第20話 綺麗ごと

♦♦♦


「これ歩きづれー」


 混雑の中、初めて履く下駄や大股で歩けない浴衣にあゆが四苦八苦してる。小股でちょこちょこ。歩幅に合わせて手ぶりも小さい。おそらく「かわいい」から脱却したい気持ちはあるだろうが、どんどん仕草は女の子らしくなっている。


「人多いな。祭りのところまでまだ歩くんだろ?」

「みんなそのお祭り会場に向かってるの。私たちと一緒ってこと」

「なんか家族連れとか……こ、恋人とか多いな」

「んーまぁデートなら定番だしね」


 家族連れや友達グループもいるが、男女のカップルが目立っている。私たちと同じように浴衣姿だ。カップルたちの手はいずれも手繋ぎ状態。それも指を絡ませた、いわゆる恋人繋ぎだ。

 あゆはじーっとカップルを見て、そして私の手を見る。そのワンセットを他のあれこれを見る中に織り交ぜていた。そんな熱視線を貰っても、私の両手はベビーカーを押すため塞がっている。諦めなさい。


 マホちゃんとはそんな仲になる前に……って状態だろうし、ノーラちゃんとは……あーダメ、幸隆さんが出てくる。考えるの止めよ。


 しかし、こうやって浮かれた姿を見てると一五歳の子らしいなと思った。女の子なのか男の子なのかはっきりしないけど、実に思春期を感じる——そう思ってたのに。


「あれなにー!?」

「これうめー!」

「だー! 当たらねー!」


 焼きそばたこ焼き……お腹に溜まるものばっかり。異常なほど反射神経も運動神経もいいのに射的は一つも当てられなかった。釣り上げた水風船はすぐ割っちゃうし、屋台に着いた途端はしゃぐ姿は小学生男子だ。


「うぷっ……ちょっと急いで食いすぎた……」


 そう言いながらも右手に持つチョコバナナは離さない。


「ちょっと消化がてら歩こっか。あっち」


 ベビーカー押しながら歩く先をリードしてあげる。屋台露店が並ぶ浅草寺の境内から東へ。一〇分ほどで見えてきた。


「あっ!」

「こら、裾上げて走んないの!」


 急に駆け出したあゆを追いかける。あゆは手すりに手を着いて上半身を乗り出していた。


「うはー……かわー! ふねー! うんこー!」

「最後の……次言ったら花火始まる前に帰るから」

「え"!? だって金ピカのうん——」

「あれは炎なの。神聖なものなの」

「そういやユッキーも神聖だって言ってた……かも」


 川向こうに見える金の炎のオブジェから雄大な川の煌めきに視線を移す。


「隅田川っていうの。花火もここで見ることになるかな。川がそんなに珍しい?」

「んなことないぞ。故郷でもたくさん見たし遊んだし。こっちの世界でも、キョウトからトーキョー来るまでにいくつも見た。オーサカでも似た感じの川見たぞ!」


 道頓堀のことかな。


「けどそこよりでっかい! 魚いるかな?」


 あゆは川底を見ようとさらに身を乗り出し始めた。


「言っとくけど、この浴衣レンタルだから汚したら怒るだけじゃ済まないからね……」


 自分の背後から「ゴゴゴ」と地鳴りが聞こえた気がした。ベビーカーでゆったりしてたハルキもビクッと体を揺らし、あゆは手すりに乗り出した身を硬直させた。


「ぶ、ぶちの……めす?」

「そこまではしないよ……しないよ?」


 怖くないよ~って気持ちを乗せて笑ってみせる。でもあゆは手すりから跳び離れてきをつけの姿勢をとった。——そんなに怖いかな……もう。

 強張った顔のあゆを横目に私は川沿いを歩き始める。少し遅れてあゆも早歩きで横に並んだ。


「一口ちょうだい?」


 ベビーカーを押すのに両手が塞がっているから、口を開けて目線で訴えた。あゆは一拍置いてチョコバナナを私の口へ持っていく。小さめにかじって噛み飲み込んでから川の水面を眺めた。

 屋台船が通る。カルガモが泳ぐ。夕方の斜陽を受け金色混じりの水面が煌めいている。子供の声、道路の喧噪……川の麗かな流れを見ていると、そのどれもが包まれていくように静けさを錯覚する。


