第22話 大人

♦︎♦︎♦︎


 どうしよう……これってあれだよね?


「……はぐれた」


 溜め息吐きながら呟いた。


 この人込みの中どんどん一人で行っちゃうんだもん。あゆテンション上がって走ってたし、すぐ見失っちゃった。こっちはベビーカー押しながらで追いつけないし……もう!


 怒りを抑えつつ、一五分くらい人の多い屋台を見て回る……いない。

 あゆはスマホ持ってないから連絡手段はない。でも出会った初日、知らない土地で知らない人に唆されてパパ活未遂するくらいアホで警戒心無くて物怖じしないから……たぶん人を頼るし周りの声も聞く。でも私の電話番号知ってるわけじゃないから、行きつく先は……迷子センター——よし。

 このまま屋台の通りを一人で探すよりは良さそう。小さなお子様たちに交じってテントで体育座りしてるの想像つくし。そう思ってた矢先だ。木に括りつけられた拡声器から「ピンポンパンポン」とチャイムが鳴った。


『迷子のお知らせを致します……薄緑の帯……椿模様の黄色い浴衣を着た……一五歳くらいの女の子が……会場本部でお待ちです……お心当たりのある方は——』


 これだ……恥ずかしい……。


 りんご飴屋台の店主さんに迷子センターのある祭りの会場本部テントの場所を聞き、ベビーカーを押し歩いていく。

 ベビーカーにいるハルキはおとなしい。お祭りの陽気に見移りすることもなく全然関心無さそうだ。赤ちゃんだから、どういった場所なのか何が始まるのかわからないだろうけども。花火が上がったら何か反応あるだろうか。

 こんなにおとなしいとやっぱり私の子育てに欠陥があるんじゃないかと心配になる。かといってこの前みたいなプロレスの真似事するくらい元気になる時もあるし、赤ちゃんって本当にわからない。

 銀次ママも楓パパも協力してくれるけど、二人に子育て経験があるわけじゃないし、私の知識はネット上にある情報の域を出ない。考えれば考えるほど、このままでいいのかって不安が芽を開き花をつけ、にょきにょき枝を伸ばしていく。

 不安ばっかりだ。まったく……ただでさえ気持ちが落ち込みやすいのに、これ以上不安の種を撒かないでほしい。


「ちょっとぉ! それ以上近づいたらこれ鳴らすわよ? いいわけ!?」


 思ったそばから……。


 道の中心に人だかりができている。人の隙間から覗くと、小学校高学年くらいの女の子といかにも人の良さそうな好青年が対峙していた。青年は眉をハの字にした困り顔で周りを見ている。女の子の手には防犯ブザーが握られていた——なんかどっかで見たことある子だな……。

 明るい茶髪のツインテール。だぼついたパーカーとミニスカート。縞々のタイツを履いてて……思い出した。

 幸隆さんの娘さんだ。私は車内から窓越しに見てたけど、幸隆さんから……ノーラちゃんからクリスへの告白の後、現れた女の子だ。


 よし、離れよう。面倒になる前に。

 知ってる子だけどあの子は私を知らないだろうし、関わる必要はない。


「ご、ゴメンね? 迷子かと思って——」

「どこをどう見たら迷子に見えるわけぇ!? 目ん玉腐ってんじゃないのぉ!?」

「泣いてたから——」

「泣いてないけどぉ!? そう言って変なことしようって魂胆なわけぇ!? マジキモい。サイテー」


 関係ない関係ない。


「おにーさんマジ捕まるから。人生とぶから」


 周りの人も野次馬してないで無視するか早く助けるとかすればいいのに。


「テレビで顔出ちゃって、住所も特定されて石投げこまれたり落書きとかされちゃうんだ。たまたま同じ名前の子とかも関係ないのにいじめられちゃうわこれ」


 ………………。


「全部おにーさんのせいだから。あーあ、親とかカワイソー」

「あの……」


 私は野次馬をかき分けて青年に背後から声をかけた。


「代わります」


 困り果て疲弊する青年の前に出て女の子と向き合う。


「なに? おねーさんそっち系?」


 彼女の首から下げる防犯ブザーに指がかかる。


「あなた、中峰幸隆さんの娘さん?」

「え!? お父さんの知り合い!?」

「今日はお父さんと来てるの?」

「はぁ!? そんなわけないじゃん! あんなのと外歩いてたら死ねるし!」

「じゃあお友達と?」

「いや……一人……で……」


 気まずそうに斜め下を向いてしまった。

 当たりは強いけど正直。


「お……お父さんに……言うわけ? 言っちゃうの?」


 しかもチョロい。後ろめたいことがあるって自分で墓穴掘った。

 リオさんのヘルプで幸隆さんの接客は何度か経験がある。その時の会話を思い出す……そういえばノーラちゃんの告白時もなんか言ってたな……確か来年高校生になるって……見た目小学生だけど中学三年生か……確か名前は……。


