第12話 ワニワニ

♠︎♠︎♠︎


 楓パパの車に乗り込んだ時、昼間はなかったチャイルドシートなるものが後部座席にあり、ハルキがすやすや寝息を立てていた。オレは助手席に座り、さあやはハルキの隣の席に座った。

 パパと新宿巡りした時もそうだったが、このシートベルトとか言う縄は慣れない。こんなので縛られて、他の車や壁に激突しそうになった時どうやって逃げればいいんだ。


「お姫様、初勤務はいかがだったかな?」


 楓パパが車を発進させながら言った——姫……そんな偉い奴いたか?


「お姫様、返事」


 さあやにビシッと言われオレのことだと気付く。


「けっこー楽しかったぞ! おしゃべりするだけで金が稼げるなんて楽な仕事、オレの世界にはなかった」

「それはなにより。さあや君はどうだい?」

「二度とごめん」

「そうかい? 端から見てたが、肩の力が抜けてとても楽しそうに見えたが」

「拳に力は入ってたよ?」

「ひぇっ……」

「あのライター、あんたがやったんじゃないでしょうね?」

「なんもしてねーし。あれこそさあやん中にある魔力の爆発だ。いやーマホの記憶が目覚めるのも時間の問題だなー」

「そうすると、まさかさあや君も魔法少女に?」

「私、そんな歳じゃないので」

「最近の作品なら違和感ないのではないかい?」

「オレが前にハルキと見てたニチアサってやつの話か」

「ムリムリ。恥ずかしすぎる」

「見てみたいものだ。プリプリでキュアキュアな二人を。——ところで、あゆ君は魔法少女としてどんな活動をしているんだい? やはり人助け……それとも悪の組織がいたりするのかい?」

「組織っつーか、悪い奴が一人いるだけ——」


 突然背筋に怖気が走り言葉を飲み込んだ。人肌のように生暖かい風が背中から手を回し抱き着いてくるような、しかし触れそうで触れない距離を保つ気持ち悪い感覚。

 車の窓から外を見やる。建物の明り、雑踏、高架を走るたくさんの車たち……見つけた。

 少し遠くの空に淀んだ空気の蠢きが見える。煙のように地から立ち昇るそれに、クリスとして死ぬ間際に見た暗球が脳裏から蘇った。あの時と比べるとかなり小さいが、強烈な魔力を感じる。スモックが生まれる前兆だ。それも少しヤベーやつ。


「パパ、停めてくれ!」

「どうしたんだい?」


 疑問を投げかけつつ、楓パパは車を道の端に寄せて車を停めた。

 オレはシートベルトを外しドアを開けて飛び出す。


「先帰ってろ!」


 背後からさあやと楓パパの声がするが、無視して走り出す。


「走りづれー!」


 買ってもらったワンピースの裾をまとめ、左腿の横で結んだ。

 人の波を避けながら進む。酒と食い物の臭いが充満する道だ。人が多すぎる。左右を見て、飲食店の外テーブルを踏み台に跳ぶ。食事していた客が叫び「悪りぃ!」と一言伝え、ビルの配管を掴んで跳び、蹴り、瞬時に屋上へ着いた。ここも酒臭くて人がたくさんいる。飲食店のテラス席のようだ。下から跳びだしてきたから注目を浴びているが、気にしない。

 幸いビルとビルの間隔は狭く、高さもあまり変わらない。


「強化魔法【コサミン】……」


 小さく唱え、青い光の粒が両手首と足首に環を形成していく。戦士ならだれでも最初に覚える身体強化魔法だ。右手をグーパーし、その場で跳ねて魔法の効き、身体の軽さを確かめる。

 走り出し、屋上の端からジャンプする。同時にたくさんの悲鳴が上がったがすぐに聞こえなくなった。一度の跳躍でビル一つ分くらいは余裕で飛び越せる。着地してまた跳ぶ。

 ビルを十棟ほど超えたあたりで陰鬱な空気の真下に来た。ビルの屋上から地上を覗う。この辺も飲食店が多いが、ある一帯に人だかりができている。食事や酒を楽しむ雰囲気とは違う、異様などよめきが上がっていた。霧状で夜色の濃厚な魔力が漂い、空の魔力溜りもそこから立ち昇っている。

 ビルの屋上から飛び降り、人をかき分けて騒ぎの中心を覗き見ると男が二人。一人は戦闘態勢を取ったように腰を沈ませて立っている。オレには背を向け顔は見えない。尻もちついているもう一人は——。


「おっさん!?」

「あ、あゆちゃん?」


 さっきクラブで別れたユキタカのおっさんがいた。ちりちりのチョロ毛が荒い息遣いと一緒に上下している。だが、今はチョロ毛よりも額に目がいく。真っ赤な血が垂れていた。


「おいおまえ!」


 ユキタカを襲ったと思われる男に声をかけると、瞬時に男が振り向いた。


 グルルルルルゥ……フゥ、フグルゥ!


