第5話 適塾の乱

 嶺二は「松永って知ってるか?」って酒を飲みながら言った。

「うん、俺の教育係だよ」

「アイツのせいで大変な目に遭った。すぐに殴ってくるし、遥ってヘルパーがいるんだけど、松永のせいでエラい目にあって、自殺未遂した」

 僕は今すぐ元の時代に戻って松永を八つ裂きにして殺してやりたかった。

  

 7月5日の真夜中。森の中の古びた社殿で若侍の一団が密談をしている。正義感に溢れる若侍たちは緒方洪庵おがたこうあんと国許用人・須藤郡司すどうぐんじの汚職を告発しようとしていた。


 若侍のリーダー格である大村益次郎おおむらますじろうは、汚職事件に関する意見書を桂小五郎(後の木戸孝允)に届けたものの、その場で破り捨てられた顛末を明かし、一同は落胆する。だが大村益次郎の話によれば、長州藩主の毛利敬親もうりただちかは真剣に意見を聞き入れ、同志一堂を集めて会いたい旨を伝えたという。それを知った大村たちは歓喜に湧く。すると、社殿の奥からひとりのくたびれた浪人が現れる。大村の話を全て聞いていたというその浪人は、大村たちが軽んじる桂こそ切れ者の善玉で、毛利はむしろ敵の黒幕であろうと指摘する。

 半信半疑の大村たちであったが、間もなく社殿は敬親の腹心である宍戸備前ししどびぜん率いる捕り方に包囲される。浪人の指摘こそが事実だったのだ。浪人の機転によって危機を脱した後、浪人は桂の身に危険が及ぶと推理し、大村らの案内で桂の屋敷へ向かう。


 浪人の予想通り、既に桂の屋敷は毛利の手に落ち、桂はどこかに連れ去られていた。毛利らは、一石二鳥として自分たちの汚職を桂になすりつけようとも企んでいた。再び浪人の策により、見張りの隙を突いて桂の妻と娘を奪還することに成功した大村たちは、大村の仲間である源田権之助げんだごんのすけの家に潜伏する。灯台下暗しのことわざどおり、源田家は緒方の屋敷の隣にあった。桂の妻から名を問われた浪人は、永倉新八と名乗る。


 桂を助け出せれば敬親らは失脚するとして、大村たちはまず桂の監禁場所を特定しようとする。一方で、敬親らも、のらりくらりと要求をかわす桂に手を焼いており、要求を飲み込ませる人質とするため、連れ去られた彼の妻子の行方を捜そうとする。そこで敬親らは空の駕籠を使って大村らを誘き出す策を立てる。新八は警告を発するが、大村らはその罠に誘われてしまう。大村たちは駕籠を襲撃する寸前に罠だと悟り、危うく難を免れた。


 次に新八は、社殿で遭遇した宍戸に仕官を誘われたことを利用して毛利敬親の懐に潜入し、桂の居場所を探る策を立て、ひとり宍戸のもとを訪れる。ところが、相変わらず新八を信用しきれない福沢諭吉

《ふくざわゆきち》らが宍戸と新八の尾行を進言したため、宍戸らを尾行した仲間が逆に捕まってしまい新八の策は破綻する。結局、新八は捕虜らを逃がすために宍戸の隙を突き、敬親の家来らを皆殺しにして彼らを助け出し、その後に駆け付けた宍戸には大人数によって襲撃されたと芝居を打つ。黒い頭巾をしていた為に新八は正体をバレずに済んだ。

 

 源田の家に戻り新たな策を思案する一同だったが、すぐ近くを流れる小川に、桂に手渡した意見書の破片があることに気づく。他ならぬ源田の屋敷こそ桂が監禁されている場所であった。

 そこで新八は大村たちが清水寺に潜伏していると嘘をついて源田の兵を移動させ、その隙をついて屋敷を襲撃する策を立てる。その際、襲撃の合図として狼煙を上げることに決まる。


