第0話 後悔

 電車到着時刻のアナウンスがスピーカーから鳴り響き、プラットホームでは所狭しと大勢の人が溢れかえり始める。


 周りには俺と同じ制服を着た何人かの高校生が肩を上下させながら、額に流れる汗をワイシャツの袖で拭っていた。

 俺はというと澪がしっかり起こしてくれたお陰で時間ギリギリになることもなく、電車を待つ列の最前列に並べている。

 本当に澪には頭が上がらない。感謝かんしゃ感激かんげき雨霰あめあられである。


「感謝してくださいね。あ、霰は氷の方ではなく、お餅の方が良いです」

「本当に感謝してるよ───って、おい、今ナチュラルに心を読まれた気がするんだが?」


 澪が何だか楽しそうに可笑おかしそうに笑った。その姿を見るだけで俺の口角も緩んでいくのが分かった。


 少しすると天井に吊るされるスピーカーから『まもなく、』という機械的な音声の最終コールが流れた。


「また月曜日かぁ」

「また5連勤ですね」

「やめろ、連勤と聞くと余計学校が辛いものに思えるだろ」

「私と離れ離れは辛いですか? ……私はとても寂しいです」

「はいはい、俺も辛いし寂しいよ」

「むぅ、真剣なのに……」


 何に真剣なんだよ、と聞き返そうとした時だった。


 リュックを地面に落としたような、壁に拳を打ち付けるような、もしくは……人をホームから突き落とすような鈍い音が鼓膜を震わせた。


 そしてその音は


 時間が止まったように、体が地面に固定されたように動かない。澪だけがこの静止した世界の中でゆっくりとホームから落ちていく。


 澪と視線が交差した。


動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け……っっっ!!!!!


  瞬間、頭の中で静電気のようなものが走った。

 何かが……切れた音がした。


「あっ、」

 

 それは誰の声だったのだろうか。

 俺か、澪か、それとも周りにいた人か、あるいはその全てか。


 電車のつんざくようなスキール音がホーム内に響いた時には、俺の手が澪を押し出していた。

 澪は何かを叫んだが、生憎、俺の耳には届かなかった。


「じゃあな」




◇ ──みおside── ◇


 頭が真っ白になった。

 視界の全てが白飛びして、音がとても遠くから聞こえてくるようだった。


 知りたくない。

 理解したくない。

 認めたくない。

 考えたくない。

 受け止めたくない。


 それは自分が壊れないようにするための防衛本能的な何かだったが、大粒の涙が頬を伝っていることに気付くと、引き金が引かれたように、何かが決壊したかのように思考はぐちゃぐちゃに、そして急速に回り始める。


 クリアになった視界のずっとずっと奥、そこには線路から飛び出した一つのリュックが辺り一面に中身を吐き出してコンクリートの柱にもたれかかっていた。

 そしてそのコンクリート柱の裏から鮮やかな赤い液体が少しずつ広がっていっているのが見えた。


 声にならない叫び声を撒き散らしながら走った、走った。線路に敷き詰められた砂利バラストに足を取られローファーが何処かにいってしまったが、そんなこと気にもせず走った。


 もう分かっている……いや、分からされてしまった。

 兄さんがね飛ばされた絶望的な距離に。人間が耐えられさるはずがない衝撃の強さに。


「っ、……に、に゛いさん、」


 ふらふらと覚束おぼつかない足取りで、倒れ込むようにして兄さんの元に辿り着いた。


 ───誰がどう見てもだった。

 体のほとんどが爆発したように原型を留めておらず、血液は視界を覆い尽くすほどに溢れて流れ出てしまっている。


 兄さんの血まみれの頭をかかえると、ついさっきまでの暖かったはずなのに、もう冷たくなっているようにも感じた。


「……にいさん、ねぇ、お願い、目を開けて……お願いだから1人に、1人にしないで、にいさんが居なくなったら私は、わたしは……嫌だ、いやだ、イヤだ……なんでもする、なんだってするから、だから……」


 唇に歯が音を立ててめり込み、口の中に錆びた鉄のような味が広がる。


「だから……いつもみたいに……っ! 困った顔して、私をなだめてよっ!!!」


 涙なのか、血なのか、それらが入り混じった液体が冷たくなった兄さんに落ちていく。

 

「───好き。兄さんが、兄さんのことが、好きなの、今までもこれからもずっと……私は兄さんを、愛してる」


 言いたかった、生きている間にちゃんと言いたかった。兄さんに何と思われようが、何と言われようが。


 声が、涙が枯れるほど、枯れ果ててしまうほど泣き叫んだ。








 あなたがすきでした。













◆ ──とある掲示板にて── ◆



230(名無し):>>106 早く動画消せよ

231(名無し):もう遅いのでは?

232(名無し):あらゆるところに流出しまくってる

233(名無し):これ撮り続けてたやつ、ヤバすぎ

234(名無し):お、106、ようやく消したか

235(名無し):まぁ、ここだけ消えたところでな

236(名無し):時すでに遅し

237(名無し):今きた、何があったん?

