなり、正木を怒鳴った。

「こらっ、正木。ぼけっと阿呆面していず謝らんか。局長に、迷惑をお掛けしているのがわからんのか。さあっ、面をテーブルに付けて謝れ。この馬鹿者が!」

部下のいる前で平然と言い放った。

正木は、まさかこんな展開になろうとは思いもよらなかった。屈辱の何ものでもない。根も葉もない、おおよそ予報結果とは関係ないことに及んだのだ。正木には納得できない叱責である。

反論すべく目を吊り上げるが、言葉が出なかった。すると、すかさず田口の暴言が飛んできた。

「こらっ、早よう謝らんか!」

そして、局長にへりくだるように告げる。

「こやつのこの態度を見れば、反省の色など皆無でございます。詫びる気持ちなどなく高慢さばかりで、まったくしょうがない奴でして」

そこまで言われて、反論できる空気はこの場になかった。正木は怒りを堪え、無言のまま頭を下げた。

「こらっ、正木。なんだそのふてぶてしい態度は、詫びを入れんか。『申し訳ございません』と何故言えん。この不埒者目が!」

狡すっからく局長を窺いつつ、これ見よがしに怒鳴った。正木は、仕方なく握り拳を震わせ謝った。

「申し訳ございませんでした…」

すると、見かね野尻が制する。

「いいや、いいんだ。間違えは誰にでもある。そんなことせんでよい。そうしたところで、被害を被った人々が納得するか。自然現象を推測するのは難しい。だからといって、外れてよい理由はない。今後、その確率と精度をどれだけ高め、必要とする人々の役に立てるかが重要なんだ。これに懲りずますます精進してほしい。わかったな正木君」

さらに、返す刀で田口を質した。

「それに田口君、そうがみがみ怒鳴るなよ。外した予測の最終決定は君がしたんじゃないのか」

「は、はい。さようでございますが。それがなにか…?」

「それだったら、結果の責任は君にあるんじゃないのかね。たとえ部下の主張が、部長の意見と異なっていても、君が採用したんだろ」

「はっ、そうは申されますが。この正木が、私の主張を強引に押しのけ、予報外れの予測を通したために、外れてしまったものでありまして…」

核心を突かれ田口が口ごもった。

「なにを責任転嫁している。たとえ主張が異なろうと、君が決定したものであるなら、君の失敗と同じだ。部下の統率が出来ていないことになる。それをぬけぬけと課長に押し付けおって何事か。それに言いたくないが、正木君には部下がおる。この会議も彼らが参加しての反省会ではないか。それを配慮せず、進退まで言及する奴があるか。気をつけたまえ!」

矛先を部長に向けた。罰が悪くなったのか弁解する。

「誠、誠に申し訳ありません。決して、そのようなつもりで怒鳴ったわけではございません。彼の今後のためを思い叱責したものでございます。それに、部下らの前で諌めたのも、彼に対する上司としての親心でありまして、大意はございませんです。はい…」

体よく言い訳し、さらにこじつける。

「これは、私流の愛の鞭とでもいいましょうか。そうだよな、正木君。私の指導は間違っていないな。君ならわかるだろ」

「は、はい。存じております。すべて私が至らぬため生じた結果であります。今後につきましては、部長のご指導の下さらに精進し、予測外れのないよう努力する所存でございます。誠に申し訳ございませんでした」

局長に深々と頭を下げ、さらに田口にも下げた。

正木の態度を見て野尻が頷く。

「そうか、それならよいが。まあ、正木君。これに懲りず頑張ってくれたまえ。しかし、田口君の激怒も真剣さの表れとも言えるがな」

野尻が矛先を納めた。結局、正木への責任転嫁が解けぬまま、部長の失態を肯定したことで、正木にとって憤りが胸の奥に沈殿することとなった。

こんなことが何時まで続くんだ。田口の詭弁が通用するなんて。なんで俺ばかり責められる。俺一人が悪者になり、糞部長が認められる。こんな理不尽なことがあるか。それも部下の前でだ。彼らにはわかってもらえるだろうが、結局は長いものに巻かれろという悪しき習慣が蔓延るだけだ。言うことを聞かず、顔色を窺がうようになり、組織があってないような烏合の集団に成り下がるではないか。