 猛獣みたいな唸り声をあげ、歯茎を剥き出して威嚇してきた。顔はわからない。鼻から上に真っ黒の靄——スモックが張り付いて、ギラギラと鈍く光る眼に怒りを湛えている。男は意識を乗っ取られているのか理性がなく、涎をだらだら流している。

 男とスモックは目を共有しているのか、オレと目が合うとキョロキョロと周りを見渡し、オレとは反対方向に四足で走り出す。囲っていた野次馬たちをなぎ倒して見えなくなった。

 オレは追えなかった。明らかにデルクスの手がかりになる男だったが、見過ごせないヤバいものがこの場に残っている。


「君あのおっさんの知り合い?」


 隣にいた野次馬の男に話しかけられた。


「まぁ、うん」

「圧巻だったよ。猿みたいな声が聞こえたと思ったらさっきの狂った男が暴れてて、止めに入ったそこのおっさんの頭に嚙みついたんだ。酔っ払いの行く末があんな狂人なら酒もほどほどにしたくなるね。まぁでも警察も救急車も呼んだみたいだし、君知り合いならついててあげなよ」


 そう言って野次馬男は去っていった。同じように何人かは場を離れたが、まだ人数が多い。ユキタカを手当しようとしている人たちもいる。人払いもしたいが、まずは抑え込まないと。

 オレはユキタカに近づき、地面に膝を着いて彼に目線を合わせる。額の噛み跡から薄っすら天に昇る暗煙。自分が上位のスモックを生み出す苗床とは気づいていない。溢れる魔力が薄いからか周りの野次馬たちも異変に気付いていない。蓄積された空の魔力溜りはただの暗雲だと思っているのか、雨を警戒して足早な人が多い。


「恥ずかしいところ見られちゃったねー」


 ユキタカは平静を取り繕い笑っている。

 大丈夫。マホが所属してた【すこやかねむねむ】で、何度かスモック発生抑止を手伝ったことがある。大切なのは同調と肯定。沈んだ心を上方修正する。


「んなことねーし。ヤベー奴止めに入るなんてカッチョイーじゃん」

「そうかなーえへへ。リオちゃんに自慢できるかなー?」

「できるできる!」

「ありがとねー……しっかし、さっきの狂った暴漢はなんだったんだろねー?」

「すぐ捕まるよ。それよりさ、一人だったのか? 頭ツンツンとモジャモジャはどうしたんだ?」

「キャバクラ出た後三人で飲み直したんだけど、一件目でお開きにして別れたよ。俺は一人でもう少し飲みたくてねー……あんまし家に帰りたくなくってさー」


 深い溜め息と一緒に溢れる魔力が濃くなった。マズい流れだ。


「家では居場所がなくてさー会社では上から怒鳴られて下にはムリヤリ怒鳴って……案外襲ってきた男もウチの会社の人間だったりしてねー。元々を俺を襲うつもりでさー。顔は見えなかったし。今日一緒にいた二人だって気のいい奴らだけどさ、内心俺のこと——」


 湧き出る魔力がより多くなり、空の魔力溜りが夏空の雲みたいに高く膨らんでいる——ヤバいヤバい……最終手段だ!

 自傷気味に笑って項垂れるユキタカの手を取り、両の手で優しく包んだ。じっ……と瞳を合わせ、できるだけ優しく笑いかける。


「あ、あゆちゃん?」

「おっさん……じゃなくて、ユッキー。ユッキーはすごいよ。店ではずっと笑っててさ、辛いとこは全部見せないようにしてたんだろ? 部下二人にも弱いとこ隠してさ。でもさ、一旦吐き出したほうがいいよ。溜まったモン全部、オレが受け止めてやっからさ」

「あの、あゆちゃん。ダメだよーそれは……」


 ユキタカはお尻を地面につけたまま後退りし、引っ張られるようにオレは身を乗り出した。なぜか残っていた野次馬たちも騒めき始める。


「ここじゃ話しづらいだろうし、落ち着ける場所行こう。だいじょうぶ、ユッキーのしたいこと、なんでも言ってくれよ。オレ、なんでもするからさ」

「な、なんでも……?」


 ユキタカが唾をごくりと飲み込んだ。——もうちょいだ!


「うん! なんでも―!」


 オレがこれ以上ないって笑顔で答えた瞬間、ユキタカの額から爆発のごとく魔力が噴き出した。オレは堪らず吹き飛ばされ、ゴロゴロ転がって電柱に背中を打ち付けた。


「あれー!? なんで!? なんかヤベーとこ踏んだ!?」


 必勝の【なんでもする】が通用しなかった。クリスの時はこの一言でどんな相手も悩みをぶちまけてくれたのに。

 夜空に浮かんでいた魔力溜りが収束して球となる。途端に浮力を失ってユキタカの頭上に落ちてきた。そこを中心に黒い風が吹き荒れる。悲鳴が上がり、周囲の人たちはまばらに散っていった。

 地に落ちた暗球の中で、ゴキゴキと音を立ててスモックの醜悪な姿が形成されていくのが薄っすら見える。


「ダメだよ……あゆちゃん……俺には妻も……子供も……」


 イル"ンダガラアアァアァァ!!


 もはや人ではない悍ましい濁声の叫びと共に、暗球がはじけ飛んだ。

 ザコのスモックとは違う。てらてらと鈍く光を反射する灰色の肌。鋭い鉤爪を有す八本足。下半身まで裂け開く先細りする口、上顎に大きく鎮座する巨大な一つ目。その目の縁と口からはスモック特有の黒い靄が溢れ流れている。そしてなによりでかい。骨が飛び出してトゲトゲした長い尻尾も含めれば電車一両分はある。この姿は——。


「ワニワニ!」


 日中ゲーセンで遊んだ【ワニワニ】に似ている。こっちは随分と禍々しいが。


 ネ"ガセロ"オ"オ"ォォ!!


 ワニワニスモックは大口を開け咆哮。高音と風圧で飯屋の看板が吹き飛び窓ガラスが割れた。赤熱する一つ目でオレを見定め、突進してくる。

 オレは跳び起き、太陽のヘアピンを外し指で弾く。


「【パオン】!」


 肥大化したヘアピンをキャッチして、剣に見立て構える。周りにいた人々が散開する中、ワニワニを睨みつけた。


「やるしかねーな……ぶっ倒す!」


♠︎♠︎♠︎

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