第5話 ファンタジー

♦♦♦


 さっきファンタジーを体験したばかりだ。どんなぶっ飛んだ話でも信じてあげよう。

 そう思っていたが——。


「あームリムリムリ、信じらんない」

「ホントだし!」


 異世界で死んで生まれ変わって、以前は【クリス】って名前の男の子だったなんて。

 私に頭を洗われるあゆは目をがっちり瞑ってプルプル震えている。なるほど、純情少年の演技は上手いようだ。

 シャンプーの泡を洗い流し湯船にぶち込む。私もメイクを落とし髪を洗い始める。


「学校でそういうゲーム流行ってんの? 異世界から来ましたってやつ」

「来たんじゃなくて、生まれ変わったんだって!」 

「前世の記憶ってやつ? じゃあさぁクリス君。異世界の言葉喋ってみてよ」

「いいよ?」


 あゆはごにょごにょ話し始めたが、英語ともフランス語とも、中国語ともとれないなんとも言い表しづらい言語だった。


「テキトーに言ってるようにしか聞こえない。ちなみになんて言ったの?」

「『オレのほうがおっぱいがでかい』」

「見てないくせに……湯舟交代。立って」


 あゆを立たせ、交代で私が湯船に浸かる。


「クリスくーん。もう湯舟入ったから目開けて大丈夫だよー」

「ホントか……?」


 恐る恐るまぶたが開かれ、見えた薄茶色の瞳に手を振った。


「だれ!?」

「さあやでーす」


 すっぴんを見たリアクションに満足し、私はうんうんと頷く。


「え? うそ、えぇ? 目の色も青かったのに今灰色……なんか魔法使った?」

「かけてた魔法を解いたの」


 化粧落としてカラコン外しただけだけど。


「その魔法絶対使わないほうがいいって……」

「なんでよ」

「だって今のほうがさぁ……」


 あゆはチラッとこっちの顔を伺い、目が合うとパッと顔を伏せた。


「なんでもない! ……あれ?」


 あゆは伏せた顔を戻し、私の右腕を見つめた。


「さっきの怪我、痕残ってるじゃん!」

「あ……これは……」


 肘回りに大きく広がる赤い痛々しい痕……。


「これはずっと昔についたやつ。というかこれ火傷だし。今日怪我したのは左腕。ほら。あんたが治してくれたでしょ?」


 湯船から左腕を出して捻って見せた。傷は跡形もない。そのまま左手で右腕の火傷痕を隠すように擦った。あゆは「そっか」と言って再び私から顔を背けた。私の火傷痕を見ても特に関心がないようだ。少し嬉しい。

