第15話 知らない世界

♠︎♠︎♠︎


 メチャメチャになった道路を見てこの場に残るべきかと楓パパは迷っていたようだが、さあやが「説明できないし、事故車両はあっちにもそっちにもあるから」と説得して家へ帰ることになった。

 ユキタカは助手席に乗せられ、後部座席はチャイルドシートのハルキ。残った座席にさあやが座り、オレは隣に座ったがギチギチで肩が痛い。さあやも痛そうな顔して「こっち」とさあやの膝の上に座らされた。さあやの両の細腕がオレの腰をがっちりホールドする。なぜだかちょっと顔が熱くなるのを感じる。

 酒を頭から被っていたオレはびちゃびちゃで、臭くて、服には血も滲んでて……さあやは嫌な感じを顔にも口にも出さなかったけど、ごめんなさいって気持ちで顔の熱さは冷めていった。


「強いねークリスくんは」


 助手席から遠くの景色を眺めながらユキタカが呟いた。伝心魔法で頭に響いていたノーラの高めの撫で声ではなく、普通におっさんの撫で声だ。


「あ、今はもうクリスくんじゃなくてあゆちゃんか」

「どっちで呼んだっていいぞ。どっちもオレだ」

「じゃ~せっかく新しい人生なんだしー、あゆちゃんって呼ぶねー?」

「『ちゃん』はやめ——」

「えー? やだやだー! 『ちゃん』つけたいー! ぜったいー!」


 首を、腰を、腕を振って駄々をこねるおっさんがこんなにも見てられないとは思わなかった。

 

「……じゃあ……いいけど」

「えへへー。あゆちゃんもこっちの名前でアタシを呼んでね? ——マホちゃんは~?」

「あぁ、こっちのさあやがマホだ」

「いや違うけど」

「この通り、まだ前世から魂が目覚めてねーみたいでさ」

「そっか~さあやちゃんがマホちゃん……なんか納得ー! ちょっと似てるし。……マホちゃんが目覚めたら教えてね。伝えなくちゃいけないことがあるから~」

「あぁ! オレも言いたいことあるから、ちゃんと教えろよな! さあや!」

「だから違うんだけど……」

「ノーラはいつ目覚めたんだ? さっきメシ屋の前ではまだユキタカだっただろ?」

「んも~ユッキーって呼んでー。そっちの方が可愛いからー」


 おっさんで乙女なノーラはかわいいを求めてるようだ。女で男のオレとは真逆だな。


「目覚めたのはスモックを生み出した直後かな~。膿が抜けてくみたいな感覚の後、頭にパッと光が瞬いてズバババッって記憶の洪水が流れてきてね~。も~ビックリ! だったけどー、異常な魔力の立ち昇りでスモックを生んじゃったってすぐに理解したからー、それからはもうどーにかこーにか魔力を枯渇させようとしたんだけどー、アタシの得意な魔法って伝心魔法と変転魔法だけだし~どうにもできなくてーみんなゴメ~ンって。でも戦ってるのがクリスくんだ~! って思ってあ~よかった~って感じ~」

「よくオレだってわかったな」

「だって~あんな大立ち回りできる人クリスくんしか知らないし~。魔法も前世で得意なの使ってたからねー。も~カッコよかったゾ!」


 ユッキーが助手席から振り返り人差指でちょいっとオレを指した。


「話から推察するに、あなたも魔法の国の住人とのことでしょうか?」


 運転しならがら楓パパがユッキーに話しかけた。


「あ、そ~ですそ~です〜。あなたは……キャバで何度か顔を見かけることがありましたが……」

「片手で失礼。わたくし、こういう者です」

「あ~こりゃどうも~。アタクシも、どうぞ」


 お互いにカードを手渡している。オレも店の前で受け取ったな、と思い出した。名刺ってヤツだ。


「はえ~あのフォーゼグループの! じゃあ銀次ママの上司ですね~」

「えぇ。因みに銀次郎は私の夫です」

「あ、奥様でしたか~! これは失礼しました~!」

「あなたは文房具メーカーFLIPの営業課長でしたか。お宅の万年筆、よく利用させていただいてます」

「それはありがとうございます~! いや~しかしこんな高級外車乗ってる方にウチの製品でご満足いただけているか……」

「低価格ながら斬新なデザインと機能美。大変満足しております」

「そう仰っていただくとこちらとしても大変うれしく存じます~」


 楽しく? 談笑している。


「アレなんの話?」


 こしょっとさあやに尋ねた。


「大人の挨拶ね。こういう時は終わるまで黙って待ってればいいの」

「ふーん」


 大人の挨拶は長く終わる気配がない。「はじめまして。今後ともよろしく」でいいだろ!


 軽くため息を吐いて、窓の外を眺めた。

 ちょうど首都高を下りてごちゃごちゃした道に出るところだった。見たことのなかった建物、光、人々の服装などが目に入り通り過ぎていく。

 かつて見た故郷の村の田畑、城から眺めた草原や湖、城下の活気ある通り。兵士団の訓練風景や旅先訪れる他国の眺め、遥か霊峰の遺跡、海底の樹海、地下洞窟に広がる蒼空、そこにいる様々な生き物……キラキラしてた冒険の日々。もう、オレの知ってる景色はどこにもないんだ。

 そして、ノーラももう同い年の幼馴染ではないんだと改めて思った。

 転生の時期が違ったからか歳もずっと上だ。嬉しい時も辛い時も、オレかマホの後ろをくっついて歩いてた女の子は見る影もなく、今は前髪チョロチョロのおっさん……なんだろうこの気持ちは。

 転生した日は新しい世界の景色に興奮して、すぐにマホを探さなくちゃ、デスクスを倒さなきゃって躍起になって……マホは見つけたけど目覚めてない。そして今日、ようやく知ってる奴に会えたと思ったら、知らない奴になってた……。


「あんた泣いてんの?」

「な、泣いてないっ!」


 鼻を啜った音を聞かれたのか、後ろでさあやがオレの顔を覗き込んでくる。オレは急いで濡れた頬っぺたと目を両手で拭いた。


「泣いてなんかない……」

「……そ。……あんたさ、花火って知ってる?」

「はな……?」

「ひゅるるるる……どーんってやつ」


 さあやが窓に人差指をくっ付け、上に波立たせながらなぞっていき頂点で閉じた指先を開いた。そのままヒラヒラさせて手を下ろす。


「……なにそれ」

「火が昇っていって空で花が咲くの。あんたの世界にはそんな魔法なかった?」

「……ない」

「すっごく綺麗なの。さっきあんたがスモックやっつけた時、空で爆発した感じが似てて思い出したんだけどね、来週花火大会あんの。留守番ばっかさせちゃって私も悪かったからさ、一緒に行こうよ」

「いいの?」

「うん。屋台とかも出るからおいしーものもいっぱいあるよ?」

「……行く」

「行こう行こう」


 もう一度目をごしごし拭いて窓から空を見上げた。

 高い建物で塞がれて狭い空にはやっぱり星は見えない。これからは、この知らない空を知っていくしかないんだ。

 さあやと一緒なら、これから見る景色をキラキラの思い出にできるかな?


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