 清水寺にやってきた新八は計画通り、山門で大村らを目撃したと宍戸に話し、警備を手薄にさせることに成功する。ところが、狼煙を上げようとしていたところを宍戸に見つかり捕まってしまった。派遣した兵を宍戸が急いで呼び戻しに行っている間、新八は毛利らに、大村たちが隣家に待機していて間もなくこの屋敷は襲撃されると話し、赤い狼煙が決行の、そして青い狼煙は中止の合図だと嘘を付く。青い狼煙を合図に、大村らは屋敷を襲撃して敬親らを制圧し、桂を救出することに成功する。

 

 後日、桂は大村らを集めて感謝の意を告げ、事件の顛末として、緒方洪庵の適塾は閉鎖に追い込まれた。須藤家は家名断絶となり、郡司が沙汰の前にみずから切腹したこと、そして桂自身はもっと穏便な処置にとどめたかったと話す。その場には本来、新八もいるはずであったが姿を見せず、間もなく何も告げずに旅立ったことを知って、大村らは急いで彼の後を追うが、桂は新八が戻って来ることはないと予見する。大村らが町外れで新八に追いついたところ、そこには宍戸もいた。宍戸は彼をだました新八を非難し、決闘を申し込む。

「貴様!新選組の間者だな!?」

 大村らが見守る中、しばらく2人は無言で対峙し、そして新八が一瞬の居合抜きで宍戸を斬り倒す。新八は宍戸を自分と同じ抜身の刀のような男であったと評し、大村らにはそのようにはならないよう諭して、「それじゃあ」の言葉とともにその場を去っていく。


 7月25日の夜、遥は図書館で勉強していた。

 適塾てきじゅくは、緒方洪庵が江戸時代後期に大坂船場に開いた蘭学の私塾。1838年(天保9年)開学。緒方洪庵の号である「適々斎」を由来とする。幕末から明治維新にかけて福澤諭吉、大村益次郎、箕作秋坪、佐野常民、高峰譲吉など多くの名士を輩出した。

 適塾の開塾25年の間には、およそ3000人の入門生があったと伝えられている。適塾では、教える者と学ぶ者が互いに切磋琢磨し合うという制度で学問の研究がなされており、明治以降の学校制度とは異なるものであった。


 塾生であった慶應義塾創設者・福澤諭吉が在塾中腸チフスに罹った時、投薬に迷った緒方洪庵の苦悩は親の実の子に対するものであったというほど、塾生間の信頼関係は緊密であった。


 塾生にとっての勉強は、蔵書の解読であった。「ヅーフ」(ヅーフ編オランダ日本語辞典)と呼ばれていた塾に1冊しかない写本の蘭和辞典が置かれている「ヅーフ部屋」には時を空けずに塾生が押しかけ、夜中に灯が消えたことがなかったという。


 適塾では、月に6回ほど「会読」と呼ばれる翻訳の時間があり、程度に応じて「○」・「●」・「△」の採点制度を導入し、3カ月以上最上席を占めた者が上級に進む。こういった成績制度は、適塾出身者が創設した慶應義塾のあり方に、さまざまな影響を与えたといわれている。


 塾生の多くは苦学生で、遊びはたまに酒を飲んだり、道頓堀川を散策する程度だった。「緒方の書生は学問上のことについては、ちょいとも怠ったことはない」(『福翁自伝』)というほど、ひたすら勉学に打ち込んだといわれる。後に卒業生は適塾時代を振り返り、「目的なしの勉強」を提唱している。塾生は立身出世を求めたり勉強しながら始終わが身の行く末を案じるのではなく、純粋に学問修行に努め、物事のすべてに通じる理解力と判断力をもつことを養ったのである。


 緒方の死後は、福澤諭吉と大鳥圭介が中心となって、6月10日と11月10日を恩師の記念日として同窓の友誼を深めるために毎年親睦会を開いていたようである。この親睦会には長与専斎や佐野常民など、同門の人物はほとんど参加していた。 

 

