可愛い私のあーちゃん

石狩なべ

可愛い私のあーちゃん

 あたしは欠けている人間だった。

 何が欠けているかというと、思い込みが激しく、自分が思い描いた世界は現実に存在すると思っている生き物だった。


 だが、現実は真実を見せる。


 あたしの思い描いた世界はあたしの脳だけの世界であって、現実はただそこに虚しく存在するだけだった。


 魔法なんて存在しない。

 容姿の良い人は願いを叶えやすい。

 声が可愛ければモテる。

 訳ありの環境であればあるほど同情してもらえる。

 あたしはそれを羨ましいと見つめるだけ。


 ただ見つめるだけ。


 あの子はいつもあたしの正面で、可愛い顔で、可愛い声で、あたしを呼ぶ。


「あーちゃん」


 今日も貴女はとても可愛い。


「髪の毛ぼさぼさしてるよ。結んであげる!」


 高校生になった貴女は、まるで子供のまま大きくなったように、今日も純粋な、可愛い笑顔を見せる。


「あーちゃんの髪の毛、さらさらしてて羨ましい」


 あたしは貴女が羨ましい。

 あたしの髪の毛をとかして優越感に浸る貴女のことが、気にくわなくて仕方ない。


「三つ編みのあーちゃん、可愛い!」


 可愛い貴女に言われても、説得力がない。


「あーちゃん、また夜更かししたんでしょ。何時に寝たの?」


 その笑顔が憎い。


「私、気づいたら寝ちゃってた。だから推しの配信見逃しちゃったんだ。もう嫌になっちゃう!」


 その仕草は可愛いとわかってやってる仕草なの?


「あーちゃん」


 嫌い。


「大好き!」


 お前なんか大嫌い。

 堪忍袋の緒が切れた気がした。

 だから、放課後、誰もいない時に、嫌がらせをした。


 あの子は固まってた。あたしは笑った。


「何? ただの冗談じゃん」


 久しぶりに笑った気がした。


「部活でしょ。じゃあね」


 嫌がらせした後、そんな自分に嫌悪した。世界で一番最低な人間だと思った。これ以上ないほど自分を責めた。罪悪感に蝕まれた。ただ涙は出なかった。とんでもなく後悔した。けれど、清々しい気持ちもあった。


 自分は欠けている人間だ。

 小学生の頃は、全部好きだった。

 自分以外の全てが心地よかった。

 だから、あたしだけが太っていると悪口を言われても、傷付かなかった。むしろ、その子は痩せていて、モデルみたいに綺麗だと思ったから、太っている自分と仲良くしてくれるなんて、なんて親切な子なんだろうと馬鹿みたいに思っていた。

 今は、人の目が気になる。

 太っていた体は、身長が伸びるにつれて、標準となった。

 悪口は言われなくなった。

 相手にされなくなった。

 影が薄くなった。


 だから隣にいるあの子が目立つようになった。


 あたしが悪口を言われた時も、あの子だけが「そんなこと言う必要ない」と怒ってた。良い子だなと思って側に居た。気もあったから側に居た。でも、それが苦痛になって来た。あの子ばかり好かれる。あの子ばかりの願いが叶う。あの子がばかりが選ばれる。あの子ばかりが告白される。


 あの子が、あの人に、好かれた。選ばれた。

 あの子が、あの人を、振った。選ぶ立場だから。


 あたしは絶対になれない立場にあの子がいる。

 あの子は優越感でいっぱいだろう。

 地味なあたしの側に居るのだから。

「私がいなくちゃ、あーちゃんが可哀想」

 とでも思っているのだろうか。


 虫唾が走る。

 だけど、

 嫌がらせはするものではなかったかもしれない。


 いや、別にいい。


 もう、どうでもいい。


 あの子がいなくなったって、あたしは平気だ。


「あーちゃん、おはよう」


 翌日も、あの子はあたしに声をかけてきた。


「昨日のまる見え見た? あれさぁ」


 何事もなかったかのように話し出す唇を見て、安心したと同時に、不快感が押し寄せた。可哀想なあたしに同情しているように見えた。今日も貴女は輝いているから。元気に笑う貴女を見て、あたしは悔しくなった。