「魅耶ちゃん」

「なによ」


 よし、合ってた。


「一人で来たってことは受験勉強抜け出してきた……感じ?」


 黙ってる。私を恨めしそうに睨んでいる。けど瞳からは怯えも感じる。追い詰められた子猫みたいだ。


「言わないよ? 受験大変だもんね? わかるわかる。私もよくサボってたし」

「ほ、ホント? 嘘だったらブッコロす……」

「かわりにちょっと助けてほしいんだけど……」

「ほら! どうせそうなると思った! 弱みに付け込んで恥ずかしくないわけぇ!?」

「実は……恥ずかしいんだけど連れとはぐれちゃって、私迷子なの」

「……はぁ? はぁ!? マジで恥ずかしいヤツじゃん! だっさぁ! 大人のくせに恥っず!」

「そうなの。だから助けてほしくて……」

「なんでみゃーに頼むわけぇ? 周りに人間いっぱいいるじゃん」

「人見知りでさー。それにね? ……さっきお父さんの会社の人いたよ?」


 一歩近づいてヒソヒソ声で囁く。


「……ホント?」

「うん」


 嘘だけど。


「お父さん、よくあなたを自慢して写真見せびらかしてるから顔知れてるの」


 嘘だけど。


「あのクソキモ親父……」

「見られたらお父さんに今日のことバレちゃうかも……」

「ふ、ふーん! あんなの怖くないし!」

「お母さんにも伝わっちゃうと思うな―」


 魅耶ちゃんの肩がビクッとなり、ツインテールがビャッと逆立った。家庭内ヒエラルキートップは母親か。


「ねぇ? 友達にならない? バレても私が連れ出したってことにしていいからさ。私お父さんに顔きくから、いくらでも言い訳できるよ?」

「……おねーさん名前は?」

「綾見さあや」

「……あっそ。まぁ? どうしてもって言うなら仲良くしてあげてもいいけどぉ?」

「ホント? やった! じゃあ行こ?」

「どこに行こうってわけぇ?」

「迷子が行くところは迷子センターでしょ?」

「話聞いてたぁ!? みゃーは迷子じゃ——」

「私が迷子。人見知りで迷子センターの場所聞けないの。だから助けてくれる?」


 私は振り返り、彼女から私の背後に隠れてる青年に視線を移した。

 魅耶ちゃんは不信な目で青年を見ると、両手を腰に据えて彼の正面に立った。ずっと背は低いけど見下ろすように顔を上げて睨んでる。


「……迷子センターってどっち!?」

「……あっち」


 青年が小さく指差すと、魅耶ちゃんは「ふん!」と吐き捨てるように言って早足で歩いて行った。私も青年にウインクしてから後に続く。青年は頭を下げて手を振ってくれた。


「あーマジキモかった。あいつ絶対みゃーのこと誘拐するつもりだった」

「ちょっと目付きいやらしかったもんねー」

「でしょー!? 絶対近々朝刊に載るヤツ!」


 ごめんなさいたぶん善人お兄さん。でもこういう子は共通の敵を作るとノッてくるから……。


「魅耶ちゃん」

「みゃー」

「みゃ?」

「友達はみんなそう呼ぶから。特別におねーさんも呼んでいいけどぉ?」

「ありがと。そういえばお父さんもそう呼んでたっけなー」

「……キモデブハゲ。いい加減子離れしろっての」

「ちょっとふっくらしてきたから少し痩せたほうがいいかもね。みゃーちゃんスマホは?」

「置いてきた。GPSで場所バレるし」

「チェックされてるんだ?」

「ホント過保護すぎ。お母さんもあのキモ親父も! 帰っても勉強勉強うるさいし! 自分に身についてないくせに言う権利あるわけぇ!? 『この文章の作者の意図を——』……知るか! 『BC辺上を動く点P』……なんだおまえ座ってろ! A君もB君も違う速度で歩くな仲良く行け! なんで箱から出した赤い玉をまた箱に戻す必要があるわけぇ!? 白い玉なんて最初から入れるな! 二次関数……おまえは消えろ!」