238(名無し):知らん方が良いと思う

239(名無し):いや教えてや、なんかのリーク?

240(名無し):ちゃう、男子高校生が電車に撥ねられた動画

241(名無し):うわ、自殺?

242(名無し):人助け

243(名無し):しかも妹のな

245(名無し):妹の自殺を止めたってことか

246(名無し):何で全部自殺になるんだよ

247(名無し):電車って言うから

248(名無し):恐らくだが妹が体勢を崩したか、誰かに押されたかでホームから落ちた

249(名無し):ふむふむ

250(名無し):んで兄貴がその妹を押し出して、代わりに

251(名無し):ってことは誰かに押された訳じゃないんじゃない?

252(名無し):なぜ?

253(名無し):え? だってホームから落ちて、兄貴が妹を助けるまでの猶予はあったってことでしょ? もし俺が妹を押したヤツなら電車が来る直前に押すよ

254(名無し):あー、そういう訳じゃないんだよね……

255(名無し):どゆこと?

256(名無し):押されたの電車が来る直前だったよ

257(名無し):目算だけど地面に落ちると同時か、それよりも早く事故るはずだった

258(名無し):?

259(名無し):つまり妹が撥ねられる直前に兄貴が押し出したの、マジで危機一髪

260(名無し):いやいや、そんなの間に合うの?

261(名無し):普通は無理だな

262(名無し):調べてみたんだが、人間は目で見てから反応するまでに約0.2秒、耳なら約0.15秒かかるらしい

263(名無し):理科の授業かなんかで聞いたわ

264(名無し):領域展開しそうな時間やな

265(名無し):五条は無視するぞ。でも実際そのくらいなら間に合いそうじゃね?

266(名無し):ちなみに学校ではランダムなタイミングで落ちてくる棒を見てから掴む、っていうシンプルすぎる実験で0.2秒や

267(名無し):異常事態が起きたら混乱して反応は遅くなる。そもそも反応できるまでに0.2秒なんだぞ? そこから動かんといかんから、もっと時間かかる

268(名無し):兄貴はどれくらいで反応してたん?

269(名無し):ほとんど同時

270(名無し):てか同時じゃないと間に合ってないわ

271(名無し):ひぇ、人間超えてるやん

272(名無し):事実、兄貴の反応速度は異常だった

273(名無し):脊髄反射に近いんじゃない? 妹が危ないから無意識に、って。

274(名無し):何それ?

275(名無し):……熱いものを触ると無意識、かつほとんど同時に手を離すだろ? 反射的に、ってやつ。あれだよ

276(名無し):妹のピンチにそれを起こしたってことか、カッコええな

267(名無し):そもそも何でそんな動画があんの?

268(名無し):そこに居合わせたやつが登校をライブ配信してたんだよ、しかもエグいことにわざわざ最後までカメラで追ってな。まぁ、電車で見切れたけど

269(名無し):どの時代にもいるんだよな、こういう狂ったヤツって。

270(名無し):今、違う掲示板覗いたら、その動画あったわ

271(名無し):見るなよ!

272(名無し):見ない方が……

273(名無し):もう見ちゃったんだけどさ、なんかおかしくね?

274(名無し):何が?

275(名無し):いやさ、この電車、この駅に止まるはずだよね?

276(名無し):もち

277(名無し):快速とかでは無いよ

278(名無し):にしては、スピード速すぎない?

279(名無し):!?

280(名無し):言われてみれば

281(名無し):確かに、スピード緩めるのが遅すぎるな。

282(名無し):運転手が居眠りしてたとか?

283(名無し):まぁ、あるだろうな

284(名無し):妹が人に押されてホームから落ちて、それを助けて、そしたらその電車が居眠り列車だったっけこと?

285(名無し):兄貴、可哀想やな

286(高校生):いやぁ、それはそれは酷い有様だったよー

287(名無し):何が?

288(高校生):そりゃあ、そのお兄さんの死体のことだけど?

289(名無し):は? 当事者か?

290(高校生):そゆことー。澪ちゃんの取り乱し方はホントに凄かったなぁ

291(名無し):おい、実名は出すなよ

292(名無し):流石にやめろ

293(名無し):ここの掲示板はそういうとこじゃない

294(高校生):「兄さん兄さん!」ってうるさいっつーの。あ、ちなみにお兄さんは空木うつぎ 亜純あずみで妹は空木うつぎ みお。澪ちゃんは中学3年生ね。

295(名無し):主さん、居ますか? このスレ、消しときましょ

296(名無し):>>295に賛成

297(名無し):同じく賛成

298(名無し):りょ、消すわ。

299(高校生):ついでだけど、澪ちゃんくっそ可愛いんだよねー、まじでそこら辺の女子が束になっても月とスッポン。……で、そんな子がバラバラのドロドロになった亜純あずみの死体を抱きしめてんの。ちょっと引いたけど、新しい扉が開いた感じ、って言うの? 女の子が泣いて悲しむ姿って良いなぁって。そういや、あの兄妹って2人だけで暮らしてるんだっけ? ……あっ、『暮らして』かwww


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