「あーちゃん、手繋ごう」


 触れてきた手が、とても気持ち悪くて、手を払った。あの子が驚いた顔をした。見覚えのない生徒が周りで歩いてた。あたしは人の目が気になったから、言い訳した。


「手汗酷いから」

「気にしないよん」


 あの子はいつもの調子で手を握って来た。仲良く見られると思って、人の目が気になって、嫌だけど、不快感でいっぱいだけど、好きにさせた。


「あーちゃん、トイレ行こ?」


 そう言われたから、髪の毛を整えたくて、あの子とトイレに行った。朝のトイレには誰も居なくて、鏡の前が空いていた。あたしは鞄からポーチを取ろうと手を入れると、あの子に肩を掴まれた。


 何だろうと思って振り返ると――嫌がらせの仕返しをされた。


「……冗談なんでしょ?」


 離れたあの子は笑っていた。


「はぁー、ねむーい」


 そう言って、鏡の前に立ち、前髪を弄り始めた。あたしも――何も起きなかったように、前髪を整えた。


 その日一日、いつもの一日だった。

 授業を受けて、理解できず、興味のある内容だけが頭に入って、家に持ち帰って、ゲームをして、本を読んで、テレビを見て、寝て、起きて、朝ご飯を食べて、学校に行く。


 学校に行けば、あの子と会わなければいけなかった。


「あーちゃん、おはよー」


 あと何か月もこれが続くのかと思うと、億劫で仕方なかった。


「あーちゃん、進学する? 就職する?」


 あたしは欠けてる人間だ。興味のある事しか出来ない人間だ。だから専門学校に行くと言った。あの子も流石に、専門分野にはついてこない。


「私もそこ行こっかなぁ」

「なんで?」

「楽しそう」

「興味ないじゃん」

「でも、あーちゃんがいるんでしょ?」

「うん」

「じゃあ行こうかな」


 あたしはもううんざりだった。

 この子にはもう関わりたくなかった。

 だから中学で頑張ったのに。

 受験勉強を死ぬほどやったのに。

 この女がついてきやがった。

 あたしよりも優秀な成績で。

 あたしが欠けてる人間なのをわかってついてきやがった。

 お前に言ったことをあたしは後悔してる。

 小学生の頃にお前なんかにあたしが、発達障害を持ってるって、言ったことを、あたしは、今、死ぬほど、死にたくなるほど、後悔してる。

 言わなきゃ良かった。

 お前なんかを信用したあたしが馬鹿だった。

 何もかも手に持ってるお前なんかに、言わなければ、お前は、同情の気持ちをあたしに向ける事なんかなかった。

 よくもついてきやがって。

 よくもいつまでも側に居やがって。

 人の目が気になる。

 だから口には言わない。

 嫌われたくない。

 でもこいつが嫌い。

 とんでもなく嫌い。

 でも嫌われたら悲しい。

 嫌われたくない。

 でも大嫌い。

 大嫌い!

 大嫌い!!


 だから、また、嫌がらせしてやった。


「体育の後の片づけとかだりー」

「あーちゃん、先行ってるねー」


 みんなが先に倉庫から出ていったタイミングだった。あの子とあたしが残された。二人きりの倉庫には誰もいなかった。


「あーちゃん、そっち終わった?」

「終わった」

「おっけー。次数学だっけ? だるいねー」


 あの子が振り返った時に、してやった。ざまあみろと思った。あたしは無言のまま離れて、あの子を見た。見る度に思った。可愛い顔をしていると。中身も良くて、外見も良くて、あたしには到底届かない人間性を持っている、嫌な女だと。黒い瞳は、黒いくせに光が当たっているように輝いて見えて、その目玉を欲しいと、何度も思った。小さな鼻も、唇も、整った顔立ち全て、お前の環境、性格、全てが欲しいと、何度も、何度も、何度も願ったけれど、あたしの願いは叶ったことがない。