 数学苦手なのかな……。


「私は英語が苦手だったなー。将来使わないだろうなーって思って」

「……実際使った?」

「んー……覚えたほうがいいかもなーとは思うかな? 外国人のお客さんが来て、スラスラーって話せたらやっぱりかっこいいしね。同僚からも頼られて給料もUP! って感じ」

「……英語は勉強してあげてもいいかも……感謝しなさい、ホライズン——あ、ちょっとぉ! どこ行くわけぇ!?」


 私はみゃーちゃんから離れて綿飴の屋台へ。後ろからみゃーちゃんも早足で追いついてくる。


「勝手に進むな『点P』!」

「はい」


 綿飴二つを購入し、一つをみゃーちゃんに手渡した。みゃーちゃんは一瞬目を輝かせたが、すぐに口をへの字に曲げた。


「なんなの?」

「綿飴」

「そんなの見ればわかるけどぉ!?」

「息抜きでしょ? 楽しまないと」


 私はそう言って笑いかけ、先を歩き始めた。みゃーちゃんは点Pに追いつく点Qのように走ってきて私の隣に並んだ。


「……おごり?」

「おごり。大人だからね」

「……おねーさん仕事なにしてんの?」

「キャバ嬢」

「キャバ!?」

「意外だった?」

「お父さんの知り合い……キャバ嬢……もしかしてナンバーワンだったりするわけ?」


 ナンバーワン……そう口にしたみゃーちゃんの目は不信感と怒りに満ちていた。


「違うよ? 私はぴよぴよの新人」

「……あっそ。そういえば確かリオって女だった……」


 みゃーちゃんの瞳から怒りが消えていく。かわりに綿飴を受け取った時みたいな輝きを少し取り戻して私を見た。

 リオさんを知ってるってことは……幸隆さんが貰ってる名刺でも見たのかな?


「……ナンバーワンになれそう?」

「どうかな?」

「なって! そんで今のナンバーワンぶっ倒して!」


 幸隆さんはリオさん推し……娘からナンバーワンへの怒り……なるほど。

 口ではお父さんのこと悪く言っても、他に取られるのは我慢ならない……なんだ、思ったよりずっとかわいい子じゃん。


「なれるかわかんないけど……がんばるね?」

「なんか余裕ある感じ……大人……」


 みゃーちゃんの私を見る目がどんどん輝いていく……ちょっと照れる。


「キャバ嬢ってなにすんの? 男の相手だけ?」

「基本的にはお話するだけ。悩み聞いたり、ちょっとした話で私が喜んだり褒めたりするの。それで、余裕がありそうな人にはすこーし高いお酒とか勧めたりして」

「どいつにも高いお酒勧めまくったほうが稼げんじゃない?」

「そうしたらお客さん次は来てくれなくなっちゃう。大事なのは一時の売上じゃなくて、継続してお客さんが来てくれる安心感とかをあげることなの。また私とお話したいなって思ってくれたら指名してくれるし、そのお客さんの仕事仲間や友達が一緒に来てくれたら、その席で楽しんでもらえたらその人たちもまた来てくれる。その繰り返しなの」

「ふーん……でも男の話に無理やり笑うのキツくないわけ?」

「別に無理やりじゃない時もあるよ?」

「クラスの男子とかバカばっかりだけど」

「それは人生経験がまだ足りないからじゃないかな? 私が相手するのは年上ばっかりだから」

「経験……」


 みゃーちゃんが歩きながらベビーカーに注目する……嫌な質問が来そうだ。


「……『初めて』ってどんな感じだった?」


 ほら来た。


「………………秘密」

「はぁ!? なんでぇ!? いーじゃん教えてくれたって!」

「……楽しみは取っておかないと……ね?」

「なんかそれ……えっちぃね」

「……でも大事にね? これは楽しいことだけじゃないから」

「ふーん……わかった」


 みゃーちゃんは綿飴を頬張りつつ、再びベビーカーを見つめる。


「……子持ちでもキャバ嬢ってなれるのね……女の子?」

「男の子」

「ふーん……みゃーは女の子欲しいなー」

「どうして?」

「だって男って汚なくない?」

「それはちょっとかわいそうじゃない? 見てみたら?」


 みゃーちゃんは頷いてベビーカーの中を覗き込む。私も覗き込むと、ハルキが両腕をちょこちょこ振って笑った——これは……接待モード?