「綺麗だね」

「え……? あぁうん」


 かじられたバナナを見てたあゆがこちらを見て答えた。次いで隅田川を眺める。


「でも、魚もっといっぱいいると思った」

「さっき見えたの? これでもかなり増えたらしいよ?」

「へーあんまり魚が好まない水なのか? 舐めたらわかるんだけど」

「やめなさい。——昔はすごく汚れてたって聞くね。昔の人が酷く汚して、汚いことに気付いて、努力してここまで綺麗にしたの。ここだけじゃなくて、そういう場所はたくさんあるの」

「今もちょこちょこゴミが浮いてるけど」

「祭りのせいかも。人が多いとどうしても、ね」

「ふーん……楽しいだけじゃないんだ」

「もちろんポイ捨てしない人のほうが多いし、気にかけて拾ってくれる人もいる。祭りが終わったら自治体の人とかボランティアの人も集まって掃除するしね。——あんたの世界では、やっぱり綺麗な自然ばっかりだったの? テレビもわからなかったんだもん。文明レベルは低めでしょ」

「あーバカにした!」

「ゴメンゴメン、私の勝手なファンタジー世界のイメージね。ビルみたいな高い建物は少なくて、お城とか教会とか格式高いものばかりで、どこにいても空が高い。夜は埋め尽くすほどの星が見える。人の生活圏は小さくまとまって自然と共存できてる……みたいな?」

「まぁそんな感じだけど。でもオレの生まれるずっとずーっと前は国と国の戦争ばっかで、森が焼かれて空は濁って、海はべとべとしてたってマホのばあちゃんが言ってた。詳しくは知んないけど、オレの世界でも昔の人がキレイにしたのかなぁ」

「そう……そういうのは違う世界でも一緒なんだね」


 日本だって、戦後から高度経済成長期にかけてたくさん壊されて汚された。それは隅田川だけじゃない。でもたくさんの努力が集まって、綺麗になって、年月が経って、美しい今しか知らない私みたいな人だらけになって……お年寄りの記憶や調べれば資料だっていくらでもあるけど、過去の努力に興味を抱く人はたぶん少ない。それって悲しいことなんだろうけど——あぁダメだ。楽しかったのにまた暗い気持ちが溢れてくる。


「綺麗になっていくと見たくない過去が消えてくみたいで、なんか落ち着くんだよね」


 絶対に消えないのに。


「心が雪がれてさ、私も綺麗なものになった気がしてくるの」


 汚いままなのに。


「このまま汚かった過去が無かったことになって、綺麗な今を大切にしたいって人が増えればいいなって」


 逃げてるだけなのに。


「もし川に心があったらさ、汚かった昔のことなんか知られたくないと思ってるんじゃないかな……あゆだって綺麗なもののほうが見ていたいでしょ?」

「うん……でもオレは昔のことも知りたいな」


 ……どうして?


「汚かったから今がキレイなんだろ? 汚い姿を知らないなら、今のキレイは当たり前だって思っちゃうよ」


 それでいいのに。


「なんなら汚かった頃も見てみたい。今がきっともっとスキになる」


 そんなわけない。


「大昔の自然な姿もキレイだったんだろーけど、人がいなかったらこの風景は生まれなかったってオレにもわかる。舟がぷかぷかして、それらを眺めながらいっぱい人が歩いてて、でっかい建物から影が伸びてきて……ハナビってのがここで打ち上がるのも、ここがキレイになったからだろ? 早く見てーなー!」

「……そうだね。私も早く見たい」


 あゆはキラキラな瞳を川の景色に向けてる。私は川から顔を背け、ビルが並ぶ街並みの方を見た。


「日が赤くなってきたよ? あと……二時間くらいかな。金魚掬いとか輪投げとか、まだやってないこといっぱいあるでしょ? 屋台回ってたらすぐ時間来ちゃうから、戻ろっか」

「あぁ! 先にアレ! 赤いの食べたい! あとモコモコの!」

「はいはい。りんご飴と綿飴ね」


 あゆはチョコバナナを二口で食べきり、今度は私をリードしようと先へ歩き出した。後ろから私も続くが、彼女の背中が見られない。つい下を向いてしまう。


 ——綺麗ごとばっかり……。


 あゆはいい子だと思う。素直で正直で、全て本心からの言葉なんだとわかる。でも眩しすぎて……ずっとは見ていられないよ。


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