第7話 友の地
佐久間の実家は兵庫県篠山市新荘にあった。東京からのぞみで新大阪まで2時間30分、そこから在来線の福知山線で大阪から篠山口まで1時間程度。後はタクシーで20分ほどかかる。
片桐の計画通り僕ら5人は同じ新幹線で東京駅を出た。こんな形でみんな揃って佐久間の実家へ行くとは何の因果だろう。
これが休暇を取って佐久間が待っている実家への旅だったらどんなに楽しかったことか。でも、これまで実行しなかったのだからこの先もなかったに違いない。
片桐は7号車の1番前の3列並んだ席とその後ろ3席を抑えていた。つまり、5人に対して、6席分購入していたのだ。このチケットを取るのに苦労したのか、それとも簡単に取れたかは解らない。
喪服を着た5人が向かい合っていると、雑音を吸収する効果があるのか、雪が降り積もるかのように、車内は静寂だった。
新幹線が新横浜を通過したところで片桐がおもむろにメモ帖を取り出した。
「これが、あの占い師が言った日付だ」
日高は取り出されたメモ帖を睨みつけ、片桐に問うた。
「片桐、やっぱりお前はこれが関係していると言いたいのか?」
「俺は何も言っていない。ただ、これが占い師の言った日付だと言うことは紛れもない事実だ」冷静な片桐がそこにいた。
僕はずっと確かめたかったことを思い切って尋ねた。
「最上、佐久間の死因を知っているのか?」
最上の声には生きているのに力が感じられない。
「3月2日に眠ったまま目覚めなかったそうだ。部屋は荒らされた形跡はないし、特に外傷も無く毒物も検出されていない」
重村は曖昧な最上の言い方に納得がいかないかの様に確認した。
「つまり、誰かに殺害されたのではないのだな?」
最上は重村にもう一度わかりやすく説明した。一度目で自分の意図を汲んでくれと言いたげに。
「俺も詳しくは分からないのだ。だから、自然死とは断言できないのだ。可能性としては、自然死が高いと言うことなのだ」
僕は片桐の意見が聞きたかった。
「片桐はどう思う?」
「そうだな、限られた情報から、俺は、佐久間の死は自然死の可能性が高いと思う。特に根拠があるわけでもないが・・・」
「根拠が無いのにそう言うのはお前らしくないな」
僕は突っ込んだ。片桐が何か秘めていると言う直感から。
「まだ、俺の考えは時期尚早だと思うが、あの占い師の言った最初の日付は、佐久間の死を予言していたと思う。ただ、どうやって予言したかは俺にはわからない。これには、何か深いものがあるような気がする。単なる佐久間の死ではない何かが・・・」
ただ一人占いの場にいなかった日高が割り込んで来た。
「これって、単なる偶然ではないか?こんな予言誰が出来る。あり得ないな。もしそうだとしたらその占い師のやつが自分の言ったことを実現したに違いない!それに、もし、その日付が佐久間の死を予言していたとすると残りの日付は何を意味するのだ?」
僕はそのことを言葉に出す勇気が無かったが片桐はそうではなかったようだ。
「勿論、俺たち5人の死の予言だ」
あまりにも冷静に言う片桐に僕は驚いた。片桐も5人に含まれているのだから。
本来なら、突然友人を失った場合もっと違った感情が我々を支配する。人間なら当たり前の感情。そう、悲しみ、思い出、それから、無力感。
しかし、人間とは自己中心的な生き物で、これから自分達を待っている運命の方が天秤を下げる。片桐の一言が原因なのか、もしくは誰もが身勝手な自分に後ろめたさを感じたのか、僕らはその後黙っていた。
新大阪に定刻の10時27分に着いた。そして、10時37分に乗り継ぎ、4分後には大阪駅に居た。昼食には早かったので、佐久間の実家のある篠山口駅で食事をすることにした。
大阪を10時56分の丹波路快速で篠山口駅には、11時58分に到着した。
佐久間からずっと前に、
『俺の実家はかなりの田舎でたまに鹿が電車に跳ねられる。でも星はとても綺麗だ』
と聞かされていたので、僕は『北の国』を想像していたが駅は思った以上に大きかったし、奈良のように鹿もいない。
さすがに改札は一つ。それと、こっちの星空を楽しむ余裕はなさそうだ。何れにせよ、日が暮れる頃にはここを後にしている。
改札を出ると、どの駅にもあるようなロータリーを左に進んだ。視界を遮る高層ビルはおろか、4階以上の建物さえなかったので解放感が寂しく広がっている。
僕らはまず食事をするところを探した。コンビニエンスストアーは無努力で見つかったが、その名前は記憶にない。
このコンビニは最終手段にして、とにかく100m程先に有る四つ角まで歩くことにした。四つ角まで来ると左に喫茶店があった。僕はこの喫茶店でも良いと思ったその時に、最上が言った。
「あそこに定食屋がある。あそこはどうかな?」
最上の言った定食屋は右側にあった。雰囲気は田舎風の定食屋だった。田舎に在るのだからこちらではそんな風には形容されいないだろう。