 現実は、いつだって虚しい。

 どんなに努力したって、あたしの願いなんて、叶うはずがないのだ。

 天然の善人に、美人に、ブスなあたしが、欠けてるあたしが、敵うはずないのだ。


「冗談だよ」


 いつもの口調で言う。


「面白いでしょ?」


 嫌がらせだけど、嫌がらせじゃないと思わせるために嘘をつく。

 お前に嫌われたくない。でもあたしはお前が嫌い。他人に嫌われたくない。嫌われるのが怖い。人の目が気になる。でも嫌い。大嫌い。光り輝くお前が大嫌い。


「面白いね」


 あの子は、あたしの手を握った。


「面白いから、もう一回しようよ」

「え?」


 あの子があたしに嫌がらせの仕返しをしてきた。


「冗談だもんね」

「うん、冗談。もちろん。友達同士の」

「もう一回しようよ」

「もうした……」


 あたしが最後まで言う前に、嫌がらせをされた。


「もう、行こう」

「なんで? もう一回しようよ」

「面白くないって」

「してきたのそっちでしょ?」

「いい。もういい。飽きた」

「私は飽きてないから」

「いや、も……」


 拒否しようとしたけど、顔を押さえられて、出来なかった。どうしようと思った。冗談だと思って、あの子がからかって、とんでもないことをしていると思った。だから、胸を押した。あの子が離れた。


「あのさ!」


 言った。


「自分が何してるか、わかってる!?」

「……何してるって」


 あの子は笑顔だった。


「キスでしょ?」

「もうやめよ。キモイって」

「冗談なんでしょ?」

「いいって、もう……」

「なんで? 面白いじゃん」

「面白くないよ!」


 あの子がもう一度してこようと近づいてきたから、あたしはあの子の胸を押そうとしたけれど、その手を取られた。力を入れて振り払おうとしたけれど、びくともしなかった。あの子がマットレスの上にあたしを座らせた。腰に衝撃が走って、小さく悲鳴を出すと、それを遮断するように、またあの子に嫌がらせをされた。手で押しのけようとしたけれど、あの子があたしを押さえつけてきたから、出来なかった。


