第4話 お風呂
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『——売春斡旋容疑で現行犯逮捕された男は、「女の子の赤面した顔を見たかった。生きる活力になる」などと供述しており、警察はこれまでに余罪がないか追及する方針とのことです。また、少女に渡されたというプラカードは見つかっておらず、入手経路と、同じく新宿歌舞伎町内に突如出現した、同一のメッセージが書かれた壁との関連性を調査中であるとのことです』
テレビの中でアナウンサーが神妙な面持ちで淡々と伝えてくる。被害に遭った少女は見つかっていないと報道されているが、私の目の前でテレビにかじりついているのがその少女だ。
「テレビ、珍しい?」
「似たような魔法はあったけど、こんなのは初めて」
ツッコまないぞ。
「目悪くするから離れなさい」
猫の首根っこ掴むように、制服の襟を掴んでテレビから引きはがす。床にチョコンと座る姿は、これまた借りてきた猫みたいだ。テレビ以外も物珍しいのか、きょろきょろ見渡してはソワソワしている。
『次のニュースです。上野動物園でかわいいパンダの赤ちゃんが——』
「あっ!」
私がテレビを消すとあゆちゃんが叫んだ。
「見てたのに……そういえば仕事って言ってなかった?」
「電話で上司に言って休ませてもらったよ」
荷物もそのままだしどうしてその場で待ってなかったのか、メチャクチャ聞かれたし怒られたけど、赤ちゃんのこととかいろいろあるし、今日は休みでいいと言ってくれた。あゆちゃんのことも聞かれたけど「明日出勤した時説明する」と言って逃げるように切ってしまった。
「デンワ……いやーでも泊めてもらって悪いな」
仕方ないじゃん。お金全然持ってないみたいだし「帰れる? 泊まるとこある?」って聞いたら「あっちに宿があるから、相部屋でいいなら道行くおじさんに頼んでみたら? ってあの親切なおっさんに言われた」って言ってラブホ街の方指差すんだもん。まあ助けてもらったし、泊めるのは全然いいんだけど。
「マホん家にはよく泊ってたし、なんだか懐かしいな!」
「だから、私はマホじゃないって」
「そーだった、今はさあやだったな。ま、その内目覚めるって! オレも一五年【あゆ】だったみたいだし」
意味不明な発言は置いておく。ツッコまないって決めたし。それより急務がある。
「あゆちゃん」
「ちゃん付けやめてくれるか? くすぐったくてさぁ」
「じゃあ、あゆ。お風呂入るから、手伝って」
「え"」
カエルみたいな声を出して、あゆが固まった。立ち上がってそろそろ~っと後退りする。
「えー……んー……それは、その……よくないと思う」
「なんで?」
「だって、小さい頃はよく一緒に入ってたけど、今はさ、ほら」
ドギマギするあゆに一歩近づく。また一歩退き、詰め、壁に追い込んだ。なぜか彼女は顔が真っ赤だ。
「それ、それにオレ、男だし!」
「はぁ?」
真っ赤でカチコチの顔から視線を落とし、むんずと胸を掴んだ。
「ひぁ!?」
「こんなたわわ実らせてなに言ってんの」
「たわわ……」
あゆが両手で自分の胸を触る。何に感動したか知らないが「おぉー」と感嘆した。
「マホよりずっとあるな。さあやよりは……」
「アホなことしてないでとにかく手伝って。強制。私も初めてなんだから」
「はじ、めて?」
風呂場に入り、手早く体を清めた。ハラハラしながら、しかし丁寧に。
「用意は!?」
「いつでもいいぞ!」
風呂場から出て、バスタオルを手に待ち受けていたあゆに手渡し。水気を取りながらパタパタ駆けていき、抱えていたものを布団の上に優しく置く。さらにタオルをペタペタ当てて水気を取り広げる。真っ裸の赤ちゃんが露わになった。
ベビーパウダーのパフを構え、あゆが赤ちゃんの柔肌をぱふぱふする。
「うおおぉぉーー!」
「叫ぶな! うっさい!」
仰向けにさせ、背中もお尻もぱふぱふぱふぱふ。全身隈なくぱふれたことを確認し、私はせっせとオムツを履かせ、ベビーウェアに手足を通しボタンを留めて「ふぃー」と一息。
「よし。私はミルク作ってくるから、その子見ててね?」
「任された!」
玄関兼キッチンへ行き、スマホで作り方を復習。
煮沸消毒した哺乳瓶に粉ミルクを適量入れ、沸かしたお湯を少し冷ましてから注ぐ。粉を溶かして、お湯を足して、人肌の温度くらいまで冷まして……。
「ああぁぁーーーー!」
唐突な泣き声に哺乳瓶を落としそうになる。部屋を見ると、ギャン泣きしてる赤ちゃんの横であゆがあたふたしていた。
「ちょっと! 見ててって言ったでしょ!?」
「だから見てるし!」
「見てるだけじゃなくてあやしたり抱っこしたりしてよ!」
「そ、そっか。そうだな。よし、抱っこぉふっ!?」
あゆが抱っこしようとして赤ちゃんを引き寄せた際、見事な裏拳を眼球に受けてしまった。たまらず転げ回っている。
「ぐああーーー! 目がー! 目があー!」
「もういいから静かに!」
私は充分冷ました哺乳瓶を手に、パタパタ駆ける。暴れる赤ちゃんを抱っこし乳首を口に突っ込む。「んくんく」とミルクを飲み始め、やっとおとなしくなった。一生懸命に飲む姿に、あゆも痛みを忘れたのか「はぁー」と息を吐いて見入っている。
急に暴れたり静かになったり、赤ちゃんの行動は全く読めなくてやっぱり怖い。みんなこんな感じなんだろうか。
ミルクを飲み干した後、背中をポンポン叩き「けぷっ」とゲップをさせる。布団で一緒に横になり、お尻や背中を時々軽く叩きながら顔を見つめ続けた。次第にとろんとまどろんですやすや眠り始めた——なんとか……うまくいった……?
