第9話 再訪

 その日の夜、自宅へ戻った僕は眠れなかった。ようやく冷静になって今回のことを考えた。確実に冷静になれていたかは疑問だったが、佐久間が亡くなって以来じっくり考えたことは今回が始めてだった。


 佐久間は本当に自分が死ぬことを知っていたのだろうか?こんなことはあり得ない。人の死を予言することなんて出来ない。あるとすれば、無理やり命を奪うこと以外には。


 僕は状況証拠が何と主張しても佐久間が誰かに殺されたとしか思えなかった。だとすれば、占い師が言ったことを知っている誰かである。


 そうなると、僕ら5人を除いたとして、残るのは、占い師である。もし、あの占い師が誰かと共犯だった場合は例外であるが。


 いずれにしても、僕らがあの時占ってもらうことを予測していたことになる。あの夜あそこで待ち合わせをすることを知っていた者。待てよ。あの占い師には誰も並んでいなかったではないか!


 つまり、あの占い師は、僕らが集まった時間を見越してあそこに席を設けたのではないか。そして、あの夜が初めてだったので誰も並んでいなかった。


 しかし、どうしても説明出来ないことがある。そう、どうやって僕らが占って貰うように仕向けたかだ。


 僕はベッドに横たわった。ようやく自分の肉体の訴えに耳を貸した。僕の体はかなり疲れていた。そう、睡眠を必要としていたのだ。


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 今日は日曜日だったので自然に目が覚めるまで寝ていられた。しかし、目が開いたのはいつもの日曜日とほぼ同じ時間だった。こんな時まで自分のベースが乱れない自分に腹立たしさを覚えた。その反面自分の中で変わらないものが存在する事を実感出来たことが僕をほんの少しほっとさせた。


 寝起きながら再び昨日の記憶にアクセスした。占い師は僕らが占って貰うことを待っていたのは確かだと言うことだった。しかし、占い師から僕らには声を掛けなかった。


 そうか、誰かが占って貰うように言ったのだ。誰が占って貰おうと言ったのか思い出そうとしたが1年振りに会った興奮で記憶が曖昧だった。僕は携帯を手にした。


「ああ」と寝起きだと分かる声で最上は電話に出た。

「最上、俺だけど。すまない、起こしてしまって」


 もう少し異空間に置いていた方が良かったと申し訳なく思った。恐らく明け方まで飲んでいたのだろう。


「最上、大丈夫か?」

すまなく思ったがどうしても話をしたかった。

「なんだ、沢村か」

「二日酔いは大丈夫か?」

「ちょっと待ってくれ」


とても辛そうな声だった。二日酔いで間違いない。電話の向こうからコップに水を注ぐ音が聞こえた。その後、また、同じ音が聞こえた。


「それでどうした。昨日は明け方まで飲んでいた」

思った通りだった。


「でもよく電話に出られたな」

「そう思ったらこんな時間に掛けてくるなよ」


そんなに早くはないと思いながら言った。


「実は、あの飲み会の夜のことなのだが」と言って少し間を空けた。最上の思考回路をあの夜の場面に移す時間を与えた。そして続けた。


「占って貰おうって言ったのはお前だったっけ?」


 最上からの返事はなかった。質問の答えを思い出す前に、こんな時間に何故こんなことを聞くのか理解するのに苦労しているようだった。


「なんだよ。そんなこと聞いてどうする。後にしてくれ」

「すまん。こんな時に。しかし、とても重要なことなのだ」


 僕が言った『こんな時に』には二つの意味を込めた。一つは独身男性の休日に対する時間、もうひとつは葬儀後に対するもの。


 最上は必死でこのふたつの理不尽と二日酔いに葛藤していた。僕は、辛抱強く待った。


「あれは俺じゃない」


重村ではないことは分かっていた。


「片桐が言うはずはないので、お前じゃなければやっぱり佐久間だな」


最上は苛立ちを言葉よりため息で示した。そして、


「それがどうかした。何を考えている?」


僕は考えていたことを自問しながら説明した。


「それでお前は俺たちの誰かを疑っているのか?」

段々、最上の思考力が動き始めたのが分かった。


「いや、そうじゃない。ただ、なぜ占って貰うことになったのか。偶然じゃなく、そう仕向けられたと思う」

ようやく僕の意図を理解したらしく、最上の口調が和らいだ。


「前から言っているように、俺はどう考えてもあの占い師が仕組んだとしか思えない。だって未来を予言することなんて誰にも出来ないだろう。もし、これが地震の予言だったら占いを信じるしかないけど。やつは人命をまんまと当てたんだぞ」


最上の意見にも一理あると思ったが僕は反論した。


「なぜそんなことを占い師がやる必要がある。もし、そうだとしたらやつはあと5人予言通り殺すことになる。俺たちがやつに何か恨みを買ったか」


勿論最上も自分の意見に自信があったわけではなかったので、

「いや、恐らく誰もあの占い師と面識はないと思う。だが意図せずに恨みを買うことだって有り得る」


 確かに知らずに恨みを買うことはあるが、今回はそんな事ではない気がする。頭の中でこれまでの経緯が駆け巡った。


 今回の飲み会の計画、占いの提案、重村が心配。そして、占い師の言った最初の日に亡くなる・・・。これらは全て佐久間に行き着いた。


僕は少し異常に思えたが最上に提案した。


「来週、末佐久間に線香を供えに行こう。昨日は彼のご両親と何も話せなかったし」


 僕は佐久間のご両親と話をしたかった。重村のこともあるし、ひょっとして佐久間が彼の両親になにか伝えていたのではないかと思ったのである。


「お前、正気か?昨日葬儀に行ったばかりだぜ。ご両親の身にもなってみろ」

「分かっているそんなことは。だが、はっきりさせることは佐久間のためにもなると俺は思う」


 最上は渋々賛成した。と言うより反対する気力が無かった気がする。それに最上は意外と正義感が強いところがある。だから、分かったよ。みんなには俺から連絡してみる。と言ってくれた。


 僕達の中で日高だけが結婚しており、どうしても2日間家を空けることは出来ないと断った。


 重村も最上に都合が悪いとだけ言って具体的な理由を言わなかった。学生時代だったらゲリラ的に翌日の計画を建てても全員参加の可能性が高かった。


 いや、それが当然だと参加前提で計画を進めていたが、今となっては5割の参加が妥当な線なのだ。例の如くスケジュールとチケットの準備は片桐が引き受けた。


 僕は佐久間の両親に来週末伺うことを電話で伝えた。佐久間の母親はひどく落ち込んでいたが、佐久間がどんなに喜ぶかと丁重にお礼を言ってもらった。


 その言葉は、僕の心に擦り込まれていたあぶり文字にそっと炎を近づけ、『罪悪感』の文字を浮かばせた。今回のような占いが関わっていなくともこのタイミングで線香を供えに行っていたのだろうか?

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翌週の土曜日、片桐は、8時53分東京発ののぞみ307号を予約した。


 これに乗ると新大阪に到着するのが11時30分である。新大阪から11時55分発のJR東海道の山陽線で大阪まで行き、12時10分発JR福知山線快速で篠山口には13時2分の到着となる。


 そこからは、前回と同様にタクシーで向かう予定になっていた。これは葬儀の時と同じ経路だった。


 当日東京駅に少し早めに着いたが最上は既にホームの椅子に座っていた。この間は3人が僕を待っていたかな。僕は最上の隣に腰を下ろし、言った。


「おはよう」

「よう。何故か佐久間が今日この待ち合わせ場所に来るような気がした」

こんな時人が考える事に然程幅がないものなのか。


「すまん、俺がその夢を壊したようだな」

「何を言っているんだよ。そんなものはもう壊れている。それより今回の本当の目的は何なのだ?」


 僕はどこまで話をするべきか迷ったが隠すことでもないしもう後悔したくなかったから全てを話そうと思った。

「分かった俺が考えていることを全て話すよ」

しかし、そうするにはもう少し経ってからの方が良さそうだ。


『14番線ご注意ください。新幹線が到着します。これは折り返し新大阪行きとなります』


 片桐の姿は未だ見えなかったが僕らは心配していなかった。僕らはコーヒーを買い、清掃係と入れ替わりに乗り込んだ。程なくして、片桐が現れた。僕のチケットはA席だった。最上が真ん中のB席、片桐が通路側のC席となった。


 買ってきた缶コーヒーの一つを片桐に渡した。片桐のコーヒーの好みは分かっていた。無糖。片桐は当然の如く僕より先に缶を開けた。


 僕は考えていることを全て話した。佐久間から聞いた『重村を頼む』も含めて。

コーヒー缶のデザインを眺めながら最上が言った。


「今お前が言ったことをまとめると、佐久間は自分の死が分かっていてそして重村も狙われているとお前に警告したと言いたいのか?」


 僕は重村が狙われているとは一言も言ってはいない。最上は何をまとめたのだろうか?片桐が続けて言った。


「それだったらなぜ直接重村にそう言わなかったのだろうか?」

そこは、僕も片桐と同じ意見だった。

「俺もそれが分からない。そして、佐久間と占い師に繋がりがあるのか?」


最上は怒りを、飲み終えた缶にぶつけながら缶の凹む音と一緒に言った。


「今回の一件に必ず占い師は絡んでいる」


 最上の意見は皆が賛同している。大きな進展も新たな仮説も浮かばないまま新大阪に到着し、山陽線のホームに向かった。


 山陽線のホームは人がまばらだった。間もなくすると福知山線快速がホームの空気を震わせた。僕らは座席の向かい合った4人用の席に座った。そして、途中で片桐が選んだ八角弁当を食べ始めた。同じ線路、同じ季節のはずなのに前回訪れた時とは景色が全く異なって見えた。


「再びここに来て良かったと思うか?」


 僕は佐久間の実家に行くことに対する後ろめたさが、彼の実家に近づくにつれて坂を転がる雪だるまの様に大きくなり、通過する駅が恋しく思えた。


「一旦決めたことに、俺は後悔しない。どんな結果になろうとも」

最上らしい、男気溢れる意見だった。


「片桐はどう思う?」僕は片桐にも意見を求めた。

「どうって、悪いと思ったら俺は最初から賛成しない」

これも、片桐らしい意見だった。


「沢村はどうしてそう思うの?」

片桐は僕に聞き返した。


「いや、佐久間は俺たちに何を望んでいるのかと思って。今俺たちのしていることを彼は本当に望んでいたのだろうかと。今になって自信がなくなってきた」


僕の想いとは反対に片桐の想いには曇りはなかった。


「それをはっきりさせるためにも俺は佐久間の実家を訪ねる事に意味があると思う。お前の言う通り、葬儀の時は何も話せなかったからな」


最上が即座に続けた。程よい向かい風に乗った凧のように上昇を始めた。

「その通り。佐久間は俺たちに何かを伝えたかったはずだと思う」


「そうだな」

僕はこの2人の自分を信じる強さに脱帽状態だったが彼らはずるいと思った。


 佐久間の実家に電話をしたのは僕であり、この2人は佐久間の母親と直接話していない。落胆した声と僕たちが線香を上げに来てくれると思った喜びを含んだあの灯火ともしびを受けてはいないのだ。たとえ灯火でも当たる場所によっては火傷を負う。


もし、彼らも受けていたとしたら今の2人の揺ぎ無い信念を焼却されずにいたのだろうか。


 篠山口に着いて僕たちは改札を出てタクシー乗り場に向かった。あの女の子は今日もあそこで働いているのだろうか?僕はもう一度会いたくなった。


 待っていた一台のタクシーに僕は助手席に乗り込み佐久間の住所を告げた。20分程で、佐久間の実家に着いた。


「えらく寂しく見えるな」最上はタクシーを降りるなり言った。


 先週は畦道に車が数台止まっていたし大勢の人がいた。どんな物でも空間が埋まれば、多少気は紛れる。


 僕は先頭を歩いた。電話をした手前そうせざるを得なかった。そして、玄関の戸を開いた。線香の匂いが脳天を突き、僕の言葉を詰まらせた。まるで線香に麻酔効果があるように。


「こんにちは。沢村と申します」

暫く様子を見たが返事は無かった。僕は繰り返した。

「こんにちは」

「はい」


 佐久間の母親らしき人の声が聞こえ、僕は緊張した。麻酔とは違う肉体の硬直だった。足音が段々近づいて来た。僕は深呼吸し手を力一杯握り締めた。


「重彰の母です。遠いところわざわざありがとうね。葬儀ではちゃん話さんでごめんなさいね」


 母親の目は赤みがかっていて、一週間という時間はその赤みを元に戻すには短すぎる。要する時間は、愛情の深さと比例していて、僕には想像出来ない。


 母親は佐久間とだぶらせたのか、僕たちの事を随分と待っていたような表情をした。佐久間と一緒に彼の実家を訪れていたら・・・。


「私は沢村と申します。この度は本当にご愁傷様です」これ以上言葉が続かなかった。

「最上と申します」

「僕は片桐と申します」


葬儀のときは殆ど話せなかったので今回が初対面のようなものだった。


「重彰にこんなに良いお友達がいたとは知りませんでした。あの子何にも言わないもんだから。今日、東京を出られたのでしょ。疲れたでしょ。東京からは遠いですからね。さあ、どうぞ、上がってください。こちらです」


 確かに東京からは時間が掛かったが、それにしても母親は大袈裟に東京からの道のりを気に掛けた。それは葬儀から一週間という短い時間で再訪した事への気遣いだと思ったが、佐久間は帰省しなかった言い訳にこれを使っていたではないと言う考えもよぎった。


「失礼します」


 母親は仏壇を案内して直ぐに奥へ下がった。恐らく、何かの準備もあったと思うが同じ年の僕たちを見て佐久間と重ね合わせたのだろうか。


 僕たちが線香を供え終えると母親がお茶とお菓子を持って現れた。それは、思ったより早かった。


 母親が必死で涙を拭いて準備をし、僕たちを出来るだけ待たせないように務めたのだろうか。こんなことまでさせて、来るべきだったのか・・・。そして、それを悟られまいと言葉を発した。とても卑怯な振る舞いだと自覚していた。


「お母さん、お構いなく」

。何を言っている。そして、お母さんと呼んだことも後悔した。


「何を言っとるの、遠慮せんで」


 僕はその言葉によって時間が止まったかの様に動けなかったが、最上が話し始めた。


「重彰君とは僕たちは親友でした。でも今思うと正直言って僕が彼にしてやったことはあまり覚えていません。だけど、彼が僕にしてくれたこと、残してくれたことは、本当に数え切れないです」


佐久間の写真に目をやり母親は言った。


「そんなことありゃせんよ。皆さんがおってくれたからこそ、あの子は長谷川さんの死を乗り越えてこられたんよ」


片桐が最上の意図を察した。

「重彰はいかなる犠牲を伴っても僕たちを救おうとしました」


 この片桐が言った意味は今回の佐久間の死を指しているのだ。僕は佐久間の写真をじっと見た。そして不思議な感覚が僕の背中を押した。


「僕は重彰君が今回も何かを僕たちに残してくれたような気がしています」

「息子はあなたたちを本当の家族のように思っていたんよ」

母親の声が詰まった。


「実は葬儀が終わって、何もする気力がなくなって。親より先に逝った息子を親不孝と叱りました。どんなに叱っても息子には届かんわね。それから、数日経って、親不孝だと叱ったことが息子に届いたんかね。手紙が届きました。息子から、


『父さん、母さん、先立つ俺を許してくれ。そしてこんな形で別れを言ってごめん。2人に孫の世話をさせてあげられなかった俺を許してくれ。これは、俺が出来る最大限の親孝行だと思って許してくれ。俺の命はもう長くないんだ。でも俺は死に対して何の恐怖もないです。本当だよ。だから、安心して。手紙と一緒に入っていのは、俺の生命保険です。受取人は、父さんです。これは僕の運命なんだ。仕方が無かった。こうして手紙を書くことが出来ただけでも僕は幸せです』


息子の手紙にはこう書いてありました」


言い終えると母親は祭壇の佐久間の写真を見た。


 僕たちは言葉を失った。佐久間は本当に自分の死を知っていた。それが、自殺だったのかはわからないが。


 佐久間からの電話を思い出した。今思うとあれは佐久間からの遺言のような気がする。佐久間が自分の死を知っていたのだという確信が僕の血液の温度を上げた。


僕は重村のことが心配になってきた。


 母親の僕たちに対する思いやりがくれた、予想を遥かに上回った達成感と、無駄足だった方が清々しく佐久間の実家を後に出来たと言う等価の想いが僕の奥底で混在しているた。


 体温の上昇と、組み合わせが余りにも悪いこの二つの思いを消化器官に不具合を起こした。胃液が逆上し吐きそうになった。この苦みはとても苦痛であったが表情に出すことは許されないと思った。


僕たちは、母親に精一杯のお礼を言って佐久間の実家を後にした。



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 今回は日帰りではなく片桐が大阪のホテルを予約していた。これは自然の流れだった。


 篠山口から大阪までの車中、誰一人話そうとはしなかった。これは、全くこの間と同じであり、違いは、5人から3人に減ったことだけで、この人数の減少は沈黙の原因とは全くの無関係である。


 それは、前回の沈黙が実証している。大阪に着いて封印が解けたかのように最上が口を開いた。


「ホテルにチェックインする前に夕食にしないか」


 僕もチェックインして出直したくなかった。一度ひとりで閉じられた空間に入ると佐久間の実家での体験が物理的な重力を遙かに超え、動けなくなりそうだった。


「じゃあこの辺にある居酒屋にするか」


 僕はあまり静かな処で飲むことは避けたかった。今回の事を考えたいし話したいのだが、それは静寂より雑音を肴に行う類のものだから。静寂は十分過ぎる程全身で浴び続けた。


 ちょうど目の前に『田舎村』の看板が見えたので僕は導かれる様に、早歩きで店の前まで行った。あの子がここで働いていて欲しいと思った。消化器官の不具合にはもっとも効果的の様に思え、その願望からふとその様な思いが浮かんだ。


「そこが良いのか。じゃそこでいいや」片桐が同意してくれた。


 店内は土曜日らしく賑わっていたが、もちろん、あの子は居なかった。丁度奥まったところに座敷が空いていたのでそこに陣取った。


 そして、適当な摘みと生ビールを頼み、無言のまま運ばれてくるのを待ったが、不思議なことにそれが長く感じられなかった。


 それは今回のことをずっと考えており、篠山口からここまで来る間も続いていたからだろう。


『お待ちどう様でした。生ビールです』


僕たちは献盃の動作をした。一口飲んだ後で片桐が残酷な形で沈黙を潰した。


「3年後には残った内の誰かが死ぬ」


 この考えが異常であるなんて思えなかった。片桐が両親に宛てた手紙から佐久間は誰かの手で殺害されたのではない。あの日付の信憑性が科学的に証明された程に、市民権を得てしまった。


そして片桐はとんでも無い提案をした。


 それは健康診断を受ける事だった。それも出来る限りの精密なものを。この占いを逆手に取ろうと考えたのだ。


 もし、3年後に誰かが死ぬとすれば、既に選ばれし者の中にその種が宿っているのではないかと。


 最上も僕も黙り込んだ。2人とも意表を突かれた。僕は自分が直線的ではなくとも遠回りをしながら少なくとも解決に近づくように考えを進めて来たが、片桐の提案は僕が所持していた解決への地図には載っていなかった。


 ただ、その提案は前進することであり間違ってはいない。それにこの提案に反対する理由が見つからないし、その努力をする事に意味を見出せなかった。


「俺は健康診断を受ける」


 真っ暗な洞窟に迷い込んだ一筋の光に思えた。たとえ僅かな光でも意思があればそこから抜け出せるし、少し進むくらいの助けになる。


最上もこの小さな光に賛成して欲しかった。全員一緒じゃないと駄目な気がした。


「こうなったらとことんやってやる」

最上も賛成した。ビールを飲みながら片桐が言った。


「これで何かが分かればラッキーだよな」


 横文字嫌いの片桐は敢えて『ラッキー』と言う言葉を使った。肉体に染み付いた日本語より今対峙している状況を鑑みた片桐のバランス感覚に僕は最敬礼した。


「帰ったら日高と重村には俺から伝える」


と、最上が言ってくれた。

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