ドクズ天使と不幸な悪魔

@Pe______pi__po

第1話 出稼ぎ悪魔とゴミ捨て場

 自身の生まれや身分を『不幸』だと形容したことは誰だってあるだろう。無論その不幸は誰かにとっての幸福であり、逆もまた然りというのが世の理。


 だが中には存在するのだ。


 10人中10人が生い立ちを知って『なんて不幸なんだ』と哀れに思われる者が。毎日恫喝を受け謝り倒し、覚えの無い罪を被せられ、挙句の果てに血族から見放されてしまったが故、知らない土地で貧しい日々を憂いて過ごす『不幸の塊』が。




 第1話 出稼ぎ悪魔とゴミ捨て場




 ネオン煌めく夜の街、東京は新宿・眠らずの歌舞伎町。

 世が更けてもなお人の往来は止まらず、左を向けばほろ酔い気分で帰路に着くサラリーマンが、右を向けば派手なドレスに身を包んだ嬢がネオン街に消えていく。そして前を見れば警察が目を光らせているような、そんな酸いも甘いもが入り交じるこの街の一角で、周囲に溶け込めずにいる冴えない青年が1人歩いていた。


「んーと...ここを曲がって.....」


 闇夜のような黒い髪の上に、飲み込まれぬよう存在感を放つ赤と黄色のヘアピン。ギョロギョロと周囲を見渡す大きく丸い瞳は、髪と同じように黒くネオンの光りさえ通さない。

 リュックひとつと手には何かの地図、といったバックパッカーのような出で立ちの青年の名はデイビット。とある事情により単身でこの新宿・歌舞伎町に出稼ぎに来た。

 デイビットは紙に書かれた簡易的な地図を、何ども現在地と照らし合わせる。ペンギンが目印の大型スーパーを左に曲がった所までは辿り着けているようだが、そこから先がどうにも分からない。なにぶんこの土地は初めて来る場所のため、巨大な怪獣が顔を出すあのビルが映画館である、ということも認識出来ていないようだ。

 立ち止まっていても埒が明かない...そう感じた青年は、思い切って地図上だとショートカットとして使えると記載された近くの裏路地に足を踏み入れる。


 たった一歩、それだけで世界が切り離されたのかと思うほどに空気が変わったのを青年は肌で感じた。

 喧騒が止まぬ表通りとは全く違う一寸先が闇となる景色に、デイビットは圧倒され踏み出していた右足を思わず引っ込めてしまいそうになる。泥と埃と黒い錆だらけの換気扇、雨に濡れ破けて散り散りとなっている男性求人のチラシ、そして空き缶やら酒瓶やらのゴミが雑然と捨てられているその薄暗い路地は、まるで脅えている青年に『入るな』とでも警告しているかのよう。

 ゴクリ、と音を立てて唾を飲んだデイビットは足音を出来るだけ抑えてゆっくり歩き出した。この青年、小心者のわりに一度やると決めたら意志を絶対に曲げない頑固者。高鳴る心音とは裏腹に、背を向けた光と音がどんどん離れて行くのを感じるが、ゆっくり着実に闇に向かって歩を進める。

 無意識下の内に張り詰めていた息をデイビットが細く吐き出したのと、路地の少し先からガサガサ、ガシャン!と大きな音が響いたのは同時であった。


「...」


 本気で驚くと息が止まる、という現象を体験したことがある者はどれくらい居るだろうか。少なくとも、今のデイビットほどこの現象が本当に起きることだと実感出来た者はいないであろう。それほどに緊迫した空気が漂っている。


「.....ざけやがっ...!!ぶっ殺し...る!」


 小汚い声色の罵詈雑言が聴こえたと思った矢先、ガツンッ!ガツンッ!と何か硬いものを獲物を使用し殴り付けているような音が続いた。

 これは確実にマズイのでは...とデイビットは考え、やはり大人しく元来た道を行こうと当然の答えを出す。現場を見た訳ではないが、もし雑言の犯人が相手を打ち止めていた場合、その場に居合わせた自分へ『見られた』という理由のみで矛先を向ける可能性がある。それだけは避けたい。

 デイビットはなるべく音を立てないよう踵を返す、だが『不幸にも』彼の足元にいつの間にか空き缶が転がっていたのだ。



 -カツン。



 この安いメーカーのコーラ缶を、心の底から恨んだのはこの瞬間だと彼は後に語った。

 あれだけ裏路地に響いていた罵詈雑言と打撃音が、水を打ったかのようにピタリと止む。シン...という音が現実に聴こえてきそうなほどの無の中で、闇の奥からチラリと光が見えた。


