第19話 かわいい派

♦♦♦


 体臭嗅がれて二割引き。恥ずかしいけど、目先の誘惑に堕ちて毎回嗅がせてしまう。


「なぁ、服替えにきたんじゃねーの? なんで髪切られんの?」

「美容院だもん。着付けとセットなの」

「ね? ね? メイクもやってかない? 私ィ、さあやたんのすっぴんみたいなー」

「結構です」


 二人で並んでスタイリングチェアに座る。鏡に映る私はいつもの濃い目化粧。あゆは銀次ママにナチュラルメイクしてもらっている。

 一緒に映る芳華さんの垂れ目が残念そうにさらに垂れた。


「えーがっかりィ……髪はどーしちゃう? 少し色も戻ってきたわね。染めてく?」

「んー染めは大丈夫です。髪型はお任せします」

「はいはいー。じゃあ今日はおだんごにしよっかー。浴衣だしかんざしもあるわよー。あゆたんは? 生え際若干黒くなってきてるけど、色抜いてく?」

「えーっと……」

「この子は揃えるだけで」

「おけおけ。んじゃ先さあやたんからねー」


 毛先を軽く揃えてもらい、重くなったところも梳いてもらう。私は浴衣のカタログを見ながらどれにするか品定めだ。なるべく派手なの……。


「これとこれ。お願いします」

「あいよー」


 芳華さんはカタログを受け取って店の二階にパタパタ駆けていった。ブンサブローもそれに続く。ぷりぷりお尻がかわいい。


「あいつ……あいつに似てね?」


 あゆがボソッと呟いた。


「さあやの店の……なんかテキトーな奴」

「リオさん?」

「そうそれ。姉妹とか? 似てねーけど」

「違うよ。強引なところとかはまぁ似てるかもね。まぁ二人はソウルメイトってやつかな」

「なんだそれ?」

「マブダチだよマブダチィ!」


 芳華さんが階段を降りながら答えた。結構地獄耳だ。再びブンサブローもついてきている。短い脚で階段をぴょんこぴょんこ……かわいい。


「中学高校からの先輩後輩だよーん。私が二年先輩」

「どっちもオレより年上に感じねー」

「あゆたんは後輩感あるよねー。二人は一緒に住んでんの?」

「なんでわかったんだ!?」

「だってェ! 同じシャンプーと同じコンディショナーと同じボディソープと同じ化粧水と同じ美容液と同じ乳液と同じクリームで蓋した香りがしたんだもーん! わかるわよー! 因みに本気だしたら周期もわかるわよ! あゆたん……四日後にぽんぽん痛くなるから準備しとこうね?」

「へ? なんで?」

「今度教えてあげるから……芳華さん、セクハラやめましょうねー?」


 クエスチョンマーク浮かべて分かってないあゆに小声で伝え、芳華さんには微笑みで切り返した。


「やんやーんこわーい! はいさあやたん終わり! あがったよーおかーさーん! きつけー!」

「はいはいー!」


 定食屋の厨房からみたいな芳華さんの呼ぶ声に、二階から店長である芳華さんのお母さんが降りてきた。

 趣味のキックボクシングのおかげで引き締まってる芳華さんと違い、店長さんはふくよかなお腹を揺らして弾むように降りてくる。後ろからブンサブローがついてくる。いつの間にまた二階に上がってたんだろうか。階段をぴょんこぴょんこ……めっちゃかわいい。


「さぁささぁさお着替えしましょーねーさあやちゃん」


 店長さんに試着室に連れていかれる。カーテンが閉められ、正面の壁のパネルミラーに自分の姿が映っている。


「脱ぎ脱ぎしましょーねー。真夏なのに長袖は暑いでしょー?」


 あっという間に下着姿に剥かれた。白い肌……昨日のハルキのオムツ姿と、もっと以前の青痣まみれの姿を思い出す。

 私も同じような姿だった時がある。毎日のように新しい痣を作っていたが、時間が傷を消してくれる。青や黒ずんだ斑点のない鏡の中の自分を見ていると、過去の自分も消えてくれたような気分になる——もっとも、決して消えない傷もあるのだけれど。そう思い、決して消えない右腕の火傷痕を擦った。