 私はトリートメントやコンディショナーを順に使うよう教えてあげた。あゆは「なんだこれ」と言いつつも、教えた通りにトリートメントを手に取り髪に揉みこんでいく。


「それにしてもさ、四日前に別世界で目覚めたにしてはこっちの言葉を随分ペラペラ話せるね?」

「……一五年こっちで生活してるわけだし」

「じゃあなんで【広瀬あゆ】の記憶はさっぱり無いわけ?」

「わかんない……上書きされたとか?」

「記憶だけ? きゅーきょくまほうにしては使い勝手悪いね」

「極大魔法な」

「その極大って付ける意味あんの?」

「付けたほうが『すごいの出すぞ!』って気持ちになるじゃん」

「なってなんか変わんの? そもそも宣言するのもさ、戦争してたんなら敵になんの魔法使うかバレて不利じゃない?」

「まぁそういう時もあるけど……でも言ったほうが効果上がって強いもん」

「そういうもんなの……? 私漫画も読まないし、そういう少年漫画的なパワーよくわかんないわ」

「まんが……? とにかく! すげー魔法なの! 魂が肉体を捨て別の世界へ転生する旅の極大魔法【ディア・サム・ナフィア】」

「旅? なんで旅? そのまま転生魔法じゃダメなの?」

「えっと……そういや聞いたことないや」


 なんかでも……呪文っぽい言葉だ。


「ディア——」

「ちょま!」


 不意に口を塞がれた。呪文の続きが「はむふぁふぇふぁ」になる。


「気軽に唱えんな! 言ったろ? 肉体を捨て旅立つ……死んじゃうぞ!」

「私魔法使いじゃないもん」

「でも魔力はめっちゃ持ってる。しかもお風呂入ってるからほんわかしてうっかり出ちゃうかもだぞ!」

「なんでほんわかすると出ちゃうの?」

「心を解放することが魔法の強さ……出力に影響するんだ。癒されたり逆に怒ったり……オレは美味いもん食ったこととか思い出して魔法使ってる」

「へー……変なの」

「とにかく無闇に唱えちゃダメだぞ!」

「はいはい。というか、あんたも人前で使っちゃダメだからね?」

「え、なんでだ?」

「この世界は魔法なんて使える人いないの。あんたの正体バレたら怖い人に連れてかれて解剖とかされちゃうよ?」

「えぇ……ヤベー世界に来ちゃったな……ともかく、旅の極大魔法はマホが編み出したマホだけが使える魔法だ。今はさあやでも使えるかもしれない」

「そうそう、なんで私がマホって子の生まれ変わりってことになるの?」

「マホの魔法が使えたからだ。マホのオリジナルの魔法で、使い手はマホしか知らねー。スモックに襲われた時のアレだ」


 私を守ったあの白光の鎖は、私が出したのだという。赤ちゃんを——ハルキを庇っただけだし、そんな感覚は全くなかったけど。


「マホは魔法の天才だ。膨大な魔力を持ってて、どんな魔法も使えたし創ることができた。オレは大きさ変えるのと体を強化するのと傷治すやつだけ」

「ふーん……じゃあそのスモック……だっけ? あのちっちゃい祟り神みないなのは結局なんなの?」

「人から漏れた魔力が意思を持ったヤツだ。魔力ってのはぎゅぎゅってされた負の感情から生まれ、それを吐き出して形とするのが魔法なんだ。だから魔法使うとすごくスッキリするぞ! しかし驚いたぞ。シンジュクって街は淀んだ魔力だらけでさ」

「負の感情……それを解放することが魔法に……つまり魔力って……」


 ストレスじゃん。魔法ってストレス発散じゃん。夢壊れるー。大魔法使いのマホって子はつまり、凄く気疲れした子ってことじゃん。


「マホはスモックの発生防止、討伐を目的とした国境のない組織……えーっとこっちの言葉だと……【すこやかねむねむ】に所属しててー」


 組織名かわいめでは?


「世界の安心安全のために、人々の相談に乗ったりーごみを拾ったりー木を植えたりー、日夜戦ってたんだ」


 ボランティア団体じゃん。勇者とか、そういうのじゃないんかい。


「あんたは? そのすこねむ団にいたんじゃないの?」

「オレ? 手伝うことはあったけど基本どこにも属さず旅してたよ。世界を見たくてさ。名のある冒険家に弟子入りもしたんだ! 国から依頼されて秘境の探索とかもやったしー、生物の調査とかもやったしー、ヤバめのスモック討伐隊に加わったこともあるぞ!」


 えっへんと鼻高々に気持ち良く話している。自慢のつもりなんだろうけど、世界観も生活観も想像の域でしかない私には伝わってこない。


「それで? そのスモックがなんでこの世界にいるわけ?」

「え? この世界ってスモック出ねーの?」

「出ない。魔法もない。私のリアクション見てたでしょ?」

「んーなんでだろ? オレふつーに魔法使えたし」

「じゃあ、あんたの転生ついでにそっちの世界のルールがついてきたってことじゃない? じゃあ私が怖い体験したのもそのマホって子のせいなわけだ」

「ち、ちげーよ! マホのせいじゃない! デルクスって奴のせい! デルクスは人からスモックを無理やり生み出したり従えたりできたんだ。スモックは無差別に暴れるだけなんだけど、今回のは明らかに操られてた。たぶん、近くに奴がいたんだ」

「その人が元の世界で悪さしてたんだっけ? 魔王かなんかなの?」

「まおー? スモックの研究第一人者の変態だ。家の地下でスモックを飼育したり、敷き詰めて寝たり、食べたりしてたらしいぞ」


 字面の変態度が高い。


「マホの魔法で一緒に転生したはずだから、見つけてぶっ殺さないと」


 コメディ寄りの少年漫画を読むような感覚で聞いていたから、急に飛び出した物騒な言葉に戦慄した。


「殺すって……説得とかじゃダメなの?」

「デルクスは世界滅亡を一人でやってのけたヤベー奴だ。研究者として一目置かれてたらしいけど、本性表してからはスモックを操って兵隊を組織し、さらに凶暴なスモックを生み出すため人や動物を傷つけたり、自然破壊を繰り返した。世界に戦争を仕掛け、結果滅ぼした。シンジュクはスモックをいくらでも生み出せそうだし、絶好の実験場だ。この世界でもやりかねない。見つけ次第——」


 言葉を遮り私は立ち上がる。まだトリートメントを毛先に揉みこんでいたあゆは「なぁッ!」と声を上げて顔を背けた。


「この話はおしまい。私は上がるから、髪流したらあんたも上がんなさい」

「う、うん」


 風呂場を出て、脱衣所で身体を拭く。


「それから、明日は店に行ってママに説明するから。それが終わったらお家に帰んなさい。お金は貸すから」

「え、やだよ! せっかく会えたのに! デルクスも探さなきゃ! てか家もわかんねーし!」


 寝間着に着替えを済ませ、風呂場の声をかき消すようにドライヤーで髪を乾かした。


♦♦♦

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