第5話 或る少女との出逢い③

 ヴァールハイトは驚きと焦りの色で顔を染め、左手に持っていた両刃の大剣───〚ガイア〛で急所みぞおちを守る。

 少女は機械的な目で辺りを見回すと、振り上げた足先が〚ガイア〛に触れる直前でまたもや姿を消した。


「っ、後ろだ!!!」


 少女が姿を現した先は、ヴァールハイトの背後だった。

 気づいてすぐに声を上げるがもう遅い。


 今までかたくなに動かさなかった両腕を動かし、その小さな手をヴァールハイトの太い首筋に置いた。


 ヴァールハイトの首が吹き飛ぶ、という最悪の未来が脳裏に浮かぶ……が、現実は違った。



 フッ、とヴァールハイトが

 


 少なくとも目に見える範囲に赤髪のドワーフの姿はない。文字通り目にもまらない速さで吹き飛ばされた訳ではないらしい。


 不意に、忽然こつぜんと、突如として消えたのだ。


 ……ここで遅まきながらにようやく少女の能力を確信した。


「転移」


 掠れた声が俺と少女の2人だけになった地下牢を妙に響かせる。


 〈転移〉……そう思いたいところだが、〚法具〛も魔法陣も持っているようには見えない───つまり、《転移》。


 少女はそのハイライトのない碧い瞳に俺を映した。

 後衛1人になったことを理解したらしく、約5メートルほどあった距離なんて気にもせず、ノータイムで俺の目の前に現れた。


(この反則者チーターが……っ!!!)


 灰褐色の髪を揺らし、体をひねりながら空中に転移してきた少女は正中線を軸にして、くるくると回る。

『くるくる』なんて安っぽい表現だと可愛く聞こえるが、実際は「ゴオッ」と効果音が付きそうなほどの回転速度である。

 その勢いのまま少女は右足を繰り出し、それは吸い込まれるように俺の首へとせまった。


 氷の槍にかけていた魔力を解き、水に戻す。

 水を盾状にしてから水分子の動きを再び止め、水を形作る多量の水分子H₂Oを魔力を使って正4面体の形に結合させる。

 ただ結合させるのではなく、水分子H₂O同士の繋がりを強制的に強くする。

 決して離れないように、決して崩れないように。無理やり、理不尽に、強要し、否応なく、強引に。


 どうにか氷の盾を生成し終わると、ほとんどそれと同時に少女の足の甲が氷の盾に触れる。

 がぶつかるような甲高い音が響く───だけで盾は砕けずに少女の蹴撃と拮抗していた。


 ピク、と微かに眉を動かしたように見える少女は盾に蹴りを入れた状態のまま、さらに体を捻り、もう片方の足を加速させる。

 盾を打ち破らんと放たれた左足は回し蹴りのようにかかとから盾へと突っ込む。


 残り少ない魔力を盾の補強に回し、身構える……が、視界の隅に灰褐色の髪がチラつく。

 そこは盾の内側で、だった。


 咄嗟に上体を反らすと、コンマ数秒後に恐ろしい速度の両足が通り過ぎる。

 後からやってきた風圧だけで肌が削げてしまいそうだ。


(エグすぎる!!! もしもこの子が短髪だったら完璧に死んでたって!!!)


 おそらく……というか、確実に《転移魔法》で俺の足元に転移してから、逆立ちの要領で足を垂直に持ち上げたのだろう。

 思い返せばヴァールハイトはこの手でどこかへ転移させられていた……ん?


(……ヴァールハイトは転移させたのに、何で俺は殺す気満々なんだ?)


 よく考えたら不公平だ! 俺も転移したい! どんな過酷な環境でもここよりは平和だろ!?

 


 少女は腕をバネのように屈伸させ、3メートルほど距離の離れた位置まで跳び、俺と向き合った。

 その碧い瞳は俺を見ているようで、どこか遠くを見ているようにも思えた。


 ただただ時間が過ぎていく。


(もしかして……見逃してくれたりしないかな?)


