第4話 お風呂

♦♦♦


『——売春斡旋容疑で現行犯逮捕された男は、「女の子の赤面した顔を見たかった。生きる活力になる」などと供述しており、警察はこれまでに余罪がないか追及する方針とのことです。また、少女に渡されたというプラカードは見つかっておらず、入手経路と、同じく新宿歌舞伎町内に突如出現した、同一のメッセージが書かれた壁との関連性を調査中であるとのことです』


 テレビの中でアナウンサーが神妙な面持ちで淡々と伝えてくる。被害に遭った少女は見つかっていないと報道されているが、私の目の前でテレビにかじりついているのがその少女だ。


「テレビ、珍しい?」

「似たような魔法はあったけど、こんなのは初めて」


 ツッコまないぞ。


「目悪くするから離れなさい」


 猫の首根っこ掴むように、制服の襟を掴んでテレビから引きはがす。床にチョコンと座る姿は、これまた借りてきた猫みたいだ。テレビ以外も物珍しいのか、きょろきょろ見渡してはソワソワしている。


『次のニュースです。上野動物園でかわいいパンダの赤ちゃんが——』

「あっ!」


 私がテレビを消すとあゆちゃんが叫んだ。


「見てたのに……そういえば仕事って言ってなかった?」

「電話で上司に言って休ませてもらったよ」


 荷物もそのままだしどうしてその場で待ってなかったのか、メチャクチャ聞かれたし怒られたけど、赤ちゃんのこととかいろいろあるし、今日は休みでいいと言ってくれた。あゆちゃんのことも聞かれたけど「明日出勤した時説明する」と言って逃げるように切ってしまった。


「デンワ……いやーでも泊めてもらって悪いな」


 仕方ないじゃん。お金全然持ってないみたいだし「帰れる? 泊まるとこある?」って聞いたら「あっちに宿があるから、相部屋でいいなら道行くおじさんに頼んでみたら? ってあの親切なおっさんに言われた」って言ってラブホ街の方指差すんだもん。まあ助けてもらったし、泊めるのは全然いいんだけど。


「マホん家にはよく泊ってたし、なんだか懐かしいな!」

「だから、私はマホじゃないって」

「そーだった、今はさあやだったな。ま、その内目覚めるって! オレも一五年【あゆ】だったみたいだし」


 意味不明な発言は置いておく。ツッコまないって決めたし。それより急務がある。


「あゆちゃん」

「ちゃん付けやめてくれるか? くすぐったくてさぁ」

「じゃあ、あゆ。お風呂入るから、手伝って」

「え"」


 カエルみたいな声を出して、あゆが固まった。立ち上がってそろそろ~っと後退りする。


「えー……んー……それは、その……よくないと思う」

「なんで?」

「だって、小さい頃はよく一緒に入ってたけど、今はさ、ほら」


 ドギマギするあゆに一歩近づく。また一歩退き、詰め、壁に追い込んだ。なぜか彼女は顔が真っ赤だ。


「それ、それにオレ、男だし!」

「はぁ?」


 真っ赤でカチコチの顔から視線を落とし、むんずと胸を掴んだ。


「ひぁ!?」

「こんなたわわ実らせてなに言ってんの」

「たわわ……」


 あゆが両手で自分の胸を触る。何に感動したか知らないが「おぉー」と感嘆した。


「マホよりずっとあるな。さあやよりは……」

「アホなことしてないでとにかく手伝って。強制。私も初めてなんだから」

「はじ、めて?」


 風呂場に入り、手早く体を清めた。ハラハラしながら、しかし丁寧に。

 

「用意は!?」

「いつでもいいぞ!」


 風呂場から出て、バスタオルを手に待ち受けていたあゆに手渡し。水気を取りながらパタパタ駆けていき、抱えていたものを布団の上に優しく置く。さらにタオルをペタペタ当てて水気を取り広げる。真っ裸の赤ちゃんが露わになった。

