第15話 電話番号

  週末、僕はいつもと同じように朝起きて直ぐに洗濯をした。そして、コーヒーメーカーで煎れたコーヒーの香りを楽しみながら朝食を取った。いつもと同じ週末の始まりだったがそれを壊したのは電話だった。最近、この電話までがルーティン化しているように思われる。


「沢村、もう起きていたか?」

それは片桐からだった。

「モーニングコールなんて頼んだ覚えはないけど」

「頼まれてもしない」

「そりゃ、どうも。でっ、どうした?」

「雨宮のことなのだが、依頼主が分かった」

「本当か?それで」

「保険会社のようだ」

「つまり、佐久間の両親に生命保険を支払うのを渋っているわけか?」

「いや、法律上決まった期間内で支払わなければならないので支払いは済んでいるはずだ。遅延損害金を払って、支払いを延期することもあるが。いずれにしても、保険会社としては、不審な点があり、結論を出したいのだろう」


「なんてやつらだ。だけどどうやって調べたのだ?」

「あれから雨宮の行動をずっと見張っていた。状況報告のために定期的にクライアントを回ると思ったのさ。あと、これはあまり褒められたことじゃないが、雨宮の会社のコンピュータのシステムを構築しているのがうちのライバル会社のストラクチャーなんだ。ライバルと言ってもあそこに俺は太いパイプがあるからデータを入手することは簡単なんだ。この事は内緒だからな」


「分かっている。ところで、俺の会社のシステム担当は大丈夫かなぁ」

「俺はお前の会社に興味ない」


「つまらない会社で悪かったな!それで、雨宮は佐久間の死を調査しているだけで今回の件には関係がないと思っていいのか?」


「ああ。雨宮から佐久間の死の事をもっとつかめるかと思ったが、どうやら関係はなさそうだった」

「でも、少なくとも永井の存在を教えてくれたので役には立った」

「永井で思い出したが、もし、雨宮が永井に会うと厄介なことになる」

「つまり、今回のことを雨宮が知ると佐久間の死のヒントを与えるわけだな」

「雨宮としたら、佐久間の死が俺たちにどんな関係があるなんて知らないだろうから、ひょっとしたら、俺たちも共犯だと思われるかも知れないな」

「やはり、どうにかして、先に永井を見つけないとまずいな」

「ああ、その方法を考えているところさ」

「それで、糸口はあるのか?」

「全く無い」


 片桐はあっさりと言いのけたが、本当に全く白紙の状態なのか疑わしかった。片桐は、不明瞭な状態で話をしない。上司に持つと面倒だ。


「その内いい話を聞けるのだな」

「お前の想像に任せるよ」

「じゃ、また連絡をくれ。俺も何かあったら連絡する」


 電話を切り、思考の隙間に入り込んだのは本条さんだった。無性に本条さんの声が聞きたくなったので彼女の携帯番号を探した。しかし何処を検索すれば電話番号が出てくるのか。交際を申し込んだにも関わらず彼女の電話番号すら知らない。交際をしているのは事実であるがそれを実感させるものが何もないのだ。


 久々に何事も無かった週末を終えて僕は出勤し、本条さんの連絡先を聞く事にした。ただ、尋ねる方法は、メールしかない。つまり、デート前と今も彼女への連絡方法には何の違いもないのだ。


『一昨日夢から覚めた思いがしました。それは、本条さんの連絡先を知らないと分かった瞬間です。連絡先を教えてください。そして、夢の続きを見させてください。これは僕の連絡先です』


返事は直ぐに返ってきた。


『この間は、ご馳走様でした。とても楽しかったです。それと、白状しますね。実は前から沢村さんからのお誘いを待っていました。初めて、見かけたときからこの人と決めていました。だから、交際を申し込まれた時は正直嬉しかった。こんなこと言って驚かれていると思いますが、私にとってはとても自然の流れでした。私の連絡先を教えますね。090-XXXX-XXXXです。では、お仕事頑張ってください』


 僕はこのメールを読んでまさか佐久間が代筆しているのではないかと疑った。急激な加速だった。いや、急激な加速ではない。お互いが思いを寄せていたとすれば、その小さな種はお互いの中でそれぞれのペースで育ってゆくもの。


 食事をした時に、心の中に種が蒔かれたのではなく、あの時は既に種から芽が出て随分と成長し、それを支える根もしっかりと張られていたのだ。


 片桐と話したあの時の勇気がみなぎるのを感じだ。彼女に今回のことを打ち明ける決心をした。こんな事で倒れる軟な根ではない。


『僕も白状します。あなたと恐らく同じ時に同じ気持ちになっていました。その日以来あなたはずっと憧れでした。そしてもう一つお話しなければならないことがあります。それは直接会って話します。頂いた連絡先にご連絡します』


よーし。戦う準備が整った。



 その日の夜、本条さんに電話をし、金曜日に会う約束をした。真実を伝える前に片桐に相談したかったので、彼にも連絡した。


「片桐。俺だけど、今大丈夫か?」

「ああ、俺も話したいと思っていたとこさ」

「と言うと永井について何か分かったのだな?」

「ああ、お前の話とは?」

「実はこの前話した女性ひとのことだけど、俺の気持ちは固まった。こんなこと言うとお前は笑うだろうけど、俺は結婚を考えている。だから、今回のことを全て話そうと思っている」