「こうおとなしくしてると癒されるなー」
あゆの言葉通り、私も心がフワフワしてくる。溜まっていた膿が吐き出され、洗われるようで……その隅で、絶対にありえない、こんな親みたいなこと、人生ですることなんてないはずだったのに——薄暗い気持ちが競り上がってくる。
「でもやっぱ母親は違うな。オレが触ろうとするとすぐ暴れたのに」
「私は母親じゃない」
「え? でもすごい手慣れた感じじゃね?」
「そんなことない。全部ネットで調べて人形相手に少し練習しただけ」
私は部屋の棚に置いてあるカエルのぬいぐるみを指差した。
違和感はある。さらっと調べただけ、ただのぬいぐるみ相手の練習だけでこんなうまくいくわけがない。
「そんじゃその赤ん坊は?」
「それは……」
おかしな言動はあるけど悪い子じゃないのはわかる。相手はただの女子高生。出身は京都……どうせ一晩泊めるだけの相手だし、助けてもらったし……。
私は赤ちゃんを預かった経緯を簡潔に話した。
「じゃあ旦那は? いねーの?」
「結婚してないし」
「そっか。さあやって何歳?」
「……二一歳」
「広瀬あゆが一五歳だから六歳差……ふんふんなるほど」
「なにニヤついてんの?」
「な、なんでもない! ——まぁでも、兄貴が父親なら親戚ってことになるだろ? なんかこう血の繋がり的な? 波長が合う感じで懐いてるんじゃないか?」
「あれは兄じゃない」
「え? でもさっき」
「私に兄なんていない」
「兄から預かったって」
「兄は……いたけど」
「どっちだよ」
「かわっちゃった……」
お兄ちゃんは優しくて、楽しいことをいっぱい知っていて、私は大好きで……どこへでも後ろをついて回ってた。でも引き離されて……今のあいつは……。
「大丈夫か?」
肩に手を置かれ顔を上げる。涙が一滴頬を伝った。さっと拭い、平気な顔を取り繕う。
「別に。なんでもないし。赤ちゃん置き去りにしたのは【椎名】って男。絶対関わっちゃダメな奴だから。万が一会っちゃって、私の名前出してきても絶対無視するんだよ?」
私と関わった以上この子もあいつに見られた可能性がある。この子も女の子な以上、毒牙にかかってしまう恐れは捨てきれない。
黒の短髪、気味の悪い三白眼、色白で身長は一八〇くらい……一応特徴を教えておく。
「シイナ……ふーん……わかった。なぁ、この子の名前もわかんないのか?」
「うん……」
「じゃあなんか名前つけねー? 不便だし」
それは確かに……勝手につけていいものかとも思うが、このままずっと「赤ちゃん」呼びは不自然だし、なによりかわいそうだ。
「じゃあ……【ハルキ】」
兄の話をしていたからか、すっと出てきた。
「ハルキな。ハルキーおっきくなれよー」
あゆは赤ちゃん、もといハルキの寝顔に笑顔を向ける。私も「ふふっ」と声を漏らして微笑んだ。小さな寝息を聞き、あゆに再び視線を向ける。
「私たちのことは終わり。今度はあんたの番」
「オレ?」
「あの黒い化け物とか、あんたの変な力のこととか」
「話す話す! 早く思い出してほしいし!」
待ってましたと言わんばかりにぴょんぴょん跳ねている。
静かに! と人差し指を口に当てて赤ちゃんに視線を示すと、その場で固まった。
「熟睡してるみたいだし、私たちもお風呂入ろ? 湯舟でゆっくり聞くから」
「え"」
固まったままのあゆをずるずる風呂場へ引きずっていった。
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