「ねえ、もうやめよう……?」


 震える体に唇が伝う。


「ごめん、ごめんってば……」


 涙を浮かべるあたしの下着を、あの子が脱がし始めた。


「ねえ、ねえってば……!」


 次の瞬間、シャッターが切られた。

 あたしは驚いて、唖然とした。そこには、スマートフォンで写真を撮った、笑顔のあの子がいた。


「何? その顔? あはは、冗談じゃん」


 あの子は、脱がせたものを丁寧に元に戻し始めた。


「あーちゃんの面白い写真、撮れちゃった」


 あの子は、笑顔だった。


 あたしは、もう、あの子に逆らえなくなった。


 あの写真が、学校中にばらまかれたらと思うと、怖くて、嫌だと、言えなくなった。


「あーちゃん、お弁当食べよう?」


 あたしは友達を続けた。


「あーちゃん、髪の毛結んであげる」


 神様っていたんだな。悪い人には天罰が落ちる。


「あーちゃん」


 裸のあの子が、隣であたしを見つめている。


「あーちゃん」


 笑顔で、あたしを見つめている。


「あーちゃん、大好き」


 あたしを大切に抱きしめて、誰よりも大切に、欠けたあたしを立派な人間として扱ってくれる。


「あーちゃん、大丈夫だよ。私が側に居るよ」


 劣等感に包まれて涙を流すあたしを、この子だけが受け止めてくれる。


「私だけが、あーちゃんの味方だからね?」









 私は欠けてる人間だった。

 どうすれば他人が喜ぶか冷静に分析する生き物だった。

 親の反応を見て、親戚の反応を見て、友達の反応を見て、こうすればいいんだと理解できた。こうすれば好かれる。こうすれば嫌われるが、誰よりも早くわかった。


「あーちゃんってさ、教室の中で一番太ってるよね」


 心の無い言葉を同級生が言った。言われた本人は――笑顔を見せた。


「違うよ。みんなが細すぎるんだよ」

「えー? そんなことないよー」

「あーちゃんデブじゃん!」

「違うよ! みんなが細いから、あーちゃんがデブに見えるんだよ! あははは!」


 あの子は、いつもそうやって笑ってた。

 からかわれても、全く気にせず、他人の価値観を上げた。


「なるみちゃんってとっても可愛い! 美人さんだね!」

「あやちゃん可愛いよねー! 大好き!」

「まなちゃんって可愛いのにすごく優しいよね! すごいなぁー!」


 あの子は悪口を言われても、どんなに自分が見下されても、負けじとキラキラしていて、他人の価値を上げることを無条件で優先する子だった。だからみんな彼女を好きになった。自身の見た目と言葉で、自分の価値感を上げてくれるから。どんどん身長が伸びていき、彼女の体が標準体型となった時、みんな、彼女に近づくのをやめた。


 今までみんな、太っていた彼女が好きだった。側に居ると自己肯定感が上がるから。しかし、標準体型となった彼女と自分を比べた時に、どれだけ自分が愚かな人間なのかを思い知らされ、人の良い彼女に負けることを恐れ、みんな、離れていった。


 私だけが残った。

 魅力的な彼女の側にいることが、優越感だった。

 こんな人の側に居られて、こんな方の側に居られる自分が、とてつもなく気持ちよかった。

 この子の価値は私だけが知っていればいい。

 この子の魅力は私だけが知っていればいい。


 この子を好きになった男達は、大したことなかった。

 私が間に入れば、みんな心が私に移った。

 みんな阿呆だった。

 阿呆で、馬鹿で、子供で、猿だった。

 猿が近づいていい相手じゃない。

 この子は私のものなの。


 邪魔しないで。




 放課後、誰も居ない教室で、突然、キスされた。貴女は鼻で笑ってた。


「何? ただの冗談じゃん」


 その唇から、目が離せなかった。


「部活でしょ。じゃあね」


 きっかけは貴女だった。

 胸に秘めていたこの気持ちに気づいてしまった。

 私は考えた。

 どうしたら貴女と永遠に側に居られるだろうと。


 側に居られるなら何でもよかった。

 でも貴女がまたキスをしてきたから。

 貴女が好きな人を奪いまくる私を嫌いになっていたから。

 貴女が私から離れようとするから。

 だから写真を撮った。

 いい写真だった。

 毎晩オカズにしてるよ。

 胸の形、綺麗。

 舐めたいな。

 咥えたいな。

 触りたいな。

 泣きそうな顔が可愛いな。

 いいな、いいな、いいな。


 全部、私のものにしたいな。





「あーちゃん」


 裸のあの子が、魅力的な瞳で私を見てる。


「あーちゃん」


 マリア様、どうか、にやけてしまう私を許して。


「あーちゃん、大好き」


 貴女を大切に抱きしめて、貴女が私から離れないように洗脳する。


「あーちゃん、大丈夫だよ。私が側に居るよ」


 涙を流す貴女は、これ以上ないほど魅力的。


「私だけが、あーちゃんの味方だからね?」

「あたし……うざいでしょ……」

「どうして? あーちゃんはうざくなんかないよ? とっても可愛いよ?」

「空気読めないし……ブスだし……」

「あーちゃんは誰よりも可愛い。ブスなんて誰が言ったの? みんな酷いね」

「ごめん……本当にごめん……」

「謝らないで。あーちゃん。私はあーちゃんの味方。この先もずっと、……ずぅっと……」


 ああ、なんて、気持ちいい。


「あーちゃんの側にいるからね?」


 大好きだよ。可愛い私のあーちゃん。





 END

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