第3話 パパ活未遂
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「前から思ってたけど、なんで仕事の時はスーツでオフの時は着物なの?」
買い物を終え、新宿駅前のデパートから店までの道で問いを投げかける。
女性の着物姿で買い物袋を片手で四つも持ち、もう片方の手でタピオカミルクティーを啜る姿は圧巻だった。私は買ってもらったベビーカーを片手で押しながら、もう片方の手で同じようにタピっている。
「だって男のカッコだったら元極悪ヒールレスラーの【笹山銀次郎】ってバレちゃうじゃないん! 現役時代はカミングアウトしてなかったから女のカッコなら堂々と歩けるのよん。これでも昔は【ダーク・パンダ】って通り名で有名だったのよん? 他にも【ふれあい破壊獣ギンギン】とか【地獄動物園の黒き珍獣】とか」
黒いならそれはもうただの熊では?
大声で名前言ってるし、女装しててもすれ違う人の中には「やばいもの見てしまった」って感じの人と「もしかしてあれって」って好印象な顔の人もいる。銀次ママとしては、正体がバレても何も問題ないんだろうな。
「仕事の時スーツなのは、やっぱり気持ちもお尻も引き締まるからよん。制服は戦闘服だってよく言うでしょん? ウチの子たちだって艶やかなドレスやメイクしてるとお仕事モードでしょん?」
「……正直まだピンとこない。まともに仕事したことなかったし」
「ウチの店に来てもう一年。そろそろわかってくるわよん」
私は苦笑いして「そうかな」と返す。
本当は……私は表で働いていい人間じゃない。すでに銀次ママにとんでもない迷惑をかけている。成り行きでキャストとして接客しているが、折を見て出ていかないといけない。
午後四時を回り日も傾いてきた。歌舞伎町は喧噪を増している。飲食店もアップを始めたようだ。
営業上がりのサラリーマンや大学生らしい若者もちらほら。中には女子高生らしき子たちもいる。雑貨店回ってたのか、かわいい小物を見せあって、自撮りして、笑ってて……。
あんな風にはしゃげる学生時代、私には無かったな……。
私が羨望と諦念の混ざった気持ちで眺めていると、銀次ママが不意に肩を叩いてきた。優しめだったが、それでも強い力に思わず前のめりになる。
「ねえ、あの子大丈夫かしらん?」
銀次ママの視線の先、そこにも女子高生がいた。
褐色肌の金髪で、ザ・ギャルって感じだ。背負った赤いリュックにはかわいいキャラクターの缶バッチやらキーホルダーやらがたくさんついている。かなり折っているだろう短い紺色のスカート、眩しい白シャツに映える赤い胸元のリボン。この辺りでは見ない制服だ。
彼女は太っててハゲ散らかした中年男と話している。近くにスモーク貼った車も停まってるし、明らかに怪しい感じだ。親子には到底見えないし、【援】と【交】の二文字が即浮かび上がる。
何を話しているのかはわからないが、彼女の顔には警戒の色が見えない。すれ違う人たちも気にはしているようだが、間に入ろうとする人はいない。
「連れてかれそうになったら、あたしササニシキドロップ決めてくるからん」
「笹じゃなくてそれお米じゃない? ——あれ? でもなんか……」
女子高生は怪しい男にぺこりと頭を下げ、互いに笑みを浮かべて別れた。彼女は私たちの方へ、男は反対へ歩いていく。
「道でも聞いてたんじゃないかな」
「待って、あの子なにか持ってるわん」
人込みに被って見えなかったが、板みたいなものを両手に抱えている。さらに人の往来が激しい歌舞伎町一番街ゲートの前まで来ると、持っていた板を掲げた。
板はプラカードだった。大きな丸文字で【パパ募集中♥】と書かれている。彼女は太陽みたいに眩しいニッコニコの笑顔だ。周りが瞬時にざわつき始めた。
「いや、ヤバいでしょあれ!」
銀次ママの腕を叩こうとしたが空を切った。