くそっ、これじゃ狐と狸の化かし合いだ。外面だけよくして、腹の内はわからぬ上司ばかりだ。

胸糞悪くなり、正木はぐっと息を呑み堪えた。

「おい、何時まで仏頂面している。さっさと座らんか。会議が進まんだろ!」

田口の嫌みが飛んできた。

「はっ、申し訳ございません」

頭を下げ座った。田口がその様子を慇懃に見届ける。

「それでは、次に移らせていただきます。局長、宜しいでしょうか?」

野尻に媚を売り、議事進行を図った。

「ああ、いいぞ。進めてくれ。早く終わらせ、次の会議に出なけりゃならんでな。役員連中との大事な会議だ、早よう頼むぞ」

「は、はい。承知致しました。それでは次ですが、九州南部にもたらした集中豪雨の被害状況に関しまして、地元住民に注意を促すことに…伝々」

正木のことなど無視し、田口は主導権を握り説明していた。正木は、その後の議題がなんであったかまったく頭に入らず、この反省会議がいつ終わったのかも定かでなかった。

記憶に残るのは、悪者にされたことへの屈辱であり、激しく燃える怒りであった。頭に血が上り、そのことだけが強く脈打っていた。そして、正木が冷静さを取り戻した時に、会議室に残っているのは自分だけであり、局長や部長が何時退席したのか記憶が飛んでいた。

正木は醒めていた。どこか空しさが心の奥で芽生える。

こんなこと、今に始まったことではない。いつものことだ。と諦めが先に立つ。誠実な仕事心と諦めという心の遊離。相反するものが己を支配する。心の中で、相反する動きが正木を悩ませる。特にこんなことがあった後は最悪である。だが、仕事は待ってくれない。集中砲火を浴びへこんでいても、次なる気象予測が待っているのだ。葛藤と屈辱を抑え、誰もいない会議室をあとにした。

そして、自席に戻らずそのまま屋上へと向う。扉を開け出るとぱっと視界が開け、燦々と降り注ぐ陽射しが目に飛び込んできた。手を眼の上にかざす。真っ青な空に白い雲が胡麻粒ほどに浮かんでいた。それを見て唸る。

なんと眩しいんだろう。こんな屈辱など胡麻粒ほどの小さな雲と同じじゃないか。それを、たかが諌められたぐらいで、被害妄想の如く感傷的になっていたなんて。

遮る指の間から差し込む陽射しを受けながら、自らを追い込み小さくなっていることに恥ずかしさを覚えた。

この青空と泳ぐ白い雲。こんなことで、へこたれては何の進歩もない。もっと周りを見ろ、地球さらに宇宙まで及べば解らんことばかりだ。

そう考えれば、人間の知識で解明されることなどたかが知れている。この地球上ですら、深海や地底に至ればまだまだ未知なことばかりで、それを知り尽くしているかのように逆上せ上がること自体おくがましい。いわんや、人間が勝手に定めた資格を持つからと何にを憤っている。気象予報官などと偉そうに予測をするなんて、それこそ大それたことだ。自然界の動きを的確に捉えようなどと滑稽ではないか。それを自惚れて、勘違いしているなんて。こんなところで立ち止まってはいられんぞ。

正木は大きく息をついた。すると、気持ちが青空のように清々しくなる。

さっ、やるか。誰がなんと言おうと、俺は負けない。自然を相手に、複雑な動きを捉えてやる!

片腕をぐいと突き上げ天空を睨んだ。すると、空から響き渡る。

「おい、大した自信じゃないか。お前みたいなへなちょこ予報官に、俺の動きが解るだと。技量もないくせに、我ら自然界の変化を捉えるだと。然らば、どれだけ我らの動きを把握しているんだ。

それでも昔は、まあ百年も前のことだが。お前らが地球を大事にしていた頃は、我ら自然界の法則で四季の変化を、ほぼ決められた周期で変えられた。ところがこの五十年の間に、人間のエゴで地球を汚し我らの体系を崩してしまったではないか。その影響で、季節周期が狂い始めている。

人間は地球温暖化だのと騒いでいるが、すべてはお前らが身勝手な欲望で破壊しているからだ。その報いとして、六月に狂った台風二発がお前の国を襲ったじゃないか。我ら自然界の警告として、大きな被害をもたらしてやった。それもわからず、愚かな行いを改めなければさらに厳しい警鐘を鳴らさねばならない」

そして、正木に勧告する。

「おい、そこの甘ちゃんよ。お前らの些細な争いなどに、いつまでもくすぶっていずもっと深く探究せい。他愛のない戯言に怒りを向けず、もっと大きなことに全精力を傾けろ。そして、我らの動きを的確に捉えてみろ!。

それができないなら、予報官など辞めてしまえ。ただのぼんくらに成り下がればいい。お前の上司のようにな。それが嫌なら、些細なことで女々しくするな。そんな時間はないぞ。こうしている間に、我らは刻々と変化しているんだ。わかったか、正木裕太!」

正木は、青空の一点を見つめていた。頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。先程まで屈辱だのと憤っていたことが、何やら小さなことのように思えていた。

何時までもうじうじしてはいられない。予測せねばならぬ気象状況が刻々と変化している。乗り遅れてたまるか。自然界よ、今度こそギャフンと言わせてやるからな!

心内で新たに誓った。すると、身体が熱くなってくる。高揚する頬を両手で叩き、足元に力を入れ踏ん張る。

「さあ、ぼっさとしていられんぞ。早く戻って、今夜から明日の気象を予測しなけりゃな」気合を入れ、自室へ戻っていった。




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