 近接戦闘で勝ち目がないのは明白で、しかも《転移魔法》で距離なんてあるようで無いものだ。全米の〈魔術師〉が出会って1秒で号泣するレベルの天敵である。俺だって逃げれるものなら逃げたい。


 いや、マジで土下座でも何でもするんで逃がし───



 刹那、少女の姿が消え、目の前に足先が迫る。



(やば、)


 油断した。

 今から氷の盾を俺と少女の間に差し込むのは無理だ。もっと俺の近くで待機させておけば……


 心の中で大きな舌打ちをしてから、少し離れた位置にある氷の盾に残った全ての魔力を注ぐ。

 動かそうとしているわけじゃない。ただ、魔力で水分子を破茶滅茶に運動させてるだけだ……ほどに。



 過熱水蒸気。

 簡単に言えば100℃以上に加熱した水蒸気のことである。最近ではこれを利用したオーブンレンジがあったりするが、特徴として同温の空気に比べても伝導性が約10倍ほど高い。


 ───つまり、めちゃくちゃ火傷する。


 ちなみに水と氷では体積は1.1倍ほど氷の方が大きくなり、水蒸気はそれらの1700倍をいく。


 ───つまり、めちゃめちゃ膨張する。



 さて僕は今、何をしようとしているでしょ〜か?


 正解は〜……自爆です♡


 ヴァールハイトが壁に打ち付けられた時の音が小鳥のさえずりに思えるほどの爆発音。

 空気が悲鳴を上げているような、空気が割れるような音だった。


 両手で耳を押さえたものの、爆発音はいとも簡単にそれを貫通し、耳鳴りしか聞こえなくなる。それなのに水蒸気が俺の肌を焼く音だけは聞こえてきた。



─────────

──────

───



 直前にウェストポーチに入っていた水を体中にぶっかけておいたことが幸いし、目立った火傷は右腕から肩甲骨あたりまでの一部だけだった。


 ウェストポーチを取り外し、逆さにすると大量の水が滝の如く流れ出てくる。

 火傷を冷やしながら、辺りを見回す。


 辺りは水蒸気の名残りで真っ白だが、すぐ目の前にいたはずの少女の姿はなかった。

 十中八九、《転移魔法》でどこかへ逃げたのだろう。まぁ、それが目的ではあったんだが……


 安堵と疲労感のせいで足に力が入らず、ドカッと腰を下ろす。


(はぁ〜、がこんなにも懐かしく感じるなんてなぁ)


「……ん?」


 無意識に言葉が漏れた。


 風が気持ち良い? 草木の匂い? ……え? ここ、地下牢……だよな? 

 いやいや、風はまだしも、草木の匂いなんてするはずがない。


 地下牢から地上まで吹き抜けにすればワンチャンあるが、さすがに地下牢を丸ごと吹っ飛ばす威力はなかったはず……もしあったら俺は今頃、木っ端微塵だ。


 地面についていた手を動かすと、ジャリと聞き覚えのある音が伝わってきた。


(ジャリ? 砂利じゃり? ……いや、土……だな)


 手に付着していたのは茶色の土。少なくとも地下牢には地面が露出しているところはなかったはずだ。


 いや待て待て待て、待ってくれ。


 残りの魔力の全てを右手に集め、横薙ぎに払うようにして、この場に立ち込めていた水蒸気を霧散させる。


 そして視界に映ったのは───


 無数のダイヤモンドを散りばめたように輝いている星々は、一つ一つがまるで生きているかのように明滅しながらまたたいており、青い月(のようなもの)は柔らかい光を地上へと降り注ぐ。


 背の低い草が群生した果てしなく広い草原。

 少し冷たい風が吹き抜けるたびに草が柔らかくざわめき、どこに風が吹いているのかが一目瞭然だった。


 遠くにそびえる山々のシルエットは夜空に溶け込むように黒々と浮かび上がり、山肌をなぞるようにして細い雲が静かに流れている。


 それら全てはあまりにも幻想的だった。


 人工の光が一切ない、自然の光による美しい光景。ここまで美しい景色を見たのは初めてだった。




 ───いや、めちゃめちゃ感動したよ? うん、ほんとに感動した。涙が出そうだよ……で、本題に入っていいかな?



「ここ、どこっすかね……?」



 当然、それにこたえる声は返ってこなかった。




────Tips────


魔法陣……《魔法》の技術化に成功したものを文字化させ、紙などに記したもの。遠目で見れば模様に見えるが、よく見てみると小さな文字がびっしりと書かれており、見る人が見ればかなり気持ちが悪い。

現在、魔法陣といえば転移の魔法陣を指すことが一般的。

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