爆速の着物オネェが騒ぎの中心へと駆けていくのが見えた。モーセの海割りみたいに人が避けていく。
私もベビーカーを慎重に押して、でも急いで後に続く。着いた時にはもう説教が始まっていた。
「あんたなにしてるかわかってるのん!?」
「すごい! 本当に人が集まってきた! おまえがパパか?」
「あたしが足長おじさんに見えるかしらん?」
「んーあんまし長そうに見えないけど……本当にこれでお金くれるのか?」
「わかってるのかないんだか。でもなんでこんな目立つことを? もっとこそこそやるもんじゃないのん?」
「え? 教えてもらったんだ、こうしてればたくさんのパパって人がお金をくれるって。あの親切なおっさんに」
女子高生はあっけらかんとして笑って指を差す。その先の電柱の陰。彼女がさっき話していた中年男がいた。視線が男に集まっていく。男は肩をびくっとさせ、にちゃあ……とした口を開いた。
「ち、知識のない女子がしでかしたことの意味を知って赤面する姿が、だ、だ、大好きなんだな」
その場にいた大人たちが一斉に携帯電話で一一〇番を始めた。銀次ママも鬼の形相でディスプレイをタップしている。
赤面どころか何も理解してなさそうな女子高生を見て、男は不満気に眉を下げた後歌舞伎町一番街の奥へ逃げていった。
「さあや、荷物とその子見てなさいん! あの野郎、エルボーの錆にしてやるわん!」
銀次ママが買い物袋を置き、阿修羅の如く怒り狂った顔で逃げた男を追っていった。
「ん?」
逃げ去る男の頭から黒い靄が出てくるのが見えた。一瞬のことで、目を擦って見直した時にはもう消えていた。男に注目が集まっていたが、他に気にしている素振りを見せる人はいない……疲れてるのかな。
しかし、よくもまぁ連続して面倒ごとが飛び込んでくるもんだ。警察がくるだろうが私が関係あるわけじゃないし、銀次ママが戻ってきたらこのギャルを引き渡して早々にサヨナラしよう。野次馬たちも銀次ママを見て「あれからは逃げられんだろう」と結末を悟ったのか徐々に散っていく。
隣を見ると、騒動の発端である女子高生がパパ活プラカードをマジマジと見つめて首を傾げている。本当に何もわかってないみたいだ。
「おねーさんもパパ?」
「んなわけないでしょ。あんた名前は?」
「名前? あー確かそれっぽいのが……」
即答せず、リュックの中をごそごそ。
「あった。ほい」
掌サイズの何かを手渡される。生徒手帳だった。表紙が顔写真付きの学生証。中身のページはなぜかごっそり破かれている。
写真の彼女は直毛黒髪ロングで色白。清楚系って感じの見た目だ。今の彼女はゆるふわ金髪セミロングの色黒。ぱっちり二重とくりくりの少し色素の薄い茶色の目。
見た目遊んでるって感じだが意外と化粧はしてなくて、屈託のない笑顔を向けてくる。悪い子じゃないのはなんとなく感じた。
「名前は【広瀬あゆ】……一五歳……学校は……京都?」
京都にある私立高校だった。今日は七月の第三土曜日。夏休み始まったばかりで修学旅行でもないだろう。普通の旅行だとして、なんで制服?
「あゆちゃんね」
「アユ? ……あぁオレか」
オレっ娘だ。学生証の写真からは想像つかない。写真が変身前なら、高校デビューとかじゃなくて新しい友達の影響だろうか。
「なんで制服なの?」
「服? 枕元に畳んであったから、オレのだろうなって思って」
なにその言い方。
「一人で来たの? 旅行?」
「一人だよ。人探ししてんだ。マホとデルクスって奴。知らねー?」
「知らない。二人目は外国人?」
「そーゆーことになんのかな。一人目もそうだよ。あ、でも見た目はおねーさんとかと変わんないかも」
日系人ってことかな。
「今朝この街に着いたんだけどさーさすがに疲れちゃって。宿探してたんだ」
「今朝? 夜どうしてたの?」
「野宿だよ」
「野宿って……新幹線で来たんじゃないの?」
「しん……? 走って来たけど。昨日はシズオカってとこにいた」
からかわれてるのかな?
