己が命を捧げ、報いよ
高山長治
第1章気象異変 一節
水無月だというのに、稀有の台風が到来した。それも立て続けにである。やはり、地球温暖化による異常気象なのか。そう言えば、五月にも我が国をかすめていった。
そもそもこの時期、台風の発生がないわけではない。南シナ海やフィリピン海溝付近で発生するが、日本列島に近づくことはない。しかし、今年は違った。何十年に一度の記録はあるが、二度も到来したのは稀であった。
これが、正常といえるのか?
気象異変による災害は、この台風だけではない。米国本土を襲う大型ハリケーンや、氷河の溶解。それに海面上昇による国土消滅危機など挙げたら至るところで蝕まれている。
こんなことが、あっていいのだろうか…? 正木自身気にはかかっていたが、これらの事象が地球規模で起きていることを、視聴者と同じ目線で視ていただけである。確かに、自分の記憶を遡っても究明はしていない。その証として、近年生じている様々な事象を、気象報道という観点から捉えていたような気がする。しかしながら、気象予測に携わるがゆえおかしいと思うのだが手つかずでいた。
本来ありえぬ季節外れの台風も、過ぎてしまえば一過性の話題として、頭の隅に追いやられるのが常だ。ただそうとはいえ、気象予報官として問題提起し取り組まねばならぬ現象である。それでも、現実は日常業務に忙殺され詳細なデータ分析まで踏み込まずにいた。
日々定められた業務をこなし、当たり外れは結果だが、とにかく的中させる気概で気象を予測する。正木にとって、やり甲斐のある仕事だ。それなりに自負を持って臨んでいるが、自然界が相手であり必ず当たるとは限らない。的中させるべく取り組むが、なかなか難しい。
所詮人間が掌ることで、自然のメカニズムを尽く解明し取り組んでいるわけではない。地球上で起きる事象ですら、解明率はたったの四、五パーセントである。裏を返せば、未解明率が九十パーセント以上になるのだ。その状況下で、予測を行ない予報を流す。
そのことを考えれば、天気予報が当らずとも許される範囲であろうし、たとえ外れてもクレームは生じないはずだ。
ところが、気象情報として発表すると、それを参考にする人々がいる。何らかの目的遂行の判断材料となれば、その重要性が増してくる。さらに、季節の長期予報ともなれば、それなりに有効機能している。また、この気象情報が、多方面で珍重されているのも事実である。それは、その確率から期待値に対する満足度が高いからだ。それ故頼られれば応えるべく、複雑な統計係数や諸現象を科学的に分析し予測を導き出す。
従って、それなりの裏付けのある予報であり、自信を持って報道する。ところが、今年に入り稀有な事象が生じた。そのことからいえば、気象異変への対応が疎かになっていたと言っても過言ではない。所為、正木に難問を投げかけたようなものだ。単に行楽予定が中止になったという代物ではない。特に農家にとっては一大事である。農業は季節に沿った生業であり、来ぬものが来ては大いに予定が狂う。
日本の稲作栽培は大方一毛作である。五月の初めに植えた若苗が、激しい風水害により壊滅的被害を被ったのだ。果樹栽培農家でもしかり、やり直しのきかない致命傷である。この時期の到来など農作暦になく、代々営む彼らには想定外だったからだ。
その時の気象報道で、「六月初旬に南シナ海で発生した台風六号及び七号は、中国大陸方面へ進み日本列島に近づくことはないでしょう。九州は梅雨の影響でぐずつきますが、それ以外は晴天が続く見込みです」と発表したのである。
この予報が見事に外れ、報道したテレビ局に苦情が殺到した。
ご都合主義で、おおよそ無責任な直属部長が、正木たちを集め激怒する。
「お前らの予測がもっと的確なら、こんな大問題にはならなかった。いったいどうするつもりだ。どう責任をとる!
特に正木君。君は課長職にありながら、台風の軌道を正確に把握せず、結果、これだけの被害を発生させた。コースを的確に把握していれば、農家の方々も何らかの対策を立て、最小限に食い止められたはずだ。
それを怠ったばかりか、惰性で予測をした。その責任をどう取るつもりだ。わしの忠告も聞かず、いい加減な予測を立てやがって!」
責任を転嫁し、正木を執拗に責め立てた。
正木は甘んじて受けるが、胸中で反論する。
なにを言ってる。だから、あれだけ言ったではないか。今までの統計からすれば直撃はないが、今回の台風はちょっと違う。だから、週間予報などでこの異常事態を知らしめるべきだと、あれほど進言したのに。
じくじくたる思いが膨らんだ。
それを真剣に受け止めず、我らの意見をはなから軽視し、己の胆略的思考をごり押ししたではないか。それも、世間体と役員の顔色ばかり見てな。それを今になって、自分の失態を棚に上げ責任を擦り付けるなんて。なんと理不尽なことだ。
気が収まらぬのか、さらに虚仮下す。
本来なら自分が非を認め、俺たち、いや世間様に深く詫びなければならんはずだ。それを…。くそっ、理不尽な奴だ!
叱責されるなかで、頭に血が上っていた。
このまま黙って、言い成りにならねばならんのか。否、そんなことより現実を直視しなければならないではないか。責任の擦り合いをしている時ではない。そんな愚かなことをしても、受けた被害は取り戻せない。むしろ、最小限に食い止める気象報道の在り方を、早急に確立せねばならぬはずだ。
しかし、何故このような異常事態が起きるのか。今後の対策を講ずべく、早急に体制を整え究明せねばならないずだ。そのためにも一刻も早く、そのように指示すべきではないのか。それを、責任回避の言いわけばかり。そんな風に、意見の異なる俺たちが惨事を招いたような詭弁で、その矛先を俺に向けるとは…。
胸中で言葉を詰まらせた。
たとえ上司であろうと、こんな無責任な行為を許していいのか! 腸が煮え返える思いでいた。
弱い人間は時として己の立場が危うくなると、本能的に保身へと走る。とはいえ、直属の上司である立場の者が、こんな有様では。あまりにも身勝手ではないか。我らとて、予報外れは謙虚に詫びねばならない。それは当然のことだ。自然環境の変化を予測するのは難しが、要求されることにどれだけ応えられるかであり、これとていい加減な気持ちで取り組んではいない。できることはとことん追求し、諸方法で検証して確証を掴んでから発表する。けれど外れることもある。自然界のメカニズムを完全に捉えることは不可能だが、それに近づけようと現代科学に基づき最大限の努力をしている。それでも狂う。台風の発生や動きは、ある程度捉えられるが、完璧に予測することは至難の業だ。それでも刻々変化する状況を捉え、伝えてゆくことが使命なのだ。
さらに胸中で悶々とする。
我らとて、今回の想定外台風で、被害にあった方々には申し訳ないと思っている。だがそれにも係わらず、責任を他人にそれも部下に押し付ける部長の倨傲を許すべきではない。それに、このような醜態は初めてではない。予測が外れると、尽く部下に責任転嫁してきた。まさに、今回の件が究極である。
日頃我らに、「なにかあったら、わしが責任を取る。だから、思いっきりやってくれ」と言明したではないか。それを、いざとなると平気で覆す。それでいて、しゃあしゃあと役員におべっかを使い機嫌取りをしているんだから。俺たち部下はたまったものではない。
くそっ…。 どうにもならぬ怒りが込み上げてきた。
我らを弄んでいるのか。奴は、特に俺を標的にしている。ああ、こんなことがいつまで続くんだ…。
なんともいえぬ憤りに胸の内が澱んでいた。
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