 ベビーパウダーのパフを構え、あゆが赤ちゃんの柔肌をぱふぱふする。


「うおおぉぉーー!」

「叫ぶな! うっさい!」


 仰向けにさせ、背中もお尻もぱふぱふぱふぱふ。全身隈なくぱふれたことを確認し、私はせっせとオムツを履かせ、ベビーウェアに手足を通しボタンを留めて「ふぃー」と一息。


「よし。私はミルク作ってくるから、その子見ててね?」

「任された!」


 玄関兼キッチンへ行き、スマホで作り方を復習。

 煮沸消毒した哺乳瓶に粉ミルクを適量入れ、沸かしたお湯を少し冷ましてから注ぐ。粉を溶かして、お湯を足して、人肌の温度くらいまで冷まして……。


「ああぁぁーーーー!」


 唐突な泣き声に哺乳瓶を落としそうになる。部屋を見ると、ギャン泣きしてる赤ちゃんの横であゆがあたふたしていた。


「ちょっと! 見ててって言ったでしょ!?」

「だから見てるし!」

「見てるだけじゃなくてあやしたり抱っこしたりしてよ!」

「そ、そっか。そうだな。よし、抱っこぉふっ!?」


 あゆが抱っこしようとして赤ちゃんを引き寄せた際、見事な裏拳を眼球に受けてしまった。たまらず転げ回っている。


「ぐああーーー! 目がー! 目があー!」

「もういいから静かに!」


 私は充分冷ました哺乳瓶を手に、パタパタ駆ける。暴れる赤ちゃんを抱っこし乳首を口に突っ込む。「んくんく」とミルクを飲み始め、やっとおとなしくなった。一生懸命に飲む姿に、あゆも痛みを忘れたのか「はぁー」と息を吐いて見入っている。

 急に暴れたり静かになったり、赤ちゃんの行動は全く読めなくてやっぱり怖い。みんなこんな感じなんだろうか。

 ミルクを飲み干した後、背中をポンポン叩き「けぷっ」とゲップをさせる。布団で一緒に横になり、お尻や背中を時々軽く叩きながら顔を見つめ続けた。次第にとろんとまどろんですやすや眠り始めた——なんとか……うまくいった……?


「こうおとなしくしてると癒されるなー」


 あゆの言葉通り、私も心がフワフワしてくる。溜まっていた膿が吐き出され、洗われるようで……その隅で、絶対にありえない、こんな親みたいなこと、人生ですることなんてないはずだったのに——薄暗い気持ちが競り上がってくる。


「でもやっぱ母親は違うな。オレが触ろうとするとすぐ暴れたのに」

「私は母親じゃない」

「え? でもすごい手慣れた感じじゃね?」

「そんなことない。全部ネットで調べて人形相手に少し練習しただけ」


 私は部屋の棚に置いてあるカエルのぬいぐるみを指差した。

 違和感はある。さらっと調べただけ、ただのぬいぐるみ相手の練習だけでこんなうまくいくわけがない。


「そんじゃその赤ん坊は?」

「それは……」


 おかしな言動はあるけど悪い子じゃないのはわかる。相手はただの女子高生。出身は京都……どうせ一晩泊めるだけの相手だし、助けてもらったし……。

 私は赤ちゃんを預かった経緯を簡潔に話した。


「じゃあ旦那は? いねーの?」

「結婚してないし」

「そっか。さあやって何歳?」

「……二一歳」

「広瀬あゆが一五歳だから六歳差……ふんふんなるほど」

「なにニヤついてんの?」

「な、なんでもない! ——まぁでも、兄貴が父親なら親戚ってことになるだろ? なんかこう血の繋がり的な? 波長が合う感じで懐いてるんじゃないか?」

「あれは兄じゃない」

「え? でもさっき」

「私に兄なんていない」

「兄から預かったって」

「兄は……いたけど」

「どっちだよ」

「かわっちゃった……」


 お兄ちゃんは優しくて、楽しいことをいっぱい知っていて、私は大好きで……どこへでも後ろをついて回ってた。でも引き離されて……今のあいつは……。


「大丈夫か?」


 肩に手を置かれ顔を上げる。涙が一滴頬を伝った。さっと拭い、平気な顔を取り繕う。


「別に。なんでもないし。赤ちゃん置き去りにしたのは【椎名】って男。絶対関わっちゃダメな奴だから。万が一会っちゃって、私の名前出してきても絶対無視するんだよ?」


 私と関わった以上この子もあいつに見られた可能性がある。この子も女の子な以上、毒牙にかかってしまう恐れは捨てきれない。

 黒の短髪、気味の悪い三白眼、色白で身長は一八〇くらい……一応特徴を教えておく。


「シイナ……ふーん……わかった。なぁ、この子の名前もわかんないのか?」

「うん……」

「じゃあなんか名前つけねー? 不便だし」


 それは確かに……勝手につけていいものかとも思うが、このままずっと「赤ちゃん」呼びは不自然だし、なによりかわいそうだ。


「じゃあ……【ハルキ】」


 兄の話をしていたからか、すっと出てきた。


「ハルキな。ハルキーおっきくなれよー」


 あゆは赤ちゃん、もといハルキの寝顔に笑顔を向ける。私も「ふふっ」と声を漏らして微笑んだ。小さな寝息を聞き、あゆに再び視線を向ける。


「私たちのことは終わり。今度はあんたの番」

「オレ?」

「あの黒い化け物とか、あんたの変な力のこととか」

「話す話す! 早く思い出してほしいし!」


 待ってましたと言わんばかりにぴょんぴょん跳ねている。

 静かに! と人差し指を口に当てて赤ちゃんに視線を示すと、その場で固まった。


「熟睡してるみたいだし、私たちもお風呂入ろ? 湯舟でゆっくり聞くから」

「え"」


 固まったままのあゆをずるずる風呂場へ引きずっていった。


♦♦♦

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