 1869年(明治2年)、後藤象二郎大阪府知事、参与小松清廉の尽力により、八丁目寺町(現在の大阪市天王寺区上本町四丁目)の大福寺に浪華仮病院および仮医学校が設立される。院長は緒方惟準(洪庵の次男)、主席教授としてオランダ軍医ボードウィンを招き大福寺の施設の提供を受けて、一般の病気治療と医師に対する新治術伝習のために開かれた。半年で鈴木町(現在の大阪市中央区法円坂二丁目)の河内県庁跡(もと大坂代官所。のち南司農局。現在の大阪医療センター付近)に移転した。緒方惟準、緒方郁蔵(義弟)、緒方拙斎らがこれに参加。浪華仮病院および仮医学校は、改組・改称を経て大阪帝国大学へと発展し、現在の国立大学法人・大阪大学となっている。

 

 ケータイがバックの中で鳴った。

 ディスプレイを見た。『非通知』

 もしかしたら松永かも知れない。遥は恐怖に震えた。

 翌日は大変だった。残馬淳子ざんまじゅんこって自閉症の女性が食事中なのに動こうとした。遥はおでこに指を当てた。そうすると立ち上がらないのだ。遥は淳子にダリア園の東の方にある雑木林の近くに怪しげな家があると聞かされた。

「グリム童話に出てくる家みたいんだよ」

 仕事帰りに行ってみた。遥は愛車のパジェロを路肩に停めて、洋館へと近づいた。ドアが開く音がしたので棕櫚の木陰に隠れた。陰から様子を窺った。洋館から出てきた男は間違いなく、須藤誠一だった。

 

 7月30日

 昼過ぎ、蝉時雨の聞こえる高瀬川沿いを僕はぶらぶら歩いていた。

「あち〜」

 背中は汗でびしょ濡れだ。

 四条橋(その後、四条大橋に改名)のすぐ近くには池田屋事変に関わる桝屋がある。炭や薪を売る店で長州藩士など倒幕派のアジトとなった。

『鳥新』という焼き鳥屋から嶺二が出てきた。この店は平成にもあるので僕は驚いていた。

「ちょっと合わない間に顔つきが鋭くなったな?誰か殺っただろ?」

 嶺二はすべてを見透かしているようだ。彼は江戸へ行っていたらしい。

 僕が殺したのは宍戸が初めてじゃない、クリスマスの夜、あの廃墟で詐欺師2人を日本刀で殺した。生活に困っていた僕は殺し屋になった。2人を殺すように依頼してきたのは氷室冬子だ。僕が『あざみ園』に入れたのは冬子の後押しがあったからだ。

『おかげで地獄から抜け出れた。もしよかったら、ウチで仕事してみない?』

 待ち合わせ場所である彼女のアパートで、アールグレイティーを飲みながら冬子は言った。

『願ってもないことだよ』

 僕は古本屋で介護関連の本を買い漁り徹底的に勉強し、再就職を果たした。

 不死身になった今、新選組や坂本龍馬はいざ知らず、ゾンビすら怖くない。

「誰が聞いてるか分からんぞ、声を落とせ」

「スマン。怪物が現れないことを祈るだけだな?怪物殺しちまったら不死身じゃなくなっちまう」  

 刺客が四条橋の袂にやって来て、僕は刀で背中を刺されたが何の痛みも感じなかった。魚は痛覚がないらしい。

「己、裏切り者!」

 バレてしまったようだ。

 敵は永倉新八だった。  

 松前藩江戸定府取次役(150石)・長倉勘次の次男として、同藩上屋敷(江戸下谷三味線堀、現・東京都台東区小島2丁目)にて生まれる。弘化3年(1846年)、岡田利章(3代目岡田十松)の神道無念流剣術道場「撃剣館」に入門。しかし、4年目に師が亡くなり、以後、岡田助右衛門に教わり15歳で切紙。安政3年(1856年)、18歳で本目録。元服して新八と称する。同年、剣術好きが昂じて脱藩し、永倉姓を称して江戸本所亀沢町の百合元昇三の道場で剣を学ぶ。その後、市川宇八郎(芳賀宜道)と剣術修行の旅に出る。江戸に戻ると、心形刀流剣術伊庭秀業の門人・坪内主馬に見込まれて道場師範代を務め、そこで門下生だった島田魁と知り合う。その後、近藤勇の道場・天然理心流「試衛館」の食客となる。