本来なら、喫茶店を選ぶ所だったが、佐久間について知らない部分を、彼の田舎の定食を食べることで少しでも知り得るような気がしたから僕は最上に賛成した。
満場一致で定食屋に決まった。
中に入ると、若い女の子が接客した。
「いらっしゃい。お好きな席に座ってください」
その声には、少し元気がないように思えた。僕らの格好が反射しているからか。
その声とは対照的に僕はその
その子の目は少し赤かったが、玉葱でも切っていたのだろうかと深く考えなかった。そして、その子が発したイントネーションが最初に佐久間に会った記憶を引き出した。
それは佐久間の柔らかくある意味悟りから来る性格により、僕には心地良いものだと気付かせた。
全くの他人が発する佐久間のイントネーション。それは、他の連中にも同じ思いだったようだ。
僕らは奥の座敷を選んだ。程よくして先ほどの女の子がお茶を運んできた。そして、一つひとつ丁寧にお盆からテーブルに移した。
「丹波茶です」
「ありがとう」
他の誰よりも先に言われたくなかったので僕は直ぐにお礼を言った。この子と最初に話す特権を誰にも譲りたくはない。それは、どうしてか。
僕はその子を見たとき誰かを思い出した。それは、誰なのか分からないが・・・僕の知っている人に似ていたから。
最上がメニューを手渡し僕に注文が未だだった事を思い出させた。既に皆は注文を決めていて、僕が注文を取るような雰囲気になっていたが悪い気はしない。
期待通りあの子がやってきた。佐久間の葬儀に来て何かを期待している自分に罪悪感を覚えたが、そんな行為を正当化出来る何かをこの子は備えているのと、僕以外にも同じ事を思っている者がこの中にいると言う考えに、この子は自信を与えてくれる。
「魚定食3つと鳥定食2つお願いします」魚定食3つの内ひとつは僕の選択だった。
「はい」
その子が注文を伝えに奥にさがった時、僕たちと同じ装いの5名が食事を終えて会計を済まそうとしていた。
この定食屋で喪服を着て食事を取るのだから、勿論この辺りの住人ではない。5人の構成は中年男性が2人、僕らと同じ位の男性が1人、それに女性が2人。
会計は中年男性の一人がまとめていた。
何やらその男性は、領収書を依頼したようだったが、年配の店員は領収書が見つからず、曖昧な記憶を手がかりに手当たり次第引き出しやらを探していた。
恐らく領収書を書くことなんて滅多にないのだろう。領収書の代わりにツケで食事する頻度の方が高いかも知れない。
それを見かねた中年の男性は何やら年配の店員に、手を横に振りながら話し掛けていた。その男の姿は、4人の発する悲壮感とは異なっている。見るからに彼は佐久間と直接仕事に関係があったのではないのだろう。多分総務部ではなかろうか。そう、事務的な雰囲気を漂わせていた。
それに比べ他の4名は佐久間の同僚に思えた。年齢から中年男性は佐久間の上司。若い女性の方は佐久間の部の庶務関係。
庶務の人間がかもし出す独特の雰囲気が見て取れたからだ。もう一人の女性の会社での立場や佐久間との関わりには想像が付かない。
最後の一人は、僕の位置からだと彼の後ろ姿しか見られないが、彼が佐久間と部の中で一番仲が良かったのだろうか。
僕は佐久間が会社でどんな風に過ごしていたのか聞きたい衝動に駆られたがその思いは直ぐに無くなった。こんな大事な事を赤の他人から聞いても何の意味もない。
僕は改めて佐久間の事をあまり知らないと気付いた。
大学時代、佐久間には付き合っている人がいた。佐久間にとっての無二の人。それは一時的な感情の高まりから来るものとは別世界のものだった。
彼女と結婚することは地球が今から何年も太陽の周りを動き続けるのと同じくらい不変の未来だった。それは、未来にあって、既に、未来の出来事ではなかったのである。
佐久間はその子と不思議な出会いをした。佐久間以外誰もがそう思っていた。
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大学1年のある日、それは試験の答案を返却された時だった。佐久間が教室を出ようとした時、
「佐久間君ちょっと来てください」
「何でしょう。教授」
教授は何も言わずに佐久間を待たせ、誰か他の人も探している様子だった。
「長谷川さんちょっと宜しいですか?」
「はい、何ですか?教授」
「2人とも今日、12時30分に私の部屋に来られますか?今日の答案を持って」
長谷川さんは何事なのか驚いた様子で尋ねた。
「どうしてですか?」
「それは、今は言えませんが、今日の試験結果についてです」
「試験結果が何か?」
「ですから、私の部屋でお話します」
佐久間は、他人事の様にそのやり取りを見ていた。そして、教授は佐久間にも尋ねた。
「佐久間君あなたはどうですか?」
「はい。伺います」
「それでは、2人とも時間に遅れないように」と言って教授は教室を出て行った。
「俺、佐久間と言います。始めまして」
「あっ、長谷川です。よろしく。教授は何の用ですかね?」
「さあね。さっぱり心当たりありません。試験結果は悪くなかったのですが」
「私も。あっ、次の授業が始まるので」
「ええ」
その様子を見ていた僕は佐久間に尋ねた。
「どうかした?」
「教授があとで来いってさ」
「あの子は?」
「ああ、あの子も一緒にだと」
「何故あの子も?」
「さあな、教授に聞いてくれ。理由は言ってくれなかった」
僕は、あの時の嬉しそうな佐久間の表情を今も忘れない。
佐久間は時間通りに教授の部屋を訪ねた。部屋には既に長谷川さんが居て2人は世間話をしているようだった。佐久間はドアをノックした。
「佐久間です」
「どうぞ。入りたまえ」
「失礼します」
「佐久間君、そちらにかけなさい」
佐久間は長谷川さんの隣に教授とデスクを挟んで座った。教授の表情が先程の柔らかいものから真剣な面持ちに変った。先程まで笑顔で話していた長谷川さんの表情まで鏡の様に変化した。
「話と言うのは、今日返した答案の件です。2人とも出してください」
佐久間と長谷川は答案を取り出した。そして、佐久間は尋ねた。
「これがどうかしたのですか?」
長谷川も重い物でも出すように答案を机に置いた。それを待っていた教授が言った。
「佐久間君今回の結果は?」
「89点ですが」
教授が尋ねる前に、
「えっ。佐久間君も」
驚いた様子で長谷川が言った。しかし、佐久間は然程驚きもせず、
「これだけ生徒がいれば同じ点数の生徒は他にもいると思いますよ」
「ええ。確かにあなた方以外にも同じ点数の生徒は他に2名いました」
この教授が出す試験は難易度が高い事で大学内では有名であった。80点以上を記録するのは大変な事である。
「ではどう言うことですか?」長谷川は教授に聞いた。
教授は、種を明かす気になったが、本当の種明かしは教授が求めている。
「私が言っているのは、点数じゃないのです。2人ともお互いの答案を比べてみなさい」
佐久間と長谷川はお互いの答案を見比べた。佐久間の答案を見ていくにつれて長谷川の目が大きくなり、驚きと怒りとで手が震え始めた。
「佐久間さん、これはどう言うことですか?」
佐久間は申し訳無さそうに、
「それは僕の台詞ですよ」
「私があなたの答案を見たとでも言うの?」
佐久間は、無理もないな、と心の中で思った。でも、他に言い様がない。
「私が言いたいのはお互いにカンニングはしてないのに、なぜこうなったのかです」
教授は2人に割って入った。長い教授生活だがこんな経験をしたのは初めてだった。カンニングするにもそれがばれない様に全く同じ答案は避ける。特に筆記問題においては。
「君たちはいつも同じ席に座るのかね?今日座っていた席に?」
「私は大体そうです。試験の時も今日と同じでした」
「僕も、試験の時は今日と同じ席でした」
「それでは、お互いの答案は席を立たずに肉眼で見ることは出来ない訳だね。テレパシーでも使わなければ。しかし、ここまで答案が同じだとただの偶然とは思えない」
長谷川は席が離れていた事を知り、佐久間がカンニングしたのではないと分かった。先ほど佐久間の事を疑ったことに対して申し訳なさそうな表情をして少し俯いていた。
2人は無言で教授の言葉を待つほか無かった。
「しかし、カンニングをした証拠もないので今回は不問とする他ないようですね」
教授は、最初からそのつもりで呼び出したようだった。
佐久間は、『申し訳ありませんでした』と謝るのも変だし、と言って『ありがとうございました』とお礼を言うのも可笑しいと思ったので一番相応しい言葉を選択した。
「それでは失礼します」
長谷川も言葉に迷っていたらしくオウムのように繰り返した。
「それでは失礼します」
「2人は挨拶まで同じなのですね」と教授は皮肉った。
2人はお互いを見つめながら廊下を歩いた。そして、長谷川が言った。
「佐久間君、正直言って私何か怖い」
これは佐久間が予期していた反応だった。
「世の中不思議なことが起こるものです。それを、体験できた。いや、共有できたことは素敵じゃないですか」
佐久間の妙に落ち着いた寛大な態度が長谷川にとっても今回のことが素敵に思うべきなのかと戸惑わせた。
これがきっかけで2人は付き合い始めた。彼らの付き合いは大学の4年の後半まで続く。しかし、その終わりはあっけなくやって来た。
長谷川が通学中にバイクに跳ねられたのである。その事故が起こった直後の現場に体中汗だらけで血相を変えた佐久間が駆けつけていた。そして、
「間に合わなかった。何故、俺は助けることが出来なかったのか!」
この言葉の意味は僕には分からなかった。長谷川の死以来、佐久間に特定の女性がいた事も、彼から女性の話しも聞いたことは無かったし、そんな噂も入って来なかった。
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