「……大丈夫? もっと袖長いものがいいかしらね」

「大丈夫です。ちゃんと隠れますよ」


 言いながら左手で傷痕を覆った。店長さんはまだ心配そうに鏡の中の私を見ている。


「そーお? 遠慮なく言うのよ? 浴衣は遠慮のないもの選んでくれてうれしーわぁ」


 店長さんが腕に抱く畳まれた浴衣。生地は濃厚な紫。柄は鮮やかなピンク色のバラが散りばめられている。かなり派手だ。あゆにも派手な柄を指定したので、並んで歩けば私の顔なんて印象に残らないだろう。

 浴衣に右腕から袖に通す。紫色の生地に火傷痕が吸い込まれ見えなくなった。袖をぴんと伸ばすと手首まで隠れる。大丈夫、普通にしてたら見えない。

 帯を締め、最後に後頭部で結ったおだんごに和柄の玉かんざしを挿してもらった。


「あらーいーんじゃなぁい?」

「えぇ。ありがとうございます」


 試着室を出ると、ちょうど毛先整えられたあゆが席を立つところだった。私と目が合い、あゆの目が少し大きく開かれる。


「どう? 似合う?」

「……う、うん……似合——」

「はーいじゃ次の子―」


 感想言い切る前にあゆが店長さんに試着室に連れてかれた。


「ほらほらー暴れないのー。脱ぎ脱ぎしましょうねー」

「ぎゃー!」


 カーテンの向こうで店長さんの餌食になっている。ドタバタとカートゥーンみたいな土埃が見えてきそうだ。

 あゆの着付けが終わるまで暇……ブンサブロー!

 ブンサブローはハルキが待つベビーカーの周りをうろうろしていた。私が近づくと愛らしいモコモコ毛玉は足にすり寄り、手を向けるとペロペロ指先を舐めだした——はぁ……癒し。


「犬が顔とか手を舐めるのは愛情表現じゃなくて、単にしょっぱいかららしいわよ?」

「夢破壊やめてください」


 芳華さんの嫌な囁きを制し、私はブンサブローを抱き抱えた。一緒にハルキを見下ろすと、おしゃぶりをんぐんぐしていたハルキの黒い瞳がこちらを向く。


「ボクはブンサブロー。よろしくね、ハルキくん」


 喋るおもちゃみたいな声色で腹話術。ぷにぷに肉球の前足を左右に振ってアピールするが、ハルキは無反応。するとブンサブローがハルキのほっぺをペロリ。ハルキは嫌がってそっぽを向いてしまった。これは……また無愛想モード?


「んーハルキは猫派かな?」

「さあやたん犬派だよねー」

「そうですね、どちらかと言ったら。まぁ動物はみんな好きですけど」


 私のこと知らないし、私の今だけを見てくれるし。


「私も犬派! 飼ってるし! あーでも猫もいいわよねー! 猫吸い……したい!」

「犬吸いすればいいじゃないですか」

「するけどーちょっと臭いのよねー。猫吸いはさ! 依存性あるって言うじゃん!?」

「芳華さんはもう人吸いに依存してますよね?」

「やーん一部の人だけよ! さあやちゃんのはもうホント、吸うと脳汁ドバドバだから! だからちょっと怖いのよね。すっぴん状態の化粧品をシャットアウトした時の香りがどんなものなのか……ゴートリップゥ……」

「取り締まり対象にしたんで諦めてください。リオさんのでいいじゃないですか。よく来るんでしょ?」

「あーダメダメ! あいつたまにほんのり生ごみの臭いすんのよ。昔っから掃除できない奴なのよねー。さあやたんあいつん家で前に掃除とかやってたっしょ? また出張メイドやったげてよー」

「頼まれたらやってあげてもいいですけどね」

「そういえばあいつ一昨日来たわよ。話すことは相変わらず人の弱点探しだったわ。なにが楽しいんだか……さあやたんの弱点もまた聞かれたわよ。今セロリ苦手ってことになってるから!」

「あぁまぁ……間違いじゃないですけど」


 リオさんは以前から人の知らないところで他人の噂などを集めている節がある。芳華さんだけじゃなくて、クラブの他のキャストに客とどんな話をしたのか、そしてその客にも聞いたりしている。