「.........見た、な?」


 デイビットが視認した光は、近くの家の窓から漏れる明かりに一瞬だけ反射したビール瓶の先。そして、地を這うような死神の声の持ち主が付けていた高そうな黄金色の悪趣味な腕時計の一部。



 -逃げないと死ぬ。



 そう思ったデイビットの耳にザリ、と泥とチラシを同時に踏んだような音が入った時には、『不幸にも』彼の目の前に、鋭利なビール瓶を振りかぶった恰幅の良い男の姿があった。だが恐怖で身体が竦んだ彼の膝が、主人の危機を察知したのかガクンと抜ける。一気に泥まみれの地面に伏したデイビットの上を、男の太い腕と鋭利な瓶の切っ先が勢いよく横切り、近くの壁に強くぶつかって弾けた。

 パラパラと破片が落ちる様子を横目に、怒りのあまり興奮した男が吼える。短くなった獲物をブン、ブンと振り回している様は、現代を生きる人間とは思えぬほど低俗で滑稽なものだ。

 デイビットはこの隙にと、抜けて震える膝と腰を引き摺りながら場を離れようと動き出す。だがその音で彼に意識が向いてしまったのか、荒れ狂っていた手元を整え、再度デイビット目掛けて獲物を振りかぶってきた。

 今度こそ殴られる、と覚悟しデイビットは強く目を瞑る。...だが聞こえてきたのは、何かが地面に強く接した音。そしていつまで経っても来ない衝撃や痛みに、デイビットは恐る恐ると言った様子で目を開けた。


 そこに広がる光景は、先程と打って変わったものだった。殺す勢いで迫って来ていた筈の男は仰向けで地に倒れ、血走って真っ赤に染まっていた目はグルンと天を向いている。口の端からは蟹のように泡を吹き、どこからどう見ても気絶しているようだ。

 この一瞬の出来事が理解出来ないまま路地の奥に目を向けると、デイビットは先程まで男が何かを殴っていた場所辺りに、ふわりと小さな緑黄色の光が灯っていることに気付いた。息を吹きかければ消えてしまいそうなほどに小さく、雪のようにしんしんと落ちてゆく光は、何かに当たるたびに溶けて消える。

 その光が消える刹那に見えたのは、白銀の塊。闇の中に揺蕩う光に照らされ、その都度に白銀がキラキラと反射し存在をデイビットへ主張し続けていた。


「え...と、あー、し...失礼しまーす.......」


 デイビットは目の前で動かない男へ小さな声で謝罪を落としながら、足を大きく踏み出し跨ぐ。ジャリリと先程弾けたビール瓶の屑を確かに踏み締めながら、光が灯す白銀の方へと歩を進めた。

 わずか数歩の距離、だがデイビットはすぐに足を止める。それもそのはず、暗闇に慣れ親しんできた瞳に映ったものは、投げ出された足と腕。ひっくり返ったポリバケツに身体を預け、ぐったりと頭を前に垂らした白銀の髪の男だった。


「う、わ...!あの、だ、大丈夫ですか!?」

「.......」


 デイビットが慌てて白銀の男に駆け寄る。

 いつの間にか暖かい光は消え失せ、ひんやりとした空気のみが場を包んだ。

 白銀の男の周りは散乱したゴミだらけで酷い有様、そして空気に混じって生命特有の鉄の香りが漂っている。おずおずとデイビットが白銀の男の手首に触れると、低い体温の奥にゆっくりと鼓動が脈打っているのが確認できた。


「はぁ...良かった.....。」


 一先ず生きていることを触診できたので再度、デイビットは白銀の男へ小さく声を掛けた。幾度か繰り返している内、いつの間にか紺碧の空を昇っていた満月が頂上に辿り着き、デイビットと白銀の男をスポットライトのように照らす。

 そこで彼は初めて白銀の男の全容を視認する。月明かりに反射した髪が目に刺さるほどに眩しく輝き、一層デイビットの大きな目を細めさせた。細めの四肢に色白の肌、俯いても尚存在を主張するまつ毛と、枷のように巻かれた黄金の首輪を順に見たところで、デイビットの視界がグラりと揺れる。


 瞬間、強い息苦しさと背中の痛みが彼を襲った。


「...っぐ、ハッ...!!?」


 一瞬の出来事に追い付かない意識をなんとか振り戻すと、あろう事か目の前でぐったりとしていた筈の白銀の男が、デイビットの細く頼りない首を締めているではないか。

 閉じられていた筈の瞳がギラギラと輝き、先ほど見た緑黄色の光と同じ色をしてデイビットを睨みつける。ギリリ、とその細腕のどこから出ているか分からない程の力を首に掛けながら、白銀の男は静かに口を開いた。