「彼女はそれを受け止めてくれるのか?」

「分からない。だけど、それは、問題ではない。このままの状態で彼女と進みたくはない」

「分かった。分かったよ。お前がそこまで言うのならお前に任せる。ただ、お前たちのデートの邪魔をするつもりは無いが、俺もその場に居てはダメか?」

「お前が一緒に来る?」

「ああ、本来なら2人で話すべきだと思うが、お前ひとりでこんな事言っても彼女を驚かせるだけだと思う。第三者の俺が居た方が恋愛感情に惑わされず冷静に考えられると思う」

「じゃ、今週の金曜日は大丈夫か?」

「金曜日か。大丈夫じゃなかったけど、大丈夫になったよ。お前の将来のかみさんに会うのだからな」

「すまない。片桐」

「何言っているのだ。これからが本当に大変なんだ」

「ところで、永井のことはどうした?」

「それは、金曜日に話す」

「了解した。金曜日の詳細については追って連絡する」

「じゃ、金曜日に」


———————————————————


 僕は困った時の水野頼みではないが、金曜日の場所を何処にすれば良いか相談した。

「水野さん、どこか雰囲気が良くて個室があるお店知りませんか?」

「料理と値段は?」

「そうですね、この前は鉄板焼きだったので、今回は、洋風ですかね」

「なんだよ。もう鉄板焼きには行ったの。一言もなかったじゃん。聞くだけ聞いておいて」

しまった、と思った。水野には何の報告もしていなかった。


「すいません。うっかりしていました」

「うっかりしないでくれる。で、いつ、誰と行ったの?」

「それは、ある人と行きました。その内紹介します」

「まあ、これ以上は詮索しないけど。もううっかりしないでよ。うっかり八衛じゃないのだから。洋風が良いのであれば、ちょっと値段は張るけど青山に良いイタリアンがあるけど。味も雰囲気も保障する。ただし、個室にすると別途1万円ほどいるよん。まあ、気にしないよな」


 ゆっくりと落ち着いて話が出来れば少しくらいの出費は惜しくなかった。それに、水野の威圧感を押し戻すことは出来ない。


「レストランの名前を教えて頂けますか?」

「ちゃんと報告してくれるんだよな」

「分かりました」


 かなり人気があるらしく個室しか開いていなかった。しかも週末料金で別途1万5千円かかった。7時30分から予約を入れた。


 彼女にはまだ3人で会うことは伝えていなかったので場所を連絡する時に片桐の事も伝えなければならなかった。これは、メールではなくて電話で伝えた方が良いと思ったので、今日帰宅してから電話で伝える事にした。帰宅して落ち着いたところで本条さんに連絡した。


「今晩は、沢村です」

本条さんの携帯画面には僕からの着信を告げているので名乗る必要も無いのだが、やっぱりここから始めないといけないのだ。


 携帯が普及する前は、2回ドキドキしたものだった。1回目は、電話が鳴った時。電話が鳴った時点でもしかしてと期待する。そして、2回目は、最初に声を聞く時。1番期待している人からだと直ぐに分かったものだった。


「今晩は、本条です」

「今お時間宜しいですか?」

「勿論です」

「今週の金曜日ですが場所が決まりました。青山にあるエアイネルングと言うイタリアレストランです」

「素敵そうなところですね。一つお願いがあるのですが」

僕は少し構えてしまった。

「なんでしょう?」

「今回は、私に奢らせてください」

嬉しい申し出だったが今回も僕が払う必要があるのだ。


「これから奢っていただく機会は沢山あると思うので今回も僕に払わせてください。それに、突然ですが紹介したい人がいるのです」

「どなたですか?」

やや緊張した声に変ったように思えた。

「僕の一番の親友です。今回打ち明ける大切な話には彼も関係しているのです。誤解しないで下さい。彼とは単なる友達ですから」

本条さんの笑い声が携帯を通して微かに聞こえた。

「やっぱり、思っていた通り面白い方ですね。分かりました。今回も奢ってくださいね」

「はい。詳細はメールで送ります」

「お願いします」

「では、お休みなさい」

「お休みなさい」


 漸く辿り着いた気分だったがあるモノが喉に引っ掛かっていた。それは重村の事だった。今なら彼が電話に出られそうな気がした。予想通り重村は電話に出た。

「まだ仕事中だったのか?」

「ああ、一息入れていた所だった。少しずつ好転しているから。どうかしたのか?」

「いや、別に。日高の件で電話した時にはあまり話せなかったから」

「俺は本当に良かったと思っているよ。最上は結構頭に来ていたが」

「あいつも分かってくれるよ。電話したのは、話しておきたい事があったんだ」

「お前にも何か見つかっていたのか?」

「感が鋭いな。頭の回転は鈍っていないようだ。癌ではないけど」

「と言うと何が見つかったんだ」

「大切な人だよ」

「それは、おめでとう」

「ありがとう。でも驚かないのか。この状況下で」

「驚くも何も素晴らしい事じゃないか。なぜ自分の選択、いや気持ちに遠慮する必要がある。自分の進む道に自信を持てよ」

「そうだな。それでお前はどうなんだ」

「俺か、今回の事は軽んじる積もりは無いが、ただの偶然として片付けている」

「と言うと」

「もし、あの日に誰かが死んだとしてもそれは偶然に起きた事でそれ以上でも以下でもないってことだよ」

「確かにそうかもしれないな」

「お前の好きになった人に今度合わせてくれ」


僕は重村に約束して電話を切った。

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