 さっきまでは祭囃子に興味示さなかったのに、今は私とみゃーちゃんの顔を交互に見た後、キョロキョロと周りを見渡している。ぼやっと明るい提灯や屋台を見て「あややー……」と感嘆……かどうかは不明だけど、声を漏らしている。足も腕も元気に動かす様は実に赤ちゃんらしい。その見た目通りのかわいさにみゃーちゃんもメロメロになってるのがわかる。瞳がキラキラだ。


「どうだった?」

「……かわいい」

「でしょ?」

「……今は赤ちゃんだしー? それにみゃーはやっぱ女の子がいい。『あんたなんかにウチの娘やらないんだからね!』って言いたい」


 それ、どっちかというと父親が言うやつでは……。


「そのセリフ、将来お父さんが言ってくれるんじゃないかな?」

「はぁ? だとしたらキモすぎ。みゃーはあのハゲの所有物じゃないし。てかみゃーが選ぶ結婚に意見しようとか、何様?」

「きっと反対する気が無くても言いたくなるんじゃないかな? 私は……言ってくれたら嬉しい」


 たぶん……きっと……。


「だからその時が来たら笑ってあげて、旦那さんになる人を安心させてあげてね?」

「……考えといてあげる」


 その後も歩きながら会話が弾む。主にみゃーちゃんの幸隆さんに対するグチで。

 足が臭いとか薄毛の進行具合とか無駄に伸びてるチョロチョロの前髪がウザいとか……出てくる話がお父さんのことばっかり。たぶん相当なファザコンなんだろうなと思いつつ、私は相槌を打ち続けた。

 決して悪口に対して同意はしない。反対もしないけど、幸隆さんを別の角度から褒めるように会話を進める。優しい、面倒見がいい、部下から慕われている……そう言うと、みゃーちゃんは隠してるつもりだろうがほんのり口角が上がるのだ。

 身内の悪口を言っていいのは身内だけ。そして身内が褒められると悪い気はしない。キャバ嬢やってて、よく奥さんのグチを溢すお客さんの会話から学んだことだ。旦那さんの肩を持ちつつ奥さんの株も上げる。時にはどうしたらいいかのアドバイスもしちゃったり。次の来店でグチじゃなく奥さんとののろけが聞けると私も嬉しい。グチばかりで悪い空気の時に善玉菌みたいな動き……結構これが楽しくてクセになるのだ。

 そうしてみゃーちゃんとの親密度を上げながら、迷子が集まるお祭り会場本部のテントに辿り着いた。

 あゆは……いた。他の迷子と一緒に遊んでいる。とりあえず安心。


「私の連れもここに来てたみたい。みゃーちゃん、ありがとう」

「……みゃーのことバカにしてんの?」

「どうして?」

「……おねーさんが迷子じゃないことくらいもうわかってるってこと。あんな大人な感じで、迷子になるわけないじゃん……みゃーの迷子、助けてくれてありがと」

「……はい、どういたしまして」

「あーもう! やっぱりスマホ置いてくるんじゃなかった! あれば迷子になんかなってないんだから! わかった!?」

「わかってるよー。それでどうする? まだ息抜きしちゃう? 私たち花火も見ていくけど一緒に回る?」

「晩御飯までには帰んなきゃだから、抜け出したのバレちゃうしみゃーはもう帰る。じゃあね!」


 怒ったような声でみゃーちゃんが歩き出し……すぐ止まって振り返った。恥ずかしそうに頬を赤らめてミニスカートの裾を掴んでいる。


「……駅どっち?」

「あっち」

「……ありがと……おねーさん」

「なあに?」

「……また会える?」

「友達でしょ?」


 ぱぁっと笑顔が咲く。


「またね! さあや姉ぇ!」


 ぶんぶん手を振って行ってしまった。すぐに人込みのカーテンで見えなくなってしまう。


「さあや姉か……久しぶりに優しいお姉ちゃんができたな……」


 昔を思い出した……そして、さっき言われたみゃーちゃんの言葉を反芻する。


『おねーさんが迷子じゃないことくらいもうわかってる』


 私……本当に迷子じゃないのかな……。


 まだ暗い気持ちを引き摺ってる自分にほとほと嫌気が差す。無理やり切り替えなきゃダメだ。やつあたりみたいで嫌だけど……。


「今度は怖いお姉ちゃんやろうかな……」


 ゴゴゴゴ……地鳴りが響く。

 私の殺気に気付いたのか、チビッ子たちと遊んでいたあゆがこちらを振り向き、一瞬喜びを浮かべた後絶望に青くなった。


♦︎♦︎♦︎

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