「...テメェ、誰だ。」

「う、ぐ....っ!!...は、ぁ...?」

「答えろ、テメェは誰だ。」


 質問以外の答えは求めていない白銀の男は、聞き返したデイビットの首を更に締める。このまま殺す事も厭わない彼の様子に、デイビットはたじろぎ、微かに入ってくる酸素を頼りに自らの名前を紡いだ。


「...で、でい...び、っと.....!」

「...........デイビット?...ふーん...。」

「っ!?...ゲボッ!ゲホッ...ゴホッ!!」


 確認するようにデイビットの名前を繰り返した白銀の男は、何かに納得したのか突然首に掛けていた手を離す。すると急激に肺に入り込んだ空気が身体中を引っ掻き回し、デイビットは大いにむせ返った。


「...テメェ、なんで何ともねぇんだ。」


 まるで地上で溺れているかのように咳き込む彼を尻目に、白銀の男は立ち上がってデイビットに尋ねる。カラン、と主張する純金の首輪と南京錠が重いのか、肩を軽く揉みながら未だ咳き込み答えられないデイビットの前髪を引っ付かみ、自らの方へ無理やりに向かせた。


「痛っ...!」

「おらとっとと答えろ、なんでこの俺様がテメェを引っ掴んでも無事なのか。」

「いたたっ!!...し、知らないです!そもそもアンタ誰ですか!!痛いですって!!」


 デイビットの必死の訴えに、白銀の男は掴んでいた髪を舌打ちを添えて離した。

 月明かりは未だに2人と周囲を照らし、男の髪が動く度にギラギラと乱反射する。眩しさと少しの息苦しさと、この意味不明な男への恐怖心で視界が潤むデイビットへ、緑黄の切れ長の瞳が軽蔑の色を混ぜて言葉を投げた。


「俺様のこと知らねぇのか?とんだ世間知らずのお坊ちゃん『悪魔』だな。」

「え」

「テメェ、やべー不幸体質って噂の下級悪魔デイビットだろ。ウチのアンジュから聞いたぜ、下級悪魔が『魔界むこう』で扱いきれねーから半追放って形で『人間界こっち』に来るってよ。」


 デイビットは男の言葉を反芻するのに随分と時間を要した、何せ彼の言っている事は何一つ




 この闇色の青年は人間ではないのだ。


 『悪魔』。

 それは人間に似た容姿を持った怪物。遥か昔から我々人類を誑かし、狂わせ、それを自分達の栄養や娯楽とする恐ろしき生き物。


 デイビットは人類学上の地獄であり悪魔達の楽園・魔界の出生という、純然たる悪魔である。なぜそんなことをこの一瞬で見抜かれたのか分からず、元から丸い瞳をさらに丸くさせ、デイビットは白銀の男をまじまじと見つめ返した。

 実は先程からこの男に対し、なにか底知れぬ違和感を持っていた。あの緑黄色の光のことも、この特有の雰囲気も、確実に殴られて出来ている筈の傷が、乾いた血の跡を残して完治していることも。極めつけは自分を悪魔だと見抜き、こうしてどこかに突き出すでもなく祓うでもなく、悠々と話していること。

 何が狙いなのか一つも分からないが、なぜかデイビットはこの変わり者に対して恐怖心は無くなっていた。

 思考の海に落ちそうになっていた彼を引き上げたのは、白銀の男の「あっそうだ」という空気に似合わぬ気の抜けた声。


「ちょうどいいからテメェ俺様の家に住めよ、どーせ住むとこねぇだろ。俺様が問題起こさねぇよう、直々に見張ってやるから感謝しろよ。」

「.............はぇ?」


 男の突然の申し出に反応が遅れたデイビットは、思わず素っ頓狂な声で尋ね返す。自らを悪魔と見抜いたこの男、まるで今の発言がナイスアイデアだとでも言うように一人でウンウン頷きながら、白いラインが入った黒いジャージズボンのポケットに手を入れる。

 中からクシャリと潰れた安い銘柄の煙草の箱を取り出し、慣れた動作で一本だけ咥えると火を付けた。



 ここでデイビットは思い出した、魔界に居る兄からの定期連絡で『人間界には危険な天使が追放処分されてるから、出逢わないように気を付けること』と書いてあったことを。


 そして、その天使の特徴が『白銀の髪と緑黄色の鋭い瞳』だと言うことも。




「だぁからテメェが何かしでかしたりしねぇように、この大天使エンゼル様が見てやるっつってんだ。光栄に思いやがれ。」




 この男こそ、楽園を追放された傍若無人の大天使・エンゼルであるということさえも。


 デイビットは一人、心中で自らの不幸体質を大いに呪ったのは言うまでもない。







 第一話・完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ドクズ天使と不幸な悪魔 @Pe______pi__po

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