第23話 エール
♦♦♦
「——はい。——はい、じゃあ待ってますね?」
スマホの通話を切る。
「なに独り言言ってんの?」
「独り言じゃなくて電話してたの。芳華さんも花火見に来るって」
「えっ!? あいつ来んの!? ——あっ!?」
ぽちゃんと水音がする。しゃがんでいるあゆの片手には破れたポイ。金魚が落ちた水槽であざ笑うように泳いでいる。
「もーっ! ぜんぜん捕まんねー! これすぐ破れるのおかしくねー!?」
「金魚掬いってそういうもんなんだよネーちゃん」
屋台のおじさんが宥めるように、でも追加のポイを用意しつつ言った。小銭をせしめようと掌をちょいちょいと見せている。
「くっそー……」
「ちょっと退いて」
私はベビーカーから手を離し、あゆの腕を引いて立たせた。入れ替わりで私がしゃがみ、おじさんに三百円払ってポイを三つ受け取る。袖を捲ろうとして、右腕の火傷痕を思い出して、捲らずに垂れる袖をくるんと腕に巻き付けた。
赤い鮮やかな金魚……ぴゃっと一匹掬いお椀に入れた。
「んなっ!? 難なく……」
「小さい頃コツを教えてもらったの。かなり久しぶりだったけど、案外覚えてるもんだね」
その後も一匹二匹三匹……五匹掬ったところでポイが破れてしまった。
「あらら……あゆ」
あゆとまた入れ替わり、しゃがんだ彼女の背後から密着してポイを持たせた右手を握った。掬う動きをなぞってあげる。
「こーやってこう。水面には斜めから入れるの。水中では水平に動かしてゆっくり金魚の下へ……それで、掬う時も斜めに水から出すの。出す時水平にしたら水圧で破れちゃうからね。ほら、やってみて?」
握った手を離して見守る。プルプル震える手でポイが沈められていく。しかし、金魚の下に辿り着く前にポイが破けてしまった。
「力入れすぎ。なに緊張してんの?」
後ろから見るあゆは肩までぷるぷる震えていた。そして耳が真っ赤だった。
……あぁ、これか。
背中に思いっきり胸を押し付けてたことに気付いた。中身はまだ純情少年のままみたい。私は背中から離れしゃがんだままあゆの隣に移動する。
「ほら、ラスト一回。どれ狙うの?」
「……黒くて目がでかいの」
「出目金? 難しいよ~?」
あゆが赤い顔のままムッと唇に力を入れ、ちょっと潤んだ瞳で私を見た。
「がんばれ」
そう声をかけた瞬間、潤んでた瞳に差す光が強まったように見えた。
「あぁ、がんばる!」
なんかめちゃくちゃ気合入って元気になった。ただのフツーの「がんばれ」だったんだけど。
水槽にちゃぷんとポイが斜めに差し込まれる。教えた通りにゆっくりとターゲットの真下に位置取りした。尾ひれがポイに触れ嫌がった出目金が逃げる。
「そのまま壁側まで追い込んで」
手前の壁側まで少しずつ追いやり、逃げ場が左右だけになる。
「ポイに乗せるのは尾ひれ側じゃなくて頭から。さっき言った通り掬う時は斜めに。壁に押し付けながら掬っちゃダメだからね。かわいそうだから」
出目金の頭から掬おうと角度をつけるも、出目金はちょいっと方向を変えて避ける。何度も同じ攻防を繰り返し、水面まで持っていけた時もあった。
「今のは惜しかったよ!」
「がんばれ、次はいけるぞネーちゃん!」
「おねーちゃんがんばえーっ!」
気付けば屋台のおじさんや見ていた子供まで応援に加わっていた。比例してあゆの瞳の光がさらに強さを増していく。
「ここだ!」
ゆっくりと差し込まれたポイを水面まで近づけ、素早く斜めに引き上げる。
「あっあっ! あっ!」
出目金がポイの上でぴちぴち踊る。あゆの焦りは伝染し、私を含めたオーディエンスも息を呑んだ。
お椀に向け傾けると同時にポイが破れる。出目金はポイの縁、お椀の縁に体をぶつけ、そのままお椀の中へ滑り入った。私が掬った赤い金魚たちと場を狭しとひしめき合っている。
「や……やった! やったやった! やっっったーーーっ!! みんなのがんばれのおかげだーーーっ!!」
微笑んで頷く屋台のおじさん、手を叩き合う子供たち、あゆの周りに温かい空気と光が囲み勝利を讃えている。私も称賛と労りを湛えた笑みを浮かべ、お椀の中身を水槽に戻した。
ぽちゃぽちゃと水音の後静寂し、空気が一瞬で冷める。
「なにしてんのぉーーー!?」
「だって飼えないもん。水槽も無いし」
「買えばいーじゃん!」
「知らないだろうけど結構高いの。水槽以外にも必要なものあるし、世話だって大変なの」
「ちゃんと世話するし! 散歩も毎日するし!」
「散歩はいらん。そう言って大抵の子は飽きてやんなくなるもんなの」
「オレはやるもん! それにそれに……ほら、あいつだって持って帰ってるじゃん!」
キョロキョロしたあゆが通りを歩く親子を指差した。小学生低学年くらいの鼻水垂らした男の子が母親と手を繋ぎ、反対の手でビニール袋をぶら下げている。中には小さな赤い金魚が二匹ぷかぷかしていた。
「ヨソはヨソ、ウチはウチ! だいたいあんた居候でしょうが」
「やぁだやだやぁだーーーっ!」
「じゃあずっとそーしてなさい!」
そう言い放つと、あゆは声にならない声で呻いた後、口をキュッと結んでプルプル震えて俯いた。どの方向から見てもわかるだろうなってくらいしょんぼりと肩を落としている。眉間に谷が、頬には川が。
「ネーちゃんたち、友達ってより親子だな。姉妹か?」
やり取りを笑って見てた屋台のおじさんが聞いてきた。
「あぁいえ、ルームメイトみたいなもので——」
「オレたちは今はソウルメイトだ!」
涙目だけど、もう元気になったあゆが拳を突き上げながら言った。感情が忙しいのも覚えたての言葉を使いたがるのも本当に子供っぽい。
「『今は』ってそれ以上があんのかい?」
「え? あっ!」
あゆはおじさんと私を交互に見て言葉を探している。顔はまた真っ赤だ。
「あ、あるよ! えーっと……すーぱーメイトとか、はいぱーメイトとか、あるてぃメイトとか!」
わかりやすすぎる……早くマホちゃん現れないかな……。
あゆは——クリスは私の中にいると思っているマホちゃんに想いを寄せてるだろう。私自身はクリスの想いには応えられない。マホちゃんが私だとしても、私じゃない誰かだとしても、このままじゃかわいそうだ。
マホちゃんに会えたら、きっと涙を流して抱き合って、そのまま愛の告白とかしちゃうのだろう。マホちゃんが誰だろうと、その邪魔はしたくない。
「そろそろ隅田川行かない? 混み出す前に行きたいし、芳華さんとも合流しなきゃ」
日も落ちて、周りは屋台の提灯が頼りの温かい景色だ。あと一時間足らずで花火の打ち上げが開始されるだろう。
隅田川へ向かおうとベビーカーを押し始める。しかし先ほどまで無かった違和感が両手から伝わる——軽い?
上からベビーカーを覗き込み、息が止まった。
ハルキがいない!?
♦♦♦
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます