第14話 死の種

 翌週の水曜日、予定通り有給休暇を取った。先日予約した人間ドックに行くためだった。その日の天候はあいにく雨だったが病院には10時までに入れば良かったので通勤ラッシュのピークを避けることは出来た。僕も雨の日の満員電車を好まない内のひとりである。


 今村クリニックは六本木駅から徒歩3分と言う好立地に構えていた。賃料から必要な売り上げは想像できないが、僕の検査費用は、1日分にも満たない事は自信を持って言える。


 自動ドアから中へ入るとそこはまるでリゾートホテルを連想させる造りだった。設計者の意図は間違いなく僕に伝わった。


 壁紙の代わりに、大きな水槽があり、とても食べられそうにないカラフルな魚が患者予備軍を安心させるかの様に励ましていた。


 その水槽をバックに長時間座っていられそうなソファーが置かれていた。この雰囲気からこのクリニックの人気の理由が分かった。僕は受付で10時から予約をしていることを伝えた。


「沢村さんですね。お待ちしておりました。今回は始めてですか?」

「はい」

「今日は通常のコースにオプションのPETで良かったですか?」

受付の口調は、この年でPETを利用することが信じられないと言った感じだった。

「はい」

「この所沢村さん位の年齢の方にPETが人気なのです」

受付は不思議そうに言った。受付がPETを宣伝するために大袈裟に言っているのではないことは承知していた。

「何かあったのですかね」と僕は尋ねて見た。

「でも若いうちから健康に注意することは良いことですから」と受付は言った。

勝手なことを言うものだと思った。あんな出来事が無ければこんな高い金を払って人間ドックには来ない。これ以上、具体的な理由を述べていたらこのクリニックの信頼は揺らいでいた。

「そうですよね」と僕は丁寧に答えた。

「それでは、お名前を呼びますのでそこでお掛けになってお待ちください」


 高級な椅子を楽しんでいたが、直ぐに名前を呼ばれた。恐らくここは会員制の様に患者予備軍が待たされないよう予約を管理している。だとしたら、このソファーの座り心地は大袈裟であり、予備軍達が他の予備軍を連れてこないと採算が取れない。


 検査は、午前中に終わった。昼食は院内で準備されていて健康的なメニューで構成されていた。朝食を抜いていたのでこれはありがたい。レストランの入り口で自分の名前を伝えると後は自由に選んで食べることが出来た。


 昼食代も費用に含まれていた。やはり、レストランにいる人は僕より年配の人が殆どだった。中には夫婦で来ている人もいて、小旅行を楽しんでいる様に見えた。


 適当に料理を盛って奥の空いている席に座り、窓の外を見ながら食事をしていると誰かの気配を感じた。振り向くと一人のおばさんがお盆を持って、

「ここ宜しいですか?」と尋ねてきた。

おばさんに気付かれないように他の席も開いていることを確認した。おばさんは仕方なくこの席で食事を取る訳ではない。僕は微笑んでおばさんに言った。

「どうぞ」

「失礼します」


おばさんは嬉しそうに向かいに座った。テーブルは4人掛けの円状になっていて、丁度おばさんが僕と窓の間に入る形になるのだった。

「今日は会社の定期診断で来られたのですか?」

「いいえ、個人的に来ました」


 会社の定期健診と言っても良かったのだったが何となくこのおばさんには嘘を付きたくなかった。

「あら、そうなのですか?でもお元気そうに見えますが」

「ええ、特に何処が悪い訳でもないのですが・・・神様のお告げといいますかね」

「確かに健康そうに見える人ほど危険な状態にならないと気が付かないから手遅れになりますので、それは良いことです」

おばさんの言葉には実感が篭っていた。

「本当にその通りですよね」


 僕ら5人とも今は健康そのものなのに3年後には1人、5年後には2人死ぬことが予言されているのだから。食事を取っていたおばさんの手が止まった。

「実は私には貴方くらいの息子がいました」

何となく次の言葉が分かったのでその先は聞きたくなかった。相席を承認した時点で断る事は出来ない。おばさんは続けた。


「息子は半年前に亡くなりました。具合が悪くなって病院に行った時は末期の胃癌でした。主人の家系は癌の体質なので息子には注意するように言っていたのですが・・・」

おばさんがこのテーブルを選んだ意味が分かった。


「今日は、私の主人が私にここへ来るように勧めたのです。最初は息子を亡くし私だけ生きているなんて我慢できずここへは来たくありませんでした。しかし、どうしても主人が折れなかったのです。私まで失いたくなかったのでしょう。主人は毎日私を説得しました。私は主人の強い愛情を感じました。そして、主人と出来るだけ長生きしようと思うようになりました」


 おばさんの目に光るものを見た。それは、ここに来たことが正しかったと教えてくれた。佐久間は俺たちにここへ来るように導いてくれたのだ。おばさんのご主人とは方法は異なるが同じ位の想いを糧に。


「おばさん、実は私も友人にここへ来るように言われたのです。その友達は自分の命を犠牲にしてまで私をここへ連れてきてくれた」

「やはりそうだろうね・・・」


 おばさんの言った意味が理解できるような気がした。おばさんは今息子の死を乗り越えて懸命に生きようとしている。その思いはもう息子には伝わらない。でも、僕にはおばさんの強い思いは絶えることなく届いた。


————————————————————


 翌々週、みんなの人間ドックの結果が出揃った。流石にこの早さなら高い請求にも文句は言えない。最初に結果が出たのが片桐だった。判定は血圧が少し高いがとくに異常は見られなかった。


 次に結果が出たのは僕だった。僕の場合も特に異常は見られなかった。結果が出るたびにそれをみんなに伝えた。


 重村も仕事しかやっていないと思われたが、3人の中で1番結果が良く、僕たちを喜ばせた。最上の喜び方は宝くじでも当たった様に感情を爆発させた。この場合、ハズれたと表現するのが正しいかも知れない。


 これで僕たちの思いは片桐に検査費用を請求する方向に流れていたが、もちろん冗談である。


 僕はこれまで受けた中で結果がこれほど待ち遠しいと思った事はなかったし、結果について喜んだ事もなかった。それは、実費で受けた事が関係しているかも知れない。


 日高の結果は出ていなかったがもう大丈夫だとのんびりと自宅でテレビを観ていた。そんな時電話がなった。それは日高からだった。


「沢村。今日、人間ドックの結果が出た」

「それで、俺に請求書でも送るつもりなのか?言っておくがお前は賛成したのだからな」

「そう俺は自分でこの人間ドックを受けることを決めた。誰の指図でもなかった」


請求書は冗談なのだと思いながらテレビを切った。

「ああ、そうだよ。お前は自分で納得したのだから」


「...癌が見つかった。俺の膵臓に癌がいたのだよ」

「えっ、癌がお前の体に」

「ああ、そうだ。それも、PETでないと発見できなかった。医者によると、通常の検査だったら見つかっていなかったらしい。PETを使用した事と、どうも、片桐の方からクリニックに連絡が入っていて俺たちの検査を慎重に行うように依頼があったらしい。まあ、片桐が連絡しなくもちゃんと調べてくれていたとは思うが」

「と言うことは、発見が早かったので取り除けば問題ないのか?」

「ああ、転移している可能性はかなり低いようだ。早急に検査し手術する予定だ」

「本当に命に別状はないのだな?」

「癌を取り除けば問題ないと思う」

「取り除かなかったらどうなのだ?」

「個人差はあるらしいが、恐らく3年以内で死ぬらしい」


 何と言うことだ。正直軽い気持ちで検査を受けたのだったが、本当に起こってしまった結果に愕然とした。


本来なら、『よかったな』と声を掛けてやるべきなのだが、出来なかった。その代わりにこれだけは言っておきたかった。言わずには我慢出来なかった。佐久間のようには振舞えなかった。


「佐久間と片桐がお前の命を救ったな」

少し間があって、


「ああ」


 日高にとっては精一杯だった。僕には癌が日高の体から発見されたことに対しては複雑だった。しかし、人生とはこんな感じで選択されるのだ。僕は、電話を切った。結果は良かったのでこれ以上話せなかった。


 今回の結果であの占い師の言った日付が、僕らの命の終わりを告げていることがはっきりした。こんなことはありえないと分かってはいたが、実際にこれらの現実を目の当たりにするとそれを受け入れるしかない。そして、その方が気が楽だと思った。



僕は、片桐に電話した。片桐は自宅に居た。

「俺だけど。日高から連絡行った?」

「ああ、今お前に連絡しようと思っていた所だった。だが、その前に俺なりに考えを整理していた」

「それで、整理は付いたのか?」

「いや、」と言って片桐は少し間を置いた。そして続けた。「今回は、正直言ってちょっと参っている。整理が付くのか分からない」

「整理なんて付くのか」

「と言うと?」

「今回のことは頭で考えるものではないと思う。心で感じないと見えてこないと思う」

「お前らしくない意見だな。俺にはよく意味が理解できない」

「その通りだよ。俺たちの前にあるものは到底理解しようと思っても出来ない。だから、その対策も言葉で言って理解できるのもではないと思う。俺はそれを感じることが必要だと思う」