「この体バテやすくってさ、回復魔法も強化魔法も使っても四日間走りっぱなしはキツくて。前の体だったら余裕だったのに」
なんか設定作ってるし。
「おねーさんは?」
「え?」
「名前」
「ああ、私は……綾見さあや」
「アヤミサアヤ」
「さあやでいいよ」
「あぁ、よろしくな! ——しっかしさあ、シンジュクだっけ? オオサカとかナゴヤってとこもすごかったけど、でっかい建物ばっかで夜も明るいし、もう大コーフン! 人もめちゃくちゃたくさんいるし——」
本当に京都出身かってくらいはしゃいでいる。方言もないし。ど田舎出身で進学のため引っ越してきたとか? なんにしても変な子だ。
「——いやーホントここの人たち命知らずだなって」
「え? なんで?」
「だって、今にも爆発しそうだし」
「な、なにが?」
「あれもこれもそれもだよ」
あゆちゃんは目に映る人を誰彼構わず指を差す。最後に私の顔を。太陽みたいだった笑顔が消えている。
「さあやも爆発寸前って感じ。なんなら、一番ヤベーけど」
「あのね、からかうのもいい加減に——」
言いかけた時、あゆちゃんに強く手を引かれた。直後に、腕に鋭い痛みが走る。持っていたミルクティーのカップが落ち、タピオカがミルクの濁流と共に散った。
鋭利な刃物みたいなものに切りつけられたようだ。服の上から左腕にスゥーと線が入り、血が滲んで流れる。
でも、痛みよりも切りつけた何かに目を丸くする。降ってきたのか飛んできたのかわからないが、サッカーボール大の何かがベビーカーの下に潜り込んでいた。
真っ黒いもやもやでぱちくりとした光る目玉が二つ。口はあったりなかったり。その中の鋭い牙もあったりなかったり。
「かわい——」
オ"ヂナ"ア"ア"アァアイ"!!
映画やゲームに出るゾンビやトロルみたいな悍ましい叫びに髪の毛が逆立つ。つけまつ毛も吹き飛ぶ勢いだ。
反射的に逃げ出した。けどベビーカーを忘れたことに気付き青ざめて振り返る。するとあゆちゃんがベビーカーを押し走りすぐに私に追いついてきて、そのまま私と並走した。パパ活プラカードをベビーカーの座席に立てかけて——それは捨てろ!
黒いもやもやも追ってきている。昆虫みたいな足を何本も生やし、人の頭や看板などを伝って叫びながら牙を剥いていた。
「あれがかわいいとか、どうかしてんぞ」
「ウン、ソウダネ……てかアレなに!?」
「【スモック】だ」
「スモックって」
幼稚園児が着るアレには到底見えない。
「スモックは抑圧された精神から自由意思を求めて吹き出た魔力だ。大抵は目に見えない密度で溢れて欲求を満たそうと主人の精神を侵す。極限まで押さえつけられた魔力が、ああやって形をもって外へ現れるんだ」
「アレも怖いけどあんたも怖い! 急に早口でファンタジーなこと言わないで!」
「この世界の人は魔法に頓着ないみたいだな。なのにみんな内包魔力が高すぎる」
スモックとかいうもやもやは変わらず人の頭伝いに追ってきている。
驚く人々は虫を払うように手を振る人や、ねこだましを食らったみたいに顔をすぼめたりする人もいる。慄いた顔で指差す人もいて、みんなはっきり見えているみたいだ。
騒ぐ人の指の先——人込みの足元、室外機の上、雑居ビル居酒屋看板の側——。
「増えてるぅ!?」
多脚だったり翅があったりツノがあったり、姿は様々だがどれもが何かを叫んで追ってくる。
ギョザンギョザンギョザンギョザンギョ……。
セマ"ーーーッ!! クサーーーッ!!
アカクソマルキミノホオミタサニハジヲサラケダシタボクノホオモホテリオモッタキミノホノオトカサナリアイタイッテチガウイロニソマルキミモミテミタイシラナイトチシラナイダレカトノミツゲツサァトビコムンダモモイロノセカイヘ——。
「なんかめっちゃ饒舌なのいる! なに言ってんの!?」
「さぁ人によるとしか……スモックは知能もなく無差別だ。それなのにあいつら明らかにオレらを狙ってる……近くにいるな……なぁ、どっか人のいなそうな狭いとこに誘い込めねーか?」
「路地入れば!? いくらでもあるでしょ!?」
「わかった!」
目に入った路地に二人で駆け込む。完全な袋小路。
「それでどーすんの? 詰みな感じだけど……」
肩で息する私にあゆちゃんは雑にベビーカーを押し付ける。「赤ちゃんがいるんだぞ!」って怒りたかったが、私も気にかける余裕もなく全力で走ってたし、仕方なく憤りを飲み込む。