 近藤らと共に浪士組に参加。新選組結成後は、二番組組長や撃剣師範を務めるなど中枢を成した。元治元年(1864年)の池田屋事件では、近藤や沖田総司らと共に池田屋に突入。沖田が昏倒し、藤堂平助が負傷して離脱、永倉も左手親指に深い傷を負った中、防具がボロボロになり刀が折れるまで戦った。事件後、新選組の勇名は天下に轟いた。その後、近藤に我儘な振る舞いが目立つようになると、これを遺憾とした永倉や斎藤一、原田左之助、島田魁、尾関政一郎、葛山武八郎は、脱退覚悟で近藤の非行五ヶ条を会津藩主・松平容保へ訴え出る等、近藤勇・土方歳三との路線対立を見せる。後、幕府から見廻組格70俵3人扶持(京都見廻組隊士と同格の地位)に取り立てられた。油小路事件では、原田らと共に御陵衛士を暗殺。


 慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いでは、決死隊を募って刀一つで突撃する豪胆さを見せた。江戸に退却後、新選組改め甲陽鎮撫隊として板垣退助率いる御親征東山道先鋒総督軍(主力部隊は土佐藩迅衝隊)と甲州勝沼の戦いで戦うが撃破されて江戸へ敗走。江戸へ戻った後は近藤らと意見衝突して袂を分かつ。その後、靖兵隊(靖共隊)を結成し、北関東にて抗戦するが、米沢藩滞留中に会津藩の降伏を知って江戸へ帰還し、その後、松前藩士(150石)として帰参が認められる。明治4年(1871年)、家老・下国東七郎のとりなしで藩医・杉村介庵(松柏)の娘・きねと結婚して婿養子として松前に渡る。


 明治6年1873年、家督を相続して杉村治備(後に義衛)と改名する。その後は北海道小樽へ移る。警察官僚・月形潔の招きで、明治15年(1882年)から4年間、樺戸集治監(刑務所)の剣術師範を務め、看守に剣術を指導する。退職後は東京牛込にて剣術道場を開く。明治32年(1899年)、妻と子供が小樽市内で薬局を開いていたため、再度小樽へ転居。明治38年(1905年)から小樽市緑1丁目(旧小樽少年科学館付近)に転居。明治42年(1909年)7月、小樽市花園町に住む。東北帝国大学農科大学(現・北海道大学)の剣道部を指導する。


 大正4年(1915年)1月5日、虫歯が原因で骨膜炎と敗血症を併発し、小樽にて死去。享年77。墓所は小樽市中央墓地と札幌市里塚霊園、東京都北区滝野川の寿徳寺境外墓地(字は蜂須賀正韶侯爵)の3箇所がある。

 

 僕は体に刀が突き刺さってるので身動きが取れなかった。

 天井すれすれまで飛び上がった嶺二によって新八は首を跳ねられた。

 嶺二が手にしていたのは懐剣だ。

 脇差よりも小型の、短刀に区分される中でも小型のもので、多くは鍔を用いない合口拵が用いられた。

 狭い屋内などの長寸の日本刀の使用が制限される場所や、殿中などの打刀や太刀の携行が禁じられている場所で奇襲を受けた際の護身武器であるほか、女性の婚礼衣装の付属品としての用法もある。

 短刀や脇差に隠れがちだが、男性にとっても懐剣は重要な護身武器であった。懐剣は打刀と同等の価値を認められ、大名家などには先祖伝来の名品も多い。

 僕はある噂を思い出した。

 

 

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