「それでお前は何か感じているのか?」

「感じている気がする」

「だけど、俺には説明できないのだろ?」

「勇気だよ。俺たちに必要なのは」


 片桐は沈黙を保った。こんなことは珍しかった。僕が黙り込んで片桐の思考の早さに追いつくのが彼と出合って以来、繰り返されて来た。しかし、20年近く経って始めて居慣れない場所にいるのである。


「沢村。勇気は解決には導いてくれないぞ。それは人が基本的に持っておかないといけないモノの一つだ。勿論、重要なものだと言うことは同意する。お前はその大小を言っているのか?」

「片桐が言っている勇気と今必要な勇気は本質的に違うものなんだ。片桐の言っている勇気は恐怖、嫉妬、怒り、喜びなどと同列に存在していて常にバランスされていて、不要なときはどれかが隠れている。そして、それは必然的に姿を現す。だから、それらを共存させることは難しい。しかし、今俺たちが必要としている勇気は、常に姿を見せていないといけない。つまり、恐怖が存在しているときにも常に勇気がいて、例えば、怒りが現れた時でも、勇気は共存している。見え隠れするものじゃない。この種の勇気が今必要なのだ。そうなんだ、絶対勇気だ」


「その勇気は何に使うのだ?」


「それは、勿論、俺たちの運命を受け入れること。運命を変えることが出来た友人を許せること、真実を突き止める行動を起こせること、自分の力を把握すること。そして、これが一番難しいことなのだが、大切に思っている人に本当のことを告げること」今の僕は僕でありながら僕でない思いがしていた。それは片桐にも伝わった。


「お前の中で何かが目覚めたな」

「無理やりに起こされたのだけど」

「お前にとっては良かったのではないのか。勿論こんな形でなく違った方法で目覚めさせてもらえたら、寝起きはもっとすっきりしていただろうけど」

「こんなことでも起こらないと俺の場合は目覚めなかった気がする」

「ひょっとしたら今回のことは必然だったのかも知れないな」

「だけど、正直な所、人間ドックで引っかかるとは思わなかったよ。片桐には勝算があったのか?」

「勝算なんてあるわけないだろう。だけど、俺は可能性を考えた。仮にあの日付が俺たちの死ぬ日を意味しているとしたなら、俺たち5人が全員事故死、もしくは殺害されるとは思えない。だから、3年後に1人、5年後に2人死ぬとしたらその内誰かは病死の可能性が高い。だから、もしかしたらと思ったのだ」

「そして、その結果はお前が予想していた通りだったわけだな」

「ああ、だから、全員受ける必要があったわけだ。だけど、本当に発見されるとは正直驚いたが」

「片桐、お前結婚は考えていないのか?」

「なんだよ唐突に。俺の場合、身辺の整理が大変過ぎる」


「実は、今の会社に入社して以来憧れていた人が居るのんだ。その人とこの間食事をした。その時が始めてのデートで、デートと言って良いのか分からないが、とにかく俺はその人に交際を申し込んだ」

「それで、どうするんだ?」

「どうすると言われても、俺は精一杯彼女を愛する。それしか出来ないし、俺はそうしたいと思っている」

「お前の気持ちは分かるが、それは、お前の我がままじゃないのか?既に付き合っていて、こうなったらなら仕方ないと思うけど」

「それは分かっている。しかし、今回の事が無かったら、俺は彼女を食事に誘うことは無かった。矛盾しているよな」

「お前はその彼女とのスタートがあの占いの日から始まったと思っているのだな」

「スタートと言うよりきっかけになったと思う。もし占って貰っていなかったら交際、いや、デートすら出来ていたのか自信がない」

「はっきりしないな。自信がなかったら彼女に申し訳ないだろう」

「デートをしていたか自信はないが、愛していることには自信がある」

「とにかく応援はする。それで、今回のことを彼女に話すつもりなのか?」

「それは、まだ決心が付かない・・・」


 片桐はこれ以上この件に関して何も言わなかった。言葉に出さなくても彼は僕の気持ちを分かっているのだ。どれほど悩んでいるかと。


「所で、どんな女性ひとだ?」

「その内紹介する」

「楽しみにしている」

「ところで日高の手術は来週だそうだ」

「そうか」

「じゃ、また、近いうちに連絡するよ」

「それじゃ、彼女に宜しく」


 佐久間が彼の両親へ残した生命保険のが少し理解できた気がした。佐久間は自分の余命を悟り大切な人に自分の出来ることを最後に残したのだった。僕も最後に彼女にしてあげられることを考えると佐久間と同じ選択をするのだろうか?


 そして僕はある重大なことに気が付いた。日高は自分の未来を変えたことにならないのか?僕を含めた4人の運命も変えることは出来るのだろうか?そして佐久間はどのようにこの事を知りえ何処まで知っていたのだろうか。




 

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