 なぜか尋ねたらマウント取りたいからってどうでもいい理由だったが、きっと接客時のテクニックに必要なんだろう。実際ナンバーワンだし。


「というか今更なんだけど! ……この赤ちゃんだれの子?」


 聞いてくるの遅っそ。


「私の親戚の子です。この子の両親が仕事でどうしても海外行かなくちゃで、この夏の間預かってるんです」


 そういう設定だ。


「へー! 仕事とはいえ乳児を置いてくとは……言っちゃなんだけど酷い親ね! 親に似ないよう祈ってるわ。言っちゃなんだけど!」


 ホントに、私もそう願ってる。


「あがったわよー!」


 試着室から声がして店長さんが出てきた。あゆはカーテンから顔だけ出してこっちを窺っている。眉間に皺を寄せ、目線は左へ右へとふらふらだ。


「なにしてんの? 出てきなさいよ」

「だって……」

「吸うよ? い?」

「出る!」


 恐れ慄いたあゆが勢いよくカーテンを開けた。

 濃いオレンジ色の生地に、赤白ピンクの椿柄が敷き詰まっている。帯はうぐいす色。ゆるふわの金髪はサイドテールで右側にまとめられ、普段真ん中分けの前髪は左に流し、以前あげた二本のヘアピンで留められている。

 あゆはチラリとこちらを見てはすぐに視線を外す。それを繰り返しながら小股で歩き、おずおずと試着室から出てきた。私と二歩の距離で立ち止まり、声も出さず目線は私の足元で止まった。褐色の肌でもわかるくらい頬と耳は紅潮している。


 これはなんていうか……。


「めっちゃいじめたくなる感じね!」


 芳華さんがスマホであゆを撮影しまくりながら代弁してくれた。


「ギャルとかヤンキーっぽい子が初心なのすっごくイイ! イイわよね!? ものすごく下世話なこと教えたいわ!」


 以前逮捕されたパパ活おじさんみたいなこと言ってる。


「そこまでは思ってないです。——あゆ、大丈夫だから。ちゃんとかわいいよ」

「なんか……やだ」


 ボソッとあゆが呟く。変わらず視線は私の爪先だ。


「なに? なにがやなの?」

「だって……」


 あゆは答えずにじっと散髪台の鏡を見てから私を見て、カランコロン下駄の足音鳴らしながらちょこちょこ近づいてくる。背伸びして、そっと私の耳元で押し殺した声を出した。


「だって……オレもかわいいって思っちゃった……」


 言い終わると数歩下がり、また足元を見始めてしまった。


「あー……そう」


 確かにショックというか信じられないというか、そういう気持ちになるのもわかる気がする。

 前世の記憶は持ってて現世の記憶がないわけだから、今の自分の姿は他人みたいなものだし、他人である女の子にときめくのも無理はないってことだ。

 男の子として【広瀬あゆ】のことを好きになっちゃうかもしれない。それも悪いことじゃない。周りからはナルシストと見られることになっちゃうけど。どう選択して、どう進んでいくかはあゆ次第なんだから。こう考えらえるようになったのは、銀次ママと楓パパのおかげだね。

 私は取られた距離を詰め、あゆの頭にぽんと掌を置いた。あゆはまだ爪先を見ている。


「ねぇあゆ。自分のことかわいいって思うのは普通のことなの。むしろ、かわいいを目指してる女の子ばっかりなんだから。だから、あゆはちゃーんと女の子になってきたってこと。ね?」


 複雑そうなあゆの顔。芳華さんと店長さんもよくわかってない顔だ。そりゃそうだよね。


「ブンサブローも今のあゆかわいいって思うよね?」


 私たちの足元をぐるぐる回っていたブンサブローは「アン!」と元気よく返事した——かわ!

 お気に召したようで、小さなモコモコはあゆの周りを入念にくるくる。クンクン匂いを嗅ぎながら体をあゆの足に擦り付けている。——羨ましい……ん?


 しゃーーー……。


 短い足を振り上げて、開放感満点の顔して、なんの悪びれもせず、淡々とお小水があゆの足にかけられている。

 時が止まったように空気が固まる。


「あーーーっ!!」


 あゆと芳華さんの絶望の叫びが時を動かした。

 暴れるあゆ。飛び散る尿。飛び退く私。逃げるブンサブロー。それを叱りながら追いかける芳華さん。「あらあらー」と冷静な店長さん。

 私は事が収まるのをただ見ていた。過去、抱えていたハルキの盛大なお漏らしを受けていたから「足だけならマシ」と一人頷いた。

 結局あゆはお風呂を借りた後着付け直し。浴衣は同じ椿デザインのもので、生地色はオレンジから濃い黄色のものになった。


「バカイヌ……」


 恨みがましい瞳がそう訴えている。もう犬派にはなれないだろうなぁ。


♦♦♦

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