そーっと赤ちゃんの様子を伺うと、これまた無表情だ。恐怖も怯えもない。余裕たっぷりだ。大物になるなと、呆れと安心の混ざった息を吐いた。
あゆちゃんはベビーカーに立てかけてあったパパ活プラカードを取ると、その柄をバキッと根本から折り、もはやただの板になった不快物を路地裏の入り口に縦に立てかけた。
「拡縮魔法……【パオン】!」
何か叫んだかと思うと、板が青い光に包まれ巨大化。瞬時に路地の入り口を塞いでしまった。地面のコンクリートは抉られ、左右のビルの壁は打ち付けられてヒビが入る。
私は空いた口が塞がらない。外から見たら【パパ募集中♥】と書かれた壁が突如生えてきたというとんでもない光景だろう。
壁はできても天井は空いている。不快な壁を登ってきたまっくろくろすけたちが私たち目掛けて降ってきた。
あゆちゃんは折れたプラカードの柄を剣のように振り、それらを迎撃する。浴びせられる爪や牙の切りつけをいなし、カウンターで二度、三度叩きつけてスモックは霞んだ霧になって消失した。
あゆちゃんの攻撃は流麗で、頭からつま先まですべての動きが次の攻撃と回避に繋がっているようだった。バレエと武術を足したみたいな動きだ。力強いが武術と呼ぶには型がなく、体の捻りや柔らかさはダンスに近い。
十匹くらい倒した後、壁の上に張り付いていたスモックたちはくぐもった唸り声をモゴモゴさせ、壁の向こう側を下りたのか見えなくなった。
「つ、強いね」
「だろー!? ま、今襲ってきたのはザコだけどな——あっ!」
鼻高々のあゆちゃんの鼻を掠め、諦めてなかったのか一匹の化け物が私に向かって跳びかかってきた。叫び声を上げそうになったが、咄嗟にベビーカーの赤ちゃんに覆いかぶさる。
今度はちゃんと守らなくちゃ……! 大丈夫、痛いのは慣れてる!
しかし背に痛みはなく、代わりに背後から眩い光が差した。振り返ると、スモックが白く発光する鎖に巻き付かれて苦しそうに呻いている。締め付けが増し、そのまま絞られるように潰れて霧散した。直後、白光の鎖も崩れて消えてしまった。
スモックたちは今の光に恐れたのか、今度は完全に逃げていったようだ。
あゆちゃんは私を見て唖然としていたが、次第に口を緩めてニマニマしだした。必死な私がそんなに滑稽か?
「疲れた……もう帰りたい」
「あぁ、そうだな。その前に……回復魔法【アザマル】!」
あゆちゃんが私の左腕を握りなにやら唱えると、青くて粘り気のある光が腕を包んだ。光が収束して弾ける。腕を見ると、先ほど切りつけられた傷が消えていた。痛みもない。
「治った?」
「うん……あざまる……水産」
「じゃああの壁縮めてくるから」
「ちょ、ちょっと待って!」
即席壁へ近づくあゆちゃんを止める。後光の射したパパ活ウォールからのこのこ出ていったら、明らかに不審者だ。
「あんたが特殊な人間だってことはわかった。ツッコまないから、ここから目立たずに出られない?」
「じゃあ……」
あゆちゃんはさっきまで振り回していたプラカードの柄を地面に立てる。私の腰に手を回し【パオン】! すると柄が青い光を放ち急激に縦に伸びていき、ビルの屋上よりも高く到達。そのまま反動をつけ跳び、雑居ビルの屋上に二人で降り立った。
あっという間のことで、私は笑っている足でなんとか立っている。あゆちゃんが【ピエン】と叫んですぐにビルを飛び降り、耐え切れず声を上げてへたり込んでしまったが、同じように柄を伸ばしてベビーカーと共に帰ってきてホッとする。もう今日は心臓がいくつあっても足りないな。
屋上の出入口へよたよた歩き、扉の鍵が開いていることを確かめた。よかった、これでなんとか出られる。
振り返りベビーカーとあゆちゃんを見て、それから沈んでいく夕日に目を移した。昇って沈んで、また昇って……ずっと沈んでいられたらどれだけいいだろう……。
「もう仕事できる気力がないよ……今日はどうにか休ませてもらえないかな……わっ!」
突如走り出したあゆちゃんが私に抱き着いてきた。
「今度はなに!? なんなの!?」
あゆちゃんは私の胸に顔を埋めて黙っている。鼻を啜る音も聞こえ、どうやら泣いているようだった。泣きたいくらい怖かったのは私なんだけど。
すぅーっと息を深く吸い、はぁーっと長く吐いた後、あゆちゃんはやっと顔を上げた。両目にぼろぼろ涙を落としているが、今日一の笑顔だ。
「また会えた……マホ!」
いや